三 ランタン屋



 ガタンと、大きな音で目覚めた。

 馬車の戸が開いて冷えた空気が吹き込む。暗闇に光る金属の光。


「何だ!」


 眠っていた師匠が飛び起きて、黒い影を睨む。そして毛布の中で縮こまっているエテンを抱き上げると、寝台の下の衣装箱に放り込んだ。揉み合う音。知らない人の舌打ちの音。

 師匠の苦しげな呻き声。

 蓋の板の隙間から、ぽたり、ぽたりと、頬に生温かい液体が滴り落ちる。鉄の匂い。涙の味。耳鳴りと動悸──





 自分の悲鳴で目が覚めた。夢か……今日は、母さんじゃなくて師匠だったな。


 エテンは寝台の中で丸くなって、静かに深呼吸をして気持ちを整えようとした。とその時、寝室の扉がバタンと開いて飛び起きる。


「どうした!」

「うわっ!」


 煌々と光る魔術の明かりを持った師匠が駆け込んできた。起き上がって目を丸くしているエテンを鋭い目で見て、部屋を見回す。何もないことを確かめると肩の力を抜く。


「どうしたんですか、師匠」

「どうしたって、悲鳴を上げただろう『師匠!』って」

「ちょっと……嫌な夢を見ただけです」


 目を逸らしながらエテンが言うと、師匠は「夢?」と少し怒ったような声で言いながら寝台の端に座ってエテンの頭に手を乗せた。


「よく見るのかい? 怖い夢」

「ここに来てからは初めてです」

「馬車で暮らしていた時は」

「だいたい毎日ですけど……でも、もう一度寝たら悪夢じゃないことが多いですから、睡眠はちゃんととってました」

「そう──もう少し奥へ行って」


 言われるがまま寝台の奥の方へ体をずらすと、師匠が上掛けを捲って隣へ潜り込んできた。


「師匠」

「ここで寝る」

「え?」

「はい、横になって」


 枕に頭を乗せると肩まで毛布を引き上げられた。頭を撫でられ、肩のあたりをぽん、ぽん、と心臓の鼓動の速さで叩かれる。


「一人で大丈夫です」

「あんな声を上げるような夢を見ている子供をひとりで置いておけない──油断してたよ、昼間は楽しそうにしているから」

「油断って」

「はい、目を瞑って」


 目の上に手を乗せられて、仕方なく瞼を閉じる。眠たくなるような静かな声で師匠が言った。


「明日……街で箱を買ってあげよう。遺石はそこへ入れておきなさい。持ち歩くものじゃない。死した家族を連れ歩いていると……私のように、永遠に埋まらない傷になってしまうよ。時々思い出して触れる時以外は、忘れているくらいでいいんだ」

「でも、僕が忘れたら──」

「みんなが覚えているさ。賢者様だって、三年前に聞いたきりの君の歌声を覚えていただろう? 一度耳にしたらずっと忘れられないような、素晴らしい音楽家だったんじゃないのかい? 少なくとも私は君の歌を初めて聞いた時、そういう特別な音楽だと思ったよ」

「……うん」


 雪の降る夜の静寂のなか、耳元で囁かれる声が心地良くて、エテンは吐息のような返事をすると意識を闇に委ねた。ああ、あたたかい。狭い馬車で家族四人寄り添って眠ることが当たり前だったロゥラエンは、人の気配のない寝床にまだ慣れていなかった。本当はずっと寒くて寒くて仕方がなかったのだと、今ようやく気づいた。





 次の朝は約束通り、街へ買い物へ出た。朝食は屋台のペタとレモネード。財布の中身は銀貨と銅貨だけだ。エテンがちゃんと確認した。


 飲食店の他は書店や文具店、画廊なんかの多い大通りを外れて、細い路地を歩く。入り組んだ道をどんどん進んでゆくのについて行くと、唐突にごちゃっとした通りへ出た。


「えっ……こんなとこあったんだ」

「うん。観光地ではないけれど、地元の学生には人気の場所らしい」


 整えられた表と違って、こちらの店は何か雑貨とか服とかそういうものを、とにかくぎゅうぎゅう詰めに押し込んだ店が多かった。道に布を敷いて、その上に品物を並べているだけの店もある。


「ちょっと……砂漠の方の街の雰囲気に似てますね」

「砂漠って、北の?」

「ええ。ガラバとか」

「ガラバ? あの辺は治安悪いだろう」

「紛争の起きている時でなければ大丈夫ですよ」

「ふうん」


 雑談しながら歩く。学生らしい四角い帽子を被ったお姉さんの集団が、師匠の月の塔のローブを指差して黄色い声を上げている。


「師匠、人気者ですね」

「え? 君が可愛いんじゃないかい?」

「僕じゃないと思います──あっ、師匠! あれ、あれ何ですか!」


 前方にものすごくわくわくする店を見つけてしまったエテンが師匠の袖を掴んで飛び跳ねると、後ろの方からわっと声が上がった。振り返るとお姉さん達が手を振ってくる。にっこりして振り返すと、学生達は顔を見合わせ手を握り合ったりと内輪ではしゃぎはじめた。


「ほら、君だった」

「そうなのかなあ……ねえ師匠、そんなことよりあれ!」

「ランタン屋だね」


 色とりどりのガラスのランタンが天井にぎっしり、壁も棚も覆い尽くして飾られている美しい店だった。しかもガラス細工がすごく繊細で、何枚もの色ガラスを合わせて魔法陣のような模様にしてあるものもある。


「ひとつ買ってあげよう」


 師匠が言った。エテンはパッと顔を輝かせて美しい工芸品の群れを眺め、そのどれもに光を灯す魔法陣が刻まれているのを見て肩を落とした。


「いえ……僕には使えませんから」

「魔導式でないものもあるだろう。いくらこの街には多いとはいえ、魔術が使える人間なんて少数派なんだから」


 師匠がそう言ってどんどん中へ入ってゆく。棚と棚の間隔が狭い。楽器の鞄をぶつけないようにそろそろ後に続けば、奥の方には確かに火を灯すタイプのランタンも置いてあった。


「ほら。それに同じ値段なら、物理式の方が細工が良いね。どれにする?」

「え、ええと……じゃあ、これ」


 一番隅っこにひっそり置いてあった透明なガラスの小さなランタンを指す。師匠は怪訝な顔をして「こっちじゃなくていいのかい?」と見事な赤い薔薇細工のランタンを持ち上げてみせた。


「それだと光が赤くなって、読書や勉強に使えません。それに……この、持ち手が木の枝みたいになっているところが可愛いんです」

「そうかい? ……おや、結構するな」

「えっ」


 値札を見た師匠が目をぱちくりさせたので、エテンは慌てて「違うのにします!」と言った。


「いや、支払うのには何の問題もない。君の審美眼に感心していただけだよ」

「本当に、お目が高いですな」


 店の奥からしわがれた声がして、エテンは飛び上がった。ランタンの海に溺れるようにして小柄な老人が座っている。


「今年作った中でも特に気に入った作品でな、故に敢えて隅へ置いておいた。価値のわかる人間にだけ見つかるように──どれ、坊やの将来性を買って値引きしてやろう」

「いいんですか?」


 エテンが言うと、師匠が「別に値引きなんてしてもらわなくたって、このくらい全然払えるよ」と言った。


「師匠、こういうのはありがたく受け取るものなんですよ。お金のやり取りというのは、心のやりとりだから」

「そうなのかい?」

「ふむふむ、まっこといい子だの。この辺の銀細工から何か一個おまけにつけよう」

「ほんとですか?」

「ただし、背負っとるそいつで一曲聞かせてくれたらの」

「喜んで」


 エテンがいそいそと勘定台の横に置いてあった椅子に座り、楽器の準備を始めていると、師匠が店の中を見回しながら「これ全部、あなたの作品なんですか?」と尋ねている。


「ああ。昔からこれしかできんでな」

「魔導ランタンにも全てガラスの覆いがかけられているのは珍しいですね」

「わしはガラス職人だもんでな」

「なるほど」


 そんな話を聞きながら、素早くルェイダを調弦する。準備が整ったのがわかったのか、二人が話をやめてエテンの方へ向き直った。


「ではすてきな作品のお礼に、一曲おきかせいたしましょう。一座の故郷ヴォーガリンのげんふうけいを歌う、げんとうてきな歌です」


 じゃららんと弦をかき鳴らす。すると師匠が小さな声で「それ、もしかして『伝統的』じゃないかい?」と言った。


「え? げんとう……でんとうてき?」

「うん」

「ほんとに?」

「うん」

「えっ……興行で、いっぱい言っちゃった……」


 恥ずかしさで泣きそうになって見上げると、師匠は「今覚えたんだからいいじゃないか」と肩を竦めた。


「でも……」

「若いうちにはよくある。それよりほら、故郷の歌とやらを早う聞かせい」


 ランタン屋が言った。観客に歌を求められ、気持ちが「弟子」から「吟遊詩人」に切り替わる。そうだ、お客さんの前で失敗に落ち込むなんて吟遊詩人失格だ。広場では同じ曲を華やかに弾いたが、このキラキラしたガラス細工に囲まれた薄暗い店では、木のうろの中で小さな魔法の明かりを灯すように、静かに秘密めかせて奏でる。



  青い森に響く

  夜狼よるおおかみの遠吠え

  翡翠色の湖に

  白い月が映る

  霧雨の透明な灰色が

  全てをやわらかくする

  ああ 森の国よ

  我らの青い森よ



 師匠がうっとり目を細め、ランタン屋がぎゅうっと眉を寄せて目を閉じた。何か、怒らせるようなことがあったろうか。


「……もう一曲、お願いしてもいいかね」

 弱々しい声で老人が言う。エテンが「ええ」と頷くと、彼は「ランタンの歌はないかね、もしくはガラスでもいい」と言った。


「ありませんけど、即興でいいなら」

「それでいい」


 エテンは少し考えて、店を見回した。ランタン屋さんは自分の好きなものの歌が聞きたいんだ。それなら、このお店をそのまま歌にしよう。



  星のひかりに目をひかれ

  歩み入る ランタンの店

  透明なかがやきにつつまれる

  朝日がさし込んで

  虹をくだいて散りばめたような

  光が壁をおどる

  そこは魔法の店

  魔法の光を 売るお店



 虹の光がゆらめき踊るように奏でれば、壁に反射した光もそれに呼応するようにキラキラ幻想的に踊った。驚いてきょろきょろ見回すと、師匠が悪戯っぽく笑っている。魔術で何かしたらしい。


「すごい!」


 歌い終えたエテンが言うと、師匠は「初めて聴かせてもらった君の即興だからね、盛り上げないと」と言った。反応を求めて二人でランタン屋を見ると、彼は一心不乱に手元の紙へ何か書きつけている。


「……ランタン屋さん?」

「素晴らしい……沸き上がってくる、沸き上がってくるぞ!!」

「何が?」

「虹踊る魔法のランタンを作る!!」


 瞳孔の開いた目をしている老人に少し怯えながら手元を覗くと、荒々しすぎて何がどうなっているかよくわからない、ランタンの絵のようなものが描いてあった。よくわからないが、なんかこわい。


「それ、前払いするから完成したら一つ月の塔へ送ってくれないかい?」


 師匠が言った。こんな絵を見て欲しくなったんだろうかとエテンが見上げると、彼は「エテンの歌から生まれた作品だからね、手元に置いておきたい」と言った。ちょっと感動してしまう。


「師匠……」

「はい、代金」


 師匠がポケットから金貨を一枚取り出して勘定台の上にポンと置いた。エテンが「あっ! また」と言い、ランタン屋がぎょっとした顔をする。


「は?」

「足りないかい?」

「いや、そんなわけ」

「師匠! 金貨を持ち歩くのは危ないって言ったでしょう!」

「一つでいいんだろ? 半額でいい」

「それだけの仕事をしてくれって言ってるんだ」

「師匠! 失礼ですよ!」

「ふん、面白い」


 少年が騒いでいる間に、大人達の間でとんでもないやり取りが終わってしまった。老人が職人の顔で不敵に笑い、師匠は「じゃあ、銀細工はこれをいただくよ」と手のひらに収まるくらいの小箱をつまみ上げている。


「おい、それは坊やに」と老人。

「もちろん、そうだよ──エテン、塔へ帰ったらこれに遺石を入れるといい」

「あ」


 そういえば昨夜、そんなことを言われていたのだった。手のひらに乗せられた小箱は月と草花が彫り込まれた銀製で、蓋の真ん中に淡い虹色に光る貝が宝石のように嵌まっていた。


「綺麗……ですね」

「月光箱、という名が付いとる。蓋のは白蝶貝だ……坊や、遺石を入れるなら、名を彫ってやろう」


 そう言ったランタン屋は、エテンの家族のことを知っているのだろうか。紙とペンを渡され、故人の名を故郷の言葉で記すよう言われる。


「おっと、筆記体じゃなく楷書で」

「あ、はい」


 見ていると、老人は後ろの本棚から『世界飾り文字辞典』と書かれた分厚い本を取り出し、「オーリェン語、オーリェン語と……」と言いながらページを捲ると、変わった形の彫刻刀のようなもので小箱の蓋の裏にさらさらと美しい飾り文字で、下書きもなしにエテンの家族の名前を彫ってしまう。


「すごい」

「ガラスが専門だがの、まあこんくらいはできる」


 ほれ、と渡された箱を抱えて礼を言う。包んでもらったランタンも受け取って笑顔になると、ランタン屋も嬉しそうに笑った。


 けれどエテンの心は笑顔の陰で少し、箱の重さの分だけズンと沈み込むような感覚があった。遺石を胸に下げた袋から小箱へ移すというそれだけなのに、何か大事なものを手放してしまうような、そんな気持ちになっていた。





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