三 魔女ふたたび



 レーイエは「私の話が先でいいかしら?」とことわってから、ソファへ優雅に腰掛けて話し始めた。はじめエテンはそれを黙って聞くだけのつもりだったが、その話が意外と面白かったので、手帳を開いてメモを取りながら聞いた。その姿を見て、魔女が褒めるように微笑む。


「『ヴィネーツィエ』というのはね、本来その単語ひとつで『神と人とをつなぐ』って意味なの。アラ・ヴィネーツィエ、神と人とを繋ぐわざ。それが魔法。けれどエルート語はこのリオーテの人間にとってこそ公用語だけれど、よそでは使い手達の意味不明な呪文でしかない。故に使い手達が『神から祝福を受けて奇跡を起こす』という意味で使っていた『魔法』という言葉を、言語を知らぬ民達が『虚空から炎を出すような不気味なわざ』と捉えた。そうやって少しずつ語源が隠され、意味が歪んでいった」


 妙に色っぽい感じの声で話す図書館の魔女は、言葉について話し始めた途端に声も話し方も凛々しくなった。中性的で、真剣で、でもとても綺麗だ。可愛く見せようと無理をしたせいで変な服を選んでしまっている彼女より、こっちの方がずっと素敵だと思う。


「じゃあ魔獣の『魔』は? あれは嫌な生き物でしょう?」

 エテンが質問すると、魔女は「君、なかなか回転が早いね」と頷いた。


「そう。魔獣は古語で『アヴィア・ヴィネーツィエ』、つまり『神と人とをつなぐけもの』。黒い毛皮に血の色の瞳、瘴気を纏った凶暴な獣には相応しくないように思える。けれど種明かしをすれば簡単よ。魔獣という言葉はね、『魔』の意味が歪んでしまった後にできた言葉なの。それまで魔獣はただ『黒きもの』と呼ばれていた」

「なるほど!」


 エテンが目を輝かせてそれを手帳に書き込み、師匠に「『魔獣』より『黒きもの』の方がかっこいいですね!」と言うと、レーイエは「どうして広場の吟遊詩人さんを、と思ったけれど……いい弟子を取ったわね、アルラダ」と言った。


「だろう? それに風持ちなんだ、この子」

「へえ! それで賢いのね」

「逆だよ、逆。この子が好奇心旺盛で勤勉だから、叡智の神から祝福されているんだ」

「確かに、その通りだわ。魔力というのは……祝福だから」


 師匠と魔女はにこやかにエテンが恥ずかしくなるような会話を交わしていたが、祝福という言葉を口にしたレーイエが少し悲しげな顔になって俯いた。どうしたのだろうと思ってじっと見上げると、彼女はエテンに視線を合わせて真面目な顔になった。


「だから『魔術』というのも、本来は『神と人とをつなぐ紋様』という意味なの。神殿の人や排斥派と呼ばれる人々は魔術師のことを『祈りもせずに神の力を使う悪い人間』と責めるけれど、元を辿れば魔術だってそう冒涜的なものじゃないのよ。私はそういう、史実に基づいた論文で……みんなが、仲良くできるようになれればいいなと思っているの。抵抗者なんて強い言葉を使っているけれど、敵対する派閥の間に立って人と人とを繋げたいのよ」

「そうなんですか」


 大人達の派閥だなんだというのにはさして興味がなく、エテンはとりあえず感心したような顔をして頷いた。レーイエは「今はそれだけ知っていてくれればいいわ」と微笑んだ。そして顔を上げると師匠に向かって「私の話はこれくらいよ」と言う。いよいよ聞き込みを始めていいのだと思ったエテンは張り切って手帳のページを捲って、一番上に日付と時間を書き込んだ。


「ユーエル、という少年を知っていますか」


 早速そう尋ねると、質問するのは師匠の方だと思っていたらしいレーイエが少し不思議そうな顔をした。


「ユーエル?」

「ええ。行方不明になっていることがわかって、誘拐されたかもって調べているんです」

「この街の魔術師の弟子でしょう? なんて言ったかしら、あのちょっと気持ち悪い感じのおじさん魔術師の……」

「バエンさん」

「そう、バエン。あの人のお使いで、よく図書館に来るわ。一度に何十冊も借りさせられて、かわいそうなの。本当は図書館の本って本人でないと借りられないんだけれどね、一度シタンがそう言って帰したら、二時間後に半泣きで『僕が借りたいんです』って言いにきたとかで、それ以来司書達も目を瞑ってるらしいわ──行方不明って、いつから?」

「一週間前。最後に見たのはいつですか?」


 聞いたことをメモしながら言う。ほんとに碌でもない人だな、バエン。


「ええと……二週間くらい前だと思う。やっぱり……魔術師の卵だからかしら?」

「魔女さんもそう思いますか」身を乗り出す。

「その『排斥派』っていうのに雇われた魔術師が犯人じゃないかって噂があるんです。魔術をなくしたい人達が、将来有望な魔術師の卵に魔術を使って酷いことして、魔術が怖くなるように仕向けてるって」


「それは……どうかしら」

 レーイエが首を傾げた。


「排斥派っていうのは、言うなればちょっと狂信的なくらい敬虔な神殿派よ。力のない子供を秘密裏に怖がらせて回るために魔術師を利用するなんて、そんな悪辣な手段を選ぶとは思えないわ」

「なるほど……ちょっと待ってください」


 続きを話そうとするレーイエを制止して手帳に書き込んでいると、彼女が師匠に「どうしてあなたじゃなく、この子が質問しているの?」と尋ねた。師匠が「探偵見習いなんだ」と答えると「ああ……そうなの」と少し笑いを含んだ声で言う。酷い。


「……書きました。続きをどうぞ」

 不貞腐れた声で言うと、魔女は「ああ、ごめんなさい。馬鹿にしたんじゃないのよ、小さいのに凄いなと思って」と言った。ならいい。


「──それにね、誘拐事件の被害者は魔法使いでもあるユーエル以外、幼いころから突出した才能の持ち主ってわけでもないの。魔力が本格的に増え出すのは体が出来上がってくる十四、五歳からだし、排斥派にとって脅威になる術者に育つかどうかもわからない……そんな段階の子達を狙うってことは、犯人は排斥派だとしても神官や顕現術師達じゃなく、魔力を持たない一般人じゃないかしらって私の周りでは言われてる」


「顕現術師って?」

 エテンが首を傾げると、師匠が口を挟んだ。

「神官達と同じ蔓草模様の陣を使う、神殿には入っていない使い手達のこと」

「へえ」


「なぜ魔力持ちじゃないと思った?」

 師匠が問うと、レーイエが頷いて言った。

「排斥派の主力である神官や魔術師達で取り囲めば、それこそあなたみたいな月の塔の魔術師でない限り、大人だって簡単に殺してしまえるわ。それに大人だろうとなんだろうと、何かしら理由をつけて異端審問にかけてしまえば事は簡単よ。隙あらばそうやって善良な魔術師を処刑しようとするのを、私達は何度も阻止してきた」


「異端審問……」

 あの人達か、とエテンが唾を飲む。処刑って、そんなことまでする人達だったんだ。危なかった……師匠が逃げられて良かった。


「だから、排斥派の中でも発言力を持たず、武力も持たない魔力なしの可能性が高いと、私達の間では噂されてるわ。弱い子供を狙うなんて……もしそんな証拠を掴めたら一気に排斥派の力を削げるんじゃないかって、犯人探しをしてる人もいる。反対に、魔術師の犯罪の証拠を掴もうと躍起になっている神殿の人間もいる。この事件はこの界隈で結構な話題なのよ」


「でも魔力を持たない人が犯人なら、被害者達が魔術を怖がっていることの説明がつきません」

 エテンが言うと、それには師匠が「魔術を使わなくても、方法はあるんじゃないかな」と言った。


「方法って?」

「『お前や家族が魔術師だからこうなるんだ』って暴力を振るうとか」

「でもマレンに怪我はなかったし、術で記憶を消されてましたよ」

「おや、確かに……」


 師匠が腕を組んで唸り、エテンは師匠よりも一歩先の考えを言えたことに舞い上がった。思わずにこにこしていると、レーイエが「楽しそうね、探偵さん」と呟く。


「楽しくなんてありません。探偵はいつだって重圧に苦しんでる……事実を見つけて、推理して、それで平和を守らないといけないんです」

 探偵さん、と言われたことにふわふわした気持ちになりながら言うと、後ろで師匠がブッと吹き出した。


「師匠!」

「ごめんごめん」

「仲良しなのね」


 微笑ましそうに笑った魔女から「子供を狙いそうな魔力のない人」と「犯人探しをしている人間」の情報をもらう。レーイエは子供達の親や師匠の派閥についてもかなり詳しかったので、「思想」と「所属」の二項目を埋め尽くした一覧表を作ることができた。去り際に彼女はまたしても「やだ、見下ろさないで……」とか首元を押さえて言っていたが、師匠がそれを完全に無視して、魔女の方も特にそれにあれこれ言わず、互いにすんなり談話室を後にした。


「ちゃんと話すと、ちゃんとした人でしたね」


 魔術の棚の方に向かった彼女に声が届かないくらい離れてからエテンが言うと、師匠がため息をついた。

「変質者だけど、頭はいい人なんだよ。学会にも毎回、かなり質の高い論文を持ってくる……だからエテン、気をつけるんだよ。一見筋の通ったことを話していても、裏では狂っている人というのもいる。誘拐事件の犯人もそうだね。記憶を消せるような術を使えるくらいだから賢いんだろうけれど、子供を攫うような頭のおかしいことをする。人の一面だけに惑わされないように」


「はい」

 人間の隠された面を暴くのも探偵の仕事だ、と思いながらエテンは頷いた。


「じゃあ、派閥とかに特別詳しい魔女さんも怪しいですか?」

「いや、それは彼女が排斥派と戦う『祝福ある抵抗者』の所属だからだよ。味方を集めるのにそういう情報は必要だからね」

「敵とか味方とか……どうしてそんな風に思うんでしょう。考え方が違うからって、僕は敵だとか思わないです。家族を殺されたわけでもないのに」


「もしかして……『時の管理者』を捕まえるために、エテンは探偵になりたいのかい?」

 師匠がそっと、心配するような声でそう尋ねた。


「そんなつもりはありませんでしたけど、そうかもしれません。魔術を覚えて、強くなって……あいつに、でも、僕は絶対復讐はしないんです。復讐は悪いことだって父さんに教わったから。だから探偵として、あいつに罪をつぐなわせたいのかも」

 胸に下げた星の金貨をぎゅっと握って言うと、師匠は「ごめん、つまらないことを言った」とエテンの肩に手を置いた。


「今のは私が悪かった。そういうのは、もっと大きくなってから考えればいい。今はただ好奇心と知識欲だけを抱いて、君は進みなさい。その方がずっと成長できる。探偵としても、人としても」

「……はい。探偵のしえんは推理において致命傷になるって、マシエラも言ってました」

「そうそう」

「ただ水鏡のように凪いだ、めいせきな頭脳さえあればいい」

「その通りだ。……結構いいことを言うな、マシエラ」

「そうなんです。マシエラの本はただ面白いだけじゃなくて、探偵のこころえも教えてくれるんです」

「そうかそうか。二巻を借りてゆくかい?」

「二巻!」


 そうか、続編。絶対読みたい、絶対借りて帰る!


「何巻まであるんですか?」

「十二とか、それくらいかな。作者はまだ存命だし、来年には新しいのが出るかもしれないよ」

「そんなに……二週間じゃ読み切れませんね」


 嬉しいような悔しいような冊数にぽつりとこぼすと、師匠は「帰れば塔にもあると思うよ。無ければ買えばいいし」と簡単に言った。


「買えばいい……?」

「うん」

「十二冊も買ったら、いくらするんです?」

「さあ」

「師匠……」


 この国にいるうちにできるだけたくさん読んでおこうと思って、エテンは苦笑した。





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