第4話 チャンピオンたちの昼食


「そのだし巻き卵はどうかな? わりと自信があるのだが」

「おいしいです!」

「よかった……そっちの、鶏モモの西京味噌風焼き物はどうだろうか?」

「最高です!!」

 それは良かった、とまた破顔する薫子先輩。頭上数メートルの高みから、女子の悲鳴と何か物が壊れる音がした。


 先輩と交際を始めて、大きく変わったことが一つある。昼食だ。

 前にも言ったように、僕は地方から出てきていて寮住まい。昼はだいたい購買部でパンを買って済ますのが常だった。

ところが告白の翌日。昼休みになると彼女が僕の教室まで、ぬかるみの中を歩く鶴のような悠然とした足取りでやってきた。まさか向こうから訪ねてくるとは思わず、僕はかなり動揺した。

 物見高いクラスメートたちが凝視し耳をそばだてる中で、彼女は高らかに告げた。

「高井戸くん、君の分も弁当を作ってきた。中庭で一緒に食べよう」

「ええーっ!?」

 よくよく見れば、彼女の左手にはなにやら大きめの風呂敷包みが提げられていて――


「そんな、とんでもないです。先輩にいきなりそんなことまで……!」 

大慌てで辞退したが、彼女には通用しなかった。彼女は遠慮する僕にこう言ったのだ。

「高井戸くん。我々が互いの好意を確認し、今後お付き合いすると合意したからには、私には君の学業と健康に対して責任があるのだ。わかるな?」

「は、はい」

 いや、責任までは……えっ、あるの?

「健康の礎はまず食事だ。君は男子寮で起居しているというから朝夕は出るだろうが、寮母さんも昼食までは手が回るまい。しかし、私の交際相手に昼食を安価な総菜パンで済ますような愚を許すわけにはいかん。よって――私が弁当を作ることにした」

「あ、ありがとうございます……」

 こんな堂々と真正面から宣言されたら、拒否なんてできるわけがない。


 その日から、昼休みの中庭は僕と彼女の壮麗な弁当セレモニーの場となった。四方の校舎からは全校生徒の半分くらいが、窓に鈴なりになって僕たちを見ていた。

 彼女のやや骨太だが白く美しい指が、漆塗りの箸を巧みに操って弁当箱のふたに手製のおかずを取り分けるたびに、二年生以上の男子たちから羨望と畏怖の――主に畏怖のどよめきが漏れる。

 そして僕がそのおかずを口に運ぶたびに、二年生以下の女子たちから聞き取りにくい意味不明な悲鳴が上がった。


(……なんだよ! だし巻き卵を食ったくらいでそんな、この世の終わりみたいに!)


――ドサッ

頭上で妙な音がした。窓際で押し合いへし合いしていた女子生徒が、何かを窓の外に落としてしまったらしい。見上げると、大判ハードカバーの本が一冊、開いたページを風でバタつかせながら僕の顔面めがけて落ちてくるところで――


        * * * * * * *

「はっ!?」

 目が覚めた。今のは夢だったらしい。額の上に本ではなく、誰かの温かな手が載せられている。首を横に向けると、かたわらの椅子の上に先輩がいた。

そこはクリーム色の落ち着いた内装でまとめられた、小さな部屋だった。糊のきいたシーツと、重すぎない毛布の温かさが何とも言えず落ち着く。

「気分はどうかな、高井戸くん」

 先輩が穏やかな声で言った。ずっと付き添っていてくれたのだろうか。

「割といい気分です……先輩に出会った時のことを、夢で見てました。なんだかすごくはっきりした夢で……あと、お昼を一緒に食べたこととか」

「それは良かった。記憶はしっかりしているようだな……さて、何から話したものか」

 先輩は、迷うというよりは何かをためらっているようだった。僕は、いちばん知りたかったことを訊くことにした。

「先輩。僕は、なんであんなところに入れられ……いや、そもそもあれは何です? それに、ここは一体?」

「ああ……ここは簡単に言うと私が私有する研究所だ。そして君が入っていたあれだが……人体培養カプセルだ。ひとかけらの細胞から発生を再現して、人間を丸ごと複製する装置だよ。クローンという言葉くらいは、君も聞いたことがあるだろう?」

「ええ、まあ……」

 その先の言葉が出てこない。クローン? 丸ごと複製……?

「何か、あったんですか……僕に。いったい……」

 先輩は悲しそうに首を振ると、似つかわしくないほど小さな声で答えた。

「落ち着いて聞いてくれ。君は、一度死んだのだ」

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