二話 こういう朝もある
肥満体型で赤茶色のアメリカンボブテイル。家主のごとき風格を持ち、傍若無人に振る舞うその猫の名はドブ。
霊能力者であるにもかかわらずまともな攻撃霊術が扱えない織成優太。そんな優太とドブは一緒に暮らしている。
ドブは我儘で身勝手で自分自身に甘いが優太には厳しい。起き抜けに噛みついたり些細なことで不機嫌になったりするし、紅茶をひっくり返すこともある。しかし、そんな出来事が頭から吹き飛ぶ瞬間がある。
たとえば、そう、今。
午前八時。目を覚ました優太は赤茶色でふくよか(むしろ肥満)なドブが薄い桃色の毛布に横向きに眠っているのを知った。優太の就寝中にベッドにやってきたのだ。優太が起床したことで軽く目覚めてしまったのだろうか。その両手が捲れた毛布をもにゅもにゅにぎにぎしていた。繰り返す。
もにゅもにゅにぎにぎしているのだ!!
(これはッ……‼ やばいッ‼ 可愛い‼)
優太はスマートフォンを持ち、静かに迅速に、撮影を開始した。
「みぃ……ぁ…………」
ドブがごろごろと喉を鳴らしながら甘い声を漏らしている。
(やばいって‼)
猫好きにとって至福の光景である。猫がにぎにぎする理由は諸説あるが授乳の感覚を本能的に求めているのだとか。ドブの母猫を優太は知らず知りようもないがドブの猫らしい挙動を見ると安心するし愛おしくなる。
「みゃ……ぁ……」
小さく口を開けで、掠れた鳴き声で寝言を呟くドブ。
「~~~ッ‼」
言葉を失う可愛さとはまさにこのこと。そうでなくても、ドブは優太にとって家族であり相棒であり、信頼しているし、感謝しており、愛してもいる。
(ぎりぎりまで寝かせておこう。今日は仕事の予定も入ってないし)
騒いで起こしてしまうのは申し訳ない。
(スケジュールでも確認するか。掃除とか洗濯してうるさくするのも嫌だしなぁ)
優太は忍び足で、そっと離れることにした。こんな朝もある。そうして、今日も優太とドブの一日が始まる。
眼福の朝から一転。青シャツに白衣を羽織った優太に、一本の電話があった。珍しい着信に、意図せず瞬きを重ねる。
「はい。優太です」
『もしもし? ユウちゃん。今から仕事でしょ?』
まさに。つい先ほど除霊の依頼があり急遽準備をしている最中だった。
「いつものことですけど、どうしてわかるんですか?」
『うん。内緒』
くだけた口調なのに、はっきりとした物言い。相手は織成家の長女――
世界には妖怪をはじめとする霊的な存在がおり、その除霊を生業としているのが霊能力者である。織成家はその中でも絶大な影響力を持ち、
『てか、数珠使ったの? せっかく用意してあげたのに。まあ、いいけどね。また、準備してあげる。特別サービスで少しだけまけてあげるわ』
とはいえ、茜と優太の関係は麻衣とはまた異なる。茜が構うのは気まぐれによる部分が大きいと予想している。もしくは、茜にとって優太が
「ありがとうございます。今はお金が足りないので用意出来たらまたお願いします」
前回、雪女の
『貧乏なくせに無茶するからでしょ。でも、特別に用意しといてあげるわ』
「いつもありがとうございます」
『うんうん。そうやってお礼が言えるのは偉いわね。それで、本題なんだけど今回の除霊は止めときなさい』
それは唐突な忠告。優太は茜のことを麻衣と違った意味で信用している。助言も初めてではない。しかし、あまりにも突飛な話で腑に落ちない。
「急ですね。茜さんが言うならよほどの理由があると思うんですが、そもそも僕がどんな仕事を引き受けたのか知ってるんですか?」
『悪霊の退治でしょ。憑りつかれてから兄の様子がおかしくなった?』
先ほど受注した内容をなぜ把握しているのか。恐ろしいと思うこともあるが、困ってる人を見捨てたくない。
「今回の除霊が僕には荷が重いってことですか?」
仕事を内容や依頼人で選んだことはない。選べる立場にないことも自覚している。さらに、自分の力量は把握しているつもりだ。優太は除霊を通して妖怪や人間に安らぎを与えたいのであって、実力不足なら迷わずに引き下がる。今回の除霊も調査に出向いたのちに手に負えない案件ならば別の霊能力者に引き継ぐつもりでいた。
『違う。でも、止めときなさい』
「理由を話してもらえませんか? それで納得出来たら手を引きます」
『私も知らない。でも、止めるように言われたの。相手が誰かは言えないわ』
「そんな説明で僕が引くと思いますか?」
『思ってない。でも、止めときなさい』
「…………」
『…………』
沈黙を交わし合う。こういう時、優太はどうしても引き下がれない。善意の助言であることは明白だが、納得できなければ行動に移せない。優太はそういう意味で頑固な性格であり、自分自身を子供だと認識している。
「仮に僕が引き受けなかったら、依頼人が傷つきますよね?」
『そうかもね。でも、ユウちゃんが絡むことでややこしくなるんだと思う』
「事態の解決に向けて、もう動いてる霊能力者がいるってことですか?」
『私も知らないんだってば』
「…………」
茜の言い分もわかった。しかし、こうも思う。依頼を引き受けた時点で自分は無関係ではない。それに――
「僕が除霊を辞退したとして僕以外の、状況を知らない無関係な霊能力者が引き受けたほうがややこしいことになりませんか?」
偶然にも、今回は茜と親交のある優太が引き受けた。だからこそ、茜は釘を刺すことができた。無関係な霊能力者であればこうはいかなかった。であれば今の状況の方が望ましいのでは? 優太は霊能力者の本分を果たせるなら利用されても構わない。
『それは、そうだけど…………』
「それなら茜さんと通じてる僕が依頼を受けたほうが事態をコントロールしやすいと思うんです。僕を止めたい人物にそう伝えてもらえますか?」
思惑も、その真意もわからないが。
『もう……なんでこういう時は頭が回るわけ? それに、自分が危ないってわかるよね? ドブちゃんだって危ない目に遭うかもしれない。今回は数珠もないのよ?』
「そ、それは……」
痛いところを突かれた。優太は通話を続けたままドブを見た。
「みゃあ」
ドブが準備万端といった様子で、玄関で待機していた。可愛い寝姿を卒業したドブは朝食を採っていたはずだ。いつの間に食べ終えたのか。
「ドブ……今回は、かなり複雑な案件みたいなんだ。だから…………」
「みゃあ‼」
玄関をガリガリと爪で引っ掻く。『何やってんだ。早く来いよ』とでも言いたげに。ドブは不思議な生態である。わがままで気まぐれで気分屋。しかし、ここぞという時は優太を後押しする。まるで、優太の意図を余すことなく察しているかのように。ドブのそういうところを優太はいつもありがたく思う。
「茜さん。事情を共有してでも僕を止めるべきだと判断したら電話してください。それまでは霊能力者として行動します」
『ああ、もう。わかったわよ…………頑固者。私も今回は中途半端な立ち位置だから強くも言えないしね。怪我しないように注意しなさいよ』
そこで、通話が終わる。依頼の中身も全貌も見えていないのに不吉な予感だけが残る。
「…………」
早まっただろうか。決断した直後だがそんな不安がないわけではない。
「みゃあ」
ドブが待ちくたびれて優太のズボンに爪を立てる。そんな姿を見て優太は自らの頬を両手で叩いた。バチン、という痛みが迷いを打ち払う。
(行こう。せめて状況がわからないと自分がどうすべきかなんて決められない)
自分にできる範囲を全うするのだ。まずは事実と状況の把握。判断材料が揃えばその時点で最適解を選択することも可能となる。
「みゃあ」
「わかったってば。今行くよ」
忘れ物がないことを確認した優太はドブと一緒に玄関を出た。
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