第9話 打ち明ける本心、変えたい現実

 アパートの外に出て、近くの公園のベンチに二人で腰掛けた。満点の星空……とはいかないが、月が明るく見える夜空であった。

 腰掛けるや否や、奏多が無言で学生証を見せてきた。名前は『奏多』、市内にある高校の学生であるようだ。この世界にも存在する学校の名前であるため、この身分証に真実が記載されていると考えていいだろう。


「もう変な喋りやめてもいいよね?」

「ああ、あの体育会系みたいな喋り方か」

「いやぁ、父さんと喋るって考えたらどう喋ればいいかわからなくて」


 快活そうな青年に見えたが、取り繕った姿だったようだ。頬を掻く奏多はあどけない子供に見えた。


「君にとってそんなに喋りづらいのか、私は」

「そりゃそうだよ。全然家にいないし、いつも辛気臭いし」


 カラオケに入ったのは彼なりに距離を詰めようとしたかったのかもしれない。あの時ミルクティーを持ってきたのも、玉川の十八番おはこを歌い出したのも親の好みを理解していたからだろう。ざる蕎麦しか頼めないのも親の背中を見て育った結果か。


「まあ今回の場合は過去の父さんだからってのもあるけど」

「それは……すまない」

「いいよ、別に。今の父さんがそうなると決まったわけじゃない」


 奏多の言葉の意味を察し、玉川は押し黙って考えこんだ。二、三秒の深呼吸。踏みこんだ話をするのは避けられない。


は私の考えを変えるためにやってきたんだな。ろくでなしの父親を真っ当な父親にするために」


 奏多は頷いた。それと同時に、玉川は自分が『選択』しようとしている未来が真っ暗であることを痛感する。


「やっぱりか。ともに過ごしていたのは私が『選択』したからではなかったか」

「俺が望んだ。生きている母さんと会いたいって。そして……未来を変えたいって思ったから」


 奏多は玉川にあるものを手渡す。今度は小袋に入った白い粉だった。おそらく薬か毒物だろう。


「もし父さんの考えが変わらないと判断したら、生まれる前の自分を殺すつもりでいた。父さんだって理解しているはずだ。対策課の仕事をしてからずっと同じ夢を見てるんだろ?」

「なぜそれを」

「未来の父さんが酔った勢いで話したことがあったんだよ。最初は妄言だと思った。けど父さんの話を聞くにつれて、夢は予知夢だったと確信したんだ」

「なるほど。奏多がパラレルシフトについて詳しいのは私が口を滑らせていたからか。はぁ……エージェント失格だな」

「そういうこと。このままいけば母さんは死ぬ。それを止めるためなら俺は手段は選ばない。父さんの後悔を俺が払拭したかった」

「それで助かって園子が喜ぶのかい?」

「それを……それを父さんが言うの? わかっていながら意思を曲げずに見殺しにしようとしている父さんが。俺も母さんも同じ家族だろ」


 玉川は言葉を失ってしまった。自分の『選択』が未来の息子を不幸にする。最善だと思った選択肢には全く希望がなく、幸せもない。

 そんな世界に奏多は嫌気が差したのだろう。だからこちらの世界にきた。パラレルシフトの事象改変は自分の世界に影響を与えない。自分の未来は変わらない。そんなこと百も承知の上で、やってきた。


 ──「この世界は変わらなくていい! けど! せめて! 二度も見殺しになんてしたくない……俺の言葉で幸せにしてから帰したい! 誰かにささやかな希望を抱かせるのは間違ってることなんでしょうか……?」


 和泉優の痛烈な叫びが、玉川の脳裏を過る。奏多も同じ覚悟があるのかもしれない。


「正直やり場のない感情でいっぱいなんだよ、俺。あの日母さんは事故で即死して、スリップした車の運転手も打ちどころが悪くて間もなく亡くなったんだ。酷い話だけど……もし運転手が生きてたら恨めたのかもしれない。感情をぶつける先があったから。けどそれすら許されず、鬱積うっせきさせるしかなかった。毎年バレンタインと聞くと憂鬱になるばかりで、雪の降った日なんて最悪な気分だった」

「私が助ける選択をすれば奏多が思い詰める必要はない……ここにくる必要もなかった。自分殺しなんてする必要もなかっただろう。やはりこのままでは私はろくでなしの父親だな……」

「やっぱり迷ってるんだな。俺の父さんと同じだ。強行せずに話し合いができてよかった」


 どうしたらいいのか。玉川は途方に暮れて項垂うなだれることしかできなかった。もし使命と反目する選択をすれば、今までの自分を全て否定することになる。けれど使命を全うしても彼の身内は誰も救われない。


「あのさ……俺の父さんの話をしてもいいかな?」

「ああ」

「父さんはずっと後悔してた。あの本、父さんの愛読書なんだ」

「そうだったのか」

「父さんがあの本を読むたびに言うんだ。『この人の物語には与えられた選択肢を正しく選ぼうという意思がある。臆せず一歩踏み出す気概がある。けど私にはそれがなかった。あの時見習うべきだった。大事な人の一番の願いを叶えてあげるべきだった』って」


 別世界の自分の言葉には共感できるものがあった。確かに和泉優の意思は真っ直ぐで目眩がしそうなほど輝いていた。だからこそ彼の言葉が今でも脳裏に焼きついている。同じなのだ。

 いや、彼だけではない。これまでの事件の全ての人物が漂流者と邂逅かいこうしたことで揺るがぬ意思が芽生えた。自分が未だ持ち得ない……だ。


「そうか……そして選択をミスして辛気臭くなってしまったのか、私は。後悔……か」


 別世界の自分の選択を憐れむような言葉が出た。しかしまだ迷っている。対岸の火事を見ているようで、他人事に思えた。


「父さんは後悔を胸に刻んで、その後も対策課の仕事に取り組んだ。もう二度と同じ過ちは繰り返さないように。その甲斐あってパラレルシフトについてわかったことがある。俺は父さんにそれを伝えにきた」

「わかったことを伝えに?」


 無言で奏多が首肯する。大事なことを伝える下準備なのか、彼は深く息を吸いこんだ。


「この世界の全てのできごとに意味がある。偶然なんてない。全てが必然だ」


 偶然なんてない。全ては原因から生じた結果──因果律である。そこにはなにかしらの縁がある。彼はそう言っているようだった。


「彼らの身に起きたのはただの奇跡ではない、と?」

「そうだね。けど必然のできごとに気づけず、取り逃すということはある。そういう意味では奇跡や偶然と言えるかも」

「結局、なにが言いたいんだ」


 玉川は呆れて肩をすくめる。因果律の可能性は玉川も考えたことはある。しかし、取り逃がすことがあるのでは、確定した事象ではないのではないか。まだ腑に落ちない。


「だからね、俺はこう言いたいんだ。神様は等しくみんなにチャンスや機会を与える。けどそれを掴めるのは気づけた一握りの人だけだ。臆せず、一歩踏み出す『選択』をした人だけが自分の未来を決められる」

「未来を決めるのは自分次第……とでも言いたいのかい?」

「そう。この町田で起こる奇跡も必然なんだ。東京と神奈川の狭間というちょっと特殊な領域だから、摩訶不思議まかふしぎなことが起こるけど……チャンスを与えられていることに変わりはない」


 玉川は押し黙り考えた。確かにパラレルシフトの件を除いても、運命的な出会いをする人間は存在する。玉川にとっての園子がその相手だったように。

 それもこの世界で起こる必然であるとするならば、パラレルシフトでの出会いとなんの違いがあるのだろうか。不可思議現象による邂逅という一点に気を取られて、自分は大事なことを見落としているのではないか。人知の及ばぬ現象だからという理由で、問答無用で排斥するのが正しいのか。

 彼の自問は止まらなかった。


「さあ、あなたはどんな『選択』をする? 町田市漂流物対策課課長としてではなく、一人の男として……玉川学として。恐れずに未来を掴む覚悟はある?」

「私は……私は……」


 ふと、大事な人の言葉が脳裏をよぎった。「けど選ぶ権利はあると思うよ」。代わりがいない職務の中でも自分には選ぶ権利があるのではないかと。


「使命なんて勝手に思ってるだけだよ、父さん。誰もそんなことを押しつけてない」

「それは……」

「父さんの人生は父さんの人生だ。しかもたった一度しかない。自分が欲しい未来を選びなよ」


 なによりも使命が大事な人生だった。それに忠実に生き、全うすることが漂流物対策課課長──玉川学のあり方だと思った。

 けど本当は違う。そうではない。

 何度も正夢にしない方法を考えた。そのたびに葛藤に苛まれた。漂流者と邂逅した者の邪魔をしたのも、自分が我慢していることを相手に強いていたのかもしれない。事象を改変してはいけない確実な理由なんてどこにもなかったはずなのに。


 ── 「うん! お母さんになること! 結婚して子どもができたら叶うもの。幸せな家庭が私の夢だったから!」


 自分が本当にしたいこと。一番大事にしたい、守りたいもの。そんなことはとっくの昔にわかっていた。


「さて……これで俺の役割も終わりかな?」


 奏多がそう言った直後、玉川のスマホが漂流物のアラートを告げる。示された場所は現在地だ。


「漂流物は役割を終えたらもとの場所に帰らなければいけない。そういうルールなんだよ」

「それならもう随分前に役目を果たしたんじゃないのか? 私と出会った時にすでに……」

「それは本を利用させてもらったんだ。あれには本来この世界にくる理由がないからね」


 和泉勇矢の本。クリスマスプレゼントとして渡されたものだが、それは彼の正体を明かすために使われた。わざわざそんな手のこんだ種明かしをしなくとも、面と向かって話せばいい。最初から役割があった漂流物ではないのだろう。


「漂流物対策課に所属する人間はアラートが鳴った地点へ拾いにいく必要がある。異界の門のシステムを利用させてもらったんだ」

「異界の門のシステム……? ということは」

「対策課は邪魔者なんかじゃないんだよ、父さん。異界の門の管理に必要なシステムの一部なんだ。神が気まぐれで与えた出会いなら、それに対して別れを選ぶ権利も与えなくてはならない」

「私たちは漂流者たちの水先案内人だった……というわけか」


 異界の扉は必要な出会いを引き起こす。おそらく、出会いによって人を成長させるためだ。それが漂流物の役割。

 しかし人間の場合はそこに意思が介在する。役割を終えた時に、もとの世界に帰るように促す必要がある。嫌気が差した世界と向き合う覚悟を確認する必要があるのだ。それはシステムができることではない。人間と人間の対話によって行われるものだ。


「奇跡はきっかけでしかなくて、そこから先は自分の『選択』だ。そして漂流者が『選択』しなくちゃいけないのは自分の世界で、だ。そこに導く人間はやっぱり必要なんじゃないかな」


 自分が今までやってきたことは無駄ではなかった。上層部の命令に背いてやってきたことも間違いではなかった。無駄だったのは使命と選択の葛藤だけだった。

 玉川は持ってきていた文庫本を服のポケットから取り出す。本の後ろのページに折れ目がついていることに気づき、そのページをおもむろに開いた。


『人生の転機となる瞬間は常に神様から与えられている。幸も不幸も、出会いや巡り合わせも偶然ではない。ありえない奇跡が起こることも……全てが必然であり、意味がある。機会は等しく皆に与えられている。それに気づき、チャンスを掴めるかどうかはその人の選択次第。いつだって未来を決めるのは今の自分だ』


 そこにはそう書かれていた。今の玉川にはその言葉がすっと腑に落ちた。


 ──未来はまだなにも決まっちゃいない。自分の未来は自分で『選択』できる。それが人生というもののはずだから。


 意を決して玉川は立ち上がる。


「ありがとう、奏多。あとは任せてくれ」

「もう大丈夫そう?」

「ああ。人はよりよい未来を選びたがる、どうしようもなく強欲な生き物だ。私もその一人だと今、気づいた。けどその強欲さが世界の可能性を広げる。自分の『選択』が世界を変えるんだ」


 玉川の言葉を聞いて、奏多は穏やかに微笑んでいた。もう心残りはないのだろう。これで奏多とはしばしのお別れとなる。


「また会おう、奏多」

「そうだね。一ヶ月後にまた」


 再会を誓った二人は歩みを進める。

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