第4話 玉川学

 玉川には一向にわからないことがあった。

 それは異界の扉──次元エレベーターの存在意義だ。時空を繋ぐゲートであるが、ある特定のものにしか使うことができない。端的に言えば、こちらの世界のものが別の世界に渡ることは不可能なのだ。

 使用できたものはいずれもであった。そのことから導き出された推論は……


「漂流物を回収し、送還するための装置。この世界から異物を排斥するための装置」


 ということだった。パラレルシフトが起こる原因がわからない以上、はそう結論づけるしかなかった。

 異界の扉は街と街の狭間──境界域と呼ばれる地域に多数存在している。町田市だけが特別というわけではない。

 各地の扉の守り手は「漂流物の回収及び送還」を目的とした公的組織を作り出す。それが対策課の上層部にあたる『日本漂流物対策室』であった。異界の扉をデジタル技術に対応させ、次元エレベーターへの改修を主導したのもその組織だ。漂流物対策課は役所を隠れみのとした対策室の地域支部に過ぎない。

 玉川家もそこに所属している一族であった。代々異界の扉の守り手を担ってきたが、もともと治めていたのは町田市ではない別の土地である。

 今、この地の管理者になっているのは三〇年近く前に町田市に異界の扉が発見されたからだ。その折に先代が町田市に赴任。以降は親子二代で町田市の扉の管理者となる。


 ──いや、管理者にならざるを得なかった。私に選ぶ自由なんてなかった。


 裏世界の仕事であり、みだりに他人に内容を教えることができない。必然と特定の家系だけが管理することで秘密を漏らさないようにするしかなかった。

 幼い頃から玉川の職は親に決められていた。選ぶ権利もなりたい職業に憧れる自由すらなかった。ただ父の言いつけを守り、職務を全うする。それだけが玉川学の存在意義。職務違反をすることなんて、今まで一度も思い浮かばなかった男だ。


 ──それでも私には唯一の幸せがあった。


 それは漂流物対策課の同僚であった園子との結婚だった。

 彼女も同じく対策室に所属する守り手の家系の人間だった。そのため町田市の漂流物対策課に配属され、玉川とともに働くことになった。対策課内で現在使われていないデスクは産休中の園子のものである。

 結婚自体、初めは玉川も乗り気ではなかった。幼い頃から親同士が決めていた婚約だったからだ。やはり玉川自身に選ぶ権利はなかった。


 ──しかし園子は私にとって温かな存在だった。一緒にいるのが幸せだった。


 優しくも気さく。顔は美人なのにどこかあどけない部分がある。お世辞にも顔がいいとは言えない玉川にはもったいないほどよくできた女性であった。

 一番惹かれたのは彼女の前向きな考え方だった。家柄や育った背景は玉川とほとんど同じだったのにもかかわらず、園子は悲観していなかった。一度問うたことがある。


「君はこんな仕事に生涯を捧げてよかったのかい? ほかの人に任せられない大事な責務であることは理解している。けど親や一族から押しつけられた仕事。選ぶ権利も自由すらない人生で満足なのかい?」

「うーん、確かに自由はないよね」

「だろう? だったら──」

「けど選ぶ権利はあると思うよ」

「え?」


 その言葉を聞いた瞬間、玉川は度肝を抜かれた。自分の人生のどこに選ぶ余地があるのか見当がつかなかった。


「人間みんな自由があるわけじゃないでしょ? 例えば目が不自由な人は視覚がないというハンデを背負ってる。けど、その人たちは不自由な中でも自分が幸せになれる方法を選んでるんじゃない?」

「不自由な中でも……?」

「私たちは職を選ぶ自由がなかった。私は満更でもないけど……あなたには結婚の自由もなかった。けどそんな不自由の中でも幸せになれる方法を模索する権利はあると思う」


 なんと強い人なのだろうと玉川は思った。園子の言葉が全て腑に落ちたわけではない。けれど、自分の生まれをポジティブに捉えることができるのは素敵で、惹かれた。


「それに……一番なりたかったものは不自由の中でも叶いそうだし」

「それって……」

「うん! お母さんになること! 結婚して子どもができたら叶うもの。幸せな家庭が私の夢だったから!」


 園子の明るい笑顔を思い出すと彼はつらくなった。同じ境遇であり、気兼ねなく秘密を共有できる二人。そんな関係であるにもかかわらず、彼女に話していないことがあるからだ。


 ──すまない、園子。君のその幸せは多分長くは続かない。

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