エピローグ 誓いを果たすその日まで

 あれから一週間が過ぎた。


「ただいまー」


 返ってくる言葉はない。

 真っ暗な部屋の電気を点ける。部屋にはやはり誰もいない。天寧はもう帰ったのだから。

 優は相も変らず、姉が借りていたマンションに住んでいる。家賃も安くアクセスもいい。おまけに不思議体験できた部屋ならば、作家にはうってつけだ。


「いただきまーす」


 コンビニ弁当を食べながら、ぼーっとする。ありきたりな毎日、平凡な日々。先週のできごとが嘘だったかのようにすら思えた。

 それでも確かに残っている。さっきまで身につけていたネクタイは向こうの世界の天寧からもらったものだ。夢などではない。一生を賭けて果たさなければいけない『呪い』が胸に刻まれている。


「ごちそうさまでしたっと」


 弁当を片づけ、優が向かう先は自室だ。やることは決まっている。


「さあ、楽しい執筆の時間だ! さーて今日はどこから書きますかねぇ」


 まだ自分には時間はある。焦らなくたってプロデビューするチャンスは巡ってくる。諦めなければ必ず。続けるためにも今は楽しみながら物語を綴ろう。


「この展開だと読者の心を揺さぶるには弱いか? けどこっちの展開はご都合主義感出ちゃうしなぁ」


 希望に満ちた苦悩だった。誰かを喜ばせるために悩めることが優にとっての喜びとなっている。天寧がかけた『呪い』のせいだ。


「なあ、どっちが面白いと思う?」


 不意にここにいない誰かに問いかけたくなる時もある。言うなれば独り言の延長だ。遠く離れた世界にいても繋がっているのではないかと思ってしまうのだ。


「いや、いい。自分で考えるわ。一人でちゃんとやり遂げる。タイトルはそうだなぁ……『チャンスの神様』かな」


 優はその言葉を言下に否定する。自らを鼓舞するように。

 そんな折、一人きりの部屋に風が吹いた。窓は閉まっているし、空調が強く吹くはずがない。

 風が音となって耳朶じだに触れる。長い髪がなびいた時の懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「ありがとう、優くん。これからは誰かの笑顔のために頑張ってね」


 空耳にしてはよく通る音。彼のよく知る、だった。優は咄嗟に振り返るが、姿はない。

 別世界の声が届いたわけではない。自分の願望が生み出した妄想なのかもしれない。しかし、聞こえた言葉を信じてみようと思った。

 なにせあんな摩訶不思議な体験をした後なのだ。並行世界の存在を確信したついでに幽霊の存在を信じてもいいだろう。その方がきっと面白い。

 だからこそ優は自分以外誰もいない部屋に再び声をかける。


「わかってるよ、あま姉。タブレットをくれたのはそういう意味だったんだよな。俺の小説で誰かを笑顔にできればそれでいいんだ」


 姉と同じように、心に闇を抱えた人間に寄り添えるような作品を作ろう。背中を押せるような物語を届けよう。例え届く人間がわずかでも、自分の言葉は人に希望を与えられるのだから。


「物語を綴ることで誰かに希望を与える。そのまじない、もう一人のあま姉からちゃんと受け取ったからさ。大丈夫だよ、俺」


 現実がつらくっても厳しくっても立ち向かわないといけない。絶望せず、希望を抱き続けて苦悩しなくてはいけない。

 そんな消えぬ想いを抱いているからこそ、作家和泉勇矢は存在し続ける。姉の『呪い』を原動力にして、誰かに笑顔を配っていくのだ。死んで誓いを果たす、その日まで。

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