第9話 この街の真実

 美桜を先に後部座席へ乗せ、後から泰介が腰を下ろす。それを確認すると、玉川は車を発進させた。


「まずは一言謝らせて欲しい。我々も漂流物が少女だとは思わなかったんだ。そのため『物に対する言葉遣い』をしてしまった。本当に申しわけなかった」

「なんとなくそんな気はしてました」

「私は全く知らなかったから、謝られても……」


 頭を少し下げた玉川がルームミラーに映る。それを見て、美桜が胸前であわあわと両手を振った。

 泰介に疑念を抱かせた言葉だったが、相手の心境を知るとスッと腑に落ちる。「お互い誤解していただけなんでこの話は終わりにしましょう」と伝え、話題を切り上げることにした。


「理解のある人でよかった。別世界からの漂流物を保持し続ける危険性を伝えるには、立場上どうしても物々しい言い方をしてしまうんだ。さて……どこから話そうか」

「どうしてパラレルシフトなんて現象が起きたんですか?」


 開口一番、美桜が率直な疑問を口にする。自分が別世界に転移した原因。気になって当然だろう。


「パラレルシフト自体は頻繁に起こっているんだよ。今に始まったことじゃない」

「そうなんですか?」

「例えば身の回りのものがなくなることってあるだろう? なくしたわけでもなく、わかる場所に置いたはずなのになぜか消えている」

「確かにありますよね。そういうこと」

「あの現象の原因もパラレルシフトによるものだと考えられる。つまり知らないうちに物が並行世界へと転移してるんだ。転移する時間軸のズレによってはなんの変哲もない物がオーパーツとして見做みなされることもある。ファフロツキーズ現象もこれに該当すると考えられるね」

「ふぁふろつきーず?」

「雨のように空から物が降ってくる現象のこと。魚が空から降ってきたなんて聞いたことない?」


 困惑する美桜に泰介が補足説明をする。それを聞いて、どうやら納得できたようだ。

 泰介も詳しく知っていたわけではなかったが、オカルト掲示板を漁っていたせいで知識として身についてしまったのだ。

 今度は泰介が問う。


「けど人間のパラレルシフトなんて頻繁に起こるものじゃないでしょう?」

「昔はほとんど起きていなかった。きさらぎ駅の都市伝説は知っているかい?」

「まあなんとなくは。電車に乗ってたら存在しない無人駅に到着したっていう都市伝説ですよね」

「あ、その話は私も知ってる!」

「そう。稀だけど近年になって人間のパラレルシフトが確認されるようになった。なにかの拍子に自分の世界とは違う世界に飛ばされる事件がね」


 細部こそ異なるが、玉川が挙げた例は的を射ていた。きさらぎ駅が『自分の世界には存在しない駅があるパラレルワールドに迷いこんだ話』なら、その逆が美桜の身に起きた現象だ。

 『自分の世界に存在するはずのものがないパラレルワールドに迷いこんだ』のだ。彼女がもともと住んでいた地域は経済特区化する際に再開発が行われた。同じ現代日本でも大きな差が現れている場所だった。



「原因については把握されてないんですか?」

「人智の及ばぬ現象だから原因や理由は今のところわかってないんだ。仮説でもいいなら話すけど?」

「是非」


 泰介が促すと、玉川は一呼吸空けてから語り出した。


「私たちが考えた仮説は並行世界の抹消だ。増えすぎたデータは整理されるように、並行世界もこれ以上増やしたくない。けど、世界にとって有用なものは別世界に移す。使わない記憶媒体は破棄して、一部のデータだけ移行する……という考え方だね」

「整理のために高次元の世界に適した人間だけを移送している……?」

「そういうことだろう。観測したところ、経済特区町田はほかの世界にはない存在であることが判明したんだ。言うなれば高次元特有の異質性だ」

「異質だなんて……考えもしなかった。当たり前だと思ってた」

「彼女の世界にも経済特区町田はない……おそらく二〇一二年に彼女の世界と分岐したのだろう」


 経済特区町田の存在。それが美桜の世界より、泰介の世界の方が高次元であることの証明だった。先進的な制度を導入している世界の方が高次元であるのは理にかなっている。


「特区町田という異質な概念が呼水となって、この街ではパラレルシフトが多発しているってわけさ。役所に漂流物対策課なんて裏の部署があるのもこのためだね。まあ、実際は大きな分岐点を作らないための水際対策係なんだけど」

「美桜は……美桜は帰さなきゃいけないんですか?」


 震える声で泰介が問う。玉川の役目は分岐点発生の阻止だ。そんな彼に事情を全て話した以上、後戻りはできない。


「もちろん。漂流物がこの世界に多大な影響を及ぼす前に帰せば被害は最小限で済むからね。世界の細分化に歯止めをかければ、並行世界は整理されないかもしれないってわけさ」

「待ってください。彼女は普通の女子高生だ。影響を及ぼすとは思えない!」

「では、彼女自身が並行世界からの使者だと告白したら?」

「それは……」


 なにも言葉が出てこない。彼が口にしているのは主観的な感情論だ。物事を客観視できていないと現実を突きつけられた気分だった。


「その事実だけで世界はくつがえってしまうんだ」

「じゃあどうしろって言うんだよ……美桜はもとの世界に居場所がなくて、ここにきたんだろ? それなのに生きづらい世界に帰せって言うのか!?」

「泰介……」

「そうだよ。自分の居場所は自分の世界で探すしかない」

「クソ……! こんな終わり方はあんまりだ」


 泰介は憤りのままに目の前の助手席を殴った。いき場のない感情が止めどなく溢れる。

 美桜のいるべき時間は泰介の知っている二〇一八年ではない。自分の世界に帰るということは二人の道が二度と交わらないということを意味していた。どこまでいっても並行線の世界。


 ──タイムスリップだったらどれほどよかったか。もう一度この世界で美桜に出会えるのなら、笑顔で見送れたのに。


 願いは天に届かない。自分にはなんの力もなくて、約束された結末を回避することができない。終幕は目前だ。

 気がつくと、車のエンジンが止まっていた。周りを見渡す。どうやら地下駐車場のようだ。

 漂流物対策課の施設にたどり着いた。ついに美桜との別れの時が訪れてしまう。

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