第5話 二人で過ごす日々

 それから一週間ちょっと。特になにか出がかりを見つけるわけでもなく、日々が過ぎていった。街に出てもネットの海を潜っても有力な情報は得られなかった。

 泰介は自分の無力さを呪ったが、それでも美桜の居場所でいることに努めた。時に励ましたり、時には気分転換に誘ったり。

 そうしていくうちに二人の距離感はさらに縮まり、気づいた時には自然と名前を呼び捨てしていた。


「美桜、ゲームしない?」

「するする!」


 この日もなにかするわけでもなく、ただただ一日を消耗しようとしていた。気晴らしという体のいい言いわけ。その光景はまるで夏休みを自堕落に過ごす兄妹のようだった。


「ちょ、アイテムぶつけてくるなよ!」

「目の前にいた泰介が悪いんだよー! いえーい! 私の勝ちぃ!」


 レースゲームに勝った美桜は楽しそうにピースを向けてくる。その姿を見た泰介は負けてよかったのかもしれないと思った。

 ゲームに興じても脳裏にはタイムスリップのことがずっと焼きついている。収穫がないため美桜には喋っていないが、泰介は今でも夜には情報収集を欠かさないでいた。


「泰介?」

「な、なんでもない! ちょっと負けたのが悔しかっただけ! ほら、もう一戦!」

「よーし! 今度も負けないからね!」


 再びレースが始まる。

 美桜は終始ニコニコとしていた。顔に悲壮感はなく、まるでもとの時代に帰ることを考えていないかのようだった。

 「もとの時代に帰らないのか」とは聞けない。必ずしもそれが正しいとは限らないし、もしかしたら彼女がこの時間にきた意味があるのかもしれない。


 ──僕にできることは居場所をあげることだけ。それで充分だって美桜は言った。


 泰介は目の前のレースに集中した。雑念を持ったまま相手をするのは失礼だ。居場所になる以上、本気で向き合わなければならない。


「あー負けたー!!」

「はっはっはっ。この一週間で上達したとはいえまだまだじゃな」


 大仰に師匠風な言葉で美桜をからかった。途端、彼女が膨れっ面を見せる。


「もう、仕方ないじゃん。私、こんなふうに友達とゲームなんてしてこなかったって最初に言ったでしょ。経験値の差が違い過ぎるって」

「友達か。ならよかった。経験できないことをこの時代でできたなら……きた意味もあったのかもな」


 友達。歯痒いようでこそばゆいようで……どこか虚しさを感じる言葉だった。

 自分のことを友達と思ってくれて、フランクに接してくれているのだと考えると嬉しい。彼女を支える存在になれたということなのだろう。


「本当にそう思う。この時代にきた意味はあったんだって。なんかここにいるの楽しくなってきちゃったし。居心地いいし。帰らなくてもいいのかもしれないって……最近は思っちゃう」

「な、なに言ってんだよ。ちゃんと帰らないとだろ」


 唐突な告白で泰介は面食らってしまう。茶化しながら返答し、美桜を見やる。

 急に押し黙り、俯き加減で物憂げな顔持ちをしていた。先ほどまではしゃいでいたのが嘘かのように。


「もしかして、もとの時代でもがないの……?」

「うん。学校にも友達はほとんどいないし、家もちょっと居心地が悪いんだ」

「よければ聞かせてくれないか、美桜のこと。もちろん話したければだけど」


 静寂が訪れ、吐息だけが部屋に響く。深呼吸。ゆっくりと美桜の口が開いた。


「私の親はすごく厳しい人でね。私がしたくもないのに『お前のためだ』って理由で中学受験をさせられて……それくらい教育熱心な親だったの」

「僕もそうだったからなんとなくわかるよ」


 美桜の姿に自分が重なって見えた。泰介も同じだった。家は裕福で、中学から私立学校に通っていた。

 それは自身が望んだことではない。小学校の頃にできた友達とは疎遠になり、人づき合いが思うようにいかなかった。「こんなことなら中学受験なんてしなければよかった」と何度も思った。


「けど受験だけで終わらなくてね。中学に入って、高校に上がってからもずっと成績上位を強いられた」

「同じような境遇の子はいなかったの?」

「仲のいい子は数人いたけど別に同じような境遇じゃなかったかな。親友……とまではいかなかったし。部活も幽霊部員だし、友達と遊ぶ時間なんてない。というかそれ以前にクラスメイトが寄ってこないんだよね。成績優秀で勉強にしか能がない、近づきにくい人になってた」


 今まで留めてきた荷物がほどけていくように、彼女の言葉は雪崩なだれていった。

 やはり同じだ。美桜も友達づき合いが小学生の時でぴたりと止まっている。


「まあ、私も私でダメだったんだけどね。独りでいるのが当たり前になっちゃって、昼ご飯も休み時間も……独りでいて苦じゃなくなってた。だって大概のことは独力でできるから」

「それで平気だったの?」


 言葉よりも雄弁に表情がつらさを物語っている。本音を問わずにはいられなかった。

 泰介自身は平気じゃなかった。毎日毎日、居場所を探していた。どうやっても見つからなくて、今度こそはと意気ごんで大学へと進学した。なのに今も居場所を探している。


「平気……じゃなかったかな。いじめらしいいじめはなかったけど、聞こえちゃったんだよね。私の陰口」

「陰口……」

「『なに考えてるかわからない』とか『澄まし顔で高嶺の花ぶってるのが気に食わない』とか。それを聞いて急に自分がわからなくなった。ずっと親の言いなりになって、私ってなんのために生きてたんだろうって。私の存在意義ってなんなんだろうって考えて……いっそ死んじゃおうかなんてことも思っちゃった」


 泰介は言葉に詰まった。美桜は生優しい慰めを求めてはいない。自分が同じ立場だったらそう思う。

 今は聞き手になって、全てを受け止めようと決めた。彼は続く言葉を待つ。


「張り詰めた糸がプツンって切れちゃったのがあの日……この時代にきた日だった。朝から学校いく気になれなくて、フラフラ歩いて遅刻してもいいやって投げやりになってたんだよね。それがきっとタイムスリップした原因。自分の世界が嫌いになった。けど死ぬのは怖くて。いっそどこか別の世界にいって自由になりたい、一からやり直したいって強く願ったから……私はこの時代にきたんだと思う」


 美桜の話を聞いて、泰介は思わず笑ってしまった。自嘲に近い笑い。重い話だとわかっているが、こぼれてしまった。


「ちょっとー泰介。笑うところじゃないんですけど?」

「いや、ごめん。どうしてこんなに共感できちゃうんだろうって思ったら、つい」

「え……? そんなに共感できちゃうの?」

「できちゃうんだなぁ、これが。あの日の僕もどこかへ消えて、気兼ねなく過ごしたいって思ってた。大学に居場所がなくて、憂鬱だったんだ。流石に死ぬほど思い詰めてはいないけど……将来そんなふうに考える瞬間がくるかもしれないって思うし」


 泰介も美桜と同じだった。どうやったら居場所が作れるかわからなくて、世界から消え去りたかった。

 そこに現れたのが彼女だ。居場所のない自分でも誰かを救える善人でありたいと願い、一歩踏み出した。『情けは人のためならず』という最もらしい理由を添えて。


「美桜に出会ってからはそんな憂鬱がなくなってた。自分でも誰かのためになれて、誰かの居場所になれるんだってわかったから。そういう意味では神様の悪戯いたずらに感謝したくなるよ。美桜と出会わせてくれてありがとうって。不謹慎かな?」

「ううん。全然。私もこの出会いに感謝してるから」

「ならよかった」


 自然とお互いに微笑み合っていた。同じことを思っていたのがこそばゆかった。


「私は……まだここにいてもいいんだよね? 帰らなくてもいいんだよね?」


 請うように儚い声が通る。

 改めて確認したかったのだろう。「ここが私の居場所でいい?」と。その問いに対して返す言葉は──決まっていた。


「当たり前だろ。今はここが美桜の居場所だから。帰りたくなるまでいていいよ」


 初めて自分が誰かの居場所になれた。理由はそれだけで充分。同時に美桜という存在が泰介の居場所でもあったのだ。拒む理由はなかった。

 と、カッコつけて言った後で内から急に恥ずかしさがこみ上げてくる。言葉以上のなにかが沸々と煮えたぎっていた。目の前の美桜の面持ちがとても愛おしく思えた。


「ちょ、ちょっとコンビニいってくる! なんか欲しいものある?」

「じゃあ、アイス。いい?」

「了解。安いのだけどな」

「うん、わがままは言わないよ」


 それだけ聞くと泰介はいそいそと部屋を後にした。最後に見た美桜のはにかんだ顔が目に焼きついて離れない。振り切るように早足でエレベーターホールへと向かう。


「あーやば。これ恋だ」


 誰もいないことを確認して、独り言ちる。

 泰介は自分の心情を理解してしまった。どうして居心地がよかったのか。どうして彼女の居場所であることがこの上ない喜びだったのか。

 理由は──自分が美桜に惚れているからだ。

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