第1話 季節外れの女子高生

 けたたましくアラームが鳴りはためく。暑くて寝苦しかったせいか、もう少し眠っていたかった。


「あーそうか。今日が最後の日か……」


 寝ぼけ眼を擦って立ち上がる。

 青山泰介は東京都町田市に住む大学生だ。市内の偏差値の高い大学に合格したはいいが、真面目な性格が祟ってイマイチ大学生活を満足できていない。いわゆる大学デビューに失敗した学生であった。

 恋人がいればまだ救いがあったかもしれないが、生憎あいにくとその手の話に縁はない。いつも一方的に追う側で、互いに惹かれ合う運命の出会いをしたこともない。


「いってきまーす」


 誰もいない部屋に対して気の抜けた声をかける。思い立って一人暮らしを始めたのだが、実家からは数駅しか離れていない。家に呼ぶ友達もいないのだから、実家に戻った方がいいのかもしれないと感じていた。


「はあ……」


 一日講義でついえると考えると、憂鬱になってしまった。いっそどこかへと消えてしまって、気兼ねなく過ごしたい。とはいえ大学をサボる勇気もない。今日は期末試験の日なのだ。

 点々とある街路樹に最近立てつけられた県知事選のポスター。味気ない景色の中を歩き、泰介は駅を目指す。

 駅前のデッキ広場を通り過ぎてホームへ向かおうとしたそんな最中、ふと視線が釘づけになる。待ち合わせている人混みの中に制服姿の少女がいた。

 眉目みめよい長い黒髪。恐らく女子高生だろう。少女はなにをするわけでもなく、ただ黄昏たそがれるようにウネウネと動くオブジェを眺めているだけだった。


「夏休みだよな……今?」


 季節とはちぐはぐな紺色のカーディガンが目を惹く。気になったが、泰介は立ち止まらなかった。部活をサボったのか家出少女か。はたまた援助交際の待ち合わせをしている輩か。

 どれかだろうと推理し、いぶかしむのをやめることにする。この辺では珍しくもない光景だ。


 ──数時間後。


 帰路についた泰介の目がまた釘づけになる。先ほどの少女が同じようにオブジェを見ながら黄昏れていたのだ。唯一の違いはカーディガンを脱いで、腰に巻きつけているくらいだ。

 曇天どんてんとはいえもう八月の初旬だ。こんな暑さの中でずっと広場にいたのだろうかと気になってしまう。

 周りの誰かがなんとかするだろうとは思った。駅前ゆえに人通りは多い

 しかし気づいていながら放置して、熱中症で倒れられたら夢見が悪い。困っている時に見知らぬ誰かが助けてくれる保証はない。人に声をかけるのは苦手だが、泰介は意を決した。


「こんにちは」

「……こんにちは」


 少女は恐る恐る言葉を紡いだ。知らない人にいきなり声をかけられたから身構えているのだろう。


「君、昼間もここにいたよね?」

「ずっと見てたんですか?」

「いや、大学にいく時に偶然見かけて。それで帰ってきたらまだいるから心配になっちゃったんだよね。ずっとここにいたの?」

「いえ。さっきまで通りの方にいましたけど……結局いく当てがなくてここに戻ってきただけです」


 少女は尋ねたことに対して丁寧に受け答えしていた。そのせいかしっかりした女の子という印象を受ける。

 同時に「いく当てがない」という言葉がどうにも引っかかる。泰介は思い切って聞いてみることにした。


「家には帰らないの?」


 少女は黙ったままだ。図星なのかもしれないと思い、泰介は言葉をいだ。


「こんなところにずっといたら暑さで倒れちゃうよ? 事情はわからないけど家に帰れるなら帰った方がいい。この辺、夜はあまり治安よくないし」

「家……ないんです」

「え……?」


 少女が発した言葉は思いもよらないものだった。「家がない」。そんなはずがない。学校に通っているのに家がないなんてことがあり得るだろうか。

 泰介はしばし絶句した。率直な言葉を紡げばいいのか、詳しく聞けばいいのかわからない。そんな彼を見兼ねたのか、少女はゆっくりと口を動かす。


「私が過去からこの時代に迷いこんできたって言ったら……信じますか?」

「過去? 今じゃないってこと?」

「うん。私がいたのは二〇一八年の一一月です」


 少女が口にした年代は数年前だ。確かに泰介のいる現在ではない。にわかには信じられないが少女の面持ちは暗く、俯いている。嘘を言っているようには見えなかった。


「じゃあ家がないっていうのは本当に存在しないってことなのか」

「見覚えのある景色のはずなのになんか色々違くて……うちのマンションがあったところには住宅街になってました」

「驚いたな。タイムスリップしてきたわけか。ちょっとびっくりだけど、君が嘘ついているようにも見えないし……」

「私もなにがなんだかわけがわからなくて……」


 途端、せきを切ったように少女が涙をこぼす。

 この数時間誰にも打ち明けられず、いく当てもなく街を彷徨さまよっていたのだろう。自然と手が彼女の肩を優しく掴み、「辛かったね」と口にしていた。

 とは言ったものの泰介自身も途方に暮れていた。警察にこのことを言っても家出少女だとみなされて門前払いだろう。誰か保護してくれるような人間がいないかと考えるが、案は出ない。

 残るは一つしかない。告げるのは不本意だったが、救いの手を差し伸べられるのは自分しかいないのだ。


「じゃあ、ひとまずうち……くる? 歩いてちょっとのマンションなんだけど」

「でも……」


 少女が言い淀む。そういう返答がくると思っていた。むしろホイホイついてこないあたり、本当に家出少女ではないのだと確信できた。


「まあ怖いよね。いく場所ないとはいえ知らない男の家に上がるなんて。けど頼れる女友達もいないしなぁ……」

「いえ! そうじゃなくて……迷惑じゃないかなって。助けてくれるのはすごくありがたいんですけど……」

「あ、そっち?」


 思わず素っ頓狂すっとんきょうな声が漏れてしまう。こんな状況にもかかわらず、相手を心配するとは思わなかった。


「うん。本当に親切心で声をかけてくれたのは見ればわかります。でもどうしてそこまでしてくれるのかなって」

「えっと……ほら、『情けは人のためならず』って言うでしょ? 困ってる人を助けたことは巡り巡って自分に返ってくるかもしれないし」

「『情けは人のためならず』……」


 助けようと思った理由なんて泰介にはなかった。様子がおかしかったから勇気を振り絞って声をかけただけ。彼が口にしたことわざは『それっぽい理由づけ』以外の意味はない。


「あのお名前を聞いてもいいですか?」

「僕? 泰介、青山泰介。君は?」

「私は小林美桜って言います」

「美桜ちゃんね。とりあえずもとの時代に帰るまでよろしくね」


 泰介と美桜の出会い。全てはここから始まったのだ。

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