第5話 夏休みとグミの実

 終業式が終わり、わたしはいつものように一人で、大量の荷物を持って帰っていた。夏休みの宿題のセットに成績表、体育館シューズ、今まで描いた水彩画や様々な作品で、重さもあるが量が多くて手が二本では足りないくらいだ。尾崎先生も徐々に返却してくれればよかったのにな、とぶつくさ言いたくなるが、それを言い合う友達はやっぱりいない。

 小学生の大群はぺちゃくちゃおしゃべりをしながら帰っていく。親が車で迎えに来てくれた子もいる。うらやましい。わたしは今日もお母さんが仕事だし、一人で家に帰らなければならない。

「ごっちゃん、ヤス、またあとでな!」

 後ろで声がして、振り向くと瀬名くんが家の門を開けて入っていくところだった。後ろには痩せた後藤くんと小柄な北島くんがいて、瀬名くんに「またな!」と言って手を大きく振っていた。瀬名くんはわたしのことをちらりとも見ない。ふん、と内心軽蔑し、それでも瀬名くんがこの間助けてくれたことや、普段からわたしを気にかけてくれることなどを思うと考え直してしまう。瀬名くんは庭でわたしとよく話したり笑い合ったりする代わりに、学校では全く話しかけてこなくなった。瀬名くんも瀬名くんなりに考えがあるのだろうけど、きっと「女と家で植物の世話をしてるなんて女々しい」という理屈の通らない理由なのだろうと思うと悔しい。

 アパートの部屋に着くと、荷物をどさっと置いて物だらけのわびしいそこを見渡し、ため息をついてドアにカギをかけて外廊下を走り出した。お母さんもお花を飾ったりすればいいのに!

 瀬名くんの家に着いて、チャイムを鳴らす。外はひどい暑さで、蝉がシャワシャワ鳴いているし道路なんて陽炎が揺れていた。心なしか花の少なくなった庭の植物も元気がないように見える。おばさんが出てきて、タカラも黒い顔を笑顔にして出迎えてくれた。タカラをわしゃわしゃと乱暴なくらいに撫でる。タカラは気持ちよさそうに目を閉じたりして笑顔をますます笑顔にする。炎天下の外から涼しい玄関に入れていても、タカラに触ると暑苦しくてたまらない。生き物だしわたしより体温が高いのだろう。でもタカラに触るのは嬉しくて、気分がいい。

「ゼリー食べる?」

 おばさんはわたしをキッチンに招き、色とりどりのゼリーを見せてくれた。レモネードの元で作った黄色いゼリーを選んだ。あとはイチゴゼリーにキウイゼリーだ。おばさんが作った果物のシロップで作ったらしい。麦茶を渡され、お礼を言ってごくごく飲むと生き返るような心地がした。ゼリーにスプーンを挿し、プルプル揺れる一口分をぱくりと口に入れるとかなり甘酸っぱくておいしかった。市販のゼリーだと高級なものしかこんなに味が濃くないので、贅沢をしている気分になる。

「友也はごっちゃんたちとゲームだって」

 おばさんがイチゴゼリーをすくいながらくくっと笑った。

「あれっ、瀬名くんってゲームしないんじゃなかったですか?」

 不思議に思って訊くと、おばさんもうなずき、

「友也はテレビゲームに向いてないんだよね。おとなしくじっとしとくことができないっていうか。最近はごっちゃんちで体を使って遊ぶゲームを買ったらしくて、それはそこそこ面白いみたい」

「ふうん。植物をいじるときはすごく集中してるのに」

「そうなんだ。友也は心底植物の世話に向いてると思うよ。小学生のうちはあんまり堂々とはやらないと思うけど」

「どうして堂々とやらないんですか? 別に女みたい、なんて思わないのに」

 おばさんが目を丸くしてわたしを見た。わたしはそれにびっくりし、

「あの、瀬名くん女みたいとか男みたいとかよく言うから……」

 おばさんは額をぽん、と叩いて少し苦渋の表情で考え込んでいた。

「普段からそういうこと言ってるんだね。参ったな、そういうこと教えた覚えないのに」

 わたしはドキドキしておばさんを見る。確かに、おばさんの影響だとは思えない。おばさんはわたしのことも瀬名くんのことも平等に扱う。もちろん瀬名くんはおばさんの子だということで、もっと近い者同士の関係だと思うけれど。

「学校で何か言われたらしくて、それから植物の世話をこそこそやってるの。うち鬱蒼としてるから見えないよって言ってるのに、フェンスの近くの植物は扱わないでしょ」

 そうか、と納得する。学校には色んな子供や先生がいる。きっと誰かに何かを言われたのだ。それにしても、瀬名くんは植物の扱いを心得ているし、調子が悪いとすぐわかるし、水やりの頻度も完璧に思えるので、将来そういう仕事に就けばいいのに、と思うくらいなんだけどなあと考える。そういう仕事、というものが何なのかわからないけれど。

 それがわかったら、瀬名くんは植物の世話をすることを「女みたい」なんて言わなくなるのだろうか。


     *


 おばさんに借りた麦わら帽子を被って庭に出ると、五月ごろにはただ地味で白い花をつけていただけだった植物が、さくらんぼくらいの大きさの黒っぽい実をつけていた。おばさんと一緒に背丈くらいのその木からキッチンで使うザルに収穫する。ぶちっ、ぶちっ、と根元からむしっていくと、大きめのザルが半分ほど埋まった。おばさんが一つわたしに差し出す。

「ぬるいけどおいしいよ」

 そうして自分も二つほどぱくついてすぐに種をペッと出す。さくらんぼのような、それも甘い日本の品種のような味を想像して口に入れると、結構えぐみがあって想像していたのとは違った。でも甘酸っぱさがとても強くて、おいしい。

「何かパインを食べたときみたいに舌がいがいがしてくるよね」

 おばさんは三つめを食べたあと、もうやめた。確かに舌がざらつくような感じになる。でも、やめられずにおばさんに五つめをもらった。癖になる味だ。

「これグミの木なんだ。友也も友也のお父さんも好きなんだよ。わたしも好きだけど毎年たくさんなるし、わたしはそんなに食べないし、植えて失敗したかも……」

「わたしは好き! おばさんが食べないならわたしが代わりに食べるよ」

 おばさんはカラカラ笑った。

「じゃあ帰りに少し持たせるね。お母さんと食べて」

 わたしはにっこり笑ってグミの実をもう一つ食べた。おばさんは他の木の様子を見ている。この庭の細い部分は瀬名くんの家とフェンスの間の部分で、グミの木がレンガで丸く囲まれて植えられている以外は大きめの鉢植えがバランスよく並べられている。

「これはフェイジョアの木。もう少し大きくなって手に負えなくなったら地植えしようと思ってるんだ。大きな実がなるけどまだ一つもつけたことない。こっちはブラックベリー。たくさんなってたけど朝収穫しちゃった。鳥が来るから。で、ブルーベリー。こっちは手間をかけてる割にはたくさんならない……」

 素焼きの鉢植えに植えられた一メートルくらいの高さの木は青々と茂っていた。ブルーベリーの木を見るのは初めてだった。生き生きした葉っぱに青い実がいくつかなっていて、おばさんに訊くとまだ食べられないすっぱい実なのだと言われた。

「あっ、熟してるのが少し残ってるね」

 おばさんは奥のほうに手をやると、二粒だけ青紫色のブルーベリーの小さい実を摘み取った。

「食べちゃお」

 おばさんがいたずらっぽく笑い、わたしとおばさんはブルーベリーを一粒ずつ分け合った。口に入れて噛むと、すごく小さいのにじゅわっと甘さと酸味が広がって、最後にじゃりっとかなり小さな種を噛み潰す感覚があった。すごくおいしくて、わたしは微笑んだ。


     *


「これなあに?」

 お母さんが疲れた顔で帰ってきてすぐ、冷蔵庫に入っていたジップロックの袋に入ったグミの実をわたしに見せた。わたしは嬉しくなって、

「瀬名くんちのお母さんからもらったグミの実! お母さんも食べてって言ってたよ」

 と笑った。お母さんはしばらく考え、

「お母さんはいい。美雨が一人で食べなさい」

 と少し冷たく感じる声で言った。わたしは凍りつき、「うん」と笑顔を張りつけたままうなずく。お母さんはおばさんのことが好きではないのだろうか? 何だかおばさんのことを言うとき、いつもこういう反応をする。わたしはおばさんのことが大好きなのに。

 お母さんはぐったりした様子でキッチンスペースに立って料理を始めた。わたしも慌ててお母さんの横に立ち、

「今日は何の料理?」

 と訊く。手伝うことがあるなら手伝おうと思ったのだ。

「カレー。ごめんね、単純なものしか作れなくて」

 お母さんの声は少し鋭くなった。

「手伝わなくていいよ。美雨もたくさん遊んで疲れただろうから」

 わたしは固まり、次にのろのろと居間に戻って宿題の冊子が置かれたテーブルの前に座った。お母さんはどんどんストレスですり減っていく。前の家にいたときのような、優しくて穏やかなお母さんではなくなっていく。以前だったら、手の込んだ食事を作ることが好きだったはずだ。わたしが手伝うなんて言ったら大喜びしてくれたはずだ。瀬名くんちのお母さんに嫌な気持ちを持ったりもしなかったはずだ。

 気づけば涙がぽろぽろスカートの上に落ちてきていた。

「何泣いてるの?」

 気づけばお母さんが引き戸を開いて立っていた。玉ねぎを炒める甘い匂いがする。お母さんの顔は少し怒っているように見えた。

「泣きたいのはお母さんのほう!」

 そして、お母さんはぴしゃりと引き戸を占めた。それから、とんとん、じゅうじゅう、と料理の音がし続けていた。食欲はまるでなくなっていた。


     *


 瀬名くんちに行くことには罪悪感すらあった。でも、行かなければもっと辛い気持ちになると思った。わたしはおばさんとタカラ、時々瀬名くんと、瀬名くんちの庭で過ごした。朝早くから行って瀬名くんに指示されるまま鉢植えに水をたっぷりやり、地面が乾いているようなら地植えの植物にも水をかけてやった。そういうとき、植物はとても生き生きして見えた。水の粒を弾く青い葉っぱは命そのもので、うるさいほどの蝉の声と共に、終わる気配のない夏休みの象徴に思えた。

「水やりありがとー! スイカ食べるかい? キンキンに冷えてるよ」

 おばさんがわたしと瀬名くんに訊く。すると瀬名くんはぶつぶつつぶやく。

「ちえっ、毎日おれと仲村に水やりさせて、自分は家で涼しく過ごしやがって」

「あれっ、友也の分のスイカはなしにしようかなー?」

「食べるよ! 何か母ちゃん今年は日焼けしてない気がしてさ」

「やっぱりあげるのやめようかな?」

「すいませんでした! もう言わない!」

 瀬名くんとおばさんのやりとりにくすくす笑う。タカラは隣ではっはっはっと荒い呼吸をして微笑んでいる。時々口を閉じて何かを嗅いで、また同じ呼吸を繰り返す。

 わたしと瀬名くんはテーブルセットに向かい合い、大きなスイカの八分の一にかぶりつく。甘くてみずみずしい。瀬名くんは食べるのが上手くて、すぐに種をぷぷぷっと地面に捨てる。

「こういう種ってまた生えてくるのかな」

 わたしが何気なく訊くと、瀬名くんはかぶりつこうとする瞬間のまま止まって、「生えない」と答えてすぐさまスイカに口をつける。

「えっ、何で何で?」

「スイカって難しいらしいよ。滅多に芽が生えてこないらしい。こうやって乾いた地面に雑に落ちてても生えないと思う。人間が世話してないしな」

「そうなんだ」

「それにもし奇跡的に生えたとしても、母ちゃんが雑草としてむしるだろうし、それを乗り切っても原種に戻っちゃって味はよくないだろうな」

「へえ。すごい」

 瀬名くんは無言でほとんど白い部分までスイカを食べ切った。わたしもしゃくしゃくかじって甘さを堪能する。

「そういうの、どうやって覚えるの?」

 食べ終わり、わたしはさっきの続きが気になって訊いた。瀬名くんはこともなげに、

「テレビとかでやってるじゃん」

 と言った。やっているかもしれない。雑学特集のテレビ番組で。でも、それを覚えていられるのは瀬名くんのすごさだ。わたしはすぐに忘れてしまうから。

「やっぱり瀬名くんはそういう仕事をするべきだよ!」

「そういう仕事って?」

 瀬名くんはきょとんとする。タカラがはっはっはっとうるさいくらい呼吸している。

「植物の世話をする仕事」

 瀬名くんは気分を悪くしたようだった。顔をしかめてお皿を持って立ちあがる。

「植物の世話って、全然女みたいじゃないと思うけどな。男の人も、女の人もする仕事だと思う。ほら、農家の人は夫婦でやってるでしょ?」

「おれは野菜とか果物にはそんなに興味ない」

 瀬名くんはどんどん玄関に入っていく。わたしは自分のお皿を持ってついて行く。

「やっぱりバラが好きなの?」

 瀬名くんがくるりと振り向いた。怒った顔で、

「絶対に学校でおれがバラの世話してること言うなよな!」

 と強く言う。わたしは呆然とした。次にしょんぼりして、タカラと一緒にお皿をキッチンに運んで行った。

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