第30話 置き去りにするように

 久しぶりの「時空ときの広場」だ。何だかいつも以上に眩しい気もする。

 僕が思うに、五月辺りの陽の光が一番綺麗だと思う。夏は押しつけがましくなるし、このぐらいの時期の陽の光とは、いい距離感で接する事が出来る気もするし。

 過ごしやすい気候が、心を軽くしている要素もきっとあるのだろう。これもまた久しぶりにジャケットを着込んだところで、さほどの負担も感じないし。

 問題があるとするなら……そうだな。コーヒーをホットにするかアイスにするか迷う事ぐらいだろう。

 「時空の広場」のいつもの喫茶店。隣に座る小谷さんが、紅茶をアイスにしないで注文しているから、それにつられて僕もとりあえずホットコーヒーを選ぶことにする。

 二つのカップが並んだところで、小谷さんがこう尋ねてきた。

「……聞いても良いかな? その後、田無さんは?」

「いとこ達には会いましたよ」

 とりあえず、それだけ簡単に答えておく。

 それで大体、説明出来たような気もするけど……僕はコーヒーカップに口を付けて、もう一度考えてみる。ああ、そうか。叔母さんの再犯の可能性か。

「……会ってみれば、叔母さんのダブスタぶりも判明しましたからね。今は“大事だ”と言っていた子供達に監視されてる状態みたいですよ」

「ダブスタって……その言葉でもわかるけどね」

 小谷さんが角砂糖を紅茶に入れながら笑う。さらに続けて確認してきた。

「で、結局学費は?」

「それは叔父さんと話し合って、利子無しの奨学金みたいな感じで協力する段取りになりました」

「ああ、全部デタラメってわけでは無いのか。それはそれで厄介な話だけど」

「高校への進学に関しては、まったくのデタラメに近いですよ。こっちは普通に交流が始まったぐらいのものです」

 つまり、資金援助も含めて普通に親戚付き合いが始まったということになるのだろう。普通の基準がよくわからないし、僕たちは絶対普通ではないと思うんだけど、それはそれ。

「とにかく、いい感じに回ってると」

「そうですね。いぶきのおかげ、ということになるんでしょう。母さんと僕の距離感もリビルド? そんな感じのことが出来た感じです」

 お互いに遠慮しまくってたからな。いぶきの強引さがないと、どうにもならなかったと思うし。

 そんな僕の言葉に小谷さんは力なく笑う。

 仕方ないとは思うけど……

「あ、すいませんお待たせして。こちらが安原さんですね。どうもどうも。よろしくお願いします。私、英橋館の垂水たるみです」

 いきなり、そんな声が降ってきた。

 慌てて立ち上がる僕。その横で、小谷さんも表情を改めながら立ち上がった。いいタイミング、なのだろう。

 英橋館の編集、垂水さんの如才ない挨拶、と言うか、腰の低さはいかにも「社会人」という感じだけど、何故か出で立ちはサファリルック。頭は五分刈り。わざとやってるとしか思えないベッコウ縁の眼鏡。身体の厚みは完全に体育会系。

 ……やっぱり編集者だなぁ。

 僕たちは名刺を交換し合って――小谷さんの忠告で、急遽でっち上げておいた――席に着いた。






 垂水さんが注文したのは、見た目に相応しくアイスコーヒーだった。

 グラスの水滴と、額に浮かぶ汗が微妙にシンクロしている気もする、汗っかきなんだな。

「それでですね。僕が担当してる『リキキャン』での掲載決定となりまして」

「そうですか」

 いきなり結論から入ってくれるのは有り難いんだけど、どういう風に返事をするのが適切なのかがよくわからない。

 あ、まず先にお礼と謝罪が必要だな。

「この度は、ご面倒お掛けして……すいません」

「あ、ああ、あの強烈な妹さんですか。あの壁殿さんが逃げ出しましたからね。あれはもう、我が社に伝わる都市伝説みたいなものですよ」

 垂水さんは絶対に描き文字で「ガハハハハ」とか付け足したくなるキャラだな。

「こうなったら白状しちゃうけど。碧心社うちが先生と仕事出来たのも、実は田無さんの影響もあるんだよね」

 突然、小谷さんが告白した。

「え?」

「そうそう。あの時の編集長がアレルギーみたいになっちゃって。それで、やすはら先生にはちょっと退避してもらって、みたいなつもりの編集も沢山いたんですよ。少年誌はちょっと難しいけど、ウチは他にも色々とありますから。あんなにお世話になったやすはら先生に対して、あの扱いは無いって」

 垂水さんのフォローが続けて飛んだ。……そんな事情があったのか。

 ああ、でもそれなら今回の「続編」掲載の理由も納得出来る。

「……朋葉くん、そんなに甘くはないよ。そんな理由なら、落書きだって載せることが出来る」

 僕の表情を読んだのか、カップを傾けながら小谷さんがすましてツッコミを入れてきた。

「そうですよ。ウチの編集部でも評判ですからね。やっぱり先生の薫陶があったんですね。『海と風の王国』のファンは多いんですよ」

 またか。

 自分が関わっていたのに、こういう評価を聞くのは初めてな気もする。もしかして、父さん何かやってたのか?

「特に女性ファンが多くてですね。ぶっちゃけ、ウチが掲載するまで英橋館の中で取り合いがあったぐらいで」

「はぁ」

 またも反応に困ってしまう。垂水さんも僕の反応を見て何か察してくれたみたいで、話を変えてくれた。

「それで確認なんですが――」

「あ、あの、リテイクが入っても直せるところと、直せない部分がありまして」

 そういう方向に変えられると、やっぱり困るんだけど。

「ああ、いや、そういった方向の確認では無くてですね。いや関係ないわけでもないんですが、正直ここまで完成度が高い原稿を描かれると、編集として商売あがったりなんですよね」

 再び聞こえる「ガハハ」の幻聴。

 でも、この方向性でなんの確認が必要になるんだ?

「それでですね。確認というのは次回作の確認なんですよ」

「じ、次回作ですか?」

 オウム返しに確認してしまった。

 今の僕はぶっちゃけると「燃え尽き症候群」みたいな状態で。

 それに「続編」については、僕の力だけで完成したわけじゃ無い。

「それは当然そういう話になるよ。僕もずっともったいないと思ってたし」

「小谷さん」

「そういことだよ朋葉くん。君だってその覚悟を決めたんじゃないのかい? ラストページ見ればわかる」

「でもそれは、一からやろう、って話――」

「それは違うと思いますよ」

 垂水さんが割り込んできた。乗り出してくるように。

「『アンドレア』の生まれた家が貴族だったように、安原さんも恵まれていたんです。それを無しにしようというのは不遜というか――そもそも無理ですよ。それに……」

「それに?」

「特に壁殿さんが言ってたんですけどね。安原さん、編集としての力量もあるんじゃ無いかって。こうして一本、完成させたわけですし。それも経験のない人を育てながらね。私としてはそれももったいない気もするんですけど、その意見には頷く部分があると思ってます」

「ああ、なるほど。それは考えなかったけど確かにそうかもしれません」

 小谷さんが、垂水さんのとんでもない話に乗っかった。だけどそれは――

「いぶきの元々の力が――」

「でも完成させた。これは大きいんですよ。それもあれだけの枚数」

「それは逆にマイナスなんじゃ?」

「ほらね? そうやってページ数の加減も認識している。編集付いてない段階これですから。ま、編集の話はともかくとして、まずは次回作考えましょう」


 ――いや、それは……


 と、飛び出しそうになった言葉を僕は飲み込んだ。

 「僕はイヤだ」とだけ唱えていれば、何とかなってしまう環境はもう無いのだから。

 僕も――アンドレアも。

「じゃあ、こちらからですね。権利云々はもう碧心社ウチは持ってませんから、それほどややこしくはならないと思いますが……」

「ですね。原稿は英橋館ウチでお預かりしても?」

「再版ですか? ウチはもう、それをするだけの体力がありませんし、そのほうが……」

 そして僕をおいて、二人の編集の話は続く――



 

 垂水さんは別件と言うことで、おおよそ一時間後には別れることになった。

 大阪在住の作家が結構いるらしい。

「さて、ちょっと付き合って貰えるかな」

 タイミングを見計らったように、小谷さんがそう声を掛けてきた。僕がそれに頷くと「時空の広場」からダイレクトに繋がっているように見える「天空の農園」という場所に連れて行かれる。

 この施設名もダイレクト過ぎるように思えるが、形としてはビルの屋上に緑豊かなスポットを作ろうというコンセプトは理解出来た。

 ……こんな場所があったなんて。

「朋葉くんは世界を狭くしすぎなんだよ」

 そして、小谷さんに表情読まれすぎだ。だけど、こればかりは表情頼りにするわけにも行かない。

 ここまで連れてきてくれたのが、小谷さんの精一杯なのだろう。

 だから――


「……いぶきの身体はいつから?」

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