第15話 元には戻らない

 いぶきの声はイヤホン越しだから、深夜に至ってもさほど問題にはならない。僕の声は……それっぽい音楽を薄めに掛けておけば良いだろう。

 それに何より、現在午後十時。深夜とは言えないだろう。母さんは普通にテレビを観ている。

 だが、いぶきは僕の“思い付き”を聞いた後、そのまま“話し合い”の終了を申し出てきた。

 確かに急な話だったし、ここでそれぞれ持ち帰って検討する時間も必要だろうと考えて、僕はそれを了承したのだが……どうも、いぶきらしくないような気もする。

 噛みついてくるかと思ったんだが――いぶきのキャラ的に。

 僕はそんな事を考えながら、さながらアリバイ作りのように自分の部屋から出て、母さんに姿を見せておく。冷やしてある麦茶を飲んで……そうだな。思い付きに「具体的な肉付け」が可能かどうか確認するとしよう。




『納得行かない』

 それなのに話が元に戻ってしまった。あくまで、いぶきの中では、になるけれど。

「別に君の“納得”は続きを描く上で必要無い。昨日までは、まず“描かない”だったわけだから、これは進展だ。君の目的通りだと思うが」

 そういった今の状態を、僕は懇切丁寧に説明してみた。

 昨日とは違って、今は母さんが出ている日中だ。陽光ひかりのせいでモニターは多少見難いが、声が漏れることについては気にしなくてもいい。

 むしろ気にするべきは、いぶきの出席日数であるかも知れないが……大学生だしな。

『でも、私の納得もあった方が良いんでしょ?』

「それはそうだが、最初から否定してくる相手を説得する程、無駄なことは無い」

『……じゃあ、こっちも説明すれば良いんでしょ? 私が納得行かないって言うか、危ないと思ってるのは――』

 話がいきなり違っているようだが、これもまた一つの成果だな。元々、いぶきを無視するようにして話を進めるつもりもなかったわけだし。そして今、いぶきの譲歩を引き出している。

 ところが、いぶきの言葉がそこで止まってしまった。言葉だけでなく、動きまでも。――ラグかな?

『――つまり、そのやり方で良いものが出来るのか? って事なの。失敗する可能性があるでしょ?』

「ある」

 僕はまずそれを認めた。多分、この辺りから僕といぶきの認識が違っているのだと思う。それも一カ所だけで無く、何カ所も。

 まずはそのすり合わせだな。

「君の心配はわかるよ。確かにあのネームの続きを描けば良いようにも思う。ラストも見えた可能性がある。しかし、それでは最高に上手くいって“無難”だ」

『それは……まずいの?』

「正直、この点を最初にすり合わせを行わなかった事は、僕たちのミスだと思うけど……」

『うん』

 いぶきも、すり合わせの必要性を感じ始めているのだろう。随分殊勝に頷きを返してくる。

「つまり、描いたものをどのように扱うか……いや、こうじゃ無いな。何を目標にして完成させるのかってことになると思う。僕は端的に言えば『海と風の王国』のかつてのファンに、この続編が読まれることを意識している。自然とそうなってしまう」

 だからこそ僕も言葉を尽くして、いぶきの「納得」を引き出したい。

『そ、それは私だって』

「そうかな? ファンは『海と風の王国』が何故、連載休止になってしまったのか知っているんだ。それなのに『続編』と銘打って出てきた物語は、やり残しを片付けただけ。つまり“無難”だ。もっとキツい言葉を選ぶなら『やすはらなおき』の死を無かったかのように扱っていることになる」

 これが連載休止の後、一年ほどで世に出たというなら、やり残しを片付ける意味はあったのかも知れない。だがもう六年も経っている。わざわざ、やり残しの片付けを見せる必要は無い。

「つまり、父さんの死を受け入れた状態で、残された僕たちがどうするのか? どうすべきか? そんなものを提示……じゃあ、大袈裟かも知れないけど、少なくとも無難は選んじゃダメだ」

『それは、ファビオを……』

「そうなってしまう。でも、ああ、相応しい言葉が出てこないけど、それは『海と風の王国』に携わった者、全員が受け止めるべき“傷”だと思うんだ」

『傷……』

 いぶきが、うわごとのように呟いていた。

 やっぱり“傷”は……でも、他に相応しい言葉が思いつかない。『海と風の王国』はやっぱり傷を負ってしまっているのだと思う。僕は今までそれに触れないことで、やり過ごそうそうと考えていたけれど、向き合うと決めた以上、そこで改めて“無難”を選んで触れないようにすることは――全然違う。

『……じゃあ、先生がいなくなった事をファビオの死で――』

「そうなる。いや、これはかつてのファンなら、すぐに気付くはずだ。そして『続編』が単にやり残しを片付けるために描かれたものでは無いってことも」

『でも、それじゃあ、あのネームの続きを描くのと変わらないことになるんじゃ?』

 ……やっぱり、いぶきはストーリーを組み立てることも出来そうだな。いや、僕と同じ考え方じゃだめなのかもしれないけど。それでもこの選択は譲れない。

「苦労するって言っただろう? 無難な出来にしかならないやり方と、もしかしたら無難には収まらないものが完成するかも知れない可能性。二つを比べるならどちらを選ぶべきかはわかりきっている」

『それって、稲部先生も?』

 いぶきが別角度から確認してきた。でも結局は同じ事だ。稲部さんも単純に「続き」を描くことに反対なのだろう。

 それは……もしかしたら父さんの影響があるのかも知れない。

 決して父さんは無難を選ばない、という“感触”を僕と稲部さんは持っているのだと思う。

 例えば僕と稲部さんが辿り着いた、父さんが想定していた「海と風の王国」のラスト。これが正しいとするなら、将軍に対してダメ出しを行う、なんて展開はまったく無難じゃ無い。イタリア統一までの流れにおいて、将軍は現在いま尚、カリスマ的な人気があるからだ。

 でも僕と稲部さんは、それをなぞるだけでは父さんの目指した展開にはならない、と理屈を越えて理解してしまっている。

 そしてそれは、かつての読者も同じ感覚を持っているに違いない。そういった読者達の前に“無難”な「海と風の王国」を、


 ――「これが続きだ」


 と、提出できるかと尋ねられれば、これには自信もって答えることが出来る。

「絶対にイヤだ」

 と。

 だから、いぶきの確認に対しては、こう答えることになる。

「稲部さんも、ごく自然に“無難”を嫌がったんだよ。だから、父さんのネームで続きを描くことを選ばなかった。そもそも続きを描くにしても、父さんはもう居ない――ファビオはもう居ないんだ。きっと“無難”にさえ届かない」

 ファビオを動かしていた、分身たる父さんは居ないのだ。その状態では誰かがファビオの真似をしているという状態しか作り出せない。これからクライマックスにさしかかるのに、これでは悲惨なことになってしまうだろう。

 恐らく、ここまで説明すれば、いぶきも理解はしてくれたと思う。何しろいぶきは“ファン代表”と言っても良い存在なのだから。

 それが無難を目指しているのは、完結を優先させたい、ひどいことになったらどうしよう、色々動機は考えられるが……ああ、問題は“思い付き”の方か。

「いぶき、あのネームの続きは描けないという前提で、進めてみよう。それでまず思いついたのが、君の分身を登場させることなんだ。昨日も言ったけど、この前提条件じゃアンドレアは動かないよ。夏の頃の僕と同じように。イタリアの動きなんか関係なく、あとは引き籠もっておしまいだ。それはそれでありかも知れないけど……」

『わ、わかった。わかりました。あのネームはボツで考えます……本当に漫画家っていうのは……』

 いぶきが、ついに折れた。

 何か漫画家について含むところが出来上がってしまったようだが、僕はそもそも漫画家じゃ無いし、稲部さんは……まぁ、今さらどう思われるかなんか気にはしないだろう。

 とにかく、やっとこれで話を先に進めることが出来る。

「よし。で、改めて考えてみたんだが……マリオ。アイツを拾い上げよう」

『マリオって……ファビオにくっついて行った同郷の? マリオを私が担当するの?』

 マリオというキャラクターについては、いぶきが言ったままのキャラクターだ。

 だが、それではアンドレアと接点が出来ない。そこで……

「マリオには妹がいる。詳しく設定されているわけでは無いけど、要するにフレーバー。女性と接し慣れているという個性キャラクターが必要になって、その設定が生えてきたんだけど……」

『私もマリオについては、その立ち回りで覚えているけど……ファビオの仲間の中でも目立っていて――私がその妹?』

「まずは、その前提でネームを切ってみよう」


 果たして、名前も決まっていないマリオの妹は、いぶきの分身になり得るか……とりあえずやってみよう。無難にだけはならない予感もするし。

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