第12話 ある脚本家の話

 いぶきからネームが送られてきたのは、三日後のことになった。

 それに一日プラスして、僕の分も上がる。競うわけではなかったけど、台詞自体は出来ていたのだから、おおよそ三十ページから四十ページなら、大体このぐらいになるんじゃないかな?

 別に「扉」は必要無いわけだし。実は「扉」が一番漫画家の頭を悩ませているんじゃないかと、僕は疑っている。

 それで送られてきた、いぶきのネームなんだけど、僕より上手い、というのが正直な感想。上手い、の基準は「やすはらなおき」にどれほど近づけることが出来るか? になるんだけど。

 「海と風の王国」でネームを切っていたのは、父さんで、続きを書くとなれば、当然父さんに似たネームを切れる人が担当した方が良いわけだが……

 いぶきのネームを眺めながら、父さんが話してくれた脚本家の逸話を僕は思い出していた。

 何でもさる脚本家が師匠に習作の提出を命じられ、そして脚本家は締め切り前に――当然、そういう設定もあった――提出する。

 それ受け取った師匠は目を通した上で、

「凄い凄い。脚本に見えるぞ」

 と褒めた上で破り捨てる。

 この逸話の意味が、僕はよくわからない。今でもわからない。

 「さる脚本家」は、後に大脚本家と呼ばれるまでになって、多くの弟子も育てた人らしいので、この話はどうやら美談みたいな話になってるみたいだ。

 つまり脚本家の将来性を見込んで小さくまとまりそうになっていたところで、師匠がそれを防いだ――ということではないだろうか?

 ……実はこれ父さんの解釈。何しろこの逸話、オチがないんだよね。

 僕は今、いぶきのネームを見て思い出したわけだから、この逸話の根底にあるのは素直に「嫉妬」なのではないか? と、僕は考えていたようだ。

 ――その将来性の豊かさを感じながら、同業者としてどうしても危機感を覚えてしまう。

 僕が今感じているのは、そういう心境だ。同業者ではないのだけれど。

 言ってしまえば、いぶきは父さんよりも上手いのかも知れない。

 特にこの、足の裏でこちらを踏み付けるようにしながら、それでいて大胆なパースで、今にも飛び出しそうな伝令兵の構図が凄い。

 凄すぎて、この伝令兵が主役と勘違いしそうな迫力だ。

 だから、このネーム自体はボツだけども――

「これ何かを参考にしたりとか?」

『う~ん、何かを広げながら描いたわけじゃないけど、影響はあると思う』

 ディスプレイの向こうで腕を組みながらいぶきがそう答えるが、聞いたところでどうしようも無いことを聞いてしまった。

 思わずそんな無駄な確認をしてしまうほどに、いぶきが提出したネームには迫力があった。

 一方で僕のネームはどうなんだ? と問われると、これがまぁ、平々凡々。

 いぶきのネームを見るまでは、上手い具合に父さんのコピーは出来た、と思っていたのだけれど、それは何と言うか……減点を恐れて無難にまとめただけ。

 つまりは小さくまとまってしまっている。

 父さんが、あの脚本家の逸話を僕にした理由は……

『あ~でも、これは朋葉さんの方が良いね。私がやった方だと、流れがよくわからないもの』

「そうか? 十分だと思うけど」

『それは朋葉さんが話を知ってるからよ。正直、アンドレアの方に話が移ってからの台詞の流れ、私は良く掴めてなかったし。朋葉さんのネームで理解出来た気もする』

 ……ネームの実力は、いぶきの方が上なのだろう。

 その前提で考えると、僕のネームにも良い所があるらしい。

 将来的にどうなるかわからないが、二人のネームのいいとこ取りを選択した方が良いのかも知れない。元々「動のファビオと静のアンドレア」みたいな構図は意識して作っていたわけだし。

『朋葉さん、これ一緒にしない?』

 当然の帰結と言うべきか、いぶきも僕と同じ考えに至ったようだ。

『その……私のネームも良いところがあればの話だけど』

「あれ?」

 僕は思わず声を上げてしまった。

 ……確かに、感想を伝えた覚えが無い。どうやら、いぶきのネームの出来に少なからず焦ってしまっていたようだ。やはり原因は嫉妬になるのだろう。

 では、あの逸話のように否定してみようか、と悪戯では済まない悪戯心が刺激されたが――どうやら、それは僕の性分に合わないようだ。

 してみると師匠は師匠で、苦労していたという捉え方もあるのか。だが、それを追求するよりも今は――

「すまない。君のネームは良い出来だったよ。僕より上手いんじゃないかな?」

『えっ? あ、あの本当に?』

「うん。僕の感覚ではね。もしかすると父さんよりも上手くなる可能性もある」

 その将来性の豊かさを、僕が今、台無しにしようとしているような感覚もあるんだけど。

『で、でも、私なんかまったくの素人で……』

「別に厳しい事を言うつもりはないんだけど、ネームのセンスってのはプロと素人の差が見えにくい部分だと思う。例えば、この僕が感心した、十七ページから十八にかけての見開きだけどね」

『感心……ああ、はい!』

 いぶきのレスポンスがどうにも悪い。感激しているのだとしたら、これから「そのネームはボツだ」と、どうやって告げたものか。例の足裏のネーム部分なんだけど。

 ……いや全部ボツにするんだから、些末なことか。

 今は、いぶきへの説明が最優先事項になるしな。

「確認出来たか? その構図と見開きの使い方には確実に、センスを感じるんだ。知ってるかどうかはわからないが『キャンパス×コンパス』って漫画の……」

『知ってる! やすはら先生の元アシで稲部先生が描いてる漫画!』

 知っているのか。どうやら稲部さんの影響もあるんだな、あのネームには。

 それならそれで説明が短くて済む。

 いぶきはもしかしたら、父さんと稲部さんのハイブリッドなのかもしれない。

「……そうだ。それで君のネームでは“描きたい絵”はわかる。でも実際に、これを“商品”として完成させるとなると、別の技術が必要なんだ。そこで素人とプロの差が出る」

『なるほど』

「なんてことを言ってる僕がまず、素人なんだけどね」

 とりあえず予防線を張っておく。

『じゃあ、まずこれを下書きにして――じゃ無かった、まずネームを合体させるのか』

 話が一段落したところで、いぶきが話を先に進めようとしていた。

 強引なわけでは無いな。むしろ自然な流れだ。

 これをボツにしようとしてる僕の方が、よほど不条理なのかも知れない。

 だけど、ネームをやり取りして、いぶきと言葉を交わす内に。また別の疑問が僕の内に膨らんできていた。

「なぁ、いぶき」

『何? ……と言うか、何ですか?』

 その言い換えに意味があるのか? と、思わずツッコみそうになったが、どうも僕の声音の変化を感じて緊張させてしまったらしい。いや、向こうでも僕の姿が見えているのか。

 互いに部屋着然とした出で立ちで――僕はいつものことだが――薄暗い部屋にいるから、あまり向こうにどう映っているかを意識していなかった。

 基本はネームを見ながらのやり取りになるし。

 だから今さら緊張するほどの事では――あるかも知れないな。

「いぶきは『海と風の王国』をずっと描きたいのか? それとも……」

『終わらせるためです!』

 即答だった。

 間髪入れずに。

 ここで意見が一致するとは思わなかった。僕も「終わり」をちゃんと決めた方が良いとは思っている。ただファン的には、それを嫌がるんじゃないかと思っていたんだが……

 だが、それなら――この手が使えるか。

「それなら、まず父さんの終わらせ方を考えてみないか?」

『え? そんなこと……』

 いぶきが意外そうな声を上げる。

 ここで畳みかければ、ボツを告げやすくなるかも知れない。

「できる。さっきも話に出た稲部さんに聞いてみれば良い。ヒントは間違いなく聞けるはずだ。何しろ、実際の歴史でもクライマックスが近いわけだし」

『そうですね。確かに――私も終わらせるなら、多分ここだろうと思っていた部分があります』

 さすがに愛読者。「海と風の王国」の周辺事情もしっかり抑えていてくれたようだ。

 「続編」制作に向けて意欲も十分というわけで――


 ――その調子でボツも受け入れてくれれば良いんだけど。

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