第二章 インサイド・イノベーション

第10話 西日の中で

 僕の部屋はどうやら西向きらしい。マンションの通路に面していて、実はあまり生活するのに向いてない部屋なのかも知れない。だけど何故か大きなクローゼットがある。どういう設計思想があるのかは、まったく窺えない。

 ただ狭くは無いんだよな。本当に謎だ。

 ベッドと、標準的な大きさのデスクを入れてもさほど狭さを感じない。完全にクローゼットが無駄になっているのだけれど。

 いぶきに協力する、という方向が決まったところで僕は模様替えを行った。

 デスクの上には、当たり前にデスクトップのモニターがあったんだけど、今までの配置だと西日の入り込む時間帯は、光が差し込んできて非常に使いづらい。そこで影響を受けない場所にデスクを移動させる。

 そうするとベッドも移動させないといけなくなって、結果として部屋の扉を開けるのにかなり窮屈になる。今までの配置は、貴重なものだったんだな、と思いながら、デスクを扉を開けた状態のままのクローゼットの中に放り込んだ。

 かくしてクローゼットのスペースが無駄では無くなったわけだ。

 とりあえずこれで良しとしておく。一時的なことになるだろう、と多少の不自由さには目を瞑ることにした。

 これでWi-Fi環境が発達していなければ、配線で詰んでいたに違いない。科学の発達速度に恐怖を感じるべきか、今まで僕が無関心でありすぎたのか。

 とにかくこれで母さんには内緒という条件を満たした上で、いぶきの「原稿」を確認する環境が整ったことになる。

 完全に言い訳になるけれど、僕はまったく漫画制作と縁がない生活をしていたわけでは無い。それが果たして効果があるのかどうかはわからないけど、それこそ誰かに言い訳するように一応、描き続けてはいた。

 改めてプロを目指すわけでもなく、ネット上に公開することもなく。言ってしまえば、ゴミ箱に放り込むために凝った紙飛行機を作る――この辺りが一番的確な表現なのかも知れない。

 それは確かに、往生際が悪い、と言われる行動だったのだろう。

 だが、そんな無意味な行動に、いぶきの要求に応えることで“意味”が発生してしまう。これも僕が協力することをイヤがった理由になるだろう。

 では、ネットを通じて提出されたいぶきの絵はどうなのか? と言うと……

「描けるな」

 というのが僕の判断になる。

 ひどく父さんの絵に似ていたけど、これは意識してそういうタッチにしたとのことだ。

 何しろ、いぶきの目的は僕との合作だからな。

 「海と風の王国」の続きを目論むなら方向性は合っていることになる。その執念には、後ずさりしてしまいそうになるが……

 しかしここまで父さんの絵に似た絵が描けるとなると、ますます母さんを関わらせるわけにはいかないだろう。

 ここまで来てごねるつもりはなかったが、実際の漫画制作に関して言えば画力はそこまで重要じゃ無い。問題はストーリーと画面構成だ、と考えている。

 もちろん、父さんの受け売りだ。

 だが、真実ではないか? とも思う。

 そして、その重要な部分に関しては、僕はまったくの素人だ。確かにストーリー作りに関して父さんに協力はしていた。だが最終決定権を持っていたわけじゃない。当たり前だけど。

 そして画面構成。

 ストーリーを効果的に漫画という文法の中に落とし込むなんて事、まったくの未知だ。

 そういう作業をしなければならない。そしてそれは難しい――なんてことを知っている事がアドバンテージになるかと言えば、そんな事ももちろん無いだろう。

 「漫画の描き方」――なんて種類の本をめくってみれば、僕の“格言”なんて必ず掲載されているだろうから。そして、そういった本に載っている、ある種教条的なやり方で漫画を描いて「海と風の王国」の続きを名乗ることが出来るのか……

 その可能性の見積もりすら出来ない。

 それが正直なところだ。

 だから、いぶきと探り合った結果、制作不可能と判断出来たのなら、僕としてはさっさと手を引きたい。部屋も元に戻したいし、無理に抵抗するつもりはない。

 しかし、いぶきは恐らく納得しないだろう。

 どうやっても話を先に進めようとするに違いない――いぶきの個性キャラクターを考えるなら。それは必然、改めていぶきが母さんにねじ込むという事になり、そして、父さんに似た絵を見せつけるというわけだ。

 それは僕にとって、かなりの恐怖だ。

 となれば、いぶきが納得するだけの――いや僕が納得出来るだけの“続き”を作らなくてはならないわけで……

「どうしたものかな」

 僕は椅子の背もたれに身体を預けて、意識して声を出すと、しばし瞑目した。

 後頭部にあたる西日が、やけに痛い。




 とにかく、手を付けることが出来る部分から始めよう、と言うことで僕も「アンドレア」を描いてみる。

 これで、いぶきからダメ出しがでるようなら、この計画も自然消滅になる可能性もあるのだし。

 わざと下手に描く――その手も考えないでもなかったけど、それは僕がイヤだった。

 「アンドレア」をいい加減に描くなんてことは。

 結局のところ、僕自身「海と風の王国」にこだわりがあって、だからこそ続きを描くこともイヤだったし、かと言って全てをなげうつことも出来なかったのだろう。

 いぶきという外部刺激が出現したことで、否が応でもそれを自覚させられてしまったわけだが、この件については、今更どう考えを巡らせたところで全て後の祭りだ。

 ……かなり特殊な状況だとは思うけど。

 幸いと言うべきか、いぶきからはOKが出た。無為でも何でも描き続けていた事にさっそく意味が植え付けられてしまった形だ。しかし、ファンと名乗る――狂信的と付け足すべきかもしれない――いぶきのOKサインが出たのであるから、喜ばなくてはならないのだろう。

 しかし……

「何だか難しい顔してるけど」

「いつものことだよ」

 笑顔を浮かべていた記憶は、年の単位で思い出せない。

 例の配置で、居間に座っている僕の前にトンカツが差し出された。

 最近はチキンカツの方が旨いんじゃないかと思っているが、作って貰って文句を付けるほど僕は愚かでは無いので粛々といただきながら、母さんの問いかけに応じる。

「それに何? 模様替えでもしたの?」

「うん、思い立ってね。でも失敗だった。元に戻そうと思うけど、それも手間だ」

「何やってるのよ」

 自分の分のトンカツを片手に、母さんが笑いながら腰を下ろした。その母さんにソースを渡しながら、僕は心の中だけで首を捻る。もちろん上手い具合に話を逸らす方法を考えてのことだ。

 この話が延々と引っ張られるのは、うまくない。

 母さんが模様替えに何故気付いたのか? なんてことに理由を欲しがる年齢はもう卒業している。

 だからここで繰り出すべきは――

「母さんも何かあった? そう言えば、今年は梨を見ないな。実は今年は高すぎるとか?」

「物価の高さは、ちょっと悩みどころ。けど今年の梨は例年通りよ。朋葉もちょっとはスーパーとかに行きなさい」

「行っても、去年の値段を僕は知らないよ」

 上手く話を逸らすことが出来たようだ。

 ここで逆に言い返すんじゃなくて、マウントをとらせるにしても、別の峰を目指して貰う。

 これが一番、波風が立たない。それにこういった話題なら、

「でもそうね。確かに梨を食べたくなった」

「パート割引ってあるんだっけ?」

「ポイント多めに貰えるし、選びやすいから」

 という具合に話がドンドン別な方向へと進む。正直、ここまで倹約家ぶる必要は無いんだけど、母さんは父さんと貧乏な時にも楽しみを見出してた人だからなぁ。

 さすがにこれぐらいで、停止するほどではないと思うけど。


「ああでも」


 不意に母さんが、声音を変えた。

 その声にドキリとして、思わず箸が止まる。

 そんな僕の反応に、逆に母さんはビックリしたみたいだ。けれど、僅かばかりの間の後に取りなすように、

「……うん、これは関係ないか。そうだ、今日はプリン買ってあるの」

「そういうものを用意しながら、僕に太った? みたいに尋ねるのはひどくない?」


 ――そして今日も、母子ぼくたちは互いに触れないようにして、一日を過ごした。

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