第6話 漫画家の宿痾

「あまりネタになりそうに無い話だなぁ……」

 時と場合によっては、僕に情状酌量が認められるだろう発言が飛び出した。

 発言者は稲部いなべ哲郎てつろうさん。

 元・やすたになおきのチーフアシで、現在は独り立ちした漫画家でもある。

 だからこそ、ネタを求めるのは職業柄仕方が無い、と僕も諦め気分だ。

 哲郎さんと話していたのは言わずもがな、小谷さんといぶきさんの申し出……と言うしか無い“アレ”についてだ。

 もしかしたら、稲部さんのところにも連絡があったのかも知れない――と探りを入れてみると、逆に探られてしまった形。

 ……まぁ、その可能性は考えないでもなかったけど。

「実際、小学生か中学生の時に会った人の前に再び現れて、六年経ってから再び会おうなんて、これはもうネタ」

「そういう感じでは無かったんですけどね」

 と、稲部さんとの会話が弾んでいるのは稲部さんの自宅兼仕事場だ。

 マンションの五階にあり、大きな部屋が一つと、稲部さんが眠るだけの部屋が一つあるだけ造りだ。

 内装というか、もっと踏み込んで間仕切りにも手を入れたのだと思う。わざわざ確認はしてないけど。

 で、僕は普段はアシスタントが座る椅子に腰掛けて、ディスプレイで原稿チェックを行っている。

 別に僕の役割でも仕事でも無い――背景手伝ったりはしてるけど――けれど、頼まれればこれぐらいはやる。今回は小谷さん経由だったのが気にはなるけれど……

 稲部さんとも。結構長い付き合いでもあるし。

 それに新しく入ったアシスタントが何処まで“使える”のかという不安が、稲部さんにはあったみたいだ。

 けれど、ハッキリ言ってそれは稲部さんが悪い。

 稲部さんの漫画、コメディなのは良いけれどコマ割りが「キテレツ」な時があるからな。

 慣れないと背景処理も難しいと思う。全部効果とかだったら、何とかなるかも知れないけど、そういう演出を前面に出してしまうと、稲部さんの絵の魅力が乏しくなるし。

 あの狭いところに、細かい背景をねじ込む手法は流石というしかない。

 ……実際、父さんのアシ時代なんか、指定されていないのに随分と凝った背景を描いていた。

 あれは必要だからやっているのではなくて、好きだからやっていたのだろう。

 父さんのカケアミと同じだ。

 僕も随分それで鍛えられたから、ある意味では稲部さんの弟子一号は僕かも知れない。

 その稲部さんは僕と話しながら、次の号のためのネームを切っているらしい。

(また無茶なネームを……)

 と、ちらっと見ただけだが思わず瞑目したくなるようなネームを稲部さんは切っていた。

 四段……いや五段抜きかな? そして一番小さなコマに校舎外観とか。

 今は、デジタルに落とし込んでしまえばトリミングも大分マシになったけど……あまり深く考えるのは止めよう。

 稲部さんは、僕と同じような灰色の無地のTシャツに、濃紺のスエット姿。

 容姿は……何というか全体が長方形で出来ている感じがする。これは身体含めての話だけど。

 で、その上で四角いフレームの眼鏡を掛けているのだから、これはもう狙ってやっているとしか。

 ちょっと小太りだけど、これはもう職業病と割り切るしか無いだろうな。

 決して病的な感じでは無いし、今の服装はこんなのだけど僕よりよほど身だしなみはきっちりしている。

 ……僕はまた無精髭の生活に復帰しているからな。

「しかし“海風”の続きをねぇ……それで絵は見たのかい?」

「見てませんよ。そこからほだされるのもいやだし」

「そこは確認して欲しかった」

「どうしてです?」

「ライバルになったら困るだろう? 何せ元は先生のファンなんだろうから」

 何というか……後ろ向きに貪欲な人だ、相変わらず。

 そこまで悲観的になる必要は無いと思うんだがなぁ。今連載してる稲部さんの「キャンパス×コンパス」も人気作のはずだし。

 アニメ化……は、ちょっと難しいかも知れないけど。

 何せあのコマ割りをアニメに出来る人、そうは居ないだろうし。

「それぐらい描けるのなら小谷さんは出てこないんじゃないですか? 碧心社は今、漫画雑誌出版してるわけじゃ無いですし」

「それはどうかな」

 稲部さんが、椅子をぐるりと回して僕の方へと向き直った。

「編集者というのは、会社の枠に囚われない横の繋がりが結構ある。コネもあるしね。それにその子が有望だとするなら、版権所有者を探ってみるのもまぁ……当たり前の手順だな」

「版権は碧心社が管理してくれてますけど……それにこっちは、別に彼女が続きを描きたいというなら別に止めるつもりは無いんです」

 母さんはまぁ……さほど気にはしないだろう。

 稲部さんは納得したように細かく頷くが、次にはそんな仕草とは真逆な事を口にした。

「となると、やっぱりおかしいな。小谷さんはきっちりと筋は通す人だし何かしらの計画があるとしても、先に奥さんや君に連絡するだろう」

「公私混同が激しくても?」

「そんなの、編集という人間はみんなそうだよ。逆に言うと、それぐらい出来ないようでは乗り切れない局面もある」

 いかにも含蓄がありそうな台詞だったが、冷静に聞くと、どうにも大人の世界の情けなさを糊塗しているだけのようにも聞こえる。

 僕はそんな事を考えてしまったことを誤魔化すように、仕事場の窓から見える景色に目を向けた。

 暑いままではあったが、それでも随分日は短くなっているらしい。

 もうすぐ、秋分の日だから当たり前の話だけど。

 さて、夕飯をどうしようかな。

「けど、どうも……何というかな順番……いや強弱がおかしい」

 僕が、視線を外に向けているのに稲部さんは気付いてくれなかったらしい。

 結局の所なんでもネタにするのだ。漫画家という人種は。

 しかし夕飯の段取りは決めねばならない。この稲部さんの家はJR吹田駅に割と近いから、選択肢も多いんだが、思いつくのは、やはりいつもの店。スクーターで帰るにはそこそこ距離があるが、それは仕方ない事だ。

「稲部さん。いつもの店に行きましょう。チェックは終わりましたし」

「問題は?」

 一気に我に返った稲部さんが確認してくる。それほど心配する要素は無いように思ったんだが。

「そのうち慣れるんじゃないですか? ちょっとパース守りすぎのような気もしますけど」

「やっぱりそう思うか。でもそれって、指摘しようにもなぁ……」

 難しいところだろう。僕は無言を守ることにした。

「助かったよ。これで一応は納得出来る。それでいつもの店? もっと高い店でも良いぞ」

「いや、高い店だと麻婆豆腐が辛くなってしまいますから」

 ほとんど辛くない、ダシの利いた麻婆豆腐を出してくれるのは、知ってる限り吹田駅前の「清々シンシン」だけだ。そしてこの麻婆豆腐は安原家の、つまり母さんの作る麻婆豆腐に似ている。

 僕の大好物であり――そして父さんの大好物だったりする。

 それをリクエストするのは、ちょっと怖い。

「奥さんは……もう大丈夫じゃ無いかなぁ?」

 そんな僕の、言ってみれば守りの姿勢に長方形の稲部さんが斜めに提案してくれるが、無理に試すことでもないだろう。

 少なくとも江坂経由で帰るか、それともスクーターを引っ張っていって、岸部経由で帰るのかを迷うほどに均衡した条件があるわけでは無い。

 触れずに済むなら――「君子危うきに近寄らず」という故事を持ち出すのは、大袈裟だろうか?

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