第23話 骨相のレガメラ

 何も無い人生だった。

 溝鼠どぶねずみのドガと呼ばれる犯罪奴隷は、自身の半生をそのように評した。胸の内でのことである。

 口減らしで街に捨てられて、それからただ生きた。

 皆がしているように生きてみれば、盗賊とも渡世人ともつかぬ半端な罪人になっていた。

 最後にやったのは半端な詐欺である。美人局つつもたせをやったが、相手が悪かった。遍歴の騎士様によって衛兵に突き出されて、今は人食い姫様の一行に加わっている。


 濃い朝靄の満ちる街道を進めば、ネズリルという怪物が現れた。

 あまりにも自然に、灰色の身体をした出来損ないの巨人のような怪物が道の真ん中に座り込んでいた。

 見やれば旅人らしきものの死体を喰らっていた。


「かぁつ」


 誰かが悲鳴を上げる前に、その大声が静寂をかき消した。

 ドガは背後に引き倒されて尻餅をつく。

 今まで頭のあった所に怪物の舌が伸びていて、それを人食い姫は木刀で受けていた。


「アヤメ」


「ネズリルの舌から出る分泌液は眩暈を引き起こします。血は無毒ですが悪臭が残りますよ」


 司祭は言いながら鎖分銅をぶんぶんと振り回して、勢いをつけてネズリルに放っていた。

 人間であれば一撃で頭を弾けさせるであろう鎖分銅の一撃が、怪物のこめかみに吸い込まれる。

 流石は怪物か。頭に重い一撃を受けても片膝をつくだけである。

 同時に駆けた人食い姫が、怪物の頭を目がけて上段より木刀を振り下ろした。

 鈍い音が響き、怪物は倒れ伏す。そして、耳や目、体中の穴からひどい臭いの血を垂れ流して事切れた。


「これは臭い」


 人食い姫は眉間に皺をよせて、足早に前に進む。


「ささ、進みなさい。次はあなたたちが槍で動きを止めるのですよ」


 年若い女司祭は事も無げに言い放つ。

 ドガを含む奴隷たちは、逃げ出したくなった。


 女の身でありながら、恐るべき業を持つ人食い姫とアヤメ。そして、魔術剣士に細作らしき男。

 この手にある槍で突いてしまえば、逃げられる。そんな卑怯な考えは、夢想にすぎない。確実に刺そうとした者は殺される。

 奴隷たちは歩む。

 ドガは少しだけ空を見上げた。

 朝靄で太陽は煙るようだ。

 不意に思う。

 こうして怪物と戦うために歩いているのも、どこかの路地裏でうずくまっているのも、何も変わらない。





 首飾りの示す方向は、十年ほど前に疫病で全滅した村の跡である。

 どうにも、敵は似合いの場所にいるものだ。

 今の所、死者はいない。

 散発的に出る魔物はネズリルやグールといった比較的対処しやすいものであった。しかし、こうなると対処が難しいデバウラーなどが出ない所に作為を感じる。


「きな臭くなって参りましたな」


 ウドの囁きにリリーは頷く。


「いまさらだが、罠か」


 と、今度はフランツが言った。

 魔術はここぞという時に使わねばならない。そのための肉盾だが、今はあまり役に立っていない。


「この朝靄、邪術の気配がありますわよ。吸血鬼の使う術に似ています」


 アヤメのそれは、伊達男より教わったものである。


「伝説の通りなら、この霧に毛穴から血を吸われるらしいな」


 リリーがそう続けた。


「まさか。そんな伝説の吸血鬼がいたら今頃全滅です。あるとしたら、そこそこ育った吸血鬼というところですか」


 吸血鬼という種は人間に勝てない。

 数百年を生きる吸血鬼だけが使える術を、「そこそこ育った」で済ませられる。魔物もまた同じだ。どれほど強くとも、人という種に勝ることは有り得ない。

 街道は少しずつ荒れ始めた。

 廃村への道は使われなくなって久しい。


「……大きな足跡に、バジリスクの糞がありました。決まりですわね」


 アヤメは闇狩りとしての嗅覚と経験で、それが分かる。

 こんな浅い場所にいないはずの怪物がいる。そして、濃密な死の気配があった。

 リリーは胸に下げた異形の紫水晶で出来た首飾りを、人さし指で叩いた。トントンと、叩けば共鳴するように輝く。


「便利なものだな」


「カグツチ様の神具は御気に召しませんか」


「お前だって、嫌いだろう。こういうのは」


 アヤメは司祭にあるまじき顔を作って、呆れたように笑う。


「神でさえ、人の歩く道先を決める権利はありませんよ。たとえ、それが運命であったとしても。愚かでも決めた道に進むべきです」


「アメントリルの教えか?」


「いいえ、あなたの、……あ、ええと、哲学です。哲学」


 あなたが教えてくれましたのよ、とは言えなかった。なんだか悔しいではないか。


「なあ、私は賢くないんだ」


 リリーは前を見ながらそう言った。

 奴隷たちが聞き耳を立てているのが分かる。


「いまさら、何を仰っていますの」


「哲学とかそういうのはよく分からん。それに、政(まつりごと)も分からん。お前と違って男女の機微というのもな」


「空気も読めませんしね」


「そのとおりだ。それでも、これをやったヤツを斬らねばならんことは分かる。その次はカグツチだ」


「わたくしが、信仰を盾に裏切るとでも」


「いや、信仰を裏切るような真似をしてほしくない」


 自分のために戦うな、リリーはそう言っている。


「馬鹿にするなよ、貴族のお嬢様が」


 アヤメの顔は平静なままだが、瞳に黒い炎が宿っていた。


「珍しいな。そんなに怒るなんて」


「いまさら、お前を裏切るような真似をする女と思っていたか」


「それこそ、まさかだよ」


 アヤメは目を細めてリリーの顔を見る。睨んでいるのではない。見ている。


「この世に生まれて、神を呪わなかった日は無い。なぜ、わたしはコンゴウなどという家に生まれついたのか。毒虫を喰い邪悪の術を学び、神の敵を、いや教会の敵を討つ。そんなものを背負うなど、リリー、あなたに分かるか」


 姫であらねばならないリリー。だが、彼女は剣士という道を選んだ。何よりも自由に。

 憎くないはずがない。

 ただの姫であればよいものを、リリーはどこまででも飛べる翼を持つ龍であった。

 影に生きねばならないアヤメ・コンゴウからすれば、それは、あまりにも残酷で眩しい。リリーが光であればあるほどに、影に隠した己の醜さが照らし出される。


「他人の苦しみなど分からん。だけどアヤメ、お前は強いんだな」


「弱くなったのよ、わたしは。今まで、戦い抜けばいつか天に召されて報われると思うことだけが救いだったというのに」


「いまは、どうなんだ」


「アメントリル様への道を見つける。そして、リリー、あなたと戦わねばならない」


「ふむ、いつだ」


 今でもよい、その目は語っていた。


「その単純さが憎らしくも羨ましい。ラファリア様はわたしが手に入れる」


 リリーは虚を突かれて目を大きく見開いた。

 アヤメは毒蛇の笑みを浮かべた。


「欲しいものは手に入れる。あなたもそうでしょう」


「人を暴君みたいに言うな」


「差し出しますか」


「サリヴァン家の姫が、男を譲ると思うか」


「お家の婚姻よりも愛が勝ると、知らしめてやりましょう」


 獅子と毒蛇は見つめ合い、そして笑った。

 いつでも死は背中にある。だからこそ、背中を預ける者が必要となるものだ。

 フランツもウドも、奴隷たちも恐るべき女たちに畏怖を覚えていた。

 特にフランツといえば、グレーテルの中にもこれだけの魔性があるやもしれぬと落ち着かない気持ちにさせられていた。

 地獄めいた戦いが始まるというのに、恐怖は消えている。

 リリーもアヤメも、今まで死を厭わずに命をかけていた。生きねばならぬと分かって、ようやく死を想う。





 先頭を歩むドガは雑草に足をとられて転んだ。

 年齢と共に、体にガタがきている。

 情けないと思いながら立ち上がろうとした所で、頭の上を何かが走った。

 見やれば、後ろにいた男の額に白い角が生えていた。


「え」


 と、ドガは間抜けな声を出した。

 真っ白な矢が、男の額を貫いている。口を開けて見つめていたら、男はつつつと両目から血の涙を流して倒れ伏す。


「ひゃっ、てて、敵だァー」


 叫ぶと同時に、またしても何かが空を走る。


「きいえぇぇぇ」


 人食い姫が絶叫のような気合と共に、大気を切り裂いて迫ってきた白いものを木刀で切り払う。

 いやに軽いパキンという音と、白く尖ったものが地に落ちた。

 先の尖った骨である。獣か、人か、それとも魔物の骨か。

 人食い姫が空を見上げている。

 ドガも、姫の視線の先を追う。そして、見た。


「あ、悪魔……」


 邪悪の霧で煙る太陽の放つ鈍い光に照らし出されているのは、骨で出来た翼を羽ばたかせる、骸骨を組み合わせて出来た人型の悪魔である。





 我知らず、口元に笑みが浮いた。

 リリーは歪に引き攣れて緩んだ顔のまま、アヤメに問うた。


「アレは、なんだ」


 人間の骨を組み合わせて作られた悪魔である。

 頭蓋骨をいくつも集めて作られた胴体に、あばら骨で造られた翼。そして、無数に継ぎ足された手足の関節。

 頭だけは、巨大な竜の頭蓋骨のような代物である。空洞の眼窩には虹色の炎が燃えていた。


「アメントリル様とその仲間たちが討伐したとされる五大悪の一つ、骨相のレガメラでしょう。アメントリル様が巡礼で倒したとされる悪魔……、ふふ、わたしたちの道にそれが現れる。くふ、はははは」


 喜色満面とはこのことだろう。

 アヤメは目を見開いて笑っていた。それは、大きくなり哄笑へと変わる。


「気でも触れたか?」


「いいえ、今、確信しました。運命は、聖女アメントリル様と、このアヤメ・コンゴウを結びつけているッ」


 レガメラに笑みを向けたまま、アヤメは司祭服の袖から鎖分銅を取り出していた。


「気のせいじゃないか、それ」

 

 流石のリリーも、アヤメの狂態と思い込みには引くものがあった。


「いいえ、そうでないならば、このようなことが起きるはずがない」


 右手に鎖分銅、左手には瘴気を放つ呪毒の聖油。鎖分銅に塗り付ければ、たちまち闇狩りの使う恐るべき牙となる。


「お前がそう思うなら、そうなんだろう」


「ふふ、リリーさんはアレを操るものをお願いします。ここは引き受けます」


 悪魔は太陽を見上げて哭いた。

 その声は、ひび割れた笛の音のようで、どこか物悲しくすらある。


「……ウド、アヤメを助けろ」


「へい。お任せあれ」


 悪魔は依然として哭き続けていた。

 炎でも吐くかと思ったが、骨の翼をはためかせて、小さな骨の欠片をばら撒いている。

 嫌な予感がした。


「学院長殿、行こう」


「わ、分かった」


 骨の雨の中を走る。

 ばら撒かれた骨に変化があった。

 みるみる内に骨は大きくなる。そして、骸骨の兵士へと姿を変えた。悪魔の笛の音に呼応するかのように、彼らは暴れ始める。


「押し通るッ。奴隷たち、走れる者はついて来い」


 リリーの檄に何人かの奴隷が続いた。それは、悪魔から逃げ出すのと同じことだ。

 脆い骸骨の兵士を木刀で砕きながら、リリーは走る。





 骨相のレガメラは空を飛びながら奴隷たちをひとりずつさらっていく。


「ぐるぐる回って、一人ずつ嬲るか」


 アヤメは言いながら、唇を舐めた。

 妖霧で遮られた鈍い太陽の下、空からはバラバラに引き裂かれた奴隷の部品が落ちてくる。

 人は血と肉と骨、そして糞で出来ている。


「空を飛ぶとは、いかがされる」


 ウドは聖銀の短剣を取り出していた。悪名高き女の僧院の印がついたものである。襲いかかってきた骨の兵士の腕を聖銀で切り裂いた。溶けるように刃は走る。


「あら、本物ですか」


「は、いや、リュリュ殿に頂いたもので」


「それはまた、女色のリュリュ殿に随分とかわれたものですね」


「皮肉ですか?」


「まさか、驚いているだけですわ」


 アヤメは言いながら、近くにいた奴隷の肩を引き寄せた。

 ぶうん、と丸太が通り過ぎるような風圧の後で、奴隷はレガメラに捕まって空に連れ去られる。


「どうされます?」


 奴隷の悲鳴と、肉を引き裂く音。


「空から引きずりおろしますわ。落ちたら、翼をお願いします」


 アヤメは近くにあった木に鎖分銅を巻き付けた。何度か力を入れてほどけないか確認している。

 馬に乗った者を引きずり下ろす時に使う仕掛けと同じものだと悟ったウドだが、あの化物がそれだけで地に堕ちてくれるものなのか。

 アヤメは襲い掛かってきた骨の兵士の一撃を拳で受け止め、返す拳でその頭蓋骨を砕く。拳に纏うは邪術の炎。


「羽は受け持ちやすよ。しかし、アレをやれますか」


「当代随一の吸血鬼殺しより教わった業です。仕損じたとても、道連れにはしましょうな」


 ウドは小さく笑んだ後、細作の動きで地を蹴った。

 無数の棒手裏剣でレガメラの注意を引けば、頭蓋骨の眼窩に宿る炎と目が合う。

 今まで、様々なものの命を奪った。その中で、よく似たものを感じたことがある。

 同業者。中でも異端宗派や正教会の殺し屋たちは同じ目をしていた。虫が獲物を狩るのにも似た、心無い殺意だ。いや、それは殺意ですらないだろう。ただ、目標を決めて殺戮を繰り返すだけの、決められた行為に過ぎない。

 その気配は、ウドに自身が目標として捉えられたことを認識させてくれる。

 考えようによってはやりやすい。世の中には、余所見しながら正確に手裏剣を投げつけてくる者もいる。


『Lahhhhhhhhhhh』


 不可解なことだが、ウドはこの時レガメラの声を聞いた。それは、教会にいる歌い手のごとき清浄な高い音だった。

 人は白い骨になって、それはやがて散り、土へと還る。

 きっと、骨相は清浄なものなのだろう。死は安らぎであると、誰かが言っていた。


「そうかもしれねぇな」


 ザビーネは安らかに逝った。

 リリーは幾度もザビーネの助力を感じているという。

 だからこそ死ねない。

 ウドは自分と同じで、何もかもをなくした女を愛しいと感じていた。

 ザビーネを失った後、何も無いから、何もかもを持つリリーと共にあろうとした。だが、今は、母がいて自らを仲間と呼ぶ姫がいて、骨になるだけの生にも意味があるような気がしている。


『Lahhhhhhhh』


 死を讃える歌には重みが無い。

 化け物に人の気持ちなど分かるものか。

 ウドは自らに向けられたレガメラの手を横に跳んでかわした。自らのいた場所に飛来したのは骨の腕だけでない。鎖鎌が突き刺さっていた。

 走っている馬に同じことをすれば、その勢いがあればあるだけバランスを崩す。

 木に巻きつけられた鎖がピンと張って、レガメラは大地に叩きつけられる。同時に、鎖はレガメラの勢いに負けて弾け飛んだ。


「死人に空は似合わんぜ」


 地に叩きつけられたレガメラの翼の根元に、聖銀の短剣をウドは差し込む。

 じゅうじゅうと焦げるような音と共に、鋼よりも硬いはずの骨の翼を断ち切った。


「アヤメ様っ、とっとと」


 目の前に鋭い爪が迫っていて、転がることでなんとか避けることができた。

 レガメラは立ち上がると同時に、ウドに向かって腕を振っていたのだ。

 すんでのところでかわしたが、代わりに逃げ遅れた奴隷の頭が飛ぶ。

 触れただけでお陀仏とはこのことか。

 神話時代の英雄とはどれほどのものか。こんなものと正面から切り結ぶなど正気ではない。


「はは、英雄の道ってやつか」


 ウドは軽口を叩いて、自分の仕事をこなせたことを知る。アヤメから発せられる異様な気配だ。


「一の座点を解放し、続き二の座点、女陰ほとを締め、背骨より回し、額の座点を開き、心の臓を鬼骨きこつとする」


 アヤメの叫び。

 言葉にすることで、ようやく行える人鬼転化の術である。

 アヤメの両手両足、そして瞳に邪術の炎が灯る。それは司祭が瘴気と呼び忌み嫌う悪の力。

 レガメラのような強大な魔がまとう、防護壁ともなるのが瘴気である。

 瘴気とは、聖銀や魔術でしか対抗できない悪しき超常の力だ。


 火がより大きな炎に飲み込まれるように、同じ質の力であれば、容易く傷つけることができる。

 光にはより強い光で、闇にはより深い闇で。


「かぁっ」


 女のものとは思えぬ太い気合と共に、銀の籠手を嵌めたアヤメの拳がレガメラの腹に突き刺さる。

 隙間なく大小の骨で造られた外皮は、アヤメの一撃で脆くも崩れ去る。


『LALAhhhhhh』


「光満ちて邪は退散せよ。この世に迷い出るなかれ」


 アヤメは聖句で自らの意識を立て直し、更に打撃を見舞った。

 右の正拳、左の掌打。レガメラが大地を踏みしめる気配を見せれば、その膝を蹴り砕く。

 大気の歪むような音と共に、レガメラは膝を突いた。


「奴隷共、槍をもてえええええ」


 ウドまでも見惚れる司祭の連撃だが、アヤメの叫びに我に返る。

 奴隷たちは涙でぐしゃぐしゃになった顔で槍を突き刺し、ウドもまた続く。

 膝をついたことで目の前に迫ったレガメラの貌。

 アヤメは、ほんの一瞬それと見つめ合った。

 凶悪な面相だが、その瞳にはなんの魂も無いのだと直感的に感じ取れた。

 生きるためではなく、ただ命を奪うための存在。そこには善悪など存在しない。


『LAhhhhh』


「そうか、お前の来た地獄に還れ」


 アヤメは全身に充ちる邪の気を奮い立たせ、正拳をその頭蓋に叩き込んだ。

 レガメラの全身が崩れた。骨の塊であるその異形の形は、ただの骨に変じて、ばらばらになった。同時に、骨の兵士たちも、その身をただの骨に変えて崩れ落ちる。

 奴隷たちは、口を開けて槍をそのままに立ち尽くしている。


「やりましたな」


「ぐっ、ふ、ふふ、これが、これを倒すことが、わたしの宿命。ふふ、ウドさん、少し無茶をしました。胸ポケットに入っている青い薬を、とってくださいまし」


「人鬼転化の術、見事」


「世辞より、くすり。鬼気を散らさないと、ほんとに鬼になるわ」


「失礼しやすよ」


「乙女の胸よ、光栄に思いなさい」


「狼の胸から子供をさらうような気分ですな」


 言葉に気をつけてほしいとアヤメは思った。

 ウドに聖光丹を飲ませてもらい、体内に充ちた瘴気を浄化する。寿命を削るような戦い方だ。


「お前たち、勝鬨を上げよ」


 奴隷たちは、「あああ」だとか「おおおお」だとか、言葉にならない叫びをあげた。

 それは、生命そのものの発する音だ。

 讃えるものではない。ただ、そこにあって、生きていることを証明する無垢の声である。




 溝鼠のドガは、自らに骨の剣を振り上げていた骨の兵士が崩れ落ちたことで、助かったことを実感していた。

 司祭の声に振り向いて、呻きとも歓声ともつかぬ声を出しながら、皆のもとへとよろよろと歩いていた。

 助かった。

 あの異常な怪物を、あの司祭が倒した。

 ドガは小心者だった。だからこそ、それに気づいた。

 レガメラの巨大な頭蓋骨に炎が再び宿るのを見たのだ。


「あああああ」


 それを自分が発している声だと気づくのに時間がかかった。

 自分の足は動いている。そして、その両手も。



 アヤメもウドも背を向けていて、それに気づくのが遅れてしまった。

 レガメラの頭蓋骨に再び炎が宿り、その牙を剥いた。


「あああああ」


 すんでの所だった。

 アヤメにその牙を向けたレガメラに、奴隷の、溝鼠と呼ばれた男の振るメイスが当たる。それは、頭蓋骨の勢いを殺した。


「ひ、ひえぇ」


 ドガは悲鳴を漏らして、レガメラに押し返されて尻餅をついた。

 間近で見るレガメラのなんと恐ろしいことか。頭蓋骨だけになっても、その殺戮の意志だけは衰えることがない。

 虫は頭を潰さねば死なない。

 ウドはいちはやく短剣を抜いて、レガメラの額に突き刺した。

 突き刺さるが、内部よりそれを押し返す力があった。


「光は、全ての苦しむ者に等しく与えられん」


 母より教わった聖句が口を突いて出る。

 一度も信じたことのないそれに、一度も縋ったことのない聖句には意味がなかったのかもしれない。しかし、押し返す力は徐々に弱まり、今度こそレガメラに宿る冷たい殺戮の炎は失われた。

 ウドもまたその場にへたりこむ。

 レガメラの頭蓋骨は、ひび割れて粉々に崩れ落ちた。

 誰もが声を発しなかった。

 嘘のような静寂の中で、だれともなく出たのは笑い声だ。


「は、はは、生きてる、は、ははは」


 骨相のレガメラはこうして、地獄へと返されたのである。

 アヤメは力の入らない体で、妖霧の満ちる空を見上げた。


「リリー、後は頼みましたわよ」


 男の取り合いに決着はついていないのだから。





 そこは、廃村であった場所だ。

 今は無数の魔物の亡骸の積み上がる地獄である。


「よお、遅かったな」


 リリーが見たのは、伝説に登場する怪物たちの亡骸の上であぐらをかく赤毛の男である。

 ワイバーン、コカトリス、樹鬼、骨の騎士。お伽噺に出てくる魔物たちの亡骸の上で、その男はへらへらと笑っている。


「貴様か」


 水晶宮で手も足も出なかった男だ。

 帝都の達人であるヤン・コンラートの剣を児戯のごとくいなした、死神を名乗る男である。その手には、師から受け継いだドゥルジ・キィリがあった。


「へへへ、この首飾り、すげえんだぜ。俺の求めてる運命(クエスト)に導いてくれるんだ。強くなったらしいな、あいつと比べてどれほどか、見せてくれよ」


 死神の首元には、カグツチから託されたのと同じ首飾りがあった。

 ゆらりと、死神のジャンは立ちあがる。


「同じ、息吹の剣士か」


「俺は破門されちまったがな。あいつの弟子なんだろ? こないだみたいな、情けない剣だったらリリーちゃんよ、この場でぶっ殺すぜ」


「気安く名前で呼ぶな。で、お前は誰だ」


 死神は笑う。


「死神のジャンって呼ばれてるぜ」


「リリー・ミール・サリヴァン、参る」


 二人の取った構えは、奇しくも同じ地摺りであった。


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