第10話 生誕祭の椿事

 皇帝陛下は後継を指名していない。


 第一皇子が最有力だが、皇孫ディートリンデもまた資格を有している。しかし、女児だ。

 第一皇子の前に、皇子がいた。

 皇帝陛下の唯一愛した女性の宿した子である。

 ラファリアを含めて、他の皇子は皇帝陛下にとっては紛い物として扱われている。政治的な意味合いの強い寵姫を陛下は好まない。陛下にとって寵姫と子を為すのは義務でしかない。

 陛下の注ぐ愛に応えるようにして、真の皇子は二十一の時に子を為して、そして、妻ともども病死した。

 お家争いにすぐさま発展しなかったのは、サリヴァン侯爵家を含む有力貴族やコンラートのような公家たちが立ち回ったことが大きい。

 次期皇帝は未だ決定していない。

 皇帝陛下にとって、最愛の妻と最愛の息子をなくした今、孫のディートリンデにしかその愛は注がれていない。

 ディートリンデは我儘に育った。

 昨年の舞踏会では、踊りの下手な令嬢を面罵するなど、皇孫にあるまじき振る舞いが目立っていた。



◆◆


 ヴィクトール・ベルンハルト伯は、姪の持ってきた話に頭を抱えた。

 心臓を花に変えられた男、シャザムの語る内容は様々な情報と一致する。一時期のラファリアはそれだけ危険な男だった。しかし、ここ数年の奇行が嘘とは思えない。


「一度始まった流れは変えられんか」


 野心と怒りに満ちた者どもの神輿となってしまっているというのが、一番近そうだ。しかし、あの男がいかに動くかとなれば話は変わる。

 ヴィクトールもまた、偉大な兄がいた。

 ヴィクトールは腕っぷしはあれど、学はどうやっても身に着かない性質を持っていた。だからこそ、兄のように家を継ぐということを「したくもない」と割り切ることができた。そして、腕っぷしと忠節があればよいという近衛の長官となったのである。


 ヴィクトール個人は無能な男だろう。事務方に政務を任せ、皇帝の用心棒をしているだけの男なのだ。しかし、衣装がなければ山賊とまで揶揄されるこの大男は、部下に慕われている。

 事務方を任せた者は決して裏切ることなく二十年ついてきた。そして、近衛騎士もまた、ヴィクトールの号令一つで死ねる男たちばかりだ。


「叔父上、ラファリア様への面会は断られました。ディートリンデ様の生誕祭で、やりますか」


 頼もしい姪、リリーが鋭い眼差しで言う。


「左手はどうだ?」


「万全とはいかずとも、生誕祭には間に合わせます」


「何足以内だ?」


「五。いえ、十歩までならば」


 妖精のクリオ・ファトムは何が面白いのか、壁にかけられた肖像画をペタペタと触っている。そして、シャザムはどう口を挟めばいいか分からないでいた。


「兄上への早馬は間に合うまい。俺の首だけですめばよいが」


「その時は、私の首もつけましょう」


「すまんな」


「叔父上は、真っ直ぐな御仁です」


 ヴィクトールはぴしゃりと自身の額を叩いた。


「兄上ならば、ここで『すまん』などと言わんのだろうよ。だが、俺はいつも後で気づくのだ」


「誉めているのですよ」


「小娘が、抜かしよるわ」


 二人はおおらかに笑った。


「貴族様ってのは、あんたたちみたいなのばっかりなのかい?」


 シャザムはどうしてか二人が眩しく思えて、そのように無粋な言葉を吐いた。


「小僧、俺はお前みたいな生き方がしたかったのだ。貴族など、些細なことで首が飛ぶ雀の集まりよ。天下万民のための首ならば、値千金、いや、万金の時に使わねばならん」


「……カッコイイな、あんたらは」


 首一つが千に万。

 シャザムの首は朽ちるだけだ。金に変わるとしたら、賞金首にでもなるしかない。


「人間は面白いね、シャザム」


 妖精は嗤う。

 怪物たちは人を、どのように思っているのか。




 ユリアン・バールに導かれたアヤメは、彼の邸宅で骨の貴婦人に相対していた。

 地下大墳墓に封じられた齊天后せいてんこうマフ。

 この国が始まる以前に大地を治めていた国の妃だ。

 出自の知れぬ魔術を使う美形の女であったという。マフは国王を虜にして民を苦しめ、聖女に討たれた。だれでも知っているお伽噺だ。

 お伽噺の怪物が目の前にいる。


「ほほほ、小娘。苦しゅうないぞ」


 骨の貴婦人は、真っ赤なドレスに身を包んでいた。古めかしい意匠だ。真紅のドレスからは強い瘴気が発散されている。

 マフのドレスは聖人の血で染め抜かれているという言い伝えだ。


「齊天后様においいてはご機嫌麗しゅう」


「よい目じゃ。そなたならば聖女に相応しかろう。ジーンのやつが言うように、この妾が呼ばれたということは、この国はもう終わる時じゃ。アメントリルめはもうおらぬ。貴公らの暮らせる国を作ってやるでな」


 アヤメはユリアンに目配せする。


「マフ様、アヤメ殿を味方にということでよろしいですか」


「よいよい。その黒髪はとても美しい。ラファリフもこれほどの美姫ならば喜ぶじゃろう」


「ラファリア様に、わたくしを」


「そうじゃ。ラファリアに向けるその欲望、そなたのどこよりも美しく、愛しいわなぁ」


 骨の貴婦人、マフは口元を扇子で隠して低く笑った。


「この世を満たすのは欲望じゃ。アメントリルの言う世界の正常化は耳に聞こえはいいが、停滞にしかすぎん。妾は国を越えあまねく世界の欲望を持つ者の力となろう。く、ふふ、ふふふ、いつの日か、天の星にすら欲望は手を届かせるであろうよ」


 齊天后せいてんこうマフ。

 天に等しいと自分自身で名乗った女だ。

 今は無い国に様々な技術を与えたのは彼女だ。今でも広く使用されている治水や冶金技術は彼女がもたらした。

 歴史学者の中には、齊天后マフは実在せず、実際には高い技術力を持った異国人集団であり、架空の人物であるとする者もいる。


「吸血種のユリアンよ、そなたらの一族全てが、いつか日の光を克服する日がくるであろうよ。妾は、あらゆる差別を失くしてやろう。エルフもドワーフもゴブリンもオークも、地獄の悪鬼すら等しく手をとりあう世界を作る。戦いは世界を加速させ、数百年の進歩を勝ち取る炎となろう」


 マフの骨の指が拳を作る。

 力強い拳だ。

 天に掲げたその拳は、虐げられた者の希望となるのだろう。


「齊天后マフ様、我ら吸血種に夜明けを」


 甘言を弄して国を惑わせた。そのようにお伽噺でマフは言われている。しかし、その姿は、怪物であるというのに、狂おしいほどに情熱の篭った力があった。理想に燃えている、ようにも見えた。

 神に祈るように、ユリアンは膝をついて頭を垂れる。

 アヤメもその姿に、頭を垂れた。




「ウド、いるか」


 と、リリーは声を発した。

 シャザムはびくりと振り返って、またも驚いた。

 誰もいなかったはずの場所に、黒装束の小男がいる。


「ここに」


「女細作の使う装束を用意できるか?」


「へい、作れと言われれば一日で」


「生誕祭に剣を持ち込む言い訳を思いついた。素材を用意しろ」


「へい、ようがす」


 ヴィクトールはつるりと頭を撫でて、姪の手なづけた細作の腕前に唸った。

 相対すれば斬り伏せるのはたやすい。しかし、これほど陰に隠れることのできる手合いを見たのは初のことだ。


「叔父上、少し出かけて参ります。用が済めば、体を造りますゆえ、学院はお休みします」


「……相手には気取られんか」


「ラファリア様ならば、私の意志などお見通しでしょう。変わりませんよ」


「よかろう。表向きのことは任せておけ。お前は斬ることだけでよい」


「承知」


 リリーが欲したのは「水」「壺」。そして、食事である。

 護衛の騎士は連れず、大鹿のミラールに乗って向かったのは、公家であるヤン・コンラートの邸宅である。


 旧王領と呼ばれる古都の街並みの残る一画である。

 今なお強い影響力を持つ旧右大臣のコンラート家の屋敷は驚くほど小さなもので、商家が頑張って立てた屋敷、といった程度の大きさだった。

 古風な古都装束を着た女中に取り次ぎを頼むと、庭に回れとのことだ。

 邸宅の脇を通り抜けて庭に向かうと、もろ肌を脱いで剣を握るヤン・コンラートの姿があった。いつもの公家化粧をしていない素顔は、なかなか精悍な顔立ちである。少々歳を喰ってはいるが、美丈夫と言っても差し支えない。


「先生、お休みのところ失礼します」


「おう、かしこまる必要はないでおじゃる。このようなあばら家になんの用じゃ」


 鍛錬の途中であったのか、上気した肌からは滝のような汗が流れ落ちていた。

 庭の中心に突き立てられた太く長い杭に、荒縄が巻き付けられている。大地は踏みしめられて硬い。

 鍛錬の庭だ。さわさわと心地よい風が流れている。


「お話の前に、土産です。食べませんか」


 リリーは持っていたバスケットを掲げて、庭にある長椅子に座った。

 ヤンとリリーはバスケットを挟んで座った。


「ふむ、枇杷の実か」


「道すがら、河原で子供が売っていました。今の季節には美味しいはずです」


 川べりに自生するオレンジ色をした身だ。つるりとした皮を剥くと、瑞々しく甘い果肉がある。大きな種のせいで食べにくく、手が汚れることから貴族には好まれない果実だ。


「雅を分かっておるのう」


 古都の公家は枇杷を好む。手を汚さずに食べる方法を面白がって見つけ出したのが、古都の公家たちである。そんな文化があった。

 リリーはなんのことか分からなかったので、ヤンの言葉には曖昧に笑んだ。

 ヤンは女中を呼んで串を持ってこさせると、器用に皮を剥く。手を汚さずに食べるのを当然としている。

 リリーはあまり気にせず手で剥いた。汚れた手は洗えばいい。

 風がそよぐ中、無言で枇杷を食べた。ヤンが種を口から吐いて捨てるので、リリーもそれに倣う。


「して、何やら剣呑な顔をしておるな」


「気持ちは穏やかですが」


「死ぬ前の顔じゃのう。麻呂に頼みたいことがあるのではないか?」


「はい。どなたか、政治的な関わりの無いドレスの職人を紹介して頂きたい。奇抜なことをさせることにはなります。そして、出来上がり次第、帝都を出てもらいます」


「厄介なことを言う」


「これは、サリヴァン家からのお願いです」


「……よかろう。今日は、剣は無しかえ?」


「先生、お公家様ならば、生誕祭で帯剣を許されております」


 公家は皇帝陛下の前でも帯刀を許されている。国譲りの功績を称える伝統だ。


「言葉を選ぶのも淑女の嗜みぞ」


「師から譲り受けた剣を、預けます」


「麻呂はサリヴァン家とはそこまでの縁は持っておらん。ヴィクトールとは別じゃがな」


「お公家様は、建国より今まで忠節を示していらっしゃいます。公家の皆様をこの度の一件に巻き込むつもりはありません。謀った悪女の名は、私が背負います」


「断ると言ったら?」


「別の手をとりますが、ここの会話はなかったことにして頂く」


 ヤンは椅子から立ち上がり、剣を上段に構えた。

 古都の、今では芸術品として、実用的ではないとされる細い剣だ。

 両手で握り、太陽を背に上段。ヤンの剣はいかなるものか、このような時でも血がふつふつと、燃え上がる。


「せいっ」


 ヤンが剣を振った。

 リリーの目の前を刃が通り過ぎる。

 すらりと、子鬼が両断された。剣に生きる者にだけある幻視だ。


「まだまだ甘いものよな。謀というのはの、半端にやるものではない。麻呂も噛もうではないか。ヴィクトールとも、久しぶりに一献酌み交わしたいしの」


「先生、感謝致します」


「先に話がついていなくては、ヴィクトールが貴公を一人で寄越すものか。もちっと、そなたは宮廷の流儀というのを学ぶべきでおじゃる」


 呵呵大笑するヴィクトール叔父を想像して、リリーは苦虫を噛み潰したような顔になった。年の功とはよく言ったものだ。

 リリーが帰っていくのを見届けた後、ヤン・コンラートは残りの枇杷を手で剥いて、口に運んだ。雅もよいが、こうしてかじるのが一番美味い。


「ヴィクトールめが麻呂に助力を求めるなど、大事にきまっておる」


 友からの文には「姪を見て決めろ」とあった。

 ヤンは妻帯していないことから、養子の口を探していた。公家は滅びゆく宿命にある。政から離れて文化の遺産と成り果てた公家は、コンラート家を含めて、その数をここ百年で大きく減らしていた。

 国の一大事とあれば、ここで立つのも悪い話ではないように思えた。女中に暇を出すだけで、何も気兼ねするところは無い。

 リリーはもう一度謝辞を述べて去った。


「ご主人様、お客人はお帰りですか」


 女中がヤンに声をかけた。


「ああ、茶の用意をしてくれたか。構わぬ、麻呂とそなたで飲めばよかろう」


「使用人ですから、そのようなことは」


「よいよい」


 さて、この女中とも長い。暇を出すとして、どのように言ったらいいものか。

 ひどく、悩ましい。



◆◆



 シャルロッテたちはリリーが休みを取っていることに憤怒した。

 何か一言くらいあってもいいのに、といのが本音である。

 人食い姫が屋敷にこもっているというのは、尾鰭のついた噂だけが先行する結果になった。曰く、子供を磨り潰して食うのに忙しいだとか。


「さすがにそれは無いなあ」


 と、シャルロッテは笑った。

 学院はいつも噂話だけには事欠かない。

 病に伏せっているというのは考えにくいが、見舞いにでも行こうかな、と考える。

 あれから少しだけ変化がある。

 ユリアンとアヤメは相変わらず悪そうだが、フーゴとアーベル、エルマーの双子は急速に仲を深めて、体を鍛えている。女の入れない世界を作っていて、少し寂しい。シャルロッテはボッチ気味だ。


 シャルロッテ自身は喧嘩を売りたくないのに、気が付いたら分かっているのに損をすることを言ってしまう。


 生徒会長様に「杓子定規すぎてクソみたいな規約」と言い放ったことが尾を引いていた。


「あら、シャルロッテ様、ごきげんよう」


 あ、こいつがいたか。

 シャルロッテはにっこりと笑って、わざわざ絡みにきた女子に花のような笑顔を向けた。


「ごきげんよう、グレーテル様」


 グレーテル・トゥラ・バルツアー。サリヴァン家に使える騎士の娘だ。騎士とはいっても、政務や財政面で評価される羽騎士の家である。

 羽騎士とは、武具の代わりに羽ペンを持つことから揶揄される言葉だ。


「お姫様を見かけなかったかしら」


「んー、リリー様ならお休みだけど」


「わたくしも根も葉もない噂と戦っているのよ。サリヴァン家のために」


 知らんがな。

 当の本人にビビって声もかけられないくせに、仲良くしているシャルロッテには絡んでくる。

 子供のころには親交があったという話だが、リリーの性格を考えると名前を憶えているかも怪しい。

 よくよく話をして分かったことだが、リリーという人は仲良くなるために努力をしないといけない人だ。

 頭の中は剣のことが八割を占めている。残りの二割の半分ほどが形だけのマナーで、最後の一割が社交辞令だ。


「そういうのは本人に言ったほうがいいよ」


「ディートリンデ様の生誕祭にお誘いしようと思ってますの」


 立場が逆だ。

 リリーにお願いして、グレーテルが会場に連れていって貰うことになる。上級貴族の宴ではよくあることだ。


「アレ、すっごい肩こるマナー覚えなきゃいけないのに、よくやるわ」


 聖女候補は城に上がって生誕祭に出席せねばならない。ドレスは教会に借りることにした。他の聖女候補は自分で揃えるのだろうけど、そんなお金は実家の商人宿のどこを探しても出てこない。

 無い袖は振れないもの。


「姫様にはとっておきのドレスをご紹介しないと」


「リリーさんはどうだろ。あの人なんだかんだでお洒落にうるさいとこあるもんね」


 剣を帯びていない時は、服装にはそこそこ気を遣っている。

 お仕着せはどうでもいいようだが、市街のバザールへ向かう時は、かなり攻めたセンスを出してくる。胸元の開いたブラウスにはびっくりさせられた。


「ふふん、シャルロッテ様にも職人をご紹介しましょうか?」


「グレーテル様って、なんかすごい打たれ強いよね」


 グレーテルは人の話を半分くらいしか聞かない。根っこは優しいためか、シャルロッテに正面から絡んでくる。ブロンドの髪と釣り目気味の顔立ちに、卑しい所は無い。むしろ、よく見たらふわふわの髪の毛は小型の狩猟犬のようで可愛げがある。


「ほほほ、平民とは違いますわよ」


「そのガッツでリリーさんに話しかけようよ。そんなに怖い人じゃないよ」


「こ、怖くなどありません。そのような不敬なこと」


「じゃあさ、今日焼き菓子作るから、一緒にリリーさんのお見舞いにいこっか」


「焼き菓子ですか、お姫様に下賤なものなど」


「ヴィクトールおじ様もリリーさんも「美味い美味い」って食べてたからいいんじゃない。グレーテル様も一緒に造ろうよ」


「な、なんであなたなんかと」


「あれ、自信ない? 多分、おじ様もリリーさんも贅沢なの嫌がるから、自分で作るとポイント高いけど」


「あなたにできて、わたくしにできないはずありません」


 あ、自分で引っ込みつかなくした。

 グレーテルって面白いなあ。とシャルロッテは悪い顔になった。リリーがいなかったら、関わることがなかった人物だ。ちょっとおバカだし、これならリリーさんとも仲良くできそうだ。


「よし、じゃあ勝負ね」


「ま、負けませんわ」


 顔が引き攣っている。

 生地を捏ねるとこをやらせようかな。

 子供にお料理のお手伝いをさせるのには慣れている。アーベルとエルマーを手なづけた時の方法が、十六になっても通用するとは思ってもいなかった。


 引っ込みのつかなくなったグレーテルを実家に連れていき、厨房で焼き菓子を作ることになった。包丁は絶対に持たせないようにして、生地を捏ねらせると、何やら楽しくなってきたらしい。


「まあ、シャルロッテ様、これはどうしたらいいのかしら? ……聞いてあげてもよくてよ」


「グレーテル様、教えて差し上げますから、次はこの生地をこうして、ヘラで模様をつけたら、ほら、ワンワンになったよ」


「まあ素敵」


 と、このようなやり取りが繰り広げられた。

 元々からして善良な人だ。しかし、こういう人は敵に回ると加減が無い。

 自分の正義を信じられる人は、人を踏みつけることにためらいがないからだ。誰かの取り巻きによくいるタイプで、シャルロッテから見れば、今まで敵になってきた人たちである。

 じかに付き合ってみれば、ただの人だ。良いも悪いも無い。自分の考え方は捻くれすぎなのだろうか。



 サリヴァン家の帝都屋敷に着くころには、グレーテルの肩の力も抜けていた。


「おじ様、お久しぶりです」


 と、ヴィクトールに適当な挨拶をしたシャルロッテに、グレーテルが恐縮してとりなす。なんとも不思議なやり取りだ。


「リリーは、怪我を治しておる。また焼き菓子か」


 鼻をひくつかせたヴィクトールは厳つい顔に、なんともいえない表情を浮かべた。不機嫌そうに見えるが、これは期待している顔だ。


「お見舞いに来たんですけど」


 ヴィクトールが逡巡していると、下男らしき小男がやってきた。


「お嬢様の御加減もよろしいようで、通すようにとのことです」


「ウド、貴様……。好きにせい」


「おじ様、以前より塩味を効かせてあります」


「左様か。頂こう」


 下男が代わりにバスケットを受け取り、道案内についた。

 屋敷の中庭を通って、離れで療養しているらしい。

 中庭を着いていくと、予想していなかった、いや、ある意味では予想通りの光景があった。

 中庭には、見上げるくらいの高さで、子供の拳ほどの大きさの杭が何本も建てられていて、その上を裸足で歩いているリリーがいる。


「よく来たな」


 リリーは笑顔を見せた。

 全身にうっすらと汗をかいている。

 鍛錬のための粗末な衣服は、馬子が着るようなズボンとシャツだ。胸にはさらしを巻いていて、令嬢らしい姿は一分いちぶも見受けられない。


「やっぱり病気って嘘でしたね」


「ん、まあ左手を治すためだ。大きい意味では嘘ではない」


「あ、またなんか変な表現覚えましたね」


 シャルロッテの毒舌に、リリーは口角を釣り上げる。短い間に、すっかり気安い相手になった。

 杭の上から飛び降りて、猫のように着地をしたリリーは肩の様子を確かめている。痛みがあるのか、奥歯を噛みしめていた。


「焼き菓子、持ってきましたよ」


「ん、ああ、ウドが言っていたな。茶でも振る舞おう」


 先ほどの下男はいつの間にやらテーブルなど一式を揃えていた。

 今日はよく晴れている。

 茶を点てて談笑すれば、夕暮れにお開きになるだろう。

 サリヴァン家の帝都屋敷の庭は、大貴族家に相応しい造りだ。この杭と、粗末な離れがその景観を台無しにしているが、それを背にしてしまえば、優雅な午後を過ごせる。


 下男の淹れたハーブティーが各人に振る舞われ、シャルロッテとグレーテルの焼き菓子を食べる。


「……、見覚えがあるが、誰だったか」


「あのう、グレーテル、グレーテル・トゥラ・バルツアーれす」


 あ、噛んだ。シャルロッテは我関せず、まあまあの出来の焼き菓子を一口。ハーブティーにはミルクをたっぷり入れる。貧乏人の飲み方だ。


「ああ、ええっと、一度会ってた気がする」


 リリーはぽんと手を打った。

 十歳くらいの時に、遊んで泣かせた気がする。鬼ごっこの意味が世間一般と違っていたことを痛感した日のことだ。よく覚えている。


「リリー様には、ご、ご機嫌あるわしゅう」


「堅苦しいのはいいよ。他に誰もおらん、気を楽にしてよい」


 グレーテルは何とか喋れているが。目が泳いでいる。


「えっとねー、リリーさん。グレーテル様は、リリーさんと仲良くしたいんだけど、怖いみたいなの」


 涙目になっている巻き毛を見て、リリーも思い出した。

 十歳の時に、足を持って振り回した子だ。びっくりするほど怒られた事件である。ディートリンデ様は喜んでいたし、きっと喜ぶだろうと思っていたら、全く喜ばれなかった悲しい思い出である。


「ああ、思い出した。あの時は悪いことをした。もうぐるぐる回したりしない。安心してよいぞ」


 人聞きの悪い言い方だ。


「あー、なんか凄く想像できた」


 しばし時間を置いて、グレーテルもなんとか喋れるようになった。


「またぐるぐるされると思ってました」


「あれはひどく怒られた。まあそれはいいとして、生誕祭には誰を伴うかは家で決めているのでな。グレーテル、悪いが今年は諦めてくれ」


「そう、ですか」


 歯切れの悪い言い方だ。

 シャルロッテは落ち着かない心持になって、リリーを見た。何か、ある。きっと何か大事な言えないことがある。


「気乗りはしなかったが、学院というのも面白いものだったな」


「またまた、あと二年もあるのに」


 と、シャルロッテが冷やかすと、リリーは小さく笑った。

 今は言えないことなのだろうか。

 グレーテルの期待していた淑女らしい話はなかったが、他愛のない話をして、生誕祭までに体を整えるのだ、とリリーは言った。


 シャルロッテは後に「もっと仲良くなりたい、って互いに思っていたはずです」とその時のことを振り返り語ることになる。





 体内を清浄にすることから、息吹の修行は始まる。

 食べ物、水、血。

 水を張った水瓶の上で木剣を振るのが代表的な修行法だ。しかし、今のリリーは左手の怪我があった。

 ウドの仕入れてきた薬草を塗りこみ、座禅。そして、軽く動く。

 組手はイメージの中でだけ行う。

 先日の教会騎士との戦いを繰り返すが、幻影の騎士に勝てない。

 友の助力、そしてミラールの力が大きかった。

 踏んだ場数、そして内包する力、あらゆる面であの男はリリーを凌駕していた。勝者が敗者に向けて言うべきではないが、純粋な力だけでは二段は上の相手である。

 師が毒に伏せっていた時と同じやり方で治療を試みている。

 離れに気配が湧いた。

 板張りの離れには、リリーしかいない。が、闇の中に誰かがいる。


「ウドか」


「お嬢様、あっしに任せて頂けたら逃がしてさしあげれますぜ。誰にも気取られず、死んだことにできやす」


「やらんよ」


 額から空気を吸い込み。背骨を通して腹から出す。呼吸するイメージだ。


「死んでよしとしますか」


「死にたくないから、こうしているのだ。ウド、お前のことだ。もう調べているんだろう?」


「へい。夜の一族が噛んでおりますな。魔術師らしいもんがいるせいで、深くは潜れませんでしたが、戦仕度は済んでいる様子でした」


「……シャザムと妖精、クリオ・ファトムについては」


「嘘はないようです。アレのおかげで、こちらの動きも見られているようですが」


「細作の類は動いているか」


「もう動いておりやせん」


 ウドが動かなくしたのだろう。


「叔父上の細作とぶつかるなよ」


「そこはそれ、蛇の道は蛇ということで。納得頂いておりやす。お嬢様、なんで死にたがりますか」


「死にたがってはおらんというに。ザビーネも死にたくてやったのではないぞ、ただ命を賭けねばならなかったにすぎん」


「お貴族様の慣例でございましょう」


「はははは」


 リリーは笑った。


「ウド、違うんだよ。叔父上も私も、生まれながらに背負っているのだよ。貴種とはそういうものだ。言葉にしろと言われると難しいが、そうしないといけない。私が逃げては、ご先祖に面目が立たん」


「しかし、命は一つきり」


「当たり前だ。何個もあってたまるかよ」


「では、なぜ?」


「人間は誰しも、八歳の子供だと師匠が言っていた。ただ言葉を覚えるだけだと。八歳の子供に理屈が通じるか? 格好をつけるなら、笑って死ぬためよ」


「……あっしは細作として産まれ生きやした。分かりません」


「お前は八歳で大人になったんだろうよ。別に、私に付き合わんでもよいぞ」


「リリー・ミール・サリヴァン様、わたくしめを配下に加えては頂けませんか」


 ウドもまた、自分では思いもよらぬ言葉が出た。

 薄暗い細作から抜けて、また戻ろうとしている。


「サリヴァン家にか」


「いえ、あなた様にでございます」


 リリーはしばし目を閉じて考えた。

 ザビーネの結んだ奇妙な縁である。


「よかろう。人食い姫の汚名を共に被ろうぞ」


「はは、ありがたきお言葉」


 損得など考えない。八歳の子供のように、ウドは奇縁の道を選ぶ。





 ディートリンデ様の生誕祭は国をあげて行われる。

 国からの振る舞い酒に帝国の民はここぞとばかりに祭りを盛り上げる。

 皇帝陛下が初孫を見る目は優しい。息子が死んだ後は、屍のように生きた皇帝も、この日だけは精気を取り戻す。

 水晶宮と呼ばれる広間で、今年も生誕祭は行われていた。出席者たちは上級貴族に限られる。


「第三皇子ラファリア様のおなぁりぃ」


 宮廷楽士が叫ぶと、正装のラファリアが広間に現れた。

 昨年は道化の衣装を着ていたというのに、今年は正装だ。髪を整え、きりりとした顔付きで出席したラファリアにため息が漏れた。

 常の放蕩が嘘のようである。

 護衛の騎士と、仮面で顔を隠した貴婦人、そして聖女候補のアヤメを連れている。


『皇子や、好きに振る舞うとよい。お前ならば、三百年の進歩を世界にもたらすことができるゆえな』


 赤いドレスの貴婦人が耳元で囁く。

 止められはしない。

 皇帝陛下が腑抜けとなってから、怒りと野心を持つ者たちの炎は大きくなりすぎた。燃え上がるならば、被害は一番少ない方がよい。それに、炎とは再生の意味も持つ。

 一度失敗したからこそラファリアには分かった。

 この国は、帝位の継承が宙ぶらりんになって十年以上が経っている。帝国は、この役を演じる者を待っていた。


「お兄様」


 ラファリアの腰の辺りから声がかかる。

 見やれば、白金色のさらりとした髪に、白金のティアラを乗せたディートリンデだ。玉座から走って、抱きついてくる。


「やあ、お姫様。お誕生日おめでとう」


「お兄様、聞いて。お姉さまがきてくれるの。とっても楽しみにしてたの」


 リリーのことだと分かった。

 ディートリンデがずっと幼かったころ、足を掴んで振り回したのは宮廷での語り草だ。しかし、ディートリンデにとって、それはかけがえのない思い出となっている。


「ああ、サリヴァン家の順番はもうすぐだよ。きっと、綺麗になっている」


「もう。今日はわたしの日なのに」


 ぷくっと頬をふくらましたディートリンデに、ラファリアは笑みを浮かべた。

 昔は、この娘が殺したいほどに憎くて仕方なかった。女帝になるという未来がそれだけ憎かったというのに、今はただの子供にしか見えない。


「でも、楽しみだろう?」


「うん、早くお会いしたいな」


 赤い貴婦人がラファリアの袖を引っ張った。


「ああ、今日は僕からもとっても珍しいプレゼントがあるんだ」


 籠に入れた邪妖精である。

 これを渡して、意のままにディートリンデと皇帝を操る。


「えっ、どんなの」


「陛下と一緒に並んでいる時にプレゼントするから、もう少し待っておいで」


 穏便に済ませたい。

 これが失敗すれば、なし崩しにこの会場で『マフ』という化物が暴れることになる。

 以前前世にも行ったから分かる。宮廷魔術師と神官では、この化物に太刀打ち不可能だ。それでも、譲歩させた。

 魔に支配されたという風聞はよくない。魔を支配下においた第三皇子が、うつけのフリをして帝位を簒奪する。

 これなら、帝位についた後も諸外国に睨みを利かせられる。しかし、この化物は戦争を望んでいる節がある。

 頭の痛いことだらけだ。


「リリー・ミール・サリヴァン様のおなぁりい」


 物思いに沈んでいたラファリアが目をやった。

 リリーの代わりに、近衛騎士たちが大きな壺を運んでくる。

 ざわめきが漏れた。

 奇抜な演出というのは珍しい話ではないが、令嬢が行うというのは稀だ。そして、あの壺はなんになるのか。

 ざわめきのなか、公家のヤン・コンラートが前に出た。


「陛下、並びにディートリンデ様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。学院での教え子であるリリー殿と麻呂で、此度の祝いに相応しい舞いをご用意させて頂きました。是非、ご覧頂きたく」


 ディートリンデはパッと顔を明るくして、陛下の元へ走った。

 玉座に陛下が側近に耳打ちして、許可がなされる。


「古都の記録にもある息吹の舞いにございます」


 ヤンの手配した楽士が音楽を奏でる。

 聞いたことのない不思議な音色であった。

 リリーは音楽に少し遅れてやってきた。

 どよめきが漏れる。

 肩から胸元を大きく開いた、大胆というものを通り越したドレスだ。大きく足を見せる、スリットの入ったスカートも宴の席で令嬢の着るものではない。

 体にぴったりと張り付く、飛龍の革を用いた衣服で手足を覆い隠しているが、扇情的ともとれる破廉恥な意匠である。

 リリーは、自分の背丈より大きな壺に飛び乗った。

 ヤンが腰に挿していた刀を抜くと、リリーに向けて放り投げる。



 剣を受け止めたリリーは、壺の上で踊る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る