第25話 問題発生!?②

 2人はザッハトルテをきれいに平らげた。ケーキの皿を流しに運び、晩ご飯の皿をリュウが洗い、もと子が拭いた。最後の皿を拭いていると、不意に後ろからリュウが抱きしめてきた。

「もとちゃん、俺のもとちゃん。…エエか?」

「?…はい。」

「うん、ちょっと待っててな。」

小首を傾げ、うなずくもと子をもう一度抱きしめると、リュウは隣の部屋に入り、フスマを閉めた。しばらくして、フスマを少し開け、リュウが出てきた。もと子の手を取ると部屋に招き入れた。部屋はカーテンを閉められ、カーテンの隙間から漏れる街灯の灯のみ薄暗く照らし出している。いつもリュウが使っているセンベイ布団と掛け布団がひかれていた。

もと子は初めて、先程のリュウの問いかけの意味を知った。リュウは硬い表情のもと子を抱きしめ、軽く唇を重ねるともと子を押し倒した。キスして耳元でささやいた。

「もとちゃん、好きや。」

首筋まで唇をそわせ、右手でもと子のセーターをまくしあげ、背中に手をまわし、ブラのホックを外しそうとした。すると、

「ごめんなさい、怖いです。」

もと子が泣き出し、リュウに抱きついてきた。リュウは驚いた。体を離してもと子をあらためて見ると、両手で顔を覆い隠し、泣きじゃくっている。

「あ、あ、もとちゃん、ゴメン。ゴメンな。」まくしあげたセーターを急いで下ろして、座らせた。

「もうなんもせえへんで、ゴメン。怖かったな。」

頭を下げたリュウはどうしていいか途方にくれた。少し落ち着きを取り戻したもと子はまだすすり上げながら、ポツリポツリと話し始めた。

「わ、私、男の人と付き合うの初めてで、だからこういうの初めてなんです。泣いてしまってごめんなさい。私、頑張ります。だからリュウさん、私を嫌いにならないで…」

もと子は涙を拭いながら、リュウの腕にすがりついた。

「もとちゃん、俺がもとちゃんを嫌いになるわけないやろ。俺がもっと気をつければよかってん。ゴメンな。もとちゃんこそ俺を嫌いにならんといてな。」

リュウはもと子を抱き寄せた。そして、心の中で呟いた。

うーん、弱ったな。

もと子の頭を自分の胸にもたれさせながら思わず天井を見た。


 先日の夜以来、本当はもと子に嫌われたのではないか、恐れられているのではないかとリュウは心配になった。しかしどうして扱って良いものかリュウは頭を悩ましていた。そこで高級クラブで店長の経験があり、女の扱いに慣れている先輩のロキに相談しようとラウンジに呼び出した。

そのラウンジは瀬戸がロキや津田、リュウたちを時々連れて行く店で賑やかな表通りから一本路地に入った隠れ家のような佇まい。シルバーの素っ気ないドアを開けると黒とシルバーを基調にした都会的な雰囲気を醸し出す。リュウが約束の時間の少し前にドアを開けると、その黒いスツールの一つにロキが既に座っていた。

「ロキさん、お忙しいのにお呼び立てしてすみません。」

「かまへん。なんや、俺に相談って珍しいな。」

ロキは高級なダークスーツをピタリと体に張り付かせる普段のスタイルではなく細身の黒いパンツにグレーのカシミアのセーターを粋に着こなし、隙のない仕草で水割りを傾けた。

「実は今付き合ってる子のことで、ちょっと困ってるんですよ。ロキさんなら、いろんな女の子見てるからわかるやろと思って、すんません、教えてください。」

リュウは礼儀正しく頭を下げた。

「もと子ちゃんやろ?看護師になってお前んちから寮に引っ越す時、うちのバン貸した子やんな?スゴイ真面目って聞いてるけど。」

ロキがもと子とリュウが付き合っていることを知っていたことに驚き、リュウは頭を掻いた。

「ご存知なら、話が早いです。この間、付き合い始めて初めてうちに遊びに来て、一緒に晩飯作って食ったんですよ。いい雰囲気になって、押し倒したらコワイって泣かれて。男と付き合ったことなかったんで、気を付けてたつもりだったんですけど…俺、今まで向こうから急かされることはあっても、怖がられるなんて事なかったんでどうしたらいいのか、ホント、わかんないんですよ。」

リュウは心底困ったように口をへの字に曲げた。そんなリュウの様子にロキは面白そうにククッと笑った。

「なんやお前、めんどくさいなら捨てろよ。」

「何言ってんすか!捨てられるなら相談しませんよ。ずっと妹みたいに大事にしてきた子なんで、嫌われたら俺、立ち直れないです。」

今までゴージャスな美女を次々と侍らせて貢がせてきたリュウの情けない声にロキは声を殺して大笑いした。

「まあ、お前は今まで肉食系の虎みたいな女ばっかり相手にしてきたからな。まあ言ってみれば狼がウサギを相手にどうしていいのかわからんで困ってんねんなあ。」

ロキは目に涙を滲ませて笑っている。

「虎と同じアプローチしたらウサギは一発で死ぬで。」

「イジメないでくださいよ。俺、本当にどうしていいかわかんないんすよ。」

すまん、すまんと目尻の涙を拭うと笑いを噛み殺しながらロキは姿勢を正した。

「で、もと子ちゃん、もうお前に会いたくないって?」

「一応、まだ嫌われてはないみたいです。なんか、俺の匂いがすると安心するらしくてくっついてくるんで。とりあえず、怖がらせてゴメンと謝ってはきたんですが…」

リュウは必死な眼差しでロキを見ている。

「あー、何が嫌われてないや。全然大丈夫やんけ。少しずつ相手にいいかどうか聞いて、相手のペースに合わしたったら大丈夫や。アホくさ。俺、何しに来てん。」

「うーん、そうですかあ。ボチボチですか。」

リュウは困ったような顔のまま腕組みをした。水割りを美味しそうに一口飲むとロキはリュウに顔を向けた。

「大事にしたいと思うんなら、それぐらいしてやれ。お前が今まで女たちにそいつら好みに仕込まれてきたんやから、今度はお前がもと子ちゃんをお前の好みに仕込んだらエエやないか。女のこんな事で悩むなんて初めてやろ?そこまで好きな子ができるなんて、いわば贅沢な悩みやで。」

ロキは柔らかく微笑みながら困り顔のリュウの肩をたたいた。

「お前となかなか、さしで話す機会もないし、今日は飲も。」

「そうですね。いろいろ御指南して下さい。」

「アホぬかせ!女たらしのお前に俺がなんのレクチャーできるねん。」

「いやあ、俺なんかロキさんの前では相変わらずの中坊ですよ。それにしても、今日の雰囲気、いつものロキさんと違いますね。ロキさんって高級なスーツってイメージなのに。」

「お前なあ、休みの日の夜にあんなスーツ着て飲みに行ったらどこの女と会ってる?って嫁に殺されるやろ。明日の朝には俺、冷うなっとるわ。」

ロキは苦笑いをした。いつも会うロキは女の子をビジネスの道具のようにしか思ってない。そんなロキがまさかの一目惚れの駆け落ちで一緒になったのが嫁の香里。香里はもの静かで品を感じさせる女だった。

「香里さんにはそんな事、無理でしょ?」

「2人も子供産むと女も変わるで。もう強い、強い。」

ロキは嬉しそうに笑った。

「そうや、一緒に写メ撮るで。お前とおるところ写メして送れって、香里に言われてんねん。早よ送らんと家庭の危機や。」

ロキはリュウと肩を組み、乾杯したところを自撮りで写真を撮り、早速香里に送った。

結局、1時間もしないうちに香里が怒り出さんうちに帰る、とロキが言い出した。駆け落ちして結婚した香里は親に育児を助けてもらうことも出来ず、ロキがいない時は1人で頑張っているらしい。

「すまん、そろそろ香里の限界来るわ。他に俺に相談しときたいことあるか?」

「いえ、もう大丈夫です。あ、これ、香里さんに。」

リュウは近くの人気のパティスリーで買った焼き菓子の入った紙袋をロキに渡した。

「すまん、気が利くな。ありがとう。アイツ喜ぶわ」

ロキはカラフルな紙袋を手にした。

「なんかあったら、またいつでも声かけろよ。」

ロキは柔らかい笑みを浮かべるとスルリとスツールから下り、リュウの肩を軽く叩き、ドアを押した。


 ロキに相談してリュウは腹を括った。これからは少しずつもと子が受け入れられるペースで付き合っていこうと。

もと子と付き合い始めて、もと子は気軽に家に呼べるし、リュウの稼ぎでできる程度のプレゼントで大喜びする、もと子との付き合いは想像以上に楽と実感した。例えばコロンがそう。今までの彼女はみんな付き合い出すと自分が選んだ香りをリュウにプレゼントし、身に着けてほしいと言う。リュウは私の男だとみんなに自慢したいから。初めての彼女のリリコでさえ、別れてパリに行ってからも誕生日には必ず付き合っている頃にリリコが贈ったカルバン・クラインのコロンを贈ってくる。だがもと子だけはリュウが自分自身のために選んだ香りを自らも着けたいとリュウに寄り添ってくる。リュウはもと子をいとおしいと思う自分に気づいた。


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