第19話 伯父さん現る①

伯父さん現る


 職場にも少し慣れ、看護師一年生として忙しく働いているある日、仕事に行く途中、もと子が病院へと歩いていると、不意にスマホのバイブがなった。急いでバッグからスマホを取り出すと知らない番号からの着信。誰だろう?電話に出るつもりはなかったが、なかなか相手もしつこい。仕方なく用心しながら電話口に出ると、それは死んだ母の兄である伯父からであった。

「もと子ちゃん、久しぶり。看護師になったんやってなあ。立派になって、死んだお父さんもお母さんも天国で大喜びやと思うで。」

今まで何の連絡もなかったのに、親しげに連絡してくるとは一体何事?以前、リュウから伯父さんには用心した方がいいと言われたことを思いだし、もと子は緊張を悟られないよう注意をした。

「ご無沙汰してます。何のご用ですか?」

「いきなりやなあ。久しぶりにもと子ちゃんの声を聞いたんやで、最近はどうしてるとか聞きたいやんか。」

「どこで番号を調べたのか知りませんが忙しいので切りますね。」

もと子が携帯を切ろうとすると、慌てた声が電話口から聞こえて来た。

「あんたのお祖母さんが死んだんや!」

死んだと言われて仕方なく再度、もと子は携帯に出た。

「それで?」

「それでって、あのなあ、婆さんが死ぬまで入ってた施設の費用が借金になってんのや。お前もこの借金の半分を持たなあかんて言うことなんや。」

もと子はいきなり借金を背負わされる話に鼻白んで、息を飲んだ。

「はあ?なんで会ったこともないお祖母さんの借金を払わないといけないんですか?おかしいですよね!」

「借金も相続されるって事なんや。俺とお前の母親が相続人やから、ホンマはお前の母親が払わなあかんのやけど、死んどるから子供のお前が払わなあかんと言うことなんや。」

「,,,いくらなんですか?」

「300万や。」

「,,,嘘。」

「嘘やない。でもな、今やったら相続放棄の手続きをしたら払わんでええねん。これも手続きの期限があるから急がないとアカン。近いうちに会って詳しい話するわ。」

それだけ言うと伯父は来週会うよう決めてきた。

もと子は頭を混乱させたまま取り合えず病院に向かった。返さねばならない奨学金がこんなにあるのに。万が一、今の病院を年季明けまで務めきれなかったら病院からも借金が出来てしまう。総額を考えると恐ろしさに身が震えた。

ロッカーでナース服に着替えた後、ふとスマホを見ると誰かからメッセージが着信していた。スマホを開けると、それはリュウからの着信だった。

「料理教室、いつにする?」

のんびりしたメッセージにもと子は思わず返信を書いた。

「リュウさん、伯父さんから連絡ありました。来週会うことになりました。どうしよう?」


 トイレで手を洗っていたリュウはスマホが震えるのに気づき、ズボンの尻からスマホを取り出した。画面を見て、大急ぎで返信をした。

「落ち着けもとちゃん。何を言われたかメールして。」

もと子に返信してすぐ、津田に連絡を入れた。

「津田さん、津田さんの言った通りになったで。もとちゃんの伯父さん、もとちゃんに接触してきたわ。もとちゃんからの連絡が入り次第また連絡します。」

「やっぱりなあ。」

そう言うと津田はフフフと笑い、電話口で舌なめずりをした。

「もと子に言っとけ。一緒に伯父さんと会ったる。俺が着くまで、絶対に何もするなってな。」

そして津田はもと子と伯父さんが会うときに一緒に立ち会うと約束した。


 駅前通りから少し離れた所にあるファミレスはお昼時を過ぎて家族連れの姿が減り、騒々しさは一段落した。通りに面した席は明るい陽射しが差し込み、店内はのんびりした雰囲気が漂っていた。その一番奥の席に伯父の棚橋祐介が座っていた。ファミレスの入り口でキョロキョロしているもと子に棚橋は大きく手を振った。軽く会釈して棚橋の席に行くと、久しぶりに会う棚橋は白髪混じりのゴマ塩頭になっていた。以前会ったときは白髪なんてなかった。中肉中背というのは相変わらずだったが。今日は青に白とグレーのラインが入った綿シャツに濃いグレーのスラックスをラフに着ており、テーブルのコーヒーを飲みながらもと子を待っていたようだった。

「久しぶりやなあ。いやあべっぴんさんになって、お母さんにますます似てきたなあ。」

棚橋は微笑むとタレ目が垂れて、ますます人のよさそうな顔になった。

「まあ、座りいよ。今日はな、相続放棄の手続きの書類を今、作ってくれてる弁護士さんがもと子ちゃんの名前をきちんと分からんと書類が出来上がらんといわはるから、ちょっとここに名前をフルネームで書いてくれるか?」

「私の分の相続放棄の手続きも伯父さんがしてくれるんですか?」

「自分の分の手続きするから、ついでやな。まあ実費はもと子ちゃんにお願いするけど、心配要らんよ。しれてるわ。」

「いくらぐらいですか?」

「実際、弁護士先生に聞かんとわからんから後で聞いて連絡するわ。まずは書類作ってからでないと金額わからんなあ。」

「,,,」

「ということでな、ここに名前を書いて。弁護士の先生に渡してくるから。」

棚橋はとも子の前に何も書いていない真っ白な紙とペンを置いた。津田とリュウはまだ来ない。もと子は何度も振り返ってファミレスの入り口を確認したが二人の姿は見えない。もと子が落ち着かない様子でなかなか名前を紙に書かない事に棚橋がイラつき始めた。

「もと子ちゃん、なんで書けへんのん?名前を書くだけやんか。」

棚橋はひきつった笑顔を見せて、もと子にペンを握らせた。

「さあ、さあ。」

笑顔で圧力を強めてくる棚橋に、ついペン先を紙に置き、名字を書き始めてしまった。

姓まで書いて、一旦、ペン先を浮かせると棚橋はもと子の手を握り、再び書くようペン先を紙に近づけようとした。

「早う書きや。名前ぐらいすぐ書けるやろ。」

もと子が拒もうと、手に力を入れたが、とうとうペン先が紙についてしまった。と、その時、もと子の後ろから大きな怒鳴り声が聞こえた。

「もと子、何しとんねん!?」

もと子と棚橋が声のする方へ顔を向けたと同時に、ビシッ!傘の先でもと子は手を叩かれてペンを落とした。

「もと子!俺が着くまで何もするなと言うたやろが!ボケナス!」

赤くなった手を擦りながら、見上げた。するとこめかみに血管を浮き立たせ眉間にシワを寄せ、鬼のような顔をした津田が傘を持って立っていた。そのすぐ後ろに、目をすがめ、これまた見たこともないような冷たく恐ろしい顔をしたリュウが珍しくダークスーツを着て立っていた。

津田はホワイトグレーにストライプのいかにも高そうなスーツに身を包み、棚橋と目が合うとスーツの内ポケットから名刺入れを取りだして一枚名刺を抜き、棚橋に渡した。

「これはこれは、もと子さんの伯父さん。俺はもと子さんの代理人の津田です。後ろにいるのは助手なんで気にせんといて下さい。」

そう言うと自分はもと子の隣にグリグリとお尻を押し込んだ。棚橋の隣にリュウもグリグリとお尻を押し込み、棚橋がとまどうのもおかまいなしに隣にドッカと座った。

「もと子ちゃん、代理人なんておったん?なんも代理してもらうことなんて無いよ。おっちゃんに任せとき。」

少しあせったように棚橋はもと子に津田の解任を勧めると今度は津田に笑顔を向けた。

「せっかく来てもらったのに悪いけど、代理してもらうほどのことは無いんでね。帰って下さい。姪の事は私がちゃんとしますからご心配なく。」

この言葉に津田は片方の眉を上げ、棚橋を睨み付けた。と、とたんにニコリと顔を緩めた。

「いやあ、ご心配なく。もと子さんからお話をお伺いして判断します。お受けしないときはタダですから。」

微笑んだまま、クルリともと子の方へ顔を向けた。

「もと子、何の話を伯父さんから聞いたんや?」

「お、お祖母さんが死んで、介護費用の借金があって、私が300万の借金を相続しなければいけないけど、今なら相続放棄の手続きをすれば借金がなくなるので、伯父さんが代わりに手続きをしてくれるそうです。」

「そうかあ、で、なんで真っ白な紙に名前を書いてた?」

「手続きするのに、書類作ってくれる弁護士さんが私の名前をフルネームでちゃんとわからないと書類を作れないので、この紙に書いてって言われました。」

「それで書いてたんか。そやけどお前、きったない字やなあ。」

津田はもと子の書きかけの紙に手を伸ばした。それを見た伯父は、慌てて紙に手を伸ばした。が、すばやくリュウの手が棚橋の手を押さえた。棚橋があと一歩というところで津田に紙を取られてしまった。

「もと子、人に見てもらうなら、もっときれいな字を書かなアカンなあ。これはもらっとくわ。伯父さんには後からゆっくりきれいな字で名前書いて渡そう。な?」もと子の頭を軽くコツンと小突くと、ニコリと微笑みながら声をかけた。

「おお、そういや棚橋さんはお名前何ていうんです?」

「ゆ、ゆうすけです。」

「どんな字ですの?」

「示すへんに右で、ゆうです。すけは,,,」

「はあ?示すへん?俺、アホやし、わからんなあ。リュウ、お前わかるか?」

リュウは相変わらず恐い顔をして首を左右に振った。

「あ、示すへんって,,,」

もと子は言いかけて、テーブルの下で思いきり津田に足を踏まれた。

「棚橋さん、もと子も俺らと同様、アホやから名前の字がわかれへんのですわ。すみませんけどね、これからもと子が棚橋さんと親戚づきあいするにあたって字がわからんと困るからこの紙に書いてもらえませんか?」

津田はカバンから、棚橋が出してきたのと同じような白い紙とペンを出してきた。

「後から見て誰の名前かわからんようになると困るからフルネームでお願いしますわ。」

棚橋は渡されたペンを仕方なく握ったまま、紙の上でためらっていた。

「棚橋さん、もと子には書かせたのになんで自分は書いてくれませんのん?ま、まさかなんか企んでたとか?」

津田は棚橋の顔を下からのぞきこんだ。

「棚橋さんって怖いわ!」

わざとらしく津田は言うと、もと子にしがみついた。目をキョロキョロさせオロオロするもと子の姿を見てリュウの目がますます、すがめられ、横の棚橋を睨みつけた。

「なんもないならサッサと書けや、オッサン!もと子が困っとるやろが!」

凄みの効いた低い声で目を三角にしているリュウに覗き込まれ、とうとう棚橋は震えながらフルネームで名前を書いた。

「ありがとうございます。もと子が無くすとアカンから、これは俺が預かっときます。」

いやあ、エエ名前ですなあ、と取って付けたように言うと津田は”棚橋祐介”と書かれた紙をサッサとカバンになおしてしまった。

「あ、そうや。もと子の名前はひらがなの”もと”に子供の”子”ですわ。簡単でしょ?小学一年生でもわかります。あら?これでもと子は伯父さんに名前を書いた紙をワザワザ渡さんで済むなあ。汚ない字で伯父さんの目を汚さんで済んだなあ。良かった、良かった。」

津田の言葉に、驚きを隠せず目を真ん丸にしている棚橋に笑顔を見せ、もと子の肩をバシバシ叩いた。

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