関係が改善する兆し

 私は目を眇める。


「……お母様。あなたは私のせいでいろいろなものを諦めてきたと仰いました。それは私にも言えることです。それに、あなた方が私とセシリアを憎み合うように仕向け、セシリアに一生消えないような心の傷を植え付けた。セシリアは私に贖罪を求めました。お母様、あなたはセシリアを罪人にしたかったのですか? 愛しているといいながらその所業は何なのです? その上、私が男じゃなかったからといって、どうして私が憎まれるのですか? あなたが産む子どもの性別を選べないように、私だって生まれる時に性別を選べたわけではありません。セシリアだけはあなたの味方? 何を言っているのです。あなたは自分可愛さにセシリアにさえ背を向けた。あなたの味方はあなただけでしょう!」


 一気にまくし立てて息継ぎを忘れた。そのくらい私は腹が立っていた。感情的になって頬を熱い涙が伝う。その涙をイライアスが拭ってくれ、頭に上った血が下がった。


「あ……。申し訳、ありません。見苦しいところをお見せして……」

「いや、いいんだ。もしかしたらまた、ヒースロット夫人を追い詰めた自分が悪いと言いだすんじゃないかと心配していたから……。これは君の責任ではないと、私は客観的に見て思うよ」

「……ありがとうございます」


 お母様も家の犠牲になったのだろうとは思う。だからといって、その鬱憤を晴らすためだけに利用されたことは許せない。


 綺麗な感情だけを見るのは幸せだ。だけど、そうやって醜い感情から目を逸らしては、また同じことの繰り返し。最終的には全部私が悪いとなってしまう。


 もうこれ以上、セシリアが、お父様が、お母様が、この家が歪んでいくのを見たくはなかった。過ちを正して前へ進みたい。私はこれからもこの世界で生きていくのだから──。


 お母様は滂沱の涙を流しながら、恨めしげに私に言う。


「……っ、お前に、何がわかると、言うの! わたくしがどんな思いで、生きてきたと……!」


 私は目を伏せて笑う。お母様の言葉が皮肉にしか聞こえなかったからだ。


「お母様……むしろ、私が一番お母様の気持ちを理解できるかもしれません。あなたがどうにもならない理不尽を押し付けられて耐えたように、私もあなたによってどうにもならない理不尽を押し付けられてきたのですから……」


 そう。お母様は確かに被害者だったけど、私にとっては加害者だ。お母様もそのことに気づかなくてはいけない。


「お母様、もうやめませんか? お母様が心を閉ざしてお父様や私やセシリアに背を向ければ向けるほど、お母様は独りになってしまう。お母様が見方を変えれば、お母様は独りじゃないと気づくはずです」


 セシリアはお母様を嫌いなわけじゃない。お母様を慕っていたからこそ、お母様を疑わざるを得ない状況が許せなかったのだろう。きっとまた仲のいい親子に戻れるのではないかと私は思う。私とお母様は無理かもしれないけれど──。


 セシリアは立ち上がり、お母様を抱き締める。


「お母様……。私はお母様やお父様が私やアリシアにしてきたことは許せない。でも、お母様の辛さは、同じ女として何となくわかるの。きっと、お父様にも裏切られたような気がしたのよね。だけど、私もアリシアも、あなたの思い通りになる人形じゃない。私たちの心を無視しないで」

「あ、ああ……ああっ……!」


 お母様は泣き崩れ、セシリアを抱き返した。そんな二人の姿を見て、羨ましくないと言ったら嘘になる。


 私もこんな風に愛されたかった。だけどそれも過去のこと、そう気持ちが変化していることに気づいた。


 愛されたいではなく、愛されたかった。私の時間はもう以前から止まっていたのだろう。そこから前にも進めず足踏みをしていた。それがようやく終わったのだ。


 寂寥感はあるけれど、どこか清々しい。


 私は自分を支えてくれているイライアスの手に自分の手を重ね、体を捻ってイライアスの顔を見上げて笑う。


「……あなたのおかげです。ありがとうございます」

「いや、私は何も……。だが、これでよかったのか?」


 イライアスは抱き合うセシリアとお母様、お父様を交互に見る。その表情は険しい。


 イライアスの目には、結局私は謝罪もされてないし、家族の一員として認められていないように映るのだろう。だけど、私はそれでよかった。


「ええ、いいんです。長年かけて歪んだものがそう簡単に元に戻るわけがありません。最初の一歩としてセシリアと分かり合えましたし、これからゆっくりと変えていけばいい、そう思います」

「アリシア……」

「それではお話は終わりですね。私とイライアス様はこれで失礼いたします」


 行きましょうと、イライアスの腕を叩いて部屋を出ようとした。その時──。


「……私は、厳しさを知らないと苦労すると思ってお前に厳しく接したが……間違いだったのか?」


 悄然と肩を落としたお父様が呟く。お父様の思う厳しさと私が思う厳しさはもしかしたら違ったのだろうか。私はそれほどまでにお父様やお母様に嫌われているのかと思っていたけれど、お父様にはただの親心だったのかもしれない。これも言わなくてもわかるだろうと、お互いの関係性に甘えたから生まれた齟齬と言える。


「……私にはわからないので答えられません。そもそもその問いには正解があるのですか? それにお父様がかつて仰ったではありませんか。他人に答えを委ねるなと。当主であるからには自分の言動に責任を持たなければならない。お父様もじっくりご自分の問題に向き合ってください」


 冷たいかもしれないけれど、私にはそれしか言えなかった。与えられた答えに甘んじるようでは、これからのお父様の決裁に不安が残ってしまう。お父様が当主である限り、それは避けたい。次期当主ではなくなったとしても、私にも家を思う気持ちがあるのだ。


 私の言葉だから無視するかと思ったけど、お父様は静かに頷いた。


「ああ、そうだったな……。私がそう言ったんだ……」


 それきり黙ったお父様に背を向けて、私とイライアスは部屋を後にした。

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