わだかまりが解ける時

 セシリアはほっと息をつくと笑った。


「ええ、もちろん。突然そんなことを言われて、はいそうしますって言える方がどうかしてるわ。あなたが前向きに検討してくれる気持ちになっただけで嬉しいわ」

「だけど、あなたがそんなに子爵家を大切に思っているとは思わなかった」

「……ううん、そうじゃなくて、思えるようになったのよ。正確には子爵家ではなく、領民の方々だけど。私ね、海に落ちてから漁師の方の家でご厄介になっていたの。最初の頃は海に落ちたせいで思い通りに動かない体に苛立って、アリシアを憎んだし、その家の方々に八つ当たりもしたの。今思うと本当に嫌な奴だった。私がアリシアを突き落とそうとしたことを棚に上げて、お世話になっているのにそれが当たり前であるかのように振舞って。だけど、その家の方々が根気よく教えてくれた。貴族としてではなく、人としての良識をね。駄目な時は叱ってくれて、できた時は褒められる、そんな当たり前のことがすごく嬉しかった」

「……その気持ちはよくわかるわ。私もこの家に来て、初めて知ったの」


 ヒースロットの屋敷にいた時は、ずっと孤独を感じていた。後継者だと言われていても、お前の代わりはいくらでもいるとでも言わんばかりの扱いだったように思えた。私の被害妄想だと思いたかったけど、セシリアが海に落ちてから、それが事実だと思い知らされたのだ。


「ええ。私もその家でご厄介になって初めて、アリシアがどんな気持ちでヒースロットにいたのかを考えるようになった。あなたは、お父様とお母様と私が三人で城下に遊びに行く時も、いつも一人だけ屋敷に残って勉強していたでしょう?」

「……ええ」

「私はずっと、アリシアが羨ましかった。生きる目的があって忙しそうで。私はただ、愛玩されるためだけに生まれてきたようで、すごくつまらなかった。あなたは難しいことなんて考えなくてもいいのよ、愛されることが女の幸せだなんだとお母様に吹き込まれて。お母様は、私やお母様と対極にあるアリシアを見下すことで、自分が劣っていないと思いたかったんだと思う。それがどうしてなのかはわからないけれど。だけど、そんなのは間違ってる。誰かと比べてもみんなそれぞれ立ち位置が違うのだから、優劣を付けたところで意味がないんじゃないかって思うの。まあ、これもお世話になった方の受け売りなんだけどね」


 セシリアはそう言って肩を竦めて笑う。自然に綻んだようなその笑い方で、今のセシリアが充実した生活を送っていることがわかって嬉しかった。


「よかった……。あの時、あなたにイライアス様のことをお願いって言ったでしょう? 自分が自分でなくなる時間が増えて、私は近いうちに消えるってわかったから。私もセシリアを演じて初めて、あなたの苦しみを知った。どうしてあなたが生きているうちにもっとわかり合おうとしなかったのかって後悔したの。私が消えるならせめて、あなただけでも幸せになってくれたらって……」


 と、ここで私は言葉に詰まってしまった。セシリアが唇を噛み締めて俯いたのだ。その頬に光る一筋の涙。


「セ、セシリア? ごめんなさい、私、また気に障ることを……?」


 セシリアは黙って首を左右に振る。違うようだけど、どうして急に泣き出したのか。私は慌ててセシリアの隣へ移動すると、持っていたハンカチで涙を拭う。


「イライアス様をお願いって言った私が、結局イライアス様と一緒にいるから説得力はないわね。本当に私は……。振り回してごめんなさい」


 段々と声が小さくなってしまった。妹の方がしっかりしている。情けなくて項垂れると、セシリアが勢いよく抱きついてきた。


「セシリア……?」

「……っ、欲しかったものはこんなに近くにあったのにっ……。私は、馬鹿だから気づけなかったっ……。私は、ずっと、自我のある、一人の人間として、愛されたかっただけなのっ……。お父様も、お母様も、私を私として愛してはくれなかったっ……。私をっ、心から思ってくれたのはっ、アリシアだけだったのにっ……。私は……っ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

「セシリア……」


 私もセシリアの背に腕を回した。


「あなたの苦しみに気づかなくて、ごめんなさい。あなたを海に突き落としたことが、私は一番自分で自分を許せない。本当に、ごめんなさい。……あなたが、生きていてくれて、本当によかったっ……」


 じわりと私の目にも涙が浮かぶ。生きていてくれたからこそ、こうしてわかり合うことができるのだ。だから、私がセシリアを殺そうとした罪は赦されない。


 だけど、セシリアは抱きついたまま、首を振る。


「……私は、あのことがあったからこそ、傲慢な自分に気づけたし、自分の生きる意味を見出すことができたの……。だから、アリシア。もう自分を責めるのはやめて……。私が赦すわ」

「……っ、ごめんなさい、ありがとう……っ」


 そうして私たちは、ようやく長年のわだかまりを解くように、二人で抱き合って泣き続けたのだった。

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