ぼく 2

 思い起こすと、ぼくは悲しいことを器用に避けるように生きてきた。

 例えば、おやつを楽しみに小学校から帰ってきたぼくが、三つ下の弟に自分の分のドーナツを食べられてしまっていた、とする。

 するとぼくは当然、お母さんに言いつけてやるのだが、弟もまた手強く「ぼくはドーナツなんて食べてない!」と号泣しながら自分の無罪を主張する。しかし母さんは迷うことなく兄が正しいことを言っていると判断して弟にゲンコツを与えるだけでなく、ドーナツにありつけなかったぼくのために、イチゴのショートケーキを買ってくれたものだ。

 そういえば確かに、中学二年生の時に大好きだった母方の祖母が死んでしまったときは寂しい気持ちもあった。

 祖母はよく夏目漱石の『こころ』を読み聞かせてくれたが、ぼくは内容の半分も理解していなかったと思う。なのに『こころ』だけは人生で何百回も読んだ気になっていて、高校の定期テストでは一度も読まずに挑戦し、大失態をおかしたこともある。

 そんな祖母の葬式、さあ思う存分に泣かせてくれと思っていると、大人たちがやけにぼくに絡んできた。葬式後の宴席で、父は親類の子供たちも集めてトランプ遊びをしようと言い出した。なんて不躾な!と思うぼくを他所に、大富豪ゲームは盛り上がり、ぼくは大富豪をキープしてしまいなかなか抜けるタイミングを見失う。ようやく平民になってグループから離れても、普段喋りもしない和子おばさんや啓介兄さんが、ぼくの学校での様子についてクドクドと訪ねてくるのだった。

 これは祖母と一番仲の良かったぼくが、祖母の死で塞ぎ込んでしまうのではないかと親類が一様に心配して練った作戦だった。おかげでぼくは完全に涙を流すタイミングを失ってしまい、消化不良のまま祖母の葬式を後にするのだった。


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