あらゆる「異世界」を構造的に超える記念碑的傑作

これから長々と話すが、これから書くことを抜きにしても『シロガネ⇔ストラグル』は面白いと先にはっきりと言っておく。
二つ話したいことがある。
一つは物語についてだ。小説でも漫画でもアニメでもドラマでも演劇でもなんでも物語というものには主題とかストーリーとかキャラクターとかジャンルというのとはまた違う(無関係というわけではない)要素として「ノリ」とか「空気感」というか「雰囲気」とでもいうべきものがあると私には思われる。
この『シロガネ⇔ストラグル』ではこの「雰囲気」が全然違う三つの物語が冒頭に描かれる。
『かそけき彼の地のエリクシル』は凄惨極まる絶滅戦争の戦火を描いた物語だ。絶望的な流血と戦火の匂いがむせ返るように伝わってくる。
『もひかん☆えくすぷろーど』はギャグ以外の何物でもない世界の世紀末伝承者たちを描いた物語だ。世紀末なので消費税も5%である。
『シュジュギア ―帝都神韻機鋼譚―』は爽やかな大正浪漫の空気を湛えた物語だ。清冽なエネルギーに満ちた、胸のすくような奴らの活劇である。
この三つの物語は全然違う。世界観とか設定とか主題とか言う前に雰囲気が全然違う。それを覚えていただきたい。
さて、この全然雰囲気の違う三つの物語が―クロスオーバーしちゃうのである。クロスオーバーしちゃうのである。大事なことなので二回書いた。
ここでもう一つの話題である「異世界」のことを話そうと思う。この物語はいわゆる「異世界召喚」を取り扱った物語である。先述した三つの物語を代表し、その主人公とでもいうべき3人の人物が一つの世界に集う。
『かそけき彼の地のエリクシル』の世界からは、苦闘する少年軍人、フィン・インぺトゥス。絶滅戦争の中で人々を守って戦う彼の人生は苦悩と悲しみに満ち、異世界にあってもそれは変わらない。
『もひかん☆えくすぷろーど』の世界からは、つよいあほ、黒神烈火。超越者のごとき戦闘力を誇りながら、卑近極まる煩悩のことしか頭にない男。異世界にあっても彼は女体のことしか頭にない。あほである。
『シュジュギア ―帝都神韻機鋼譚―』の世界からは、頼れるナイスガイの鵺火総十郎。〈神韻探偵〉たる彼は、完璧すぎるほどに何をやっても一流の、まさにヒーロー。異世界にあっても揺らがない。ロリコンなのは気にするな。
この三人が異郷の地にて一堂に会するわけである。そしてこの三人は異世界に来ないとパッとしないような端役ではない。その世界を代表する主人公とでもいうべき傑物たちである。そのような三人は、元居た世界の空気、雰囲気を纏ったままに異世界に来る。ここに妙がある。ただ異世界から人がやって来るのではなく、いわば『世界ごと』やって来るのである。ここに更なる異世界との邂逅がある。
ここで異世界転移の構造を考えよう。どこかの世界から別の世界へ。2つの世界が接触する。ここに物語の面白みが生まれるわけであり、異世界を物語に導入する価値であるといえるだろう。しかしここで接触する異世界は『4つ』ある。世界の接触点が6つある。そこから更なる物語の深みが生まれる。これはまず他にない、『シロガネ⇔ストラグル』を読む価値であるといえるだろう。
ここまで長々と『シロガネ⇔ストラグル』の構造的面白さについて語ってきたわけであるが、そんな理屈を抜きにしても『シロガネ⇔ストラグル』は面白い。アクションにしても人情にしてもギャグにしても全く違う物語が三つクロスオーバーしているのだから全く違う面白さが三つで単純計算で面白さが3倍である。異なる物語の完全な調和による相乗効果でさらにアップ。要するにすごくおもしろい。
更に私がこれを書いているとき、いまだ『シロガネ⇔ストラグル』は連載中であり、未だ明かされていないがここに書かなかった更なる別の質の「面白さ」の存在がほのめかされているということを、ここに記しておこう。つまりこれからもっと面白くなるであろうと思われる。
少なくとも『シロガネ⇔ストラグル』が混沌とした「異世界」作品の中で既存の要素を完全に洗練したうえで新たな面白さの次元を開拓した、記念碑的傑作であることは間違いない。
「異世界」の面白さはここまで来た。見逃すなかれ。

レビュワー