第6話 呪ってやったんだから愛せよ。

「……で、結局何なのよ……この子……」


 アイーシャの怪訝な眼差しは、ボロ箱の上で偉そうに立っているチンチクリンに向けられていた。最早、すっかり見慣れた立ち姿に、トラバルトはうんざりと切り出す言葉を考えあぐねている。


「うむ! では、よ~く拝聴するが良い! 妾こそ、トライアドのジュエリアであるグリシャル──」


「……コイツはグリシャルディ。私がラビリンスの家畜小屋で拾ってしまった魔者だ……」


「なぁ!? お、お主……! 妾の見せ場を……! ふ、不満じゃ! ここのところ、まともに名乗りが出来ておらん気がするぞ!」


 三者三様に薄汚れた姿のまま、彼等はこれまでの経緯を立て直した天幕内で話し合っていた。明日の謁見に備え、理解者を増やしておけば、厄介な事態は防げるだろうと思っての事だった。


「か、家畜小屋って……うわ……」


「何をドン引きしておるのじゃ、貴様! というか、伯爵! この者に話しても良いのか!? やはり、お主が変態という線でいた方が、何かと楽なのではないか!?」


「ほぉーう……一度では足りず、二度までもバターにされたいようだな……?」


「ぬわぁ! バ、〝バターの刑〟はもう、コリゴリじゃあ!」


 見下ろすトラバルトの視線から、グリシャルディは身を捩って逃げる。散々に振り回された後に開けられた宝箱は、〝中身〟という単語に相応しく、えげつない事になったグリシャルディで詰まっていた。


「魔者……それじゃ、確かにラビリンスの外に居るのは問題ね。……大きく広めるのは止めておくべきだわ」


 腕組みしながら天幕の支柱に寄り掛かるアイーシャは、今後を憂いて大きく嘆息した。彼女の驚きが薄いのも、トラバルトが歩くのに合わせて、グリシャルディという中身を詰めた箱が引っ付いて来るのにギョッとしていたからだ。それは、彼が呪われているのだと察するには余りある異様な光景だった。


「引き摺り回しているからには、その子を倒せない理由があるんでしょ? ……呪いの効力ってどんなものなの?」


「……コイツがやられれば、金貨になって俺は死ぬ……」


「はぁ!? 何なのよ、それ……!」


 愕然とする二人の間で『ふっふーん!』と仰け反りながら、グリシャルディが威張る。元凶であるコイツに、何一つとして胸を張れる事柄は無いのだが。


「それはのう! 妾の呪いによって結ばれているアニバーサリーという事じゃ! 【黄金宮】の復興に役立てぬのなら、せめてその礎となる栄誉を授けてやろうという寛大な処置なのじゃ! ぬはははっ! 妾は優しいのう!」


 二人の冷めきった視線を浴びながらも、グリシャルディは高慢な高笑いをしてみせた。その振る舞いは、自分が優れた女王であるという欺瞞に疑いの余地も持っていない。


「……メチャクチャ迷惑じゃないの……。呪いの解き方は訊けてるんでしょうね……?」


「ああ……ひたすら金貨を稼いで【黄金宮】を再興すれば良いらしい……それでお役御免だそうだ……」


「お、【黄金宮】を甦らせるって……とんでもない夢物語じゃない! 貴方がやれって言われているのは、神話や御伽噺の世界を創り出せって言われてるのと同じよ!?」


「だから困っている……! ……話に語られる【黄金宮】など、今や世界中の金貨を集めても足らんだろうからな……」


 宝石の女王ジュエリアが居住していたとされる【黄金宮】は嘗て、地平線を埋め尽くす程に巨大だったと語り継がれている。太陽が幾度昇り、沈もうと、【黄金宮】の輝きだけは決して変わらずに栄えていたのだと──。


 だが、それも今やラビリンスという魔物が巣くう採金場と成り果て、日常のあらゆる糧として利用されていた。栄え有る者は、いずれ滅びるのだという無情の象徴であるかの様に。


「ふん……! 困っているなどと言っておるが、本当に困っておるのは妾の方じゃ! ……女王としての住まいを奪われ……! 無尽蔵であった金貨の力までも喪って……! 全ては人間共が英雄視する〝征服王〟などというのせいじゃ! お主ら人間は、み~んな反省せねばならぬのだぞ! 解っておるのか!?」


 憤るあまりにプルプルと震えながら、グリシャルディは理不尽な訴えを突き出してきた。トラバルトもアイーシャも、当然それを鼻で笑って流す。


 確かに、このチンチクリンが本当にジュエリアならば、【黄金宮】で〝征服王〟と戦っている筈だ。……まぁ、何処かで聴いた話を身の上話にすり替えた迫真の演技なのだろうが、人類にとっての英雄は全ての人外にとって怪獣と同義でも可笑しくない。


 ──征服王〖ランドバルド〗。【黄金宮】が繁栄を極めた時代、ジュエリア達の支配に抵抗し、逆に攻略した傑物──彼こそ、金貨の所有権をジュエリアから奪った人類の英雄だった。


「……私としては、獅子王と呼ばれていた頃の英雄譚が好みなのだがな……。ジュエリアの尖兵である魔物を討伐して回る話には、幾度となく感化されたものだ……」


「知らんわ、そんなの! よりによってに憧れよって! お主は妾の僕なんじゃぞ!? 一緒に嫌わんか、この馬鹿者!」


「貴様のお気持ちなど知るかっ! そもそも魔者である貴様は本来、私の敵なんだぞ! どうしてジュエリアを騙るポンコツと英雄を並べて、貴様を選べるのか言ってみろ!」


「じゃーかーらー! 妾こそがそのジュエリアじゃと何度も言っておるではないかーっ! いー加減に、み~と~め~ん~かーっ!!」


 宝箱の上で地団駄と足踏みするグリシャルディの振る舞いは、まさしく事が上手く進まない幼女のそれだった。よくもまぁ、そんな様で女王を名乗れているものだと、トラバルトは反って感心した。


「というか、お主こそミノタウロスと腕力で張り合える人外のくせに、なに人間を気取っておるのじゃ、バーカ!」


「私を馬鹿呼ばわりとは良い度胸だな、貴様ぁー!」


「ぬわぁああー! 化物呼ばわりは良いのかぁー!?」


 グリシャルディの頭を鷲掴みにして揺さぶるトラバルトに、アイーシャは引きつった顔を向ける。魔者とはいえ、幼女の見た目をした存在とじゃれ合う大男を問題視する他、グリシャルディの発言にたじろいでもいた。


「ち、力馬鹿だとは思っていたけど……まさかミノタウロスに匹敵するなんてね……流石、子孫なだけあるわ……」


 アイーシャの呟きに自尊心を擽られたのか、トラバルトはわざとらしく胸を張って鼻息を溢す。その仕草は、掴まれていた頭を摩るチンチクリンと似通っているのだが、本人にそんな自覚はもちろん無い。打ち倒したミノタウロスが言っていた様に、やはり二人は似た者同士なのだ。


「はぁー? こやつが誰の子孫だというのじゃ? あ、もしかしてミノタウロスかのう? それならば納得じゃ! ぬははははっ!」


「……征服王よ」


「ぬはははっ! ぬはーはっはっはっ──ハァッ!?」


 高笑いを止めて目を剥いたグリシャルディの顔は、驚愕の色に染まっている。そんな反応に増長して、益々胸を張って鼻息を荒げるトラバルトに、アイーシャの冷たい眼差しはより厳しくなった。


「こ……こやつが、あ、あの──怪獣の子孫じゃとぉー!?」


 仰け反る余りに倒れそうになっているトラバルトを指差しながら、グリシャルディは打ち上げられた魚の様に口をパクつかせる。アイーシャは『認めたくないけどね……』と付け加えてハッキリと頷いた。


「はーっはっはっは! 光栄に思うんだな! 本来、私は魔者風情が対等な口を利ける血筋では──って、おい! 大丈夫か、貴様!?」


 宝箱の中で四つん這いになって、グリシャルディはあからさまに気落ちしていた。さっきまでの鬱陶しい振る舞いは、影も形も無くなっている。


 これには流石のトラバルトも屈み込み、気遣いの様子を見せた。耳をそばたてると、何やら呪詛染みた言葉がブツブツと聴こえてくる──。


 ──『……はぁー? ……はあぁー? ……理不尽じゃろぉ、これぇ……幾百年の眠りから目覚めた女王への仕打ちかぁ……? 神とかいうオッサンが運命を決めたなら、酔っ払ってたじゃろぉ……マジでぇ……』──グリシャルディの呪詛は延々と続いていく 。


「……あー、なんだ……同情はしないが、気の毒だとは言っておこう……身から出た錆とも言えるが……」


「アナタ……慰めてるつもりなの、それ……」


 情けとも止めとも判別し難いトラバルトの言葉が後押しとなったのか、グリシャルディの姿勢は俯せに変化して呪詛の勢いが増した。『筋肉バカがぁ……』という語句フレーズが加わっているのが、何よりも憎しみを募らせた証拠だった。


 グリシャルディの身勝手な怨み辛みは、一つの歌であるかの様に淀みなく続き、トラバルトはアイーシャを目配せして呼ぶ。唐突な交代の申し出に、アイーシャは『なんでよ!?』と訴えたが、渋々とグリシャルディの横に屈み込んだ。兵士達への〝洗脳〟と同じく、アイーシャにもその効果は徐々に表れ始めているのかもしれない。


「……あのね、。小さいアナタには未だ解らないかもしれないけど、世の中何でも都合良くはいかないのよ? 女王様気分も楽しいと思うけど、ちょっとだけ大人になったつもりで──」


「……ふっ……ふふっ……ふふふふふっ!」


「「!!??」」


「フフフフッ! ヌハハハハッ! ヌワーハッハッハ!!」


 唐突に虚空へ向かってグリシャルディは笑い出した。トラバルトとアイーシャはお互いに顔を見合せ、何事かと不安な想いを重ねる──えっ? 壊れた、コレ?


「オイ! なに壊してるんだ! コイツは私と繋がっているんだぞ! もっと丁寧に扱え!」


「知らないわよ! 勝手に壊れたんだもの! ていうか、散々振り回してたアナタがよく丁寧にとか言えるわね!?」


「ヌハハハハッ! ヌワーハッハッハ!! 妾の勝ちじゃな、征服王ーっ!!」


「「!!?? なに!? なにが!?」」


 いきなりの勝利宣言に、二人は唖然とグリシャルディを見詰めた。そんな様子を脇目にも振らず、グリシャルディは立ち上がって、空──を指差しているつもりで天幕の屋根を仰ぐ。コイツの目に何が映っているのかなど知った事では無いが、眉根を寄せて向き合った二人は『元通りになったなら良いや……』と、放任の思いを通わせた。


「クッフッフッ! 妾を打ち倒して封じたつもりであっただろうが、その結果として子孫は呪われ、妾の従僕と化したのじゃぞ! これを勝利として言わずして何と言う! 最後に支配者として勝ったのは妾じゃ! ヌワーハッハッハ!」


 元気よく馬鹿笑いをしながら、決定的な勝利を示すため、子孫であるトラバルトが『ざまぁ!』と指差される。笑顔で彼はそれに応えたものの、作り物染みた顔にはハッキリと青筋が走っていた。二度とコイツには気を遣わねぇ!


「ねぇ……親睦を深めるのも結構なんだけど……そろそろ今後の話をしない?」


 アホとバカのやりとりに呆れ果て、アイーシャが割り込んだ。当事者である二人は『うむ!』『ああ……』と返事はするものの、腰を据えるばかりで話を切り出そうとしない。


『いつでもどうぞ』──とでも言いたげに向ける視線は、身勝手にも進行役をアイーシャへ丸投げする意思表示だ。『……アンタ達ねぇ……』という呆れた訴えにも、アホとバカはまるで介さなかった。


「……まず、共通している目的は金貨を稼ぐこと。それがアナタ達の望みである【黄金宮】の復活と、呪いの解除になるのは間違いないわね?」


 納得いかない表情のまま、アイーシャが切り出す話に『うむ!』『ああ……』と、二人は先と何ら変わりない返事を寄越す。アイーシャは無言でトラバルトの肩を殴り付け、発言を促した。


「……問題は金貨をどうやって稼ぐかだ。それだけ莫大な金貨など、ラビリンスを幾つ攻略しようとも目処すら立たんだろうからな……」


 突然の暴力に眉を潜めながら、トラバルトが懸念たっぷりに呟く。だが、そんな彼の憂鬱は、グリシャルディの馬鹿笑いによって軽々と吹き飛んでいった。


「ぬははっ! やはりお主は馬鹿じゃのう! 金貨が足りぬだと? では、その足りぬ金貨の根本的な出所は何処じゃ!?」


 グリシャルディが、何かしらの検討をつけているな物言いをして、話の主導権を握った。しゃしゃり出て来たからには、さぞ有益な話が聴ける事だろう。青筋をびっしりと走らせながら、トラバルトは『ほぉう……』と言葉を返して続きを促す。


「お主らが【黄金宮】の跡地と考えるラビリンスなど、妾にとって庭園に過ぎん! 金貨を求めるならば、目指すは妾の玉座タフテ・ターヴースであろうが!」


 自信たっぷりにそう言い切ったグリシャルディは、さも素晴らしい提案であるかの様に『ふっふーん!』と鼻を鳴らす。……それが簡単に出来るならば、コイツが言うとやらに、わざわざ国が遠征軍を送ったりしないのだが……。


 いや──もしかすれば、グリシャルディというを得た事で、ラビリンスの深奥へ辿り着ける切っ掛けができたのかもしれない。言うだけの裏付けが、コイツには有ってもおかしくないのだ。ただのアホだと結論付けるには、尚早か──。


「……それは──どうやってだ……?」


「………………むっ!? どうやって……じゃと……? それは……まぁ、うむ……──まぁ、なんとかなるじゃろ! ナーハッハッハッ!」


 ──期待どおりのアホだった。これでますます、ジュエリアであるという証明からチンチクリンは自ら遠ざかっていった。最早、溜め息すら吐くのが惜しい。従僕としてトラバルトは憐憫の眼差しを、主であるポンコツに贈る──やっぱコイツ、女王じゃねぇだろ。


「なんじゃその目はー! 不敬じゃろうがー!」


 目を細めながら感心の思いを捧げているつもりだったが、食って掛かられた。そういう所ばっかりは鋭い。乗り出してきた身体を片手で押さえ付けながら、トラバルトは冷えきった眼差しを下す。そういう眼にさせてるのは誰のせいなのか。


「……結局、ラビリンスの攻略が問題解決の早道という訳ね……。まぁ、貴女の〝実家〟に向かうって道筋が見えただけでも、すぅっごく有意義な話だったわね……」


「……そうだな……」


「なんじゃその、ざっくりとした纏め方は! 妾の提案をぞんざいに扱いよってー!」


 アイーシャの皮肉たっぷり且つ、雑な方向の提示に、グリシャルディだけが唸った。さっさと話を本題に移したいという気持ちが、有り有りとアイーシャの嘆息から滲み出ている。


 今後の目標として、彼等はラビリンスの本丸を目指さなければならない。しかし、それにはやはり金貨の助けが不可欠となるだろう。金を稼ぐには、やはり元手として金を必要とする矛盾があるのだ。


「さぁて……それじゃあ、王には何て御伝えするつもり? まさか『ラビリンスの攻略に失敗しました。でも、お金は貸して下さい。おまけに呪われちゃいましたけど、次は大丈夫です』……なんて言えないわよねぇ?」


 冷ややかな物言いをしつつも、ようやく本題に入れた事に、アイーシャは満足げな一息をついた。だがしかし、グリシャルディとトラバルトは相も変わらず『うむ!』『ああ……』としか言わず進行役を丸投げにしている──トラバルトはもう一度、殴られた。


「……金のツテならある……」


 殴られた肩を摩りながら、恨めしそうに言うトラバルトに、アイーシャが『はぁ?』と顔を歪めた。バカが馬鹿を言ってるとばかりに、表情は憐れみの色に染まっている。トラバルトは『化粧が剥がれ落ちるぞ』と引きつらせた顔に言ってやりたかったが自重した。


 貧乏伯などという不逞の通り名を付けられている者が、そうも抜かせば無理はない。それに、そんな事を口走れば、今度殴られるのは顔面だろう。トラバルトは、戦いのなかで傷付くならばともかく、要らない挑発で自負する美顔イケメンが傷付くのはゴメンだった。


「貧乏伯だなんて呼ばれてるアナタが? 資金援助の代わりに、前線でいっつも暴れてるアナタが? ──足長おじさん金貸しだなんて言わせないわよ!?」


「違う……! 私の考えは〝アレ〟だ!」


 身を乗り出して声音を強めたアイーシャに圧されながらも、トラバルトはグリシャルディを指差す。突如として話の中心に放り出された本人は『ぬ?』と間抜けな声を出した。


「あの子を売るつもり!?」


「それも違う……! 私に最低な印象を持つのはやめろ……! 曲がりなりにも、アレは魔者として役に立つと言っているんだ……!」


 トラバルトの幼馴染みだけあって、アイーシャの考えも大概である。それを押し退け、たった一つの確信を与えなくてはならない。


 グリシャルディのジュエリア力──折れた剣を換金した能力は、ラビリンスを攻略する上での突出した〝一芸〟となるだろう。それを伝えれば、アイーシャも必ず納得する筈だ。


「それじゃあ、芸でも仕込むの!? 魔者とはいえ、子供にそんな事させるつもりなら、アナタが持っているモノを売りなさいよ! そのとか!」


「貴様……! まだ逆ハーレムの夢を諦めていなかったのか!? 薄汚い欲望に私を巻き込むのはやめろ……! そもそもとして、アレが芸の一つでも憶えられる頭をしていると思って──オイ! 金貨を取り出すんじゃない! 私を買おうとするな!」


 逆ハーレムなどというケダモノ染みたアイーシャの夢。頬を染めながら涎を滴しかけている彼女の有り様が、本気の度合いを物語っている。そんな、腐敗した沼の様な夢の一部に引き込まれまいと、トラバルトは後退りした。


「金貨じゃあー!」


 冗談半分、期待半分に人身売買と何ら変わらない形でアイーシャが取り出した金貨を、ボロ箱ごと横合いから跳ね飛んで来たグリシャルディがもぎ取る。


 それによって引っ張られたトラバルトは、自身の岩石並みに強靭な肉体をアイーシャに直撃させた。絨毯を敷いているとはいえ、ゴッと盛大な音を立てて後頭部から倒れ込んだアイーシャに不吉な予感が過る──くっそ迷惑なんだが、このチンチクリン!


「アイーシャ! おい、大丈夫か!? まさか、死んで──」


「ふふっ……悪い気しないわね……!」


「死んでた方がマシだったな!」


 押し倒されたも同然の体勢で、トラバルトの顔を眺めるアイーシャは、醜悪極まった悦びの笑みを浮かべていた。当たりどころの心配もなく、いっそ良いところに当たって治って欲しかったぐらいだ。それでよく俺を馬鹿にできるな、コイツ……!


「……うっわ、お主ら……陽が沈んだとはいえ、早々に何をおっ始めようとしておるのじゃ……? 不潔じゃのー……」


 軽蔑の眼差しを向けながら、グリシャルディはむしり取った金貨をいそいそとボロ箱にしまい込んで言った。不潔だと抜かしやがる状況の原因だというのに、反省の様子など全く無い。というか、『楽して清らかな金貨がうんぬん』言っていたくせにネコババはいいのかよ……!


「あーっ! お主今、妾を盗っ人扱いしたじゃろぉー! なんと不敬な! ジュエリアである妾が手ずから得た金貨は、全てが清らかなものであるのは当然じゃろうがぁー!」


 無駄な察しの良さから屁理屈をこねくり回し、してほざく女王紛いの何かに、トラバルトはうんざりと嘆息しつつ立ち上がった。まぁ、それだけ意地汚ければ、呪いが解けるのも早まるだろう。黙っていた方が都合は良いのかもしれない……。


「ほぉら、グリちゃん、金貨よ! おいで!」


「金貨じゃー!」


「二度もくらうか、馬鹿野郎!」


 味を占めたアイーシャから金貨をもぎ取り、適当に放る。グリシャルディは絨毯の上を頭から滑りヘッドスライディングながら拾うと、満足げにボロ箱へとしまい込んだ。やっぱ女王じゃねぇだろ、コイツ。もしかして、猫か何かなのか……?


「何を見とるか貴様ぁー!」


 再び逆ギレされた。最早、何も言う事はない。ただ、鼻で笑う嘲りだけは自制できなかったが。


「……アイーシャ。もう解っただろうが、コイツには芸を仕込む脳も、芸を理解する脳も無い……。だが、一芸となるものは持っている……それを見せよう」


「はぁー!? はぁああー!? 女王として美も芸も、とぉっくに嗜んでおるがー!? 玉乗り程度なら余裕なんじゃがー!?」


「それ……全然、保身に繋がってないわよ、グリちゃん……」


「……既に箱には乗っている訳だしな……馬鹿みたいに……」


「ぬがぁあーっ!」


 喚くグリシャルディを引き摺りながら、トラバルトは自分の天幕──もといアイーシャからの借り物へと入っていった。其処には、伯爵であるという地位から、兵士に命じて掻き集めさせた廃品が山となって積まれている。


「攻略に失敗して壊れた武具に何の用……? 廃品の回収は、ある程度のお金にはなるけど……貴族の仕事じゃないわよね……」


『副業にでもするつもり?』と言わんばかりに疑心感たっぷりの眼差しを無視しながら、トラバルトはムスくれているグリシャルディと向き合った。あの、〝奇跡〟としか言い表せない能力を見せれば、あらゆる苦悩は吹き飛ばせるだろう。それぐらいは働いてもらわなければ困る。


「……よし──換金して良いぞ、グリシャルディ……」


 そう命じて腕を組みながら、廃品の山が金貨の山と変わるのを心待ちにする。半壊しているとはいえ、本来の価値に比例するならば、貴族の持ち物はそれなりである筈だ。旨い稼ぎになると証明されれば、ふくぎょ──もといラビリンスを攻略する金銭問題の解決として組み込むのも悪くないだろう。


 しかし──トラバルトの期待とは裏腹に、グリシャルディは力を発揮しようとしない。薄汚い欲望を夢想した微笑は次第に陰っていき、遂には眉を潜める形となった。


 まさか……やり方をド忘れしたとか言うんじゃないだろうな……。言い出しかねない可能性から、トラバルトは不安げに視線を下げたが、それは如何に自分がグリシャルディという俗物を理解していなかったのか思い知る愚行だった。


「──『換金して良いぞ』……じゃと? ふぅ~、全く……お主という奴は。言い方というものを知らんようじゃのぉ~? ん~? い・い・か・た・というものをのぅー! ヌッハッハッハッー!」


 ボロ箱の縁を掴んで、調子良く前後に揺れ始めたグリシャルディに血の気が引く。ここぞとばかりに持ち出されたのは、上下関係を決定付ける服従だった。


 やっぱりかぁあああ! このチンチクリンがぁあああ!


「……グ、グリシャルディ…………………た……頼……む……」


「はぁ!? なんじゃってぇ!?」


 消え入りそうなトラバルトの小声に『聞こえんのぅ!』と抜かし、傾けた耳には手まで添えている。小馬鹿にした感じの猫目は殊更に歪み、グリシャルディの笑みは実に低俗なものとなっていた。


 トラバルトの全身は屈辱に堪えるあまり、握り固めた拳の力が伝播し、小刻みに震えていた。それでも彼はやるしかない。服従の姿勢を見せなければ、アホグリシャルディは唯一と言って良い能すら出さず、そっぽを向くだろう。抱えた問題の解決が遠回りになるのも構わず──。


「……グリシャルディ──」


「グリシャルディ〝様〟じゃろ!? お主はさぁ~、本当に従僕としての立場が解っておるのかぁー!? んん~っ!?」


「……グ、グリシャルディ……様……。頼……む……」


「まずそれじゃよねー! 『頼む』じゃと? まぁ~だ、立場が解っておらん様じゃのう、伯爵ぅ!? そこは『お願いします』じゃろうがぁ! ヌハハハハッ! ほぅれ、もう一度始めからやらんかぁ!」


「……グリシャルディ様……どうか、お願い……しま……す……」


「ていうか、お主、頭が高くねぇ~? 平伏せんか! へ・い・ふ・く! 妾の領土である宝箱よりも低くのう! ヌハハハハッ!!」


 前後に揺れる宝箱の勢いは、砕け始めた口調に合わせて増すばかりだった。トラバルトの平伏して隠れた顔は、今にも血の涙を流して唇を噛み切りそうな形相と化している。


 それをアイーシャは何も言わず、大男が何を思ってか唐突に幼女へ土下座し始める、という異様な事態にドン引きしていた。


「グリシャルディ……様……どうか……この……あ、哀れな……従僕の願いを……聞き届けて……頂けませんか……」


「ヌハハハハッ! では、これまでの不敬を何とするか言ってみよ! ちゃあんと、言えるであろう~? ん~? ンン~ッ!?」


「……申し開きの……しようも……御座いません……」


「はぁーん!? それで終わりかぁ!? 他の言い方ってものがあるじゃろぉー! ちっぽけな脳ミソから、さっさと捻り出さんかぁ! ほれほれほれほれぇー!」


「……す、すみません……でした……」


「もっと誠意を込めてぇ! 心から精一杯の謝罪でなければ妾には聴こえんぞ!? 響かせて、響かせてぇー! 妾の心ぉー!」


「……ごめん……なさい……」


「ぬふっ──! ヌハハハハッ! ヌワーハッハッハッハッ! 無様じゃのう! 無っ様じゃのう~! ヌハッハッハッハッ! ものすっごぉ~く、気が晴れたぞ、伯爵ぅ! ナァーハッハッハッハーッ!!」


 腰に手を当てながら反り返り、馬鹿笑いする。目下の大男が頭を伏せ続けながらも、怒りに震え上がって筋肉を隆起させているのにすら気付いていない。グリシャルディは、すっかり出来上がった主従関係に酔っ払っていた。


「ヌフフッ! よ~し、よしよし……。主従の関係をちゃ~んと理解したからには、それに応えてやらねばのう♪ では──刮目して見よ! これがジュエリアである妾の力じゃあ!」


 グリシャルディが調子良く武具の山に触れると、それは月明かりよりも鮮烈に輝く光に包まれた。


 瞬く間に武具の形は薄れ、足下に大量の金貨となって散らばる。貴族や騎士の持ち物であっただけに、その価値は半壊していても山となるだけ換金可能な品々であった。これには流石のアイーシャも眼を見開いて、上擦った声を上げる。


「なんなのよ、これ! ちょっと、トラバ──」


 アイーシャが言葉を詰まらせた。ドヤ顔をして高笑いしていたグリシャルディも、ふと笑うのを止める。二人の視線は、土下座したまま微動だにしない不気味な大男へと向けられていた。


「……は、伯爵ー?」


 不安げに呼び掛けながらも、グリシャルディの目線は泳いでいる。泳ぎまくっている。これまでの経験が身に染みているのか、条件反射的に冷たい汗すら流していた。上気していた顔色も、今ではうっすらと青い。


「……世話になったのぅ……」


 そう別れの言葉を口にし、グリシャルディは自身の領土であるボロ箱の蓋を掴んだ。ほとぼりが冷めるまでの何十年と自閉すれば、想像し難い反撃から逃れられるとばかりに。もっとも、呪われた身として決して離れられないのだが──。


「グリシャルディ──」


「ヌ゛ワ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ゛!! バババ、バターの刑はもう許し──」


「──様はさっすがで御座いますねぇ! いやー、宝石の女王であるお力! 御見逸れしました!」


 ──!!?? グリシャルディとアイーシャの間に雷さながらの疎通が走った。唖然と眼を見開きながら、出す言葉をあぐねて顎を落とす。


 トラバルトが──高慢で自意識過剰な貴族紛いの筋肉馬鹿が──眼を細めてへりくだった手揉みをしているのだ──えっ? 壊れた、コレ?


「ちょっと! なに壊してるのよ! 私のハーレムの夢なのよ! もっと丁寧に扱いなさいよ!」


「知らんわそんなの! 勝手に壊れ──たという訳でもないが、こうなるとは思わんかったんじゃもぉーん!」


 困惑を通り越して、グリシャルディとアイーシャが焦る。三下の機嫌取りさながらに、薄ら笑いながら腰を曲げるトラバルトの姿は、もはや狂気の域だった。その上あろうことか、彼は自発的にグリシャルディの前で土下座までし始めたのだった。


「へへへぇーいっ! グリシャルディ様ぁ!」


「おぉわァ! なんじゃいッ!?」


「口調がおかしくなってるわよ、グリちゃん!」


「もっとおかしくなってるのが、おるじゃろうがぁ!」


 さっきまでとは違う嫌な汗をかきながら、天幕の端へグリシャルディは身体を仰け反らせる。怯えているどころか顔色は酷く青ざめ、恐怖しきっていた。服従しろと命じたものの、思っていたのとは違う結果に混乱し、いっそバターの刑に処されている方がマシだったと顔を引きつらせている。


「このトラバルト! 卑しくも貴族の身に肖っていながらも、女王──いえ! 陛下の素晴らしさに気付けなかったこと、不覚の至りと痛感しております! なればこうして服従の意思を改めて示し、御許し頂けるのを伏して待つばかりに御座いますぅ!」


「ほ、ほぉ……」


「陛下! 何なりとお申し付けを! このトラバルト、どのような御命令であっても必ずやお応えしてみせます!」


「ほほぉう……ほほほぉーうッ!」


 慣れてきた。頭が空っぽなだけに順応が早い。面を食らっていたのも束の間、良い方向に転がったのだとグリシャルディは思い始めている。自分にとって都合が良ければ、大体のとんでもない事態はどうだって良いのだ。


「そうかそうか! 妾の躾が利いて生まれ変わったのう、伯爵! では、感謝の意を示し、其処な金貨を妾に献上せよ!」


「へへぇーっ! ただいまーっ!」


「ちょっ──!?」


 独り取り残されたアイーシャが何か言う間もなく、生まれ変わってしまったトラバルトが、次々と金貨をグリシャルディのボロ箱へ献上する。際限無く、金貨を取り込む自らの一部に合わせ、グリシャルディの高笑いも際限無く響いた。


「ナーハッハッハッハッ! ご苦労、ご苦労! 大儀であるぞぉー!」


「へへへーっ! ありがたき御言葉! 勿体無く存じますぅ! では、僭越ながら金貨を用いて御足下の領土を改めるのは如何でしょう!? 陛下には相応しき御姿があると卑小な身から申し上げますーっ!」


「うむっ! うむうむ、そうじゃのう! 従僕の進言を受け入れ、妾の領土を相応しいものとしようではないか! 良き案であるぞ、伯爵ー!」


 言うが早いか、グリシャルディは自らが収まっているボロ箱に金貨を消費した。黄金の輝きに包まれたそれは、瞬く間に巨大化して装飾に彩られていく。


 どれだけの金貨が消費されたのか。その全貌は、ラビリンスで発見されれば、誰しもが中身を期待して開けるまでに豪奢なものとなっていた。ボロ箱であった影は微塵もなく、相も変わらず期待を裏切るのはその中身だけだ。


「お見事ですー、陛下ぁ! しかし、これ程までに陛下の美を映す宝箱とあっては、下郎の興味を惹いてしまうのは必死! 御尊顔を不用意に晒してしまわぬよう、錠など設けては如何でしょう!?」


「ヌハーハッハッハッ! よく解っておるではないかぁー! よぉーし! 妾、錠前も作ってしまうぞぉー! ほれぇー!」


 トラバルトの馬鹿みたいな拍手に煽てられ、またもや宝箱を光に包むと、今度はその前面に鍵穴を出現させた。そこには御丁寧にも一式セットの体として、細やかな宝石を無駄に嵌め込んだ豪華な鍵まで挿さっている。


「これはこれは! 確かに錠を作るとあっては鍵も必然! 流石は陛下ー! には感服致しますー!」


「であろう!? であろう!? そうであろう!? 妾はと~っても賢いからのぅ! 鍵穴を作っておきながら、鍵が無くては間抜けの極みじゃからなー! ヌワーハッハッハッハッ!」


 仲良く馬鹿笑いする二人から離れたアイーシャの顔は渋い。アホの女王とバカの取り巻きを眺めながら、悪夢が覚めるのを待つしかなかった。絶対にあそこには加わりたくないという気配オーラを纏わせながら。


「ではでは! 不躾ながら私が鍵を預かるとして、機能を試させて頂いても宜しいですか!? 陛下には全幅の信頼──いえ、崇拝の念を懐いておりますが、やはり実証に優るものはないと、下賤な身に安寧をお与え下さいーっ!」


「なぁ~にぃ~、しっかたないのぅ! よぅし! 哀れな従僕のために、無礼を許そうではないか! ぬははっ! 試してみよっ!」


 煽てられてニヤつくばかりであるグリシャルディは、態度と同じく肥大し、すっかり重くなった宝箱の蓋を苦労しつつも閉じた。それでも高らかな鬱陶しい笑い声が、内部からくぐもって聴こえてくる。城壁さながらに分厚くなった宝箱に収まっていようと、本体の喧しさだけは防げていない。とんでもない欠陥だ。


「では失礼ながら早速、試させて頂きます! ──さぁ、どうですか!? 外からは開きませんが、は如何でしょう!?」


〈うむ! 開かぬ!〉


「絶対に!?」


〈絶対にじゃな!〉


「本当に、本当に開きませんか!? マジのマジに!?」


〈本当に、本当にじゃ! マジのマジにじゃ! 妾を疑っておるのか、従僕ーっ!?〉


「これはとんだ失礼を! では、鍵の予備などは御座いませんかー!?」


〈無い! 妾の従僕として務めるならば、替えがあるなどという甘い考えは捨てるのじゃな! しかと覚悟して管理するのじゃぞ! ヌハハハハーッ!〉


「左様で御座いますかぁー! それはそれは、深く信頼して頂き感謝致しますー! ──お前のデキの悪い頭になぁ!!」


〈ほっ!?〉


 トラバルトが突如として豹変──いや、戻ってきた。薄ら笑いを瞬時に掻き消すと、暗い念を溜め込んでいたであろう憤怒の形相となって天幕の外へと飛び出して行った。


 そして、力瘤が連なる程の全力でもって、鍵を夜空の彼方へとブン投げる──今宵、星が一つ、月に並んだ事だろう。


〈なっ──ナァアアアアッ!? なんという無礼を働くのじゃあぁああ、伯爵ぅううッ! 従僕としてあるまじき不敬じゃぞ、それはぁああああ!!〉


「喧しい! 誰が貴様などに服従するか! 王との謁見が終わるまでジッとしてろ、馬鹿がよぉ!」


 グリシャルディが入った宝箱を踏みつけながら、トラバルトが勝ち誇る。土下座をしていたとはいえ、王への忠義は変わらないのだ。幼女に情けなく土下座しようと、彼は歴とした戦士であり、貴族なのである──恐らく、まだ。


 情けなく平伏しながらも、彼は反撃の策を練っていた。全ては王との謁見に女王を騙る不穏な分子を封じ込めておくための演技であり、下手に煽てていたのも呪われた宝箱を価値ある物だと誤魔化すための方便だった。調子こかせて付け上がらせたのを逆手にとったとはいえ、ろくでもない事には本当に頭が回る。ある意味で、繋がるべくして繋がった運命の二人なのかもしれない。


〈ヌッガァアア! 妾をここから出さんかァアアア! 早く鍵を拾って来るのじゃ、この馬鹿者がァアッ!!〉


「ハーハッハッハッ! 断るッ! ぜぇったいに断るッ! 少なくとも王との謁見が終わるまではそのままでいろ! 良い子にしていれば、後日には鍵を探してきてやるぞ! 判ったな!? 女・王・さ・ま! ハーッハッハッハーッ!〉


〈ヌ゛ッ゛ガ゛ァ゛ァ゛ア゛ッ゛!!〉


 内側から宝箱をバンバンと叩かれながらも、トラバルトは不敵にその上へ腰掛けた。良い歳した大人は、幼女相手に勝利した高笑いを止めない。良い歳した大人なのに。


「アナタ……自尊心プライドって無いの……?」


 アイーシャの潜めた眉は、トラバルトを荒野に棄てられたゴミだと思っていた時のものに戻っていた。知人だと気付いた後でも、こんな顔をされるのは人格に問題がある奴だけだろう。


「ふん! コイツを黙らせるためなら、そんなもの捨ててやる! その後で拾えば良い!」


「……泥だらけよ……それ。もう、いっそ捨てたら……?」


『そうしたら買って上げなくもないわよ……!』と、汚ならしい欲望を続けてほざかれたが、トラバルトはそれを無視して宝箱から響く叫びに微笑む。少なくとも、拾い直した自尊心が自らの価値を下げているとは思ってすらいない。どいつもこいつも他人をあれこれ言える人格者ではなかった。


〈ヤじゃヤじゃ! ヤぁーじゃー! 妾もそなたらの王に会うー!〉


「会わせられるか! 何を口走るかも判らんだろうが、貴様は!」


〈大人しくしとるからぁー!〉


「今できていない奴がほざくな! 黙ってられた時があったか、言ってみろっ!」


〈ううーっ……! ぬわぁああああんっ!!〉


 広くなった宝箱の中で、駄々をこねて手足をバタつかせるグリシャルディが想像できた。しかし、これで甘い態度でも取ったりすれば、再び調子をこき始めるだろう。トラバルトは主人への対応というものをよく理解していた。


「ねぇ、ちょっと気の毒になってきたんだけど……。大人しくしてるって言ってるんだから、出してあげれば?」


〈おっ!?〉


 付き合いの短い、解ってない奴が口を挟んできた。トラバルトは片方の頬と眉を吊り上げ、『素人が……』と言わんばかりの態度で返す。アイーシャの同情は、グリシャルディの庇護欲を駆り立てる容姿を含めた、呪いによる影響でしかないのだから。


「ね、グリちゃん。良い子にしてられるわよね?」


〈うむ! 任せよ!〉


「……変なこと言ったり、騒いだりしないわよね?」


〈あったり前じゃろー! 妾がこれまでに、おかしな真似をしたかぁー!?〉


「……ほら、早速うるさいし、既に変だけど……隠し続けるより、ずっと気楽じゃない? それに、後日露見するよりかは何かと動きやすい筈よ?」


 グリシャルディの影響で洗脳され気味なのだろうが、アイーシャの言い分には一理ある。隠し続けるより、利用価値を話して説得の材料とするのが最善手だろう。二人の視線──一人は鍵穴からだが──それがトラバルトのラバシュ薄焼きパン並みに薄い人情へ訴えかけていた。


「………………そうだな……」


〈ぬははっ! チョッロッ!〉


 長く躊躇っての同意を打ち消す形で、グリシャルディがつい口走る。慌てた様子で咳払いをし、黙り込む姿勢は『さっきのは無しじゃぞ!』と言わんばかりに太太しい。尤も、トラバルトもアイーシャも、そんな態度は織り込み済みであった。


「……まったく信用できんが……仕方ない。ガキの躾には過ぎたかもしれんしな……」


 トラバルトは宝箱から腰を上げると、僅かな罪悪感でもあるのか、鍵を探して来てやろうと気が向いていた。夜は冷え込むが、幸いにも月明かりは眩い。あの煌びやかな鍵ならば、創造した主と同じく馬鹿みたいに分かりやすく転がっている事だろう。


 ──何かがおかしい。だが、そのおかしさが何なのか、誰も気付けていなかった。それこそが、グリシャルディという迷惑極まりないチンチクリンによる呪いの〝真髄〟だった。


「ふふっ、アナタってろくでもない人格してるけど……優しいところがあるわよね」


 小馬鹿にしながらも、アイーシャが微笑んで外套や首巻きをトラバルトに手渡す。それは貴族として、高貴な姿勢を示した彼への援助に見える一方で不自然でもあった。普段の彼女であれば、絶対にこんな事はしない。


「ろくでもないは余計だ……お前も逆ハーレムなどという、ろくでもない野望を持っているだろうが……」


 トラバルトにしてはやはり珍しく、愛想の良い声音で言葉を返しながら、渡された防寒具を身に付けていく。首巻きが口周りを隠しても、笑っているのが目元に表れていた。


「あら、それじゃあ寧ろ、ぴったりじゃない。人には当て嵌まる場所があるものよ?」


「その通りだが……お前のハーレムに当て嵌められるのはゴメンだな……」


〈これこれ、その前にのう……妾の宝箱に嵌まる鍵を探して貰わねば困るぞ?〉


 グリシャルディが嘆息交じりに呟くと、茶化し合っていた空気が纏まり、と沸いた。恐らく、宝箱の中でグリシャルディは瞬きウィンクすらしていた事だろう。


 何だか良い感じに〝気色悪い〟空気となっているのだが、その最中にある者達が状況を俯瞰できる筈もない──呪いによる影響が露骨に表れ出していた。


「……グリシャルディ。私に引き摺られん範囲で呪いを伸ばせるか……?」


〈えっ? 妾を連れていかんでも良いのか!?〉


「……フン……こんな寒空の下に、お前を連れてはいけんだろ……」


〈トラバルト……妾はそなたに封を解かれて良かったと思うぞ……〉


「……ふっ……」


 気色の悪い空気が続く。コイツらがお互いを思いやるなど有り得ないのだが、誰もそれを狂気だと受け止めていない。


 いや──正確には受け止められないのだ。全員が単純バカ過ぎて、呪いの効力が際限無く増幅されているのだ。元凶であるグリシャルディ本人も含めて──。


「うふふっ。なんだか、お父さんババが出掛けるのを見送るみたいね、グリちゃん?」


〈ええ~? う……む……そ、そうじゃのう……なんだか、妾……て、照れてしまうぞ! ぬははっ……!〉


「……父親……か……悪い響きではないな……」


 きっしょ気色の悪い空気は終わりそうにない。呪いの効力が互いに影響し合い、悪化の一途を進んでいる。それはまるで、弾かれた楽器の弦が、押さえ留めなければ振動し続けるのと同じだった。


 実におぞましい事に……グリシャルディを庇護するという洗脳じみた呪いの影響は、を構成するまでに強まっていた。呪われた者は影響し合い、グリシャルディを中心とした一つの共同体となっていく。


 唯一にして、絶対的な支配者という宝石の女王ジュエリア──それに相応しい中央集権的な形として……。


「グリちゃんは王様に会ったら、どんなお話をしたいのかなぁ?」


〈え~、そうじゃのう~。やっぱりぃ~、とある伯爵とぉ~、その友人である女騎士の輝かしい活躍かのぅ~?〉


「えー、それってつまり……?」


〈は……恥ずかしく言える訳ないではないかぁー♪〉


「……やれやれ……困ったものだな……」


 母親気取りで宝箱に話し掛ける女と、子供っぽく照れて悶える宝箱。そんな光景を、腕組みして微笑ましく見守る父親気取りという地獄。何処からどう見てもイカれた家族構成なのだが、誰もそれを疑問視しない。


 している。吐き気を催す程、生あったかい空気が天幕の中に充満していた。それを入れ換える正気な者がいない以上、ひたすら淀んで濁っていくしかない。


〈それでのう! それでのう!〉


「うふふ、お喋りさんねぇ。何かしら、グリちゃん」


 すっかり母子と成り果てている奇妙な二人に、偽りの父は惜しみながらも背を向けた。この幸福を壊さないために、毎日頑張ろうと父親に成りきった想いを抱きながら……。


 無論、これらは呪いによって生温くなっているだけだ。解ける切っ掛けさえあれば、意識はすぐに冷静さを取り戻すだろう。それこそ、疑似家族という狂気の夢から覚める衝撃さえあれば……。


〈──妾こそが大陸を支配するに相応しい女王であると、言ってやるのじゃー! キャーッ!〉


 ──びしりと空気がヒビ割れた。図らずも、酔っ払いが薄氷を踏み割り、その冷たさで覚めるのと同じぐらい、トラバルトとアイーシャは冷静さを取り戻した。


 それを察せず、グリシャルディだけが宝箱の中から『キャーキャー』と照れの叫びを上げている。まるで、赤裸々な告白を口にしてしまったかの様に。


 貴族である二人は、すんでのところで王への忠誠心を取り戻した。それもそうだろう。なんせグリシャルディという魔者に寝返ったとあれば命の危機なのだから。


 れっきとした造反──それに二人は加担するところだった。庇護欲をばら蒔くグリシャルディの呪いが、トラバルトとアイーシャを擬似的な両親として据えながら──。


「──!!! アッッッブねぇッ!! 死ぬところだったぞッ!! 何してくれてんだ、このアホッッッ!!」


 防寒具を即座に脱ぎ捨て、八つ当たり気味に纏めてグリシャルディ──宝箱へ叩き付ける。突然の家庭内暴力じみた振る舞いに、『父──!?』と哀れな声が漏れ出たが、それは自らも影響されていた呪いのせいだと気付くと、絶叫に変わった。叩かれて戻るところが、如何にもポンコツらしい。


〈貴様が妾の父親じゃとぉおおおッッッ!? オ゛エ゛ッ゛!!〉


「吐きたいのはこっちだ、馬鹿野郎ッ!! 私は貴様に何を言った!? 何を感じていた!?」


「……よ……」


 自分の顔を揉みくちゃにするトラバルトが、目を見開いて視線を下げた。其処には横座りになって項垂れたアイーシャがいる──化粧メイクを溶かした黒い涙を流して。


「無くなっちゃった……! 私の愛する素敵な家族っ……! ぶふぅーっ!!」


 涙と鼻水で、それなりに整った美貌を壊滅させながら、彼女は夢の名残に号泣していた。全ては呪いによる偽りだったのだが、入れ込みようが半端じゃない。結婚しているという擬似的な体験は、世間によって押し付けられた適齢期の瀬戸際である彼女にとって得難いものだったのだろう。だからといって逆ハーレムに走るという凶行はどうかしているが。


「おい! しっかりしろ、行き遅れ! 戻ってこいッ!!」


「誰が行き遅れですってぇええーッ!? このヤロォーッ!!」


「ぐぁっ!? 全然元気じゃねぇか!!」


 トラバルトが気付けに肩を揺すってやるも、アイーシャの無情な鉄拳が顎を突き抜けた。並みの人間なら、これで暫くは立てなくなっていただろうが、無駄に頑丈なトラバルトは怪訝に眉を寄せるだけだった。


〈オ゛ェ゛ッ゛! オ゛ヴ゛エ゛エ゛ェ゛エ゛ッ゛ッ゛ッ゛!!〉


「貴様はいつまで嘔吐いているんだっ!!」


 宝箱の中から汚ならしい吐き気を洩らしているグリシャルディに、トラバルトが突っ掛かる。なに被害者ヅラしてやがるんだ、このアホっ!


 しかし危なかった。あともう少し、ほわほわしていれば、王への忠誠心を忘れ、造反していたところだ。グリシャルディを中心とした家族という名の配下を増やし、膨れ上がりながら……。


 だが──何故だ。トラバルトは皮肉にも、グリシャルディと一番付き合いが長い。しかし、だからといって愛娘の様な感情を懐いた覚えは全く無かった。ありとあらゆる行動に、庇護欲を駆り立てられる想いすら砂粒程度にも無かった筈だ。


 素敵な家族──洗脳されつつあった行き遅れアイーシャの発言。そして、願いを叶える金貨の支配者である宝石の女王ジュエリア(仮)の力──。


 ──グリシャルディはのか。願いという力の根源を意図せずに反映し、周囲へ広める災厄オマケ付きで。


 つまり……グリシャルディは存在するだけで、周囲の願いを可能な限り叶えようとするのだ。自身が巻き込まれるのも、守護されるという立場を決定付けるために必要な仕組みとして──。


「──危険過ぎるだろ、キサマッ! 後幾つ隠し種を持っているのか、吐けッッッ!!」


〈イヤじゃねー! ムカつくんじゃったら、妾を封じたお主の先祖を恨むんじゃなー! そもそも、誰かさんの気色悪い父親気取りのせいで、もう十分に吐いとるわ! バーカっ!〉


「ウワァアアォオオオッッッ!! 夜の砂漠に放り出してやるぞ、キサマァアアーッ!」


〈それもイヤじゃねー! 早く一人で鍵を探して来んかぁ、従僕ぅーっ!〉


「ウッガァアアアッッッ!! 貴様は! もう! 永遠に箱詰めだからなッ! 覚悟しろッッッ!!」


〈ハァアアアアアッ!? それこそ絶対にイヤなんじゃがー!? ぽかぽか脳ミソで、きっっっしょく悪くも父親気取りで探して来るって言うとったじゃろうがぁああッ! とっとと鍵を探して来んかぁあああ!!〉


「……ねぇ、私が鍵を探して来たら、また家族になれるかしら……?」


「お前はッ!」


〈お主はッ!〉


「〈もう寝ろッッッ!!〉」


「……そうするわね……アナタ達も明日に備えて早く寝なさいよ……?」


 天幕から出ていったアイーシャを脇目にもせず、トラバルトとグリシャルディはギャアギャアと喧しく罵りあった。恥も外聞もない、みっともなさだけを剥き出しにして……。


 その声は、夜の空が明けても衰えず、元気よく続いていた──。

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