第29話 聖女神殿宿場町跡

 アンダ・グロサス。


 正直、魔族召喚をやらかそうとしている奴がいるかもしれないと思い至った時、誰かがそんなことをしていたなと頭を過ぎったけれど、名前は出てこなかった。


 あの冒険者くずれの男が口走った時、思い出せればよかったんだ。


「知ってるひと?」

 「初対面だけど、何をしたのかは。禁忌の研究に手を出して、大学が罪人とした学者だ」


 魔獣の研究者で、魔導士。


 魔獣研究者には二通りいて、一つは魔獣の生態や習性についての研究者。

 もう一つは、その能力や魔力、体組織を利用する方法の研究者で、アンダ博士は後者だった。


 それは別に悪いことではなく、同じような研究をしている学者は少なくない。

 例えば、石化蜥蜴バジリクスの毒を上手く使えば壊死を食い止めることができることが発見された。

 これにより、今までは切断するしかなかった病や怪我を治療できることが判明したりしている。

 まあ、石化蜥蜴の毒を使うというと、それなら切断した方がマシだと拒否されることも多々あるらしいんだけど。


 彼が罪人と言われるのは、その研究が暴走したからだ。


 「魔獣の能力を有効活用すること」が「人間に魔獣の能力を与えること」になり、最終的に「人間の魔獣化」の研究へと変わってしまった。


 人間の魔獣化…それはつまり、「魔族化」だ。


 アンダ博士は、魔族の体組織標本…厳重に封印されて密かに保管されていたもの…を盗み出し、それを十人を越す犠牲者に注入した。


 結果、犠牲者らは無残な姿で発見され、アンダ博士の実験が明らかになる。


 報告書によると、人としての姿を留めていたものは皆無ながら、全員、生きていた…そうだ。


 大学を管理、統括する学長らはすぐさま博士の処分を決定した。

 実験は明らかに、「未知を知りたい」という範疇から…いや、人の道から外れていた。

 厳罰は、当然の結果だと思う。


 その非道な実験から二日後。


 彼の研究室に大学の治安部隊がなだれ込み、弟子のほとんどをその場で殺し、魔族の体組織を含む研究資料を押収。

 アンダ博士本人は取り逃がしたものの、その研究の全てを取り上げることに成功した。


 俺がその話を聞いたのは、全てが終わってからだ。

 ある日唐突に呼びだされ、報告を受けた。


 つまり、罪人にはすでに罰を与えた。

 大学としては責任を果たしたので、追及してくれるな、という申し出だ。


 釈然としないものはあったけれど、俺はナランハル・アスランとしてその弁明を受け入れ、陛下…親父に報告をした。

 研究資料をアスラン軍立ち合いのもとで焼却することで、大学への処分を俺に任せてもらえないかと添えて。


 親父はしばし考え、良いよ、とあっさりと認めてくれた。


 研究成果と資料の焼却には俺も立ち合い、捕縛された弟子にこれ以上の資料がない事を証言させたうえで、完全に燃やし尽くした。


 学者にとって、資料の消滅は致命的だ。

 自分の書いた論文だって一字一句覚えているわけではないし、新しい仮説の検証に古い資料を使うことも当然ある。

 さらに、後継者であり協力者である弟子まで失くしては、再起は不可能に思えた。


 だから、逃亡した博士の追跡は大学に任せた。

 そこで軍を動かせば確実に捕えてくるだろうけれど、これ以上介入されたくないという学長らの思いは分かる。


 介入を認め、口出しを許すようになれば、王家や軍に都合のいい研究にばかり力が入り、博物学のような役に立たない学問は捨てられていくだろう。


 世界を識る。


 それが大学の理念であり、理想だ。


 どんなにくだらないように思える研究でも、大学で学者と認められれば研究室が与えられ、論文は真剣に考察される。

 学者たちは己の研究を語り合い、時には共同で進め、世界を解き明かしていく。


 そこへ…設立したのはアスラン王だったとしても…王が踏み込んで捻じ曲げてほしくはない。


 犠牲者の遺族への賠償を大学が支払う。それが、大学側の処分とした。


 ただ、犠牲者の多くは周辺諸国からやってきた移民や難民。

 遺族自体ほとんど見つからず、移民へのタタル語教育について、大学側から教材や人手を出すことで、賠償の代わりとした。


 移民対策を担当している官長からは「これで少しは楽になる…僕の次の次くらいからねえぇぇえ!?」という喜びの声もいただけたな。

 うん。狂気の笑みと言うのを見せてもくれたけど。ええっと、ごめんなさい。


 俺はそこまで関わり、それで「終ったこと」にしていた。


 懸念がなかったわけじゃない。

 昔から、逃げた熊は巣穴まで追え、という。

 中途半端に放置していては、何をするかわからない。息の根を止めるまで安心するな、と言う教えだ。


 その教えの意味を、先人の知恵を、俺は今、猛烈に実感している。


 追うべきだった。楽観視などせずに。

 そうしていれば今回の件は何も起きなかったかもしれない。


 アンダ博士なら、クバンダの蜜についても良く知っていただろう。

 あの一件の後、マーヤー博士がそれが目的だったかと呟いていたし。

 彼女の研究室に頻繁に訪れていたとも聞いている。


 だから、これは俺の責任でもある。

 あそこで追跡を命じられる立場の人間は、俺だけだった。


 魔族に関わるのが、近付くのが嫌だ。

 それだけで、俺は日和見を決めた。どうしようもない失態だ。


 今考えると、その後を予測したうえで、親父は敢えて俺にやらせてみたんだろうなあ。

 甘すぎる考えの息子に、責任を取ることを身をもって学ぶようにと。


 「ふ、ふふふふ…」

 哀れな巨人の横で、アンダ博士は身をよじる。


 王子を前にして恐れ入っている様子はない。

 むしろ、可笑しくて可笑しくて堪らない、と言った様子だ。


 うーん、まあ、いきなりアスランの王子だと名乗られても、コイツやべーやつだなと思われるだけだよなあ。

 だけどほら、物語とかでよくあるだろ?貧乏な冒険者は実は王子様だったのです、って。


 うちのパーティ、ありがちでしてね。


 エディさん辺りに言ったら、「ねぇよ!」ってキレられそうだけど。


 「あっはははははぁ…ナランハル…ナランハルか!」


 「頭が高い。今すぐ頭切り落として足元に埋めて平伏しろ」

 ゆらりと立ち上がりながら、クロムが吐き捨てる。

 それもう、死んで倒れてるだけじゃないか?


 「平伏…?何故だ。何故、私がそのようなことを?王子だと?だからなんだ。たかが王の子だというだけの若造を、何故畏れ敬う必要がある?!」


 アンダ博士は狂ったように…いや、多分彼は狂っているが…ぎらついた目で俺を見る。

 穴が開くどころか、バラバラに分解されそうな視線だ。


 「だが、これほど嬉しい出会いはない…これも女神アスターの導きか?それとも探求神クロウドの加護か?


 何でも構わぬ!まさかもっとも欲していた実験材料が、こうもあっさり手に入るとはな!」


 「実験…材料だと?」

 クロムの顔から表情が消える。

 あ、これは完全に怒っているな。


 「実験材料…って、俺を指しているんだよな…」

 ナランハルって言っているんだし、俺以外はあり得ないだろう。


 けど、アンダ博士が、俺で何を?何を知っているんだ?


 彼の研究は、人を魔族化させること。

 肉起動兵もその一環として術式を覚えたんだろう。


 魔族化させるためには、原材料として魔族が必要だ。


 おそらく彼は、器に召喚し、顕現させるのことではなく。

 そうして召喚した魔族を材料に、人を「魔族のようなもの」とすることを最終目的としている。


 それを彼は、「人を次の段階へ進める」と弟子に説明していたそうだ。


 そのために、俺を?

 なんでそう思った?彼はどこまで考察している?


 「ナランハル・アスラン…その体を満たす黄金の血を、人の進化の為に捧げるのだ」


 「は?」


 黄金の血?

 それは、うちの血統を、尊いものとして呼ぶ言葉だ。


 けど、うちの血をどうこうしても、俺みたいな顔が増えるだけでなんも進化しないと思うけれど…


 「大クロウハ…その血は、どこから来た?」


 大発見を発表するかのように、アンダ博士は両手を広げ、満面の笑みを浮かべる。

 興奮が、顔を耳まで赤く染めていた。


 「異空の彼方。この世界ではない世界。そこより来たのだろう!」


 「そんなことは、学校の教科書にも書いてある。今更なにを…」


 今から200年前、アスランがまだ国として成立していなかったころ。

 タタル高原はカーラン皇国の支配域となり、カーランに認められた氏族が、その他の氏族を迫害していた。


 俺達ヤルクト氏族は一番ひどい扱いだった。

 ヤルクト氏族は奴隷市ではなく家畜市で売られていたと言えば、その扱いが解るだろうか。


 なんでそんな扱いを受けたのかと言えば、ヤルクト氏族は文化風俗がわりと独特で、見た目もカーラン人とだいぶん違う。

 黒目黒髪が多いカーラン人や定住氏族と比べ、淡い色の髪と瞳を持ち、体格も大柄だ。

 ようするに、はっきりと異人種だったわけだ。


 本来、「ヤルクト」というのは黄色い乳を意味していて、羊や牛の乳が黄色くなるほど栄養豊富な、恵まれた地を示す。

 今の大都があるあたりだ。


 その地を奪われ追われ、襲撃されては人や家畜を略奪され…200年前には、ヤルクト氏族は百人に満たず、あと一度か二度襲撃を受けたら滅ぶ、と言うところまで来ていた。


 父母を殺され、十代半ばで族長兼巫女となっていた国母ライマラルは、この窮状を氏族の守護神である雷帝リューティンに訴え、助力を願う。


 そして雷帝が遣わしたのが、大クロウハである、とアスラン王国史書は伝える。


 彼が本当にどこから来たのかと言うのは歴史学者の間では長年の謎になっていた。

 なんせ、あんまり踏み込むと不敬罪に処される恐れがある。


 近年ではシドウの弓の材料や形状、靴を脱ぐ習慣などから、ヒタカミ諸島の出身ではないかっていう説が有力だ。


 まあ、はっきり言うと、違うんだけど。


 大クロウハは、異界を渡ってきた。

 ライマラルが雷帝の刻印保持者のみが行使できる御業、『万軍の主』を用いて召喚したんだ。


 一般的には、この加護により保持者の指揮能力が上がるとか、士気を高められるとか思われているけれど、そんなことはない。

 ただ単に、開祖と五代の統率力が素からずば抜けているだけだ。


 『万軍の主』はその名の通り、万を超す軍を統率できる能力を持つ将、その実績を持つものを、異界の彼方より呼び出す。

 呼び出せる異界はひとつだけで、こちらと似た世界だ。

 聞く限り、多くの動植物が同じ特徴を有している。魔獣はいないみたいだけど。


 そして、呼ばれるのはその世界では死んでいる人物だ。

 話を聞くと、ちゃんと死んだ瞬間まで覚えている。

 夜寝て、翌朝目が覚めたみたいに、こちらにいたのだと。


 自分の体のどこに矢が刺さったかまで覚えているし、その矢傷も残っている。

 どうやら肉体ごと召喚されて、それこそ神の御業で生き返った状態らしい。

 本人曰く、胃の痛みとか関節炎も良くなっているし、少々若返った気もするそうだ。


 そんなわけで真相は結局、史書の通りだし、という事で、代々のアスラン王はその謎に口を挟まないことにしている。


 けど、それが何だって言うんだ?


 「ファン・ナランハル…魔獣は、非常に不安定な存在だ。

 だが、魔獣は番い、子を残すことができる。

 元の生物より進化したものとして存在する。

 だが、魔族はどうか?魔族が人間や他の生物との間に子をなし、定着したという逸話を貴様は採集したことがあるか?」


 まるで俺の指導教授のように、アンダ博士は指を突きつけ、問うてくる。


 「聞いたことも、文献で見たこともない。魔族はそんな存在じゃないだろう」

 あれは、何も生みださない。ただ、破壊し、殺し、消えるだけだ。


 「そうだ。そうなのだ!魔族は人間を器として顕現する。だが、それだけだ…」


 血走った目が、俺を見据えて離さない。

 あー、この感じ、覚えがあるな。俺も探していた資料見付けた時、多分こんな目をしてそう。


 「だが、ナランハル…その黄金の血を残したのは、誰だ」


 「…大クロウハを、魔族とでもいうのか?」


 それは、流石に許せない。

 彼は、人間だ。

 ただの、人間だ。

 妻を子を、家族を仲間を愛し、一生を懸命に生きた人間だ。


 「魔族ではなかろうよ…だが、大切なのはその血だ。

 より正確に言えば、大クロウハではなく、開祖クロウハ・カガンの血だ!

 この世界と異空の、二つの血を受けて生まれた存在だ!」


 手を振り回し、唾を飛ばして博士は自説を語る。


 今のうちに攻撃できればいいんだけれど、接敵するより肉起動兵が動き、後ろの魔導士が攻撃してくる方が早いだろう。

 風壁の守りも健在だ。矢を射かけても弾かれる。


 「つまり既に、異空を受け入れた血なのだ!


 わかるか!?私がこの仮説に辿り着いた時の喜びが!我が研究の最大の障壁を乗り越える可能性を見出したことの興奮が!」


 「…何を、言いたい」


 「魔獣は、生物だ。子孫を残し、増えようとする。しかし、魔族はそうではない」


 そりゃそうだろう。魔族は魔族だ。生物じゃない。


 「魔族が顕現した場合、人としての本能、生物としての機能は失われる。

 だが、それでは意味がないのだ。人を次の段階に進ませるためには、取り込まなくてはならないのだ」


 「だからそれが、なんだって言うんだ!」

 「親和性だよ…ナランハル」


 にたあ、と顔を歪ませ、アンダ博士は答えた。


 「すでに異空の血を取り入れた血筋なら、魔族となっても人の本能を失わない可能性がある。

 喜べナランハル。

 実験が成功すれば、お前は、この世界を統べる存在になる。新たなる人類の父祖となるのだ」


 絶対に無理だ。


 彼が、どうしてそんなことを思いついたのか。

 いや、彼がどうして、それを正しいと思い込んでしまったのか。


 狂気。

 そうとしか言えない。


 生き返ったことを特異点とするならそうだけれど、最高位の御業を用いれば死者の復活は不可能じゃない。

 いろいろと条件があるし、成功すれば歴史書に記載されるくらいの奇跡だけど、起こりえる奇跡だ。


 あ、というか、アンダ博士は『万軍の主』の詳しい条件までは知らないんだから、復活した死者であるって言うことは知らないか。

 アスラン王家うちでさえ、四人目の出現でようやくそう言うことなんじゃないかって確信した項目だし。


 それに、生き返ろうが何だろうか、そもそも大前提として、人間だ。

 魔族という生物に分類していいかすら不明瞭なものとは違う。


 「大クロウハは人だ!たとえ異空からやってきたとしても、人と言う生物だ!だから子孫を残せた!魔族とは何もかもが違う!」


 「やってみなければわからんだろう?ナランハル」


 出来の悪い生徒を諭すように、アンダ博士は首を振る。

 残念だ。君にはまだ難しいか。まあ、おいおいわかるさ。

 そんな声が聴こえてきそうだ。


 「学問とは、仮説を立て、実験し、失敗すれば原因を追究する。そして真実へ僅かでもにじり寄る。その繰り返しなのだよ。愚者にはわからないだろうけれどもな」


 「博物学じゃ、あきらかに間違った分類をすることを推奨しない」


 「可能性だ。可能性がある限り、試すべきなのだ。

 人は弱い。脆弱な生き物だ。

 だから、無駄に争い、やや強いだけの個体が全てを奪う。

 どうすればそれを防げる?この愚かな人間を救える?」


 解説と言うより、すでに演説だ。恍惚とした表情に顔を歪ませ、アンダ博士は手を広げた。


 「一つの手段として、優れた王や指導者の存在があるだろう。

 現にアスランは、法による統治を続け、大都は世界で最も繁栄する都市だ。


 だが、それもたった一人でも暗愚の王を輩出し、暴君を頂けば夢のように終わってしまう…


 想像してみろ、ナランハル。大都のあの賑わいを!百万の人間が行き交い、ありとあらゆる言語が飛び交い、それでいながら秩序が保たれているあの大輪の華を!そしてそれが、たった一人の王のために無残に散る様を!」


 それは、まあ、王政と言う形態の弱点だろう。


 実際、四代大王の御代、それは起こった。

 四代大王の宮廷は、各氏族や貴族出身の有力者が派閥を作って争う場だったと史書には記載されている。


 その有力者の後ろには周辺諸国やカーランがいて、ようはアスランの崩壊や傀儡化を狙っていたわけだ。

 四代大王は媚び諂う臣ばかりを重要な地位につけ、諫言する臣を遠ざけ、あるいは処刑した。


 朝に発令された新法が夜には撤廃され、また翌日には新法が…と、まさに大都は無法状態に陥った。

 重臣の一族や取り巻きがやりたい放題に振舞い、治安はどん底まで悪化し、真昼間に強盗殺人が横行するようなありさまだったと史書は記載している。


 「人は、そこまで愚かじゃない」


 確かに、四代の御代、アスランは滅びかけた。

 けれど、そうならなかった。


 遠ざけられた心ある人々に守られ、成人を迎えた王孫ジルチは兵を挙げ、四代を大都から追放して五代大王として即位した。

 即位と同時にやりたい放題だった連中を処断し、乱立する法を三代の御代の頃に戻した新王を、民は歓喜をもって迎えたと史書は語る。


 さらに五代大王は、佞臣を裏で動かしていた諸王国を悉く攻め滅ぼし、アスランを大強国とした。


 開祖に次いで讃えられる大王だ。…人格は、結構破綻していたみたいだけれど。


 その父の跡を継いだ六代大王トヤーは、大都そしてアスラン全域の治安回復と安定に全力を注ぎ、法を整備して厳格化させる。

 

 曽々祖父様と、曽祖母様、そしてその後に続く、祖父ちゃん、親父、兄貴。

 王たちと、支えてくれた臣、信じてくれた民…全ての人たちの不断の努力が、今のアスランの繁栄だ。


 もう、アスランは証明している。

 失政は、その後に続く人々の努力で取り返せると。


 人でないものになる必要なんてない。人は人のまま、強くなれる。


 「いいや、愚かだ。愚かで、弱い。それが、人間だ」

 けれど、博士は退かない。

 「だから、次に進むことが必要なのだ。ナランハル…」


 だけど、俺だって退くわけにはいかない。

 博士の主張は結局、お前らは馬鹿だから何しても無駄だと言っているようなもんだ。


 認められるわけがない。

 それこそ、学問と同じだ。


 考え、試し、失敗すれば原因を探り、前へ前へと進んでいく。

 その先にあるのものが今よりも嘆く人が少ない世界だと信じて。


 「人は、愚かで弱い。それは真理だ。

 けど!

 だからこそ前へ進もうとする!力を合わせる!後を引き継ぐ!

 そうして一歩でも前に進んでいくのが人だ!」


 「甘く、そして愚かなことだ。ナランハル」

 俺の反論を、博士は首を振って躱した。

 歯牙にもかけないとはこのことだろう。


 「そのわずかな一歩を、大勢の愚者が台無しにしていく。

 愚者が手出しできないほどに大きな前進が必要なのだ。


 優れた王は、国を繁栄させる。だが、人は死ぬ。百年も持たぬ。


 次に王位を得るのが優れた王とは限らぬ…暗愚か、暴虐か…いや、凡庸ですら王にとっては罪だ。国を腐らせ、多くの民を巻き込む罪だ。

 だが、竜のごとく長命な王がいればどうだ。竜のごとく強く、長命な王がいれば!」


 眼を炯々を燃え上がらせ、アンダ博士は自説を展開する。

 弟子と思われる魔導士たちも、大きく頷きながらそれに同調していた。


 「優れた王の元、人は陰ることもなく繁栄を続ける。

 よしんば寿命が来たとしても、長命ならば次代を選ぶのに納得するまで時間をかけることができる。次もまた、優れたものが王となれば良いのだ!

 ナランハル!お前が優れた王であるかはわからん…

 だが、お前で成功すれば、次はお前の兄だ!雷神と名高き第一太子オドンナルガならば、千年の王にもなれよう!」


 「ふざけんな!」


 俺が、優れた王にならないのはまあいい。そりゃそうだ。

 自分だって名君になれるとは全く思わない。

 たぶん、大事なところで迷ってぐだぐだになる。そんなことはどうでもいい。


 「お前の妄想に兄貴を巻き込むな!」


 兄貴は人だ。

 人だからこそ、人の王になれる。

 弱さも脆さも内包して、けれどそれを乗り越えようとしている。


 その努力を、決意を無駄と言うな。


 例え妄想の中であっても、俺の大切な家族を化け物に堕とすな!


 俺の内心の憤りを感じたのか、盾を構えるクロムが、ち、と舌打ちを漏らした。

 「トールが狙いかよ…それならさっさとあいつんとこ行けよな…」


 不満の内容は俺の憤りとは反対側な気がするけれど。

 クロムの愚痴に、珍しくユーシンが頷いて同意する。


 「うむ、そうすれば、今頃骨まで炭化していただろうに」

 「え?首を刎ねるんじゃなくて?」

 「雷に打たれると、炭になると聞いた!ここまでアスラン王家を侮辱しているのだ。殺しただけで許すとは思えん!」


 「なにそれこわい…」

 不安そうに、ヤクモは俺を見上げる。

 「ねぇ、あのおっさんの言う事、よくわかんないんだけど、結局、ファンをどうしたいの…?」


 俺にもよくわかんないっちゃあ…わかんないんだけどな。


 彼が、一線を越えてしまっているのは間違いない。


 その一線をどこで越えたのか。

 弟子と研究室を失ったときか。

 学部長の座を争い、破れたときか。

 育ての親を賊に殺されたときか。

 それとも、クトラが滅び、故郷と両親を喪ったときか。


 彼はその歪み、狂った思考の中で、模索していた。


 二度と、大事なものを奪われないためにはどうしたらよいかを。

 奪わせないためにはどうすればよいのかを。


 最初はその為に、魔獣を研究していたはずだ。

 その力を活用することで、多くの人々が救われるように。


 けれど、その研究は彼に望んだ結果を与えなかった。

 そして辿り着いたのは、魔族の力を取り入れた人間の創造と言う悍ましい領域。


 「魔族を…ファンに召喚したいの…?」

 「それは違うと思う」

 それじゃただ単に、俺を器に魔族が顕現するだけで、普通の魔族だ。

 …俺を器にすれば、今まで顕現した魔族と比べ物にならないのが現れるけれど。


 「じゃあ、なに…?」

 「彼は、アスランの大学で魔獣を研究していた。

 けど、その研究は魔獣の能力を取り込んだ人間を作る事へと変わっていた。その方法として、魔族の体組織を生きている人間に注入するという実験を行ったんだ」


 犠牲者は、年代、性別がキッチリと分けられていた。胎児から、老人まで。


 まさに、それは、実験だった。

 データを積み重ねるために、まずは一通り試してみよう。そんな考えが見えるような、犠牲者の選び方だった。


 「もちろん、結果は失敗。彼…アンダ・グロサスは禁忌に手を出したとして、大学は治安部隊を動かして捕縛を試み、彼と数人の弟子は逃がしたものの、研究室と資料の破壊には成功した。

 で、どうしてそう思ったのかはわからないけれど、うちの家系なら上手くいくと彼は確信している」


 「えっと、さっき言ってた、異空がどうとかってやつ?」


 「ああ。魔族も異界からくるから、別の異界からとは言え、この世界のものじゃない血が混じった俺たちなら、成功率が上がるって仮説を立ててる」


 絶対にそれはないと断言できる。

 大クロウハが子を残せたのは、彼が人間だったからだ。


 「異空から来た」という違いを持っていたとしても、人間だったからだ。


 人間同士なら、まったく違う人種だろうと生殖できる。

 肌や目の色、髪の色の差なんて、些細すぎる差異だ。

 多少耳が尖っていても角が生えていても尻尾があっても、「人種」である以上誤差にも等しい。


 では、魔族はどうか。


 魔族と人は、虫と人よりも違う。

 例えるなら、嵐との間に子を作れるか、というような差だ。


 気象現象と生殖なんて、出来るはずもない。

 彼が言っているのは、お前の先祖は異国人だから、雲を飲み込ませれば浮けるようになるだろう、と言っているようなもんだ。


 そう言うことを、(俺にしては手短に)仲間たちへ説明した。


 「なるほど。つまりイカれてやがるのか」

 「彼は至極まっとうなつもりだろうけど」

 「イカれた奴はたいていそう言う」

 うん、なんで俺見て頷いているのかは後で聞こう。


 「けど、いくら失敗は確定だと言っても、実験材料にされるわけにはいかない」

 それに何より、その前段階だ。


 「博士は、実験にもっとも必要な材料である、魔族の体組織を失っている。

 今、俺と言う材料を手に入れる好機が訪れている以上、必ずそちらも手に入れようとするだろう」


 「つまり、魔族を呼ぶってわけか」


 「ああ。むしろ、俺が偶々現れただけで、今回はそれを最初から狙っていたんだと思う」


 「ファンの常識と同じ世界の人だったかあ…」

 ただの麻薬商人なら、知らない話。


 けれど、魔族の利用なんていう妄想に憑りつかれた男には、基礎知識だ。

 数ある麻薬の中から、クバンダの蜜と言う品を選んだのは、やっぱり偶然じゃなかったようだな。

 仮説が証明されても、嬉しくもなんともないけれど。


 「えっと、薬を使いすぎると魔に近付くって言ってたよね?それとは違うの?あのおっさんが言ってること…」

 「いきなり熱いお湯に入ると飛び上がるけど、ぬるま湯から慣らしていけば浸かっていられるって程度だな…近付くってのは。

 彼が目指すのは、煮えたぎる熱湯の中で鼻歌うなってご機嫌なレベルだ」


 魔族に関する知識は、俺よりも彼のほうが遥かに蓄えているだろう。


 器を完成させる条件もおそらく把握している。

 そして実際に、魔族を呼び出す召喚の儀式についても何通りも調べてあるはずだ。


 体組織を採取できるほど、大人しいのが出てくるとは思えないけれど…非常に弱体化させた状態で呼び出す方法も確立しているのか?

 何せ、彼が欲しいのは魔族そのものじゃない。

 実験材料としての魔族の体組織だ。


 制御不可能なほど強力な魔族が顕現するのは、本意ではないはず。


 それとも、そんなこともわからなくなっているほど、狂ってしまっているのか?


 肉起動兵で押さえるつもりだったのなら、今ここで動かさないだろうし…それとも、もう何体か作成しているのか?


 「おしゃべりは済ませたかね?ナランハル…」

 いっそ穏やかに、博士は声をかけてくる。


 「さて、取引をしよう。

 私は君を、生きたまま手に入れなくてはならない。

 できれば傷をつけず、完全な状態でね。

 でなければ、その後の実験に差しさわりが出る」


 「じゃあ、今すぐ死ね。それが一番、主が傷つかん」 

 クロムの悪態を、博士はそよ風でも顔に受けたかのように流した。

 本当に耳に入っていないのかもしれない。


 「その身を捧げよ。ナランハル。そうすれば、護衛どもは見逃してやろう」

 「断わる」


 俺の返答を、博士は予期していなかったようだった。

 眉を寄せ、信じられないものを聞いたような顔でこちらを見ている。


 「断わる、と言った」


 すぐ横で、クロムがにやりと笑う気配がする。


 「そんな取引、するわけがないだろ。意味がない」


 「…護衛は、王族のために死ぬのが当たり前だと?」

 「そんなことは言っていない」


 アンダ博士の顔が、再び赤黒く染まる。

 「なら、断る理由はないだろう!お前ひとりで、三人救えるのだぞ!」


 「四人だ」


 クロムと、ユーシンと、ヤクモと、俺と。

 「お前と、その哀れな巨兵を倒せば、四人だ。

 誰も欠けずに済む。簡単な話だろう」


 悩む必要もない。

 三人助けるより、四人で生きて帰る方が良いに決まっている。


 自己犠牲を前提にした救済なんて、間違っている。

 それは自分だけを救うやり方だ。

 「誰かを犠牲にした」と言う事実を、他人に押し付けるだけの究極の無責任だ。


 「目の前に誰も見捨てないって選択肢があるのに、わざわざなんで犠牲を出す方を選ぶって言うんだ。

 俺は、俺の命も、誰も命も諦めない!

 取引だと?なんの取引にもなっていない!するのなら、全ての罪を認めるのでせめて斬首で終わらせてくれと乞うてみろ!それなら一考くらいはしてやる!」


 「…身の程知らずめ…」

 創造主の怒りを感じたのか、ゆらゆらと身体を動かしている肉起動兵が、その動きを止めた。


 「護衛どもを、目の前で肉汁に変えてやろう。それはお前の罪だ、ナランハル。その傲慢さが招いた罪と心得よ」

 「やれるもんならやってみろよクソが!」

 クロムが叫ぶ。それと同時に。

 

 肉起動兵が、はしった。

 

 速い!


 声が届く程度の距離は、あっという間に詰められる。


 けど、それは俺たちにも想定内だ。

 特に打ち合わせはしていなかったが、全員、一瞬の躊躇いもなく、まだ無事な建物が並ぶ区画へと駆け抜ける。


 それからわずかに遅れて、轟音と衝撃が走った。

 あの家を破壊するような一撃が繰り出されたんだろう。


 追ってくる気配は当然ある。


 駆け込んだ路地へ、巨人はその巨体を顧みず突っ込み、両脇の建物を破壊した。


 路地を曲がる時に、ちらりと見えたのは壊した壁の一部を持ち上げる手。


 つい先ほどまで俺たちがいた場所に、その瓦礫はすさまじい速度で叩きつけられ、正面の建物に突っ込む。

 当然建物は無事では済まず、崩れ落ちた。


 けれど、その断末魔と飛び散る粉塵は俺たちの姿をくらまし、逃走の手助けをしてくれる。


 この機会を逃すわけにはいかない。全力で走り続ける。


 ユーシンを先頭に家の合間を駆け抜け、庭を横切り、塀を乗り越え、息が上がってくる頃には、奴の視界から…あればだけど…逃れることができたようだった。


 「めちゃくちゃだな」

 肩で息をしつつ、クロムが呟く。まったく同感だ。


 「どうすればあれを倒せる?何千回と槍を叩きこめば死ぬか?」

 「まあ、物理的にそれだけやれば死ぬだろうけど、厳しいな。せめて魔導士たちから離れたところでやらないと、束縛系や鈍化の魔導を食らったら終わる」


 捕縛ホールド鈍重スロウみたいな、そこそこ難しい魔導でなくても泥状化スネアのような簡単な術式だって足を取られたらこちらの負けだ。


 「では、どうしたらよい?」


 「アレも一応起動兵ではあるから、どこかに核がある。それを壊せば崩壊する。それに、肉起動兵は生きた脳が動かしているから、頭を破壊すれば動きは止まる…と思う」

 「それなら、なんとか俺と馬鹿で動きを止めて、お前が狙撃するしかないか…鷹の目はもう使うなよ」

 「いや、あれだけ弱点をむき出しにしてるんだから、矢避けの結界くらいはあると思うぞ?

 まあ、けどやってみるしかないな。

 …無効化の矢を使えば、なんとかなる。この先に取っておきたかったけどな」


 破壊音は続いている。見付からないから手あたり次第なんだろう。


 俺を生かしたまま捕えるとか言ってた割には雑だ。

 さっきの一撃、逃げ遅れれば俺も一緒にぺっしゃんこになっていた。

 もう、アンダ博士にまともな思考は望めないのか…。


 いや、と思い直す。

 彼は完璧にイカれているけれど、見境なく狂っているわけじゃない。


 研究の方向性や人間性は狂って歪んでいるが、だからこそ、生体として確保したい材料を、自ら損なう真似はしない。


 となると、彼はまだ、肉起動兵の扱いに慣れていないんじゃないのか?


 それはありえそうだ。

 起動に際し、傭兵と思われる部下たち全員の生気を使っていた。そうほいほい動かせるものではないんだろう。

 思ったより制御が効かない事に、一番驚き焦っているのはアンダ博士なのかもしれない。


 「そういえば、ファン。奴は俺に、アスランの猟犬かと言っていた。奴はアスランの罪人なのか?」


 そんなことを考えていると、ユーシンが首を傾げて問うてきた。


 「ユーシン、やっぱりファンの話、全然聞いてなかったんだね…」

 ヤクモがようやく整えた息でため息を吐く。

 うん、その辺説明したよね?まさか寝てたのか?


 けど、ユーシンの質問には気になることがある。


 「アスランの猟犬…?大学の追手じゃなく?」

 「ああ!違うと言っておいた。俺は今、冒険者だからな!」


 ふんすと得意げに胸を反らすユーシンは、元から息ひとつ荒げていない。

 高山地帯で生まれ育ったというのもあるけれど、本当にコイツの身体機能には感心する。

 魔の力なんて取り入れなくても、十分人は進化できる実例だよなあ。


 それはさておき、アスランの猟犬か…。


 「もしかしたら、アスランでもクバンダの蜜を売ったのか…?」

 「ありえるな。アステリアで売りさばくよりよほど儲かる」


 そうだとすれば、おそらくアスランの西方国境付近だろう。


 彼は、生まれ故郷が滅び難民となった後、西方国境で養父と共に暮らしていた。

 魔獣の生態学者だった養父の存在が、その研究のルーツになっているのは間違いない。


 アスラン側の西方国境の街、サライ。


 あの街は、良くも悪くも坩堝だ。

 大都の大バザールよりも多種多様な…禁制の品ですら、あの街では取引される。

 研究と実験の副産物を売り捌くには、うってつけだ。


 ただし、当然禁制品の密売が容認されているわけじゃない。


 見つかれば罰は避けられないし、多くの場合は見せしめに処刑される。

 持ち込まれた経路の追及も厳しい。


 まして、クバンダの蜜だ。

 最初に掴まった密売人は、捕まる前に自決できなかったことを悔やむくらいの目にあっているだろう。


 「…兄貴が、情報を掴んだとすればどうでるだろう」


 あの街は、代々の一太子オドンナルガが任される。

 つまり、今は兄貴の管轄下。


 禁制品は数あれど、アスランが特に目を光らせる品の一つが、クバンダの蜜だ。


 かつて、ガルダ帝国から持ち込まれたこの麻薬は、アスランの将や大臣にまで広がり、多くの情報や金銭が敵国へと流れた。


 何せ、多くの麻薬に見られる譫妄や幻覚症状、性格の変化と言った兆候がほとんど見られず、耽溺しているのに周囲が気付きにくい。

 気が付いたら重要な地位にある人物が中毒になり、闇商人の…そしてその後ろにある、ガルダ帝国の言いなりになっていた、なんていう事が起こりえる。

 だから、粗悪品ならともかく、高級品に対しての取り締まりは相当に厳しい。


 ガルダ帝国は弱体化し、今はもう、メルハ地方の国の一つ程度になっている。

 だからと言ってアスランに決してちょっかいを掛けてこないとは言い切れない。

 一度は苦汁をなめさせられたからこそ、油断せずに目を光らせている国だ。


 その麻薬の情報を掴んだのだから、徹底的にやるな。兄貴なら。


 おそらく、「クバンダの蜜ならメルハから」という先入観を利用して出し抜くつもりだったのだろうけれど。


 「トールなら、三日以内に片を付けるだろう!」

 「売人を切らせて大本逃がすような真似はしないだろうな。アイツなら」


 兄貴を良く知る二人の意見は、俺とまったく同じものだった。

 ヤクモが僅かに顔を引きつらせる。

 ごめん、兄貴。また兄貴の印象を悪くしたかも。


 「それで、大本は隣国にいると知ったら…」

 「俺がトールなら、傭兵を動かす!」


 破壊音が止まった。こちらを捜しているんだろう。

 魔導士たちに索敵の術があれば危険だ。移動した方が良いか?


 手振りで移動を指示し、駆け足を始める。

 さっきとは違って全力疾走じゃない。考え、話し合う余裕がある。


 駆けだしてすぐ、ユーシンが話を続けた。


 「ウルガ叔母上に頼む!クトラ傭兵団を戦力として託せばいい!」

 「やっぱり、そうだよなあ」


 クトラ傭兵団は、少数精鋭。

 それほどの人数を動かさなくても、十分な戦力になる。

 そして、ウルガさんはアステリアの参謀だ。山賊討伐の為に傭兵を雇用としたとでも言えば、十分な言い訳になる。


 「…叔母さんも関わってるなら、あのクソは絶対に息の根を止めるぞ」

 「クロムとユーシンの親戚のひとなの?」


 「うむ。俺の母上とクロムの父上の従妹にあたる。そして、ナナイの母上だ!」


 「えええ!?そなの!?ってか、ナナイも親戚なの!?」

 ヤクモの丸い目が、さらに広がってまん丸くなる。


 「あー、知らなかったっけ」

 「知らなかったよー!クロムがナナイの事大好きなのは知ってるけど!あー、言われてみればユーシンとナナイ、ちょっと似てるね」


 「全然似てない。ナナイを侮辱するな」

 目の形とかは似てると思うんだけど、表情が違いすぎるからなあ。

 ユーナンなら、結構似ているんだけど。


 「もしかしたらエルディーンさんが言ってた、待ち合わせの司祭が来ないって言うの、到着前に捕縛されたのかもな」


 ドノヴァン大司祭が時間稼ぎをするための嘘かと思ったけれど。

 その話自体は本当で、すでに兄貴が放った猟犬が獲物の首に噛みついていたのだとすれば。


 「トールが動いているなら、動かしているのは傭兵だけじゃないだろうな。

 何せ、今アステリアにはお前がいるわけだし」

 「俺がいるからはどうでもいいとして、兄貴ならありえるな。ウルガさんに全部任しておしまいにはしないだろう」


 となると、すぐ近くまで援軍…が来ている可能性はある。


 昨日待ち合わせなら、捕縛されたのはそう前の話じゃないだろう。

 あまり早く抑えれば知られる可能性も出てくる。合流直前まで泳がしていたのかな。


 それでも、エルディーンさんたちは妨害されずに登ってきた。


 となると、完全に全部掴んでから動いたって言うより、捕まえて次を聞き出しているのか。


 それならなおさらだ。

 もしかしたら待ち合わせの情報を聞いて、村や旧参道入り口に到達している可能性もある。


 「兄貴が動いているなら…すでに、ここらへんまで来ているなら、麓の村については心配しなくていいんだけど」


 ウルガさんは、高位魔導士だ。ゴーレムの解呪くらい、出来るかもしれない。


 相手の動きで一番困るのが、麓の村にゴーレムを向かわせることだ。

 そうなったら、短期決戦を挑むしかない。


 負けるとは思わないけれど、こちらも相当な消耗を強いられる。


 この一戦で、全てが終わるなら、いい。

 けれど、ドノヴァン大司祭の姿が見えない以上、最悪の事態は想定しておくべきだ。


 クロムの御業だって無限に使えるわけじゃない。

 もうあと二回が限度だろう。

 限界を超えれば失血と精神の消耗で昏倒する。

 目を覚ましてくれるかは保証がない。そんなことをさせるわけにはいかない。


 ユーシンもピンピンしているが、風の守りを強行突破したダメージは当然あるし、疲労も蓄積している。

 俺とヤクモは無傷だけれど、無傷なだけだ。

 脚は重くなってきているし、そろそろ体力の消耗が無視できなくなる。


 「…むしろ、村へ行かせるという手もあるぞ。まだトールの手が届いてなかったとしても、おっさんたちいるだろ。魔導士含みのパーティなら俺たちよりよほどうまく処理してくれるだろうよ」


 クロムの言うことは、一理ある。

 エディさんたちの方が、俺らよりも攻撃手段は多彩だ。

 ロットさんら、『聖壁』を行使できる神官もいる。

 村を守りながら戦うこともできるだろう。


 けど。


 顔を上げて、あの哀れな巨人がいるであろう方向を見る。


 彼を、村人たちに見せるのか。


 もしかしたら、あの頭部は、村人の知っている顔かもしれないのに。


 それに、完全に防ぎきれるのか。


 接敵にエディさんらが気付く前に、楢の木一本でも引き抜いて投げられれば…酷いことになる。


 「駄目だ、クロム」

 首を振ると、クロムは呆れたように…けれど、どこか嬉しそうな顔で、俺を見た。


 「クロウハの遺語を侮辱する。俺は、だいじないって言ったんだからな」

 「御意」


 マーサさんから、村を守ってと依頼を受けた。

 報酬は受取済みだ。それを反故にするのは、冒険者の流儀にも反する。


 村には、向かわせない。ここで終らせる。


 「アイツを倒すなら、頭部を狙うか、起動させている魔導士を狙うしかない」

 今取れる方法はそれだけだ。


 「魔導士を狙うのはリスクが高すぎる。

 一人だけならまだ何とかなったかもしれないが、複数人だし。

 全員防御系の魔導も使えると見ていいだろう。

 おまけに、アンダ博士は弟子を盾にすることに躊躇いがない。一手で殲滅できなければこっちが負ける」


 「あいつ、射線を避ける位置に何げなく移動してたな…魔導騎士だったのか?」


 「いや、剣術や体術を極めたって記録はなかったし、逃亡したのは三年前程度だ。たったそれだけで武芸を極めたなんてことはないだろうから…」


 「そーゆー魔導?」

 ヤクモの質問に頷くと、クロムが顔を顰めた。


 「クソが…生身で勝負しろ」


 「魔導士にそれはないだろ。おそらく、警戒の効果を持つ魔導か魔道具だろうな。他の魔導と同時に発動してるなら、魔道具かな」

 そんなもんがあるなら、余計に魔導士を狙うのは避けた方がよさそうだ。


 「ふむ、それならやはり、俺らで足止めをしてファンの弓で攻撃か!」 

 「いや、足止めは危険すぎる」


 俺が混ざっているならともかく、いなければアンダ博士は嬉々として攻撃を仕掛けてくる。

 こちらが魔導で足を止められたら終わりだ。


 となると、あちらに気付かれる前に狙撃するのが唯一の手段か。


 狙撃するなら、相手より高所を取るのが望ましい。

 だけど、周りの建物は二階建てが多く、屋根までのぼっても巨人より上から攻撃は難しいように思えた。


 なんかないかと見回すと、やや離れたところにぽっかりと突き出た建物が目に止まった。

 物見台のようだ。


 「あれ、使えるかな」

 皆に方向を示し、歩き始める。


 破壊音は完全に止まっていた。やっぱり、無差別に攻撃して俺を巻き込むことを警戒しているんだろう。

 好都合だ。


 目指す物見台の足元に到達し、改めて見上げてみる。


 石造りで、中に人が入れるような造りではなく、ドアもなにもない。

 上へ登るには外壁に張り付く、所々崩れている階段を上るしかないようだ。

 途中で一度折れまがり、三階建て相当の高さまで続いている。けど、中が空洞でないなら上に乗っても崩落の危険性は低いだろう。


 足を乗せても、崩れる様子はない。


 よし、とひとつ頷いて、身を屈めつつ上を目指す。


 屋上に到達すると、草が生え、床がひび割れている程度には荒れていた。

 でも、崩れるような様子はないな。良かった良かった…。

 慎重に階段から体重を移し、屈んだまま前進する。


 物見台の上からは、広場とその先が一望できた。


 どうやら、俺達が最初に登ってきた道を最南端として、この台は東の端に建っているようだ。

 かつては、ここに登って朝日を迎える巡礼もいたのかもしれない。


 所々崩れた胸壁に身を隠しつつ、動きを観察する。


 「南へ向かっているな…」

 何も言わずについてきたクロムが、舌打ちを漏らす。


 肉起動兵はゆらゆらと、南へ向かっていた。

 俺達を捜している様子はない。

 あれは間違いなく、このまま隠れていれば村を襲わせるぞと言う意思表示だろう。


 「ここからだと…よし、射程範囲だな」

 大きさを指で測り、距離を目測する。

 この距離なら、一射で致命傷を与えられる。


 当たれば、だけど。


 いや、当てなければ。


 目を細めたのを見たクロムが腕を掴んできた。顔が若干怒っている。


 「鷹の目は使うなと言っただろ!」

 「使わなくても何とかなるさ。何せ、的がでかい」


 誤魔化してみたけれど、使わない、と言う選択はない。


 外すか、阻まれればこちらの居場所が知られる。

 手には瓦礫を持っているから、すぐさま反撃が来るだろう。


 必ず、一射で倒さなくちゃいけない。


 「射ったら、すぐに退避する」


 けど、例え一射で脳を破壊したとしても、即座に動きが止まる保証はない。

 狙撃の基本、撃ったら退避は守るべきだ。


 「『砦』で防ぐぞ」

 「これ以上連発は駄目だ。お前に負担が大きすぎる。俺たちの切り札の一つなんだから、温存しといてくれ」


 ものすごく不満げにクロムは頷き、俺の手を離した。


 「いくぞ。備えてくれ」

 「お前を抱えて飛び降りりゃいいんだろ。そのくらいやってやる」


 剣を鞘に納め、クロムはにやりと笑って見せた。

 不満も何も飲み込んで、俺の意思に従うと、言外に告げてくれる。


 「お前の守護者を信じろ」

 「ああ。いつでも信じてるさ」


 まあ、夜の店行き過ぎだし、その間主を放置してるのはどうかと思わないこともないけれど。


 俺の守護者ナランハル・スレンは、いつだって自慢の種だからな。


 片膝をつき、慎重に弓を引く。

 番えるのは、とっておきの術式を無効化する矢。


 動きが先ほどと違って緩慢なのは、俺達に見せつけているんだろう。

 ほら、いいのか?村へ行くぞ?出て来い。出てこなければ、村人が大勢死ぬぞ、と宣言しているんだ。


 させない。

 この一射で、なんとかする。


 右目に、激痛が走った。


 けれど、視界は陰っていない。

 哀れな巨人の不釣り合いに小さな頭部が、くっきりと見える。

 朝と同じくらい晴れていれば、中天の陽射しは目を眩ましただろう。

 今は、雲が日を覆い、和らげてくれている。


 あの人は、どんな人だったのだろう。

 燃料となっている、あの傭兵崩れと思われる連中の一人なんだろうか。

 それとも南フェリニスの鉱山から逃げ、故郷へ帰ることを夢見た一人なんだろうか。

 もしかしたら、最初に帰ってこなくなった、冒険者なのかもしれない。


 終わらせてあげたい。

 あの人の為にも。

 あの醜悪な胴の中で鼓動だけを刻み続ける、五人分の心臓の為にも。


 濁った白目は、何を見ているのかもわからない。

 狙うのは、その間。眉間。


 「一射必中ナム…」


 クロウハの遺語の一つ。弓を番え、必ずその一矢で倒さなくてはならないときに使う、祈りの言葉。


 右目の痛みが、消える。より正確には、感じなくなる。

 あとはもう、矢を放つだけ。


 「一撃ハチ…」


 だが、それよりも早く。

 視界が、陰った。


 「!」


 一瞬の動揺に、鷹の目が解けた。

 激痛と同時に、その陰の意味が脳裏に弾ける。


 雲じゃない。もっと近く、小さな影。


 まさか、この、こんなタイミングで、クバンダ・チャタカラの生き残りが現れたのか!


 クロムと二人、愕然としつつ空を仰ぎ見る。

 だが、そこに、予想した歪な影はなかった。


 天は大分雲に覆われ、曇天に転じようとしている。

 その、雲の隙間を、影が走った。


 「あれは…」

 

 鳥の影のように、見えた。


 風を捉え、広がる翼。

 この季節なら珍しくない、編隊を組んで飛び交う渡り鳥のように見えた。


 雲の中に吸い込まれていく。つまり、雲の高さを飛んでいる。


 それなのに、クバンダ・チャタカラの影かと思うほど、巨大な影を地上に一瞬、落とした。


 なら、あれは…

 その答えを口にするより早く。

 

 哀れな巨人が、弾けた。


 その頭部に、腕に、胴に。

 白い光が突き刺さり、弾ける!

 

 同時に雲を突き破り姿を現したのは、鳥によく似た輪郭の、しかし鳥ではない生物。


 優美に長い首。巨大な翼。

 しなりながら風に乗る尾。

 口先から尾の先端まで、馬三頭分はある。


 鋭い歯が並ぶ口には銜が嵌り、手綱へとつながっている。

 その手綱を繰る騎手は、翼の間、背に鞍をつけて跨っているはずだ。


 翼を動かす広い胸には、青を基調とした布が飾られ、風圧にぴたりと張り付く。

 そのおかげで、描かれた徽章をはっきりと見ることができた。


 鷹の目を使うまでもなく。

 その、布に描かれた、星を掴む竜を。


 「飛竜…!」

 クロムが呟く。

 その響きは、珍しく歓喜という感情を滲ませていた。


 尽きぬ山ヘルムジに棲む魔獣、飛竜を慣らし、その背に跨り空を駆ける。

 アスラン三騎兵種の一つ。


 竜騎士。


 雲から飛び出した飛竜は五騎。

 巨人を囲み、羽ばたいて宙に留まる。天馬にはできない、飛竜ならではの動きだ。


 巨人の手が振り回されるが、ひらりと避けて体勢を崩さない。


 一定の距離を開けて展開した竜騎士たちの前に、光る陣が現れる。


 陣が展開した次の瞬間、その五つの陣の中心…つまり、肉起動兵フレッシュゴーレムに向かって、光の柱が突き刺さった。


 一呼吸遅れて、雷鳴が轟く。


 集団術式…複数人で同時に陣を展開させ、術の威力を上げる方法だ。

 雷鳴が余韻を震わせる中、真っ黒に炭化した巨人が、ぼろりと崩れた。


 自然の落雷に匹敵する一撃だ。

 直撃しては、矢を防ぐ程度の守りじゃ、ないに等しいだろう。


 集団術式を成し遂げた五騎は、身をひるがえして上昇する。

 それと入れ違うように、雲を割って二騎、さらに三騎が飛び出してくる。


 その鞍から、ぽん、と黒い塊が投げ出された。


 それは空中で広がり、地上へと落ちていく。

 遠目からはふわりと落ちるように見えるそれだが、実際には凄まじい速度と衝撃で地上を覆う。


 なにせ鎖で出来た、巨大な網だ。

 正方形で、縦横は飛竜の全長ほどもあるし、縁には重しもついている。

 落下速度は相当に早い。


 空中からの攻撃を仕掛ける竜騎士の兵装は、投槍と弓、そしてこの鉄鎖網。


 上空から一方的に、大人一人より重い網を投げられれば、避けることは難しい。

 騎兵なら間違いなく転倒するし、歩兵も動きを止められる。

 その上で、後続の部隊が投槍を降らせるのが竜騎士隊の基本的な戦術だ。


 騎兵は歩兵の三倍強いというけれど、竜騎兵一騎は騎兵三十騎に相当すると言われる。

 上空と言う圧倒的に優位な場所からの一方的な攻撃を防ぐ、有効な方法はない。


 風の守りも、鉄鎖網の重さを吹き飛ばすほどではなかったのか…いや、相手が魔導士とわかっているなら、解呪の効果を付与しているんだろう。

 魔導士だけに、対魔導士のやり方は熟知している。


 「網は一枚で終ったか…」


 もし、最初の網から逃れたとしても、残る四騎の攻撃が続くだけだ。

 それがなかったという事は、アンダ博士たちは網の下だな。


 「っと、暢気に見てる場合じゃねぇな。こっちまで攻撃されるかもしれん。降りるぞ」

 「そうだな」


 あちらからすれば、敵の残党と見做される可能性は大いにある。

 アスラン風な装いのクロムはともかく、俺は完全にこっちの服装だし。


 シドウの弓に気付いてくれればいいんだけど、とりあえず拘束してみるかで網を投げられたらたまったもんじゃない。


 幸い、俺たちにはまだ気付いていないみたいだ。


 登るとき以上の慎重さで、物見台を下る。

 ユーシンとヤクモが駆け寄ってきた。


 「なんか、雷の音したよね!?」

 「落雷の魔導サンダーボルトだ。ゴーレム、見事に真っ黒こげだよ」

 「トールか!」

 「兄貴じゃない」


 兄貴なら、集団術式を必要としない。一人であれくらいやってのける。


 「けど」

 肢から、力が抜けるのを感じる。ずる、と自然に腰が地面に落ちた。


 「ファン!目、目から血が出てる!」

 「鷹の目を使うなとあれほど言っただろうが!」


 言われてみれば、頬から顎に何かが伝っている。

 視線を下に落としてみると、草の上に血がぽたりぽたりと垂れていた。


 「右目を閉じろ!」


 クロムの険しい声と同時に、右目が柔らかくて薬草臭いものに包まれる。

 クロムが個人で持っている包帯代わりの布だ。

 目を閉じると、ずきりと傷んだ。

 これは、ちょっとやばいな。失明には至らないだろうけど、しばらく目が使えない。


 だけどまあ、一つ、危機を脱したことは確かだ。


 「兄貴じゃない。けどさ」


 安堵から、ふにゃりと顔も緩む。まだ終わっていないのは重々承知だけど。

 結局、他力本願でどうにかしてもらったことも事実だけれど。


 「兄貴の部下だ。つまり、味方だ」


 全員無事で、とりあえず切り抜けた。

 少しくらい、気が抜けたって、いいよなあ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る