海の元カノの話

母の元カノ

 百合香と結婚して、数週間が経ったある日のこと。店に二人の女性がやってきた。クールな雰囲気の女性と、ぽっちゃり体型の癒し系な雰囲気の女性。いらっしゃいと言いかけた母が二人を見て「うわっ。なんで来たの」と露骨に嫌そうな顔をする。どうやら知り合いらしい。クールな雰囲気の女性が「貴女の娘の顔を見に」と答え、カウンター席に座る。一緒にやってきたぽっちゃり体型の中年女性は「すみません、うちの妻が」と苦笑いしながら隣に座り、カシスオレンジを二つ注文した。貴女——母の娘。つまり、私だ。他にはいない。


「えっと……母のお知り合いですか?」


「ええ。まぁ」


「元カノだよ。僕の。隣は奥さん」


「元……!?」


 店内がざわつき、女性に視線が集まる。母は過去に女性と付き合っていたことは隠していないし、私も知っているが、実際に元カノと紹介されたのは初めてだった。佐倉さくら美夜みやと名乗った女性はどことなく私の妻と雰囲気が似ている。母と私は好みが似ているのだろうか。そう思ったが、あと二人いるという元カノは彼女とは全く違うタイプらしい。ちなみに、隣に居る美夜さんの妻の名前はみやなぎさ。宮さんと美夜さん。紛らわしい。


「美夜はむしろ恋人にはしたくないタイプ。

 めんどくさい性格してるし」


「めんどくさいのはあなたもでしょう」


「あー。確かに母はめんどくさい性格してますねぇ……」


「お前に言われたくねぇよ。……まぁでも、あの二人との共通点は……無くはないな」


 そう呟いた母の視線を辿ると、美夜さんの胸に行き着いた。すぐに目を逸らしつつも、やはり私と母の好みは似ているのかもしれないと思ってしまった。決して、胸だけで結婚を決めたわけではないが、そこに惹かれたのも事実だ。


「……どこ見てんのよ。最低」


「なに。嫌いになった?」


「これ以上嫌いにも好きにもならないわよ」


「それくらい僕のこと知り尽くしてると」


「うるさい」


 美夜さんを揶揄って楽しそうに笑うその姿が誰かに重なる。誰だっけと記憶を辿って辿り着いたのは満ちゃんだった。美夜さんは私の妻というより、満ちゃんの妻に似ているかもしれない。

 二人のやり取りを見ていると、今でもお互いに好き合っているように見える。しかし、未練があるようには見えない。私は初めての恋人とそのまま結婚したから元恋人という存在がどういうものかは分からないが、別れた後の方が仲良くなるというパターンもあるらしい。母と美夜さんもそうなのだろうか。


「……旦那いじってる時と同じ顔してるなぁ」


 常連客の一人が母と美夜さんを見て呟く。そして苦笑いしながら私を見た。確かに美夜さんをいじる母は父をいじる時と同じくらい活き活きしているように見える。しかし、普通に仲の良い友人同士にしか見えない。何も問題はないだろう。というか、妻も一緒にいるし。彼女は嫉妬するどころか「ほんと、仲がいいねぇ」と微笑ましそうな顔をしている。余裕そうな顔をして実は内心は妬いている……というようにはとても見えない。


「妬かないんですか?」


「んー。あの二人のやり取り、好きなんだよねぇ。これ言うと、みゃーちゃんにはちょっとくらい妬いてよって拗ねられちゃうんだけど」


 渚さんはそう笑いながらカクテルに口をつけ、言い争う二人を見ながら続ける。


「君のお母さんは、うちからしたら妻を傷つけた酷い人なんだけど……実際に会ってみたら、案外憎めない人だなぁって思ってしまって」


「ちょっとなぎ! なに懐柔されてるのよ」


「そう言われても。みゃーちゃんだって、今はもう海さんのこと恨んでないでしょう? わざわざ会いにくるくらいだし」


「……」


「本当はずっと、仲直りしたかったんじゃない?」


「……そんなわけないじゃない」


「僕は二度と会いたくなかったよ」


「私だってそうよ」


「でも、君とまたこうして話せるのは嬉しい」


「は……」


 母の言葉に美夜さんが目を丸くする。すると母はふっと笑って揶揄うように言った。「やっぱ君、今でも僕のこと好きでしょ」と。


「なわけないでしょ馬鹿」


「僕は好きだけど」


「は!?」


「揶揄い甲斐があるって意味ね。変な意味じゃないよ。なに。期待した?」


「す、するわけないでしょ馬鹿!」


「君、照れるとすぐ馬鹿って言うよね。変わんないなぁ」


「あのねぇ……なぎも! なんでニコニコしてんのよ!」


「いやぁ。みゃーちゃん可愛いなぁって」


「ばっっっっかじゃないの!?」


「あはは。渚さんもいい性格してるよねぇ」


 ケラケラと笑う母。元カノと元カノの妻。普通なら険悪になりそうだが、何故か微笑ましい雰囲気に包まれている。常連客の言った通り、美夜さんを揶揄う母は父を弄る時と同じ顔している。『君とまたこうして話せるのは嬉しい』という言葉はきっと、本音なのだろう。

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