第3話:二本足の生き物

 その後、しばらく竜は疲れてしまってある島の一つの大きな洞窟を寝床に決めて、しばらく寝てやろうと決意していた。

 その島にはサルと呼ばれる生き物が結構生きていたが、サルは竜の大きさに恐怖して近寄ろうとしなかった。

 何年、何十年、何百年眠りについただろうか。

 目が覚めた時にはすっかり島の様子は様変わりしていて、まず木々の中にはサルは既に居なかった。

 別の場所に移動したのか、はたまた絶滅したのか竜には知る由もないが。

 そして彼らとは別に、もっと毛のない奇妙な二本足で立つ生き物が地上を歩いていた。

 彼らは竜の姿を見るや否や、怯えて逃げていく。

 まあ、竜に対して好奇心を持つ生き物など珍しいものだ。

 知能がない生き物なら気にしないが、脳みそのある生き物なら大抵は恐怖するに決まっている。

 ネコのように、一旦自分に危害を加えてこないと判断してきた生き物なら、竜の背中に図々しく乗ってその上で寝たりもするだろうが。

 

 奇妙な二本足の生き物は、竜とは一定の距離を取りながらも竜の一挙一動をあまさずに見ていた。

 竜はいつもの事だと気にせずに我関せずとばかりにあくびをし、やがて空へと飛び立った。

 二本足で立つ生き物は竜が飛び立つ様子を見てひれ伏し、その姿を崇めた。

 同時に、その瞳の中には輝きに満ちていた。

 雄大な竜の飛ぶ姿を見て、彼らもまた空に憧れるものの一人になったのだ。


 

 竜が何度か眠り起きた時。

 だいぶ変化が起きたようだと竜は気づく。

 まず、二本足の生き物が大地を支配し始めていた。

 集落をつくり、それはいつしか村となり、町となり、ちいさな国を作り始めていた。

 竜を見たという伝承のある国々は竜をあがめていたが、そうでない国は竜に対して攻撃をしようとしていた。

 しかし原始的な武器では竜には歯が立たない。

 翼の一振りによる暴風で二本足は全て吹き飛ばされ、成す術もなく彼らもまた竜を荒ぶる神とみなし、竜に怯えていた。

 竜は内心そのような扱いは面白くないな、と思いながらも空を飛んでいた。


 自分は空を飛ぶ災厄などではない。

 

 少なくとも、彼は自由に振舞っているだけなのだ。

 地上は少しばかり煩わしくなっている。

 空だけが彼の憩いの場であり、癒しの時だった。

 今日はちょっとばかりかっ飛ばしたくなってきた。

 竜はより早く飛ぶための形にいつの間にか変わり、より流線形を描くようになっていた。

 その時の空は雲を斬り裂き、雷が縦に落ちるのではなく横に延々と閃いていたのではないかと地上の生き物の間では語られていたくらいだ。

 

 飛ぶのに疲れ、地上に降り立って翼を休める竜。

 竜の傍らに、いつのまにか二本足の子供がいる。

 疲れていたので無視していたが、やがて子供は竜の背中によじ登ろうと脚に手を掛けていた。


「おい、煩いぞ」


 竜が喋ると、子供は驚いて飛び退く。


「わ、喋るんだ」

「お前らの言葉くらいすぐに理解できる。なんせ僕は竜だからな」


 子供は目を輝かせて竜の色んな所をべたべたと触っている。

 爪だったり、鱗を剥がそうとしたり。

 でもやっぱり一番の興味を引いたのは、翼だった。

 

「稲妻みたいに空飛んでたよね! 超すげー!」

「あれは僕にしか出来ない事だからね。鳥だって飛べるけど、あれほどの速度は出ないよ」

「ねえ、どうやったら飛べるようになるかな?」


 四度目の質問だ。

 流石に竜も何度も同じ質問に答えるのは飽きてきた。

 逆にむくむくとイジワルな欲求が芽生えてきて、そうだ、自分の邪魔をするやつは困らせてやろうと言う思いになったのだ。


「さあね。どうしたら飛べるかなんて、自分で考えてみたらいいんじゃあないか?」

「けちくさ。おっきい癖に心の器はちっさいんだね」

「さぁさぁ、もう行った行った。僕はこれから眠るんだから邪魔しないでくれよ。この鱗やるから大人しく帰ってくれ」

「ちぇっ」


 口を尖らせながらも、お土産を持たせたからか意外と素直に子供は帰って行った。

 竜は気持ちよく眠りについた。


 と思ったら、なんだか竜の近くで騒がしい事が起きている。

 

「なんだなんだ?」


 起きてみると、子供たちがなんか騒ぎながら崖の方を眺めている。

 崖の先端にはこないだ見かけた子供が立っていた。

 背中には鳥の羽を集めて作った翼を模した物を背負っている。


「これから空をとびまーす!」


 勢いよく宣言して勢いよく飛んで行った子供は、当たり前だがそのまま物理法則に基づいて落下していった。

 羽を羽ばたかせる暇もなく、真っ逆さまに海に叩きつけられた。

 集まっていた子供たちはやっぱりと呆れている。

 幸いな事に作り物の翼から落下する事で衝撃を緩和したのか、死ぬことは無かったようだが、その後助けられた大人にこっぴどく怒られていて、竜はひそかに腹の中で笑っていた。

 引き上げられた子供はもちろんずぶぬれで潮臭い。

 

「あいてててて……飛べると思ったんだけどなぁ」

「人間が空飛べるわけないでしょ! 馬鹿じゃないの!」


 母親にげんこつを喰らい、涙目で手を引っ張られながら子供はどこかへと去っていく。

 

 そうか。あの生き物は人間というのか。

 人間という生き物は愚かだが面白い奴だ。

 

 竜はその日一日中、人間の子供が落ちる場面を何度も何度も脳内で反芻しながら笑っていた。

 


 しばらくして、竜はその日は珍しく平穏な一日を過ごしていた。

 ねぐらの洞窟から少し外に出て、日光を浴びて寝そべっていると、またしても子供が背中に何かを背負ってやってきたのだ。


「見ろ、竜! 今度は改良版だぞ!」


 懲りない阿呆だなと思いながら、なぜか足は一緒に崖の方へと向いている。

 海に向かって今度もまた命を放り出すように駆け出し、跳んだ。

 そして、飛んだ。

 羽ばたき、飛翔した。

 流石の竜もあんぐりと口を開けている。

 

「やった! やったぞ! 僕は空を飛べたんだ!」


 そうして辺りを一回りした後、子供は竜に声をかけた。


「ねえ、一緒に飛ぼうよ! 竜、僕は君と一緒に並んで空を飛びたかったんだ!」

「……いいだろう」


 純粋に驚いてしまった竜は立ち上がり、翼を羽ばたかせて空を飛ぶ。

 竜にしてみれば低い高さで、水面がお腹スレスレにかすりそうなくらいだが、それでも空を飛んでいる事には違いない。

 

「もっと高度は上げられないのか?」

「うーん。もっと風が巻き上がってくれればなあ……」

「ならば任せろ」


 竜は口から息をふっと吐くとつむじ風が巻き起こり、羽を背負った子供はぐんぐん上昇していく。


「わぁ、すごい!」

「これで下を気にせず飛べるだろう」


 ぐんぐん高く上がっていく一人と竜。

 雲よりも高く高く上がっていくと、もう障害となるものは何もない。

 竜は自分の隣に誰かが一緒に飛んでいるというのは始めてで、それも同族ではなく別種の生き物がいるというのが奇妙ながら、実に何か心のどこかをくすぐっていた。

 今まで飛べるようになった生き物たちは、みな飛ぶ事に憧れていても竜と並び立って飛ぼうとした事はない。

 見れば、子供の顔はもう喜色満面で溢れんばかりの気持ちがほとばしっている。

 竜は自分が初めて空を飛んだ時の気持ちを思い出していた。

 あの時は、翼も上手く使えずによろよろふらふらとしながらではあったが、この人間の子供のような気持ちだったかもしれない。

 そんな子供を見ていると、竜のお腹の中には何やらぐっと高まって来るものがあった。

 

 しかし、そんな幸せな時間は長くは続かない。


「わあっ」


 子供が悲鳴を上げたかと思うと、急に勢いを失って落下を始めたのだ。


「どうした!?」


 流石の竜も慌てふためくも、見れば子供の背負っていた羽が散ってバラバラになっている。

 羽は何か透明な液体が付着しており、どうやら羽を接着していたのはその液体だったわけだ。雲の無い空間まで上がり、太陽の光にさらされ続けたので溶けてしまった。

 羽の無い人間は当たり前だが全く飛べず、墜落するしかない。

 竜は慌てて急降下し、子供を背中に乗せてなんとか死なせずには済んだ。


 なぜ、自分はこの生き物を助けたのだろう。


 とっさに助けてしまったが、前までの自分ならば他の生き物など目もくれなかったはずなのに。

 自分の中に何かが芽生えたのか。

 竜はもどかしい心の感情に戸惑っていた。

 

 やがて子供を地面に降ろすと、子供は満面の笑みで竜に言う。


「楽しかった! ありがとう! でも、完全には飛べなかったなぁ」

「……うむ」

「もっともっと、羽を崩れないように改良しないとね」


 そう言って子供は手を振って竜と別れる。

 竜はねぐらの洞窟にひきこもり、自分の中に生まれた感覚を何度も確かめていた。

 背中に乗ってはしゃぐ子供。

 空を飛び、なおかつ風を切って飛んでいく、翼のない生き物。

 翼を自ら獲得するのではなく、翼を別のものから作ってそれを付けるという発想と、実際に模倣して作れるだけの技術。

 人間は、何か自分たちとは根本的に違う。

 あらゆるものに興味を持ち、構造や中身を知りたがり、そして自分の形を変える事無くその機能を模倣しようとする。

 子供が作った翼はもっと改良されるだろう。

 その時どうなるのか、何が見れるのかを考えると竜の顔には笑みが浮かんでいた。


 しかし、次に目覚めた時に子供は訪れなかった。

 

 のそのそと洞窟から出て来た竜の目の前に広がっていた光景は、火山の活動によって全てが焼けてしまった草原と森の残骸だった。

 しばらく竜は呆然としたのち、うなだれて力なくその場を離れ飛び去った。

 しかし空を飛んで別の島の方まで辿り着くと、人間たちが自分に向かって手を振っているのが見えたのだ。

 その中には翼を背負った人間もいた。

 子供の頃の面影はないが、あの時一緒に飛んだ子供だろう。

 竜は大きくため息を吐いて、一度ぐるりと大きく空を旋回して、島々を後にした。

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