第3話 疑惑のプライ

3


「ちょっと、アルドさん。そっちに行っちゃだめです!」

「わっ!」


 アクトゥールを歩いて回っていたアルドは、突然背後から腕をひっぱられた。

 ふいをつかれて、なすすべもなく植え込みの中に引き込まれる。顔を上げると、そこにいたのはロゼッタだった。


「ロゼッタ! 仕事中か?」

「こんにちは、アルドさん。突然引っ張り込んですみません。でも、あとちょっとであの人と鉢合わせするところだったもので」

「ご、ごめん。でも、あの人って一体誰なんだ?」

「ほら、今出てきますよ。おしゃべりはここまでにしましょう」


 ロゼッタの言う通り、アルドは口をつぐんで街道のほうを覗き見た。並んだ店屋のうちの一軒から、体の大きな男性が手ぶらで出てくる。


「あれは、プライ! …もしかしてロゼッタ、またプライに指令を渡しそびれてるのか?」

「違いますっ! プライさんが怪しい動きをしているので、異端審問官として監視しているんですよ」

「プライが? まさか! とても信じられないよ。それに、ロゼッタはもうプライの監視はこりごりだって言ってなかったか?」

「…まあ、正直その通りですけれど。でも、いくらプライさんの審問は一生したくなかったとしても、いち異端審問官として、神官の裏の顔を見逃すことはできないのです」


 ロゼッタは真剣な顔つきでプライを観察している。アルドは、ようやくことの深刻さが理解できた。


「ロゼッタ…本当にプライを疑っているんだな。でも俺、あのプライに裏の顔があるなんて、やっぱり信じられないよ」

「そう言うのなら、プライさんの出てきたお店をよく見てください。アルドさんも、きっと彼のおかしさが分かるでしょう」

「うん? お店…?」


 プライが出てきたのは、商店街に並ぶ一軒のかわいらしい建物だった。壁や扉に金色の装飾が輝き、軒先にはあふれんばかりの花が生けられている。確かに、プライとは似ても似つかない雰囲気だ。

 アルドは店舗のかんばんを見て声を上げた。


「これは…け、化粧品店だって…!」

「ほら、驚いたでしょう。プライさん、さっきから女性ものを扱うお店を出たり入ったりしているんです。ご自分で使うのか、誰かに贈るのかは知りませんが、今までのプライさんには見られなかった傾向です」

「それで、プライを監視していたのか?」

「ええ。プライさん個人の趣味に口を出すつもりはありませんが…あれが誰かに送るものだったとして、送り先が問題です」

「送り先が問題だなんて、誰に送ってもプライの自由じゃないのか?」

「普通の女性が相手ならそうでしょう。でも、相手が罪を犯しているとしたら?」

「ま、まさか…」


 アルドの頭の片隅に、ミルカの顔が思い浮かんだ。ロゼッタが、アルドの心の中を見透かしたようにうなずく。


「私は、先日パルシファル宮殿へ捕らえられたはずのミルカさんとプライさんが、内通しているのではないかと疑っているのです。もしかしてプライさん、パルシファル宮殿へ自首しようとする彼女を逃がすつもりでは…と」

「そんな! …彼女あての贈り物じゃなくて、チルリルや、メリナへのプレゼントかもしれないじゃないか」

「チルリルさんやメリナさんへ贈るなら、化粧品なんてそうそう選びませんよ。彼女たちが好むものは、プライさんもよく分かっているはずです」

「…」


 アルドは目を固く閉じ押し黙った。信じられない、あの正義の塊のようなプライが、いくら目をかけていたとしても、罪人を逃がすようなことをするだろうか?


「アルドさん、私はプライさんを追いかけますけど、どうしますか?」


 ロゼッタが心配そうにアルドの顔色を伺う。

 アルドは覚悟を決めてうなずいた。


「…俺も行くよ。プライに裏の顔なんてないって、信じたいんだ。だからこそ、プライの行動の理由が知りたい」

「いいでしょう。それなら、すぐにプライさんを追いますよ。こっちです」

「ああ!」


________________



 ロゼッタとアルドは、姿を隠しながらプライの後を付いていった。プライは再び、熱血とはかけはなれた、スマートな雰囲気の店へ入っていく。

 アルドは隣の建物の陰に隠れたまま、目線だけで掲げられた看板を確認した。


「ここは、服屋か?」

「ええ、そうですね。…なかなかいい趣味してますね、プライさん。ここは私もお気に入りのお店ですよ」

「へえ、そうなのか」

「ええ。シックでクールで、それでいてキュートな衣服を扱う、素敵なお店です」

「シックでクールで、キュート…? ど、どんな服だ…?」

「どんなもなにも、シックでクールで、キュート な服ですよ。さらにこのお店は、ロゴが…ロゴがその…」

「あ、いいな。ロゴが猫のマークなんだ」


 アルドは看板に添えられたマークにようやく気が付いた。しっぽで体をかかえるように丸くなった猫の姿が、青色のインクで描かれている。アルドはいっぺんにこの店が好きになった。


「俺もこの店は結構いいと思うな!」

「まあ、アルドさんたら。いいかどうかは服を見て決めてくださいよ。それに、私はロゴが猫だから好きというわけでは…」

「あっ、ロゼッタ。プライが出て来たぞ! 隠れよう!」


 アルドとロゼッタは口をつぐむと、プライから見えないように頭をひっこめた。

 プライの手にはまたもや何も持たれていない。気に入る品がなかったのだろう。プライはがっくりと肩を落とすと、大げさなため息をひとつついた。

 ロゼッタが残念そうに口をとがらせる。


「プライさん、何も買わなかったようですね。ここでどんな服を選ぶのか、ちょっと、ちょーっとだけ、興味があったのに…」

「はは、それは残念だったな」


 アルドはロゼッタにしか聞こえない小さな声で返事した。ロゼッタはまだまだ不満そうだ。


「あの人、いつになったら買うつもりなんでしょう。さっきからお店を何も買わずに出たり入ったり。ひやかしばかりとは感心しませんね」

「きっとプライは一生懸命選んでるんだよ。贈り物を選んでるとするなら…それだけ渡す相手が大切だってことかじゃないかな」

「まあ! ということは短期間のうちに、ミルカさんとたっぷり愛情を深めたってことですか? プライさんもやるときはやるんですねえ」


 ロゼッタは、あきれたように笑う。

 プライは、アルドたちに見られているなんてちっとも気づいていない。店主へ一礼すると、アルドたちがいる方向とは逆の方角へ歩き出す。


「あっ、またどこかへ行くみたいだぞ」

「さあ、追いましょう。次はどんなお店へ入るつもりなのか…楽しみですね」

「…」


 アルドは返事をしなかった。どうも、違和感がついてまわってたまらない。


「ロゼッタ、念のため確認するけど…」

「はい、なんでしょう?」

「これって、異端審問のための追跡であって、プライの女性関係を観察して楽しんでるわけじゃないよな?」

「ごほっ、ごほ!」


 ロゼッタが、今まで見たことのない勢いでむせた。目に涙までためている。


「な、なんてこと言うんですか、アルドさん。そ、そんなわけないでしょう!」

「そうだよな。俺自身、なんだか楽しんじゃっているような、後ろめたい気持ちになっちゃって…」

「これは、異端審問官としての大事な仕事です! 自信をもってください!」

「そ、そうか?」

「さっ、行きますよ! プライさんを見失わないうちに!」

「あっ、待てよロゼッタ!」


 逃げるように去っていくロゼッタを、アルドは慌てて追いかける。


「とにかく、始めたからには最後までやりとげよう…!」


 アルドは走りながら、ひとりごちた。


________________



 プライが入ったのは、これまでと比べて小さな店舗だった。屋根も扉もわざと小ぶりに作られているようで、プライは腰を曲げてお店の中へもぐりこんだ。


「ここは、アクセサリー店か…」


 積み荷の山の陰から顔だけ出したアルドがつぶやいた。隣にはロゼッタもいる。


「ここは天然石を使った手作りアクセサリーを扱うお店ですね」

「へえ、よく知ってるな。来たことあるのか?」

「ええ、まあ。店構えは小さいですけれど、アクトゥールでは人気のお店ですから。プライさんはそれを知っているのでしょうか?」

「あっ、もう出て来たぞ!」


 アルドとロゼッタは慌てて隠れた。プライの手には小さな小包が握られている。小包には赤いリボンが添えられていた。


「お買い上げありがとうございました、神官様」


 店主はプライの後を追うように店から出てきた。プライも店主も、うれしそうに微笑んでいる。


「いや、こちらこそ世話になったな、店主殿。一体どのようなものを買えばいいか分からず、困り果てていたのだ」

「そんなに迷われるなんて、大切な方への贈り物なのですね」

「ああ、そうだな…」


(…)


 ロゼッタは神妙な顔でプライを見つめている。

 店主は


「どんな方かきいてもいいでしょうか?」


と言葉を続けた。


「そうだな…。一言で言うなら真面目な女性だ。自分も苦労しているだろうに、そんなところは見せず、周りの人間を気遣う…。尊敬すべき女性だ」


(…なあ。俺たち、聞いててよかったのかな?)


 アルドの言葉に、ロゼッタからの返事はない。

 ロゼッタはふと立ち上がると、プライに背を向けて歩き出した。


「おい、ロゼッタ! どうしたんだよ!」


 幸い、プライは気が付いていない。アルドもプライの目を盗んで、積み荷の裏を抜け出した。

 ロゼッタは、プライの姿が見えなくなるまで離れると立ち止まった。


「どうしたんだよ、ロゼッタ。もうちょっとでプライに見つかるところだったぞ」


 アルドが話しかけても、ロゼッタは振り返らない。アルドに背を向けたまま、絞り出すように話した。


「アルドさんの言う通り、聞くべきではない話でしたね。…私反省したんです。いつも通り、仕事だと思ってプライさんのことを追いかけていましたけれど、途中で悪趣味な覗き行為に代わっていたのかもしれません」

「ロゼッタ…」

「良い女性に会えたようでよかったではありませんか。プライさんがこれからどうするのかは知りませんけど、あの人に裏の顔なんてありえませんから、放っておいても平気でしょう」

「でも、裏の顔があるかもしれないってロゼッタは思ったんだろ? ちゃんと確認しないと…」

「いえ、もう結構です。私、よく考えたらプライさんと審問室に二人きりなんて、絶対にごめんでした。…アルドさんがことの真実を確かめたいのなら、私は止めませけど。お好きにしてください」

「ロゼッタ、本当にどうしたんだ? らしくないよ。…イライラしたりして」

「…イライラしたりなんてしていませんよ」


 ロゼッタは笑顔をアルドに向けた。無理して作った笑顔だと、アルドにだって簡単に分かった。


「とにかく、私はこれで失礼します。付き合わせてしまってごめんなさいね、アルドさん」

「いや、俺は別にいいんだ。でも、ロゼッタ…」

「今は…一人にしてもらえますか?」


 ロゼッタはアルドから再び視線をそらした。華奢な背中がいつもよりさらに小さく見える。


「…分かった。でも、何かあったらすぐ呼んでくれよ」

「はい、…ありがとうございます」


(私、イライラしているの? でも、どうして…)


 アルドがいなくなったあとも、ロゼッタはその場から動けなかった。自分で自分のことが分からない。ロゼッタは自分の本当の気持ちを探して、何度も思いを巡らせた。

 


________________



「ロゼッタ、本当にどうしちゃったんだろう…」


 アルドはロゼッタと分かれた後も、彼女のことを考えていた。調子の悪そうなロゼッタを一人にして、本当に良かったのだろうか? 「一人にして」と言われても、無理矢理一緒にいるべきだったかもしれない。


「やっぱり心配だな、明らかにいつもと違う様子だったし。…今からでも様子を見に行こう」


 そのとき、ふとアルドの目の前を女性が駆け抜けた。

 アルドは自分の目を疑った。


「なっ…今のは、ミルカ!? 彼女、今頃はパルシファル宮殿の地下にいるはずじゃ…!?」


 アルドの頭の中を、悪い想像がかけめぐる。プライは既に、ミルカのことをパルシファル宮殿から逃がしていたのか…?


 慌てて追いかけるも、ミルカの姿はもうどこにも見当たらなかった。


「くそ、見失った!…ロゼッタ、プライ。おれはどうすればいいんだ…?」

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