4.不惑男の愛

 五月の初夏。緑が爽やかな気候になったころ、また社長室に呼ばれた。


 そこに行くと、彼がタブレットを持ってなにやらもたもたしていた。


「社長、どうかされましたか?」

「ああ、篠田。話もあるのだが、まずこれを教えてくれ」


 なにをでしょう?――と、彼の社長デスクへと歩み寄る。


「あのな、動画サイトにアクセスしたいんだが、そこから『ハコの唄チャンネル』というのを見てみたいんだ」

「え!? 何故! 社長もご存じなんですか!?」

「やっぱり! 篠田はもう知っていたんだな! 教えてほしかったな! 葉子さんのチャンネル、一年も前から開設していて、つい先日から、秀星の写真をわんさかアップして話題になっているらしい」


 ヨウコ――。大沼の彼女の名前を初めて聞いた。


「自分も最近、知ったんですよ。秀星さんの写真アカウントに急に人が増えたので、もしかして写真データを引き継いだ彼女がどこかで紹介したんじゃないかと検索したら『ハコの唄チャンネル』が出てきて驚いていたんですから」

「そのハコちゃん関係で、秀星の生前を聞きたいと雑誌社から、元の雇い主である私のところに取材申し込みが来たんだよ。目が点だよ。確認をしてから返答すると言うしかなくて。だから、ハコちゃんチャンネルをいまから確認しておきたいんだよ」

「え!? 雑誌取材って……なんですか、それ!??」

「葉子さんが、あちこちでインタビューを受けるようになって、そこで秀星が優秀なメートル・ドテルだったと紹介しちゃったらしいんだよー。え、どれだ、どれだ。動画なんて滅多にみないぞ」


 もう還暦目の前のおじ様社長が、もたもたとタブレットを操作しているので、篠田が代わって動画サイトを開き、『ハコの唄チャンネル』にアクセスしてあげる。


 その日の朝の動画が最初に出てきて、社長は躊躇わずにタップしてしまう。


「おはようございます。大沼は水芭蕉の季節から、やっと桜の季節を迎えました。リクエストから、大黒摩季『戸惑いながら』です」


 湖畔から見える湖と駒ヶ岳しか映っておらず、ハコの姿はない。

 景色を映し、彼女は声と唄だけで運営しているようだった。


 ハコが唄い始めると、社長が黙ってじっと景色を眺め聴き入っていた。

 なんだか娘だか孫でも見るかのような優しい目をしているのを篠田は見てしまう。

 そういう自分も、心は『親戚の女の子』が頑張っているという気持ちに毎朝なってしまっているから、わからなくもない。


 そのハコ唄チャンネルを確認したあと、社長もSNSへとアクセスをする。

 ハコのアカウントで唄の案内以上にアップされている秀星先輩の写真とコメントを見て、またあの社長が涙ぐんでいる。そこからまた、秀星先輩の追悼アカウントへと誘導され、そこでもたくさんの人々が先輩の写真を観にきていることを知る――。


「彼女……、自分の唄ではなくて……、秀星の写真のために……ここまでしてくれていたんだな……」


 一年前から唄い始めたその気持ちは、彼女に会って聞いてみないとわからない。

 それでも、篠田もそう思う。好きな唄を懸命に唄っているのは、きっと秀星先輩への追悼でもあって、彼の『情熱を失わない生き方』が彼女に遺っているのだ。

 一年、唄うことで発信をして下地をつくっていた。少しでもいい。写真をアップできるようになったら、少人数でも見てもらおう。そう思い描いてきたのだとわかったら……。篠田も涙が溢れてきた。


「……うん、いいチャンネルとアカウントだ……。ひとまず、大沼のお父さん、十和田シェフに連絡を入れて、許しをもらえたらその取材に応じよう」

「そうですね。ハコちゃんが、秀星さんをそう紹介したいという気持ちがあるのなら、元雇い主だった社長の取材も喜んでくれると思いますよ」


「こんな、いい写真を遺していたんだな」


 社長がそう言って、いつまでも『北星秀』の写真を眺めていた。


 だが篠田はそこで、腹を立てていた。

 誰も知らなかったくせに。彼が生きている時は、きっとただの写真にしか見えていなかったはずなのに。俺だけが『いいね』をして俺だけが知っていた。


 それでも篠田は飲み込む。

 篠田もわかっている。人とはそんなものだ。

 そしてハコもそれをわかっていて、それでもなお、秀星の死を利用してでも、絶対にこの写真を世に出す――と決意してのことなのだろう。

 自分は汚れても、後ろ指さされても、名もなき写真に目を向けさせるために必死にやってきたのだろう。


 それに。そう。先輩の写真は『いい写真』だ。

 篠田も毎朝、北海道の美しい彩りと季節の移り変わりを楽しみにしていたのだから。それに気がついた人々が増えただけだ。





 それからしばらくして、この神戸まで北星秀が勤めていたレストランとして雑誌取材の記者が訪ねてきた。

 ハコと秀星先輩の師弟関係を語る記事が公開され、ハコの唄チャンネルと北星秀のアカウントは大盛況となっていた。


 篠田はその記事を読んで、葉子ようこ、ハコが答えているひとことに目がとまる。


『ギャルソン・セルヴーズ(女性給仕)の仕事は続けます。北星秀が私に遺してくれた財産です。父が営むレストランを手伝っていきます。もちろん唄も、できるかぎり続けていきます』


 先輩が遺した財産――。

 彼女が唄以外に生きていけるように、彼がやれることがそれだった。


 なんだ。先輩、やっぱりハコちゃんのこと……。

 おなじ男として胸詰まる熱いものが篠田にも込み上げてくる。

 ハコちゃんは気がついているのだろうか? 若い彼女には、不惑の男の気持ちなど……、わからないだろうな。篠田はそう思う。

 あの先輩なら、遠くから彼女を見守ることに決めていたはずだ。

 それとも、男と女を飛び越えられず、写真へと情熱を最後に傾けてしまったのだろうか? もういまは、先輩の本心など聞けるはずもない。


 記事を読んだ感想を社長に伝えようと思い、篠田は矢嶋社長の部屋を訪ねる。

 ノックをしても、声をかけても、なんの返答もない。おかしいな、社長が部屋にいることを確認したから訪ねたのに? 篠田は怪訝に思いながらも、そっとドアを開けて隙間を覗いてみた。


 いつものデスクと立派な革椅子に社長が座っている。なのに篠田に気がつかない。

 よく見ると、手元にはタブレットがあり、耳にはイヤホンをしている。ニマニマして、うんうんと頷いている。しかも、タブレットに向かって指先でいろいろタップしている。

 だが彼がやっと、ドアを開けて覗いている篠田の姿に気がついた。


「あの、社長……、お声がけしたのですけれど」

「うわあっ、し、篠田。なんだ……!」

「よろしいですか?」

「お、おう。いいぞ。な、なんだ」


 なにをそんなに慌てているのかと、篠田も不思議に思いながら入室する。

 矢嶋社長のデスクに辿り着くと、タブレットがこれまた無造作に置かれたままで、なにを見ていたのかわかってしまった。


「あ、ハコちゃんチャンネル」


 社長も動転していたのか、隠せなかった画面に気がついて、さっとタブレットをひっくりかえしてしまった。

 だが既に遅し、観念したようだった。


「いや、なんか。楽しみになってしまってな。実際に、雪の美しい大沼に行ったことがあるわけだし。葉子さんにも対面しているし、なにより! 秀星の写真がたくさん覧られる。ハコちゃんの唄を聴きながら、大沼の毎日違う景色を眺めながら」

「いや、自分も毎日閲覧視聴していますから、わかりますよ」

「でな。グッド👍を押すことにしているんだ。うん。SNSのいいね💓もタップしてる」


 あ、俺とおなじ沼にはまった人になってる。――そんな気分になった。


「それでな~篠田。私もハコちゃんにリクエストしたいんだよ~」

「そんな、社長は幸せですよ。ハコちゃんの正体を知っていて、ハコちゃんと連絡が取れるじゃないですか。大沼に連絡してお願いしたらいいじゃないですか」

「違うっ、そうじゃない! 私もチャンネルのいち視聴者として、リクエストして選ばれてみたいんだよ。でな、そんなハコちゃんに、神戸の社長さんだとバレないような名前を考えているところなんだよー」

 

 もう社長さんじゃなくて、ただのハコちゃんファンのおじさんになっていたので、篠田は目を丸くする。


「うーん、やっちゃん、ヤッシー、とか」


矢嶋やしま』から勝手にとってみたが、社長が『バレるだろが』と顔をしかめた。バレるかな? 『やっちゃん』さんなんていっぱいいそうだが。篠田は社長の顔を眺めて、ふと呟く。


「では、アルパチーノとか!」

「なんでアル・パチーノ!」

「いえ、常々、社長は彼に似ているなと思っていたんですよ」

「そ、そうか? だがなあ、あまりにも知れている名を使うのはなあ」

「じゃあ。アルパチさんで」

「お、いいな! よし。コメントしちゃうぞ。篠田、どうやるんだ?」

「ここにお名前を入れてですね、ここにコメントを。リクエストは、唄のタイトルと歌手の名を記さないと、ハコちゃんは候補からきっぱり弾きますから」

「うむ。わかった」

 

 本当に『アルパチ』さんとして、ネームを打ち込み始めた。

 リクエスト曲が『佐野元春 約束の橋』だったので、ああ矢嶋さんの年代の楽曲だなと思うと同時に、そういう音楽がお好みだったのかと初めて知ったりする。


「篠田はリクエストはもうしたのか」

「いえいえもう。畏れ多くて――」

「なんだ。応援してやれよ。秀星の写真の応援でもあるんだぞ。篠田はなんという名を使っているのだ?」


 なんか、急にプライベートが入り交じりそうで、篠田はなんとか避けようとする。

 それもこれも。適当にふざけた名前を付けてしまったのだ。

 先輩が『北星秀ほくせい・しゅう』なんて、本当に写真家のような生真面目な名付けをしたので、こっちは逆にふざけてやろうと――。


『ちょっと篠田君。ダラシーノってなんだよ!!🤣🤣🤣🤣』


 フォローしてもらうアカウント名を伝えたときに、真面目な先輩が大爆笑の絵文字をたくさん付けて返信してきたのを思い出す。


「あ、僕も社長の正体を知るひとりになっちゃいましたね。ハコちゃんには内緒にしておきますね」


 そう言ったら、矢嶋社長も急に焦った顏になり『絶対に誰にも言うなよっ』と釘をさされる。そのことで頭がいっぱいになったようで、篠田のアカウント名を再度問われることはなくなった。


 それから社長はリクエストに落選しては、何度も『アルパチさん』としてリクエストを繰り返しているよだった。

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