頁003 炎の夜

 部屋一面中に広がる万点の星空。

 魔法器で映す人工星雲のような魔法。


 アヌリウムは、それを『火を消す』だけでやってのけた。


 口をあんぐりと開けているツェギルは、アヌリウムに向き直って問い質す。


「……この『天性術質』は、いつから使えるようになっていたんだ?」


「使ったのはこれが始めですわ。たった今、火を消すという動作がぴったりなこの場で、試してみたかったんですの」


 成功して内心ほっとしたアヌリウムの答えに、ツェギルは「いやぁー」と額に手を当て、


「参ったよ。俺の娘たちは本当に優秀過ぎる」


「私達の、でしょ? お父さん。それに、優秀なのはいいことじゃない」


「元魔導騎士長と現魔法学者としてのプライドや嬉しさが綯い交ぜになってとても複雑な気分なんだよ」


「もう、お父さんったら」


 相変わらず仲睦まじき夫婦仲を見せられ、アヌリウムとリーベは互いに顔を見合わせて微笑む。

 そして、


「どうせだったらイネクスさんもこの場に居てくれたらなぁって思っていらっしゃるんでしょう?」


 妹の唐突な物言いに、座りかけていた椅子から転げ落ちそうになる。失態を晒すことがなくてよかったと安堵するのも束の間。リーベは続ける。


「先程お手紙を貰っていらっしゃったじゃないですか。もしかしたら、ご多忙なイネクスさんは、愛しいお姉様のために盛大なプレゼントをご用意してくれたのかもしれませんよ?」


 それを聞いて、二人の間でトリップしていたツェギルとフレミィがアヌリウムの方へ向き、


「ほう、あいつの息子から手紙を貰っていたのか」


「イネクス君、今日は見てないわね。リバーシルさんの長男だから、やっぱり忙しいのかしら」


 二人の質問に、アヌリウムはわざとらしく空咳をして答える。


「なにやらリバーシル家の方で重大なお披露目があるとのことでしたので、その言伝かと」


「お披露目……? 俺は現当主のファイゼルと昔馴染みの戦友で、包み隠すようなものは騎士団時代の黒歴史ぐらいしか無い筈だが……」


「何も聞いてはおりませんの?」


「そうだな。奴からは何も聞いていない。ま、サプライズ好きでもあったから、今回はそういった趣向をこじらせただけなのかもしれないがな」


 婚約者の父親の人柄を知れたことを少しだけ嬉しく思いつつ、アヌリウムはドレススカートのポケットから件の手紙を取り出し、封筒に着けられた赤い宝石を指で撫でる。


「まあ、お手紙に魔石なんて良い趣味してるじゃない」


「いいなぁ、わたしもこういうお手紙貰いたいです」


 フレミィとリーベも喜色を示し、ツェギルは「流石はあいつのせがれだな」とどこか楽しそうに言った。


 ふと内容が気になって、アヌリウムは手紙の封を開ける。固めた血判ではなく、封印の術式がかけられた厳重な仕組みだった。


 封印の施錠及び解除は無属性基礎魔法の部類なので、アヌリウムは指を水平に払うだけで難なく解除する。


 そして中身を取り出そうとしたが、出てきたのは真っ黒な紙一枚だけだった。


「黒い紙? これに何の意味があるのでしょう」


「そりゃ無属性上位魔法の一種だな。その紙――『魔紙』を渡した相手がなんらかの魔法を発動すると、その魔紙に組み込まれた魔法が発動するっていう洒落た術式だ」


「つまり……」


「大方、多忙の身で誕生日を祝うことは出来ないが、アヌリウムが何か特別な魔法を披露する時に僕もささやかなプレゼントを用意する的なハラだろうな」


 鼻を鳴らした父の答えに、アヌリウムは胸が暖かくなるのを感じた。

 あの少年は、どんな時もアヌリウムのことを考えてくれている。その思いが伝わって、嬉しくて仕方が無いのだ。


 ケーキに顔を近付け、先程のように火の玉を吹き消す。

 今度は、イネクスの想いも噛み締めて。


 そして。


「……アリアス?」


 リーベの疑問に満ちた声。黒い魔紙が光って、何故かアルヴィレッダ家で飼っている霊獣がアヌリウムの頭上に現れたのだ。


 青光りする一角獣は白い柔毛をポォンと跳ねさせ、アヌリウムの頭上からケーキに飛び移った。


 この一瞬で、美味しそうなケーキの中心部分はぐしゃりと潰れてしまう。


「え、ちょっと、アリアス……?」


 普段であれば絶対にしない行為。どこか、様子がおかしい。


 そう思った矢先。


 アリアスが、ケーキ上に浮かぶ残りの火の玉を、小さな翼をはためかせることで全て消した。


 その直後だった。


「――ッ! 皆、離れるんだっ!」


 ツェギルの声が聞こえた時には既に、天井に付けられていたシャンデリアが落下し始めていた。


 アヌリウムは咄嗟にリーベを抱き締めて、その場から飛び退く。


 ツェギルとフレミィも鋭敏に反応し、椅子を蹴り飛ばして退避した。


 程無くして、落下するシャンデリアはアリアスに直撃し――、


「アリアスぅぅぅッ!」


 アヌリウムに抱かれながら、リーベはその瞬間を目の当たりにしていた。


 ――アリアスが、弾け飛んだのだ。


 内から炎を発する様な容赦のない爆発。


 それは瞬く間に熱風を轟かし、その場にいた全員を部屋ごと吹き飛ばしていく。


 業火が吹き荒れ肌が焼かれていくなか、アヌリウムは飛散する瓦礫に足をつき、無我夢中で屋根の上へと降り立った。


 腕の中でリーベの泣き声が聞こえる。ひとまずは、無事で良かったと安堵する。

 けれど、それは一抹のもので、


「お母様っ! お父様っ! フィアンリっ! メリィっ! ルーダっ! ――」


 屋敷に居た皆の名を順々叫ぶ。だがその間も、屋敷は爆炎に飲まれて崩落していく。


「アリアス……っ」


 爆発の直前、鈍い音がした。きっと、アリアスが爆発の根源なのだろう。唇を噛み、霊獣の惨い最後と屋敷を襲う凄惨な現状に対し、恐怖と怒りが込み上がる。


「誰が、こんなことを……」


 呆然と呟き、辺りを見渡す。


 丘の上から見える夜空は淡い朱色に染まり、目下、周りの庭園や森林、山々には無数の紫紺に彩られた魔法陣が刻まれている。


「……! あれは……」


 陰属性魔法が一種、『呪法刻印』と呼ばれる遠隔発動術式陣。魔導書に載っていたそれを目にして、アヌリウムは焦燥に駆られる。

 

 一刻でも早く皆の安否を確認したい。しかし、それは同時にリーベも危険に晒すことになりかねない。まだ実戦魔法を扱えない彼女にとって、この予期せぬ惨状は酷だ。


 ――眼前、光を纏った矢が飛来した。


「ッ!」


 リーベを抱えながら真横に飛び、飛んできた方向――わずかだが歪みが生じている方へ空いた手のひらを向け、


「『竜炎波動弾』ッ!」


 火属性上位魔法の詠唱。呼応して形を成すのは、炎で作られ竜。それが大口を開けて巨大な火の玉を生み、首を伸ばして勢いよく放つ。炎竜は夜空を翔け、空間を歪ませている空気の壁を破壊する。


 その拍子に、ガラスのようにして歪みの壁が砕け散り、新たに真っ白な空間が現れる。


 そこに、金色に光る弓矢を構えて浮遊していたのは――、


「――イネクス、さん……?」


 黒いタキシードに身を包んだ、銀髪碧眼の少年。

 アヌリウム・アルヴィレッダの、婚約者。


「やあ、お祝いに来たよ、アヌリウム。そして……」


 いつもと変わらない表情で応じた彼は、今一度金色の弓矢を構え、獰猛な笑みを顔に刻んで言った。


「――さようなら。薄汚い『宿竜』のクソ亜人」

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