山海月

Leo

第1話 上澄み

タイヤが徐々に土をつかみ出していく。僕はそれを細やかな振動や音で実感する。やがて恋人同士が互いに頬を触り合う様に存在の一部を残して回転が止まる。僕は整備されていない乱雑な山道の前で車を止め、シートベルトを外す。窓の外ではボンネットから白い、それでいて律儀で機械的な息が絶え間なく流れ出ている。僕はそれを視界の隅に留めながら車の鍵を抜き取り、車から降りようとする。そこで僕は道中サービスエリアで買った安物の6個入りのティーバッグの箱を助手席に置いていたのを思い出す。僕はそれを手に取ると、おもむろに箱越しに匂いを嗅いでみる。色の付いた霧のような匂いに、いっそのこと一つ取り出して舐めてしまおうかと考えたが、そこで僕ははっとした。なんといってもこれはチケットなのだ。浅瀬から深海を覗くための。僕は箱をビー玉や蜂をかたどった文鎮等が入っている持参したリュックに入れる。(今回の登山の目的である便宜上Aはこういった慎ましいものが恐らく好みなのだ)。そして今度こそ車を降りるためにのっそりと取っ手に手をつけ外に出る。僕の緩慢な動きに一抹の不満を残すように外の空気は眠った氷山のように冷涼で停滞していた。しかしそこにはある種の親密さがあることは知っていたし、山は気温が低いということももちろん知っていた。(僕は6歳の頃家族で旅行に行った際に、この山で遭難していた事がある。旅行時は夏だったため薄着だったから山の冷たさは文字通り身をもって知っている)僕は停滞した空気を裂きながら紺のダウンを羽織り、ティーバッグ等を入れた黒と赤色のリュックを背負い、少し迷ってカシオのデジタル時計を付けた。そして荒れた山道を進み始めた。彼との透明で変に濃密な記憶を蜂の毒針を抜くみたいに思い出しながら。

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