第3話 準備

 朝。ベランダで日光浴をしているハナを尻目に、俺は奈々に電話をかけた。


「もしもし? 大川です」


「ああ、相沢あいざわです。店を改装するんで、しばらく休業するから」


「ええー! 何ですか、突然。お給料どうなるんです?」


「心配するな。ちゃんと払うよ」


「なら良いですけど」


「まあ、細かいことは後で説明するよ」




 俺は横川建築事務所に居た。今の店をオープンするときに世話になった所だ。革張りのレトロなソファーに座り、出されたお茶を一口飲んだ。


「改装ですか?」


担当の松居まついは笑顔でそう聞いた。


「そうなんだ。内装のイメチェンを図りたい」


「で、どういうイメージなんです?」


「自然の中で客が森林浴してるような感じで」


「分かりました。御予算はどのくらいでしょうか?」


「二百万位で頼むよ」


松居は液晶カタログを差して、


「内壁にスクリーンパネルを使えば、簡単に雰囲気を変えられますよ。例えばこんなものがございます」


と幾つかの参考映像を見せた。


「ああ、これなら良いかな。近日中に頼む」


「かしこまりました」



 一週間後。俺は新しくなった店内を見回した。壁一面に張り巡らされた電子スクリーン。そこには森林の映像が映っていた。俺には木々の名前など知る由も無かったが、あたかも自分が広大な森の中に佇んでいるかの様で、圧倒された。


「素敵ですね」


奈々が感心したように呟いた。


「アロマディフューザーで森の香りが漂うようにしたらどうですか?」


「いや、コーヒーの香りが分からなくなるからそれは駄目だ」


「で、その娘は何なんです?」


しげしげとハナを見つめる。なにしろハナは最新型なのだ。一見生身の人間と区別が付かない。


「うん。新しくうちで雇うことになったハナだ」


「ハナです。宜しくお願いします」


ハナは行儀良くお辞儀をした。いっそ機械的と言って良い。


「最新型のアンドロイドだよ」


「ついにうちでもアンドロイド導入ですか。それじゃあ、私も少し楽になるんですね」


奈々は嬉しそうに笑った。


「ハナは仕事はしないよ」


「どうしてです?何のためのアンドロイドなんですか」


「うん、ハナは植物の様に二酸化炭素を吸って酸素を出す。今日からうちは『酸素カフェ』になるのさ。表に看板出てただろ?」


「ウーン。なんかしっくりきませんけど。働かないアンドロイドに何か意味ってあるんですか?じゃあ、私の仕事は?」


「今まで通り頼むよ」


「……はい」


がっくりうなだれて、奈々はテーブルと椅子を並べ始めた。


「いらっしゃいませ」


昼過ぎ、一人の老人が入店してきた。痩せ細り、足元も頼りなかった。骸骨の様な顔で、しかし表情は明るかった。


「酸素カフェちゅうのはここかね? ネットの広告見たんだわ」


「そうですよ。お客様に癒しとコーヒーを提供するカフェです」


「うん、そりゃ良い。わたしゃ癌でね。肺癌さね。都会の大気汚染と酸素不足のせいじゃ思うとる。こちらで一服させてもらえりゃ、癌にも効くのと違うかね」


そう言って老人はカッカッカッと笑った。


「わしゃウィンナーコーヒーな」


「かしこまりました」


老人は窓際の席に腰を降ろし、時々チラチラとハナの方へ目をやった。ハナは店内をぼーっと彷徨うろついていたが、老人の視線に気が付き、


「なんでしょう?」


と答えた。


「うん、その、あんたは人間かね?」


「新型アンドロイドのハナです」


「何もせんのかね」


「お客様に酸素を提供します」


にっこり微笑むハナ。だがその笑いは機械的だった。もっとも、俺だって営業スマイルをしたりするのだから、大した違いは無いのかも知れないが。


「ウィンナーコーヒーお待たせしました」


奈々が割って入った。


「有り難う。まあ、可愛いしええかのう」


「可愛いって何ですか?」


「ふむ………。おおい、何と説明したらええのかの!」


老人は俺に向かって叫んだ。俺にもどう説明して良いのやら分からなかった。俺は大袈裟に肩を竦めてみせた。


夕方になり、君枝がやって来た。


「こんにちはー。あら?」


とハナを見て驚く。


「新型アンドロイドのハナだよ。酸素を提供してくれるんだ」


「新型アンドロイドって本当なの? まるで人間じゃないの」


そう言って君枝はハナに近付き、文字通り頭のてっぺんから足の爪先まで食い入るように眺めた。


「この子が酸素を提供してくれるわけね? 良いと思うけど、何か物足りないわね」


「そうですか?」


「そうよ。大体若い女の子なんだからもっと顔に見合った可愛らしい服装にすべきよ。もっとこう――森の妖精の様なイメージで。髪もこの子はショートカットの方が似合うわ」


成る程、言われてみればそうかもしれない。女性の意見というのは貴重である。


「君枝さん、良かったらこの子の髪を切ってやってくれないかな?」


君枝は待ってましたとばかり顔を明るくして、


「もちろん良いわよ!可愛くしてあげる」


と張り切った。


「良いご身分よねー、ハナは。私なんか毎日一生懸命働いているのに、そんな事言われたことも無いですよ」


奈々が不服そうに鼻をならした。


「あら、なんならついでに奈々ちゃんの髪もセットしてあげるわよ?」


「……いいです。私は別に」


いつものブレンドコーヒーを飲み終わると、君枝はハナを連れて出ていった。



「どうかしら?」


髪を切ってすっかり別人の様になったハナを連れて、君枝は戻って来た。髪を短くしたことで愛らしい顔立ちがすっきりして、大きな目がより強調される。確かにショートカットの方が似合う。


「じゃあ、明日は衣装を買いに行くか。奈々、明日の午前中は留守にするから頼むよ」


「はいはい。分かりましたよ」

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