第34話
そうして、ふたりは数日後にもう一度、許可証を申請した役場に向かった。
前日からよく眠れないほど緊張していたが、サーラの移住許可証はあっさりと発行してもらうことができた。
(……よかった。これで)
あの店で働くことができる。
家族や、婚約者だったカーティスから解放された安堵よりも、働ける喜びのほうが大きかった。
明日からのことが、楽しみでしょうがない。
こんな感覚は初めてだ。
だがルーフェスには、まだ許可証が発行されていなかった。
理由はいろいろあるようだが、女性よりも男性のほうが発行に時間が掛かるらしい。ルーフェスよりも何日も前に申請した男性も、今日はまだ許可証を手にすることができなかったようだ。
それを考えると、さらに数日かかるかもしれない。
だが、こればかりはどうしようもない。
今は、サーラの許可証が思っていたよりも早く発行されたことを喜ぶべきだろう。
「わたしの許可証が発行されたから、これで家が借りられるわ」
働くこともできる。
そう言うと、ルーフェスは少し複雑そうに笑った。
「ああ。だが、サーラの名前で借りることになってしまうな」
「そうね」
ここに辿り着くまで、彼にはずっと世話になっていたのだ。
恩返しをするのなら今だと、サーラは明るい笑みを浮かべた。
「わたしに任せて。ルーフェスは許可が下りるまで、ゆっくりしていたらいいわ」
彼にも、ゆっくりと心を癒す時間が必要なのだ。
むしろ、もう少し後でもいいくらいだ。
その間はサーラがしっかりと働いて、ルーフェスを休ませてあげたい。
翌日からさっそく、ふたりで住む家を探すことにした。
働く予定のパン屋にも許可証が発行されたことを報告すると、彼女はとても喜んでくれた。さらに事情を知ると、近所にある空き家を紹介してくれたのだ。
「少し前まで、老夫婦が住んでいたんだけどね。子どもたちと一緒に暮らすことにしたからと言って、引っ越していったのよ」
家を借りたい人がいたら教えてほしいと言われていたそうだ。
さっそく見せてもらうと、少し古いが庭もある大きな一軒家だ。
「素敵だわ」
年数は経っているがしっかりと手入れが行き届いていて、住んでいた人がこの家を大切にしていたのだとわかる。
「ふたりで住むには少し広すぎるけど、家賃もそんなに高くないし……」
家主はお金に困っているわけではないので、新天地を目指してここまで来た人達の手助けになりたいと、格安で家を貸してくれるようだ。
職場のパン屋にも近く、少し歩けば商店街もある。
「ルーフェス、ここに決めてもいいかしら?」
「ああ、もちろんだ」
サーラの問いかけに彼は頷き、柔らかな笑みを浮かべた。
「契約者は君だからな。ここは君の家だ」
「……わたしの家」
生まれ育った屋敷は、父のものだ。
修道院も孤児院も、サーラの居場所にはなってくれたが、自分の家ではなかった。
ようやく自分だけの居場所を手に入れた喜びに、サーラの目に思わず涙が浮かぶ。
長い旅路だった。
それでも、辿り着いた場所でこんなにしあわせな気持ちになれるなんて思わなかった。
「……ありがとう、ルーフェス。何もかもあなたのお陰だわ」
心からの感謝の言葉を、彼に向けて告げた。
それからサーラは、ルーフェスとこの家に移り住み、雇ってくれたパン屋で働き始めた。
パンを作るのは初めてではないが、働くは初めての経験だ。
最初は、何度も失敗した。
身重の店主を気遣って重い荷物を持とうとしたが、まったく持つことができずに、かえって邪魔になってしまったこともある。
たくさんのパンのレシピを覚えなければならず、家に帰ってからも何度も練習した。そのせいで、ふたりの食事は何日もパンばかりになってしまったこともあった。
大変だったけれど、楽しい日々だった。
これからもずっと、こんな日が続くと信じていた。
パン屋での仕事を終えて家に帰るサーラの前に、立ち塞がるようにして立っている人影に気が付くまでは。
彼が目の前にいることが信じられなくて、サーラは呆然としたまま、その名を呼んだ。
「カーティス様。どうして……」
そこには思い詰めたような顔をした、かつての婚約者。リナン王国の元王太子、カーティスが立っていた。
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