第24話 偽聖女、エリーの誤算

◆ ◆ ◆


 エリーが前世の記憶を思い出したのは、十歳の誕生日のことだった。

 両親は貴族でも何でもなく、ただの平凡な一般市民だ。エリーは、王都の片隅にある雑然とした住宅街の中で、生まれ育った。

 共働きをしている両親は、いつも忙しい。

 もちろん、エリーの誕生日だからといって、仕事を休むこともない。でもエリーは、せっかくの誕生日にひとりきりであることが、とても不満だった。だから家を飛び出して、ひとりで大通りに向かっていた。

 王都は治安が良く、十歳の少女がひとりで歩いていても、誰も気にしない。それに、いつも母と買い物に行くときに歩いていた道だ。

(もう、母さんなんか嫌い。せっかく誕生日なのに)

 近所に住む友達のキィナもポリーも、誕生日には王都の中心街にあるレストランで食事をしたと言っていた。それなのにエリーは朝からひとりきりで放って置かれ、プレゼントも貰えない。

 連れて行ってもらえないのなら、ひとりで行こう。

 誕生日なのだから、それくらい許されるはずだ。

 そう思ったエリーは、両親がひそかに貯めていたお金をすべて持ち出し、ひとりでレストランに向かうことにした。

 日頃から固くなったパンと、野菜の切れ端が浮いたスープしか食べていないエリーは、いつもお腹がすいていた。

「あ、あそこだ!」

 目の前に目的のレストランが見えてきて、エリーは走った。

 でもレストランに辿り着く前に、通りかかった馬車に当てられてしまう。十歳の少女の身体は簡単に吹き飛び、転がった。

 運良くかすり傷ですんだが、そのショックで、エリーは前世の記憶を思い出してしまった。

(これって異世界転生、よね?)

 地面に座り込んだまま、頭の中に流れ込んでくる情報を必死に整理する。

 それからどうなったのか、あまりよく覚えていない。

 エリーを轢いたのは、どうやら男爵家の馬車だったらしい。

 乗っていたのは、男爵家の当主だ。

 彼はそのまま立ち去ろうとしたが、あまりにも目撃者が多かったので、しぶしぶ従者に、エリーを助けて介抱するように命じたようだ。

 前世の記憶が蘇ったばかりで混乱していたエリーは、元の世界のことを色々と話した。それが男爵の耳に入り、興味を持たれたようだ。

 正式に養女にしたい。

 そう言われて、エリーはすぐに承知した。

(わかった。これってよくある乙女ゲームの世界でしょう? 男爵家の養女になって、貴族だけが入れる学園に通うのね!)

 もしかしたら、この子は聖女かもしれない。

 男爵がぽつりとそう呟いている言葉を聞きつけて、エリーは歓喜した。

 最初に転生したのだとわかったときは、しがない一般市民に生まれてしまったことを嘆いた。家だって貧しくて、誕生日にレストランにも行けないくらいだ。

 でも男爵令嬢の養女になり、いずれは聖女となる。

 これは間違いなく、乙女ゲームの世界に転生したに違いない。

 ならば、平民の両親に固執する必要などない。

 エリーは戸惑う両親にあっさりと別れを告げ、さっさと男爵家の馬車に乗り込んだ。

 男爵家での暮らしは、今までとは比べものにならなかった。

 綺麗なドレスに、豪華な食事。

 身の回りのことは、すべてお付きの侍女がしてくれる。

(ああ、楽しい。異世界に転生することができて、本当によかった)

 このゲームに心当たりはなかった。

 でも、似たようなゲームならば、たくさんしてきた。

 だから自分は間違いなくヒロインで、これから聖女となり、たくさんの人に愛されるしあわせな人生が待っているはずだった。

 義父となった男爵は、エリーの前世をよく聞きたがった。

 過去にもエリーのように異世界転生した者がいて、伝説の聖女と呼ばれたらしい。男爵は、エリーをその聖女の生まれ変わりだと信じているようだ。

 そんな前世の記憶はないが、ここはゲームの世界。そういう設定なのだろう。だから、もっともらしいことを言い、聖女が好きだったという料理も、簡単に再現してみせた。

(何よ、ただのきんぴらごぼうと、筑前煮じゃないの)

 料理はあまり得意ではなかったが、家庭科の授業で作ったことのあるものだった。

しかも、正解は誰も知らない。適当にそれらしい料理を作れば、誰もが絶賛してくれた。

(わたしは聖女。攻略対象は、誰なのかな? やっぱり王子様?)

 そして、とうとう学園に入学する年齢になった。

 義父はとにかく、王太子のカーティス殿下に近寄れと言う。

 どうやら彼にはもう婚約者がいるらしいが、あまり評判の良くない公爵家の娘らしい。影響力のある公爵が、権力を使って強引に王太子の婚約者にしたのだと言っていた。

(ああ、悪役令嬢ね。だったらいじめられているところを、王太子殿下に助けてもらわなくちゃ)

 エリーは張り切った。

 ようやくここからが、ゲームのスタートだ。

 学園生活は順調で、あっさりと王太子のカーティスと知り合うことができた。エリーは男爵に指示されていたように、彼にだけ、自分が聖女であることを打ち明ける。

 彼は驚き、すぐにでもエリーを神殿に保護しようとした。

 でも、そんなことになったら学園生活を楽しめない。

 何よりも肝心の悪役令嬢――サーラは、エリーにまったく接触しようとしないのだ。

 エリーは焦っていた。このままでは、ゲームのシナリオと違ってしまうかもしれない。

 似たような乙女ゲームはたくさんやってきた。だから、エリーのしあわせのためには、悪役令嬢であるサーラが断罪されなくてはならないのだ。

「まだ、誰にも言わないでください。記憶が蘇ったばかりで、聖女として生きる覚悟ができていないのです」

 涙ながらにそう訴えたところ、カーティスはエリーの涙に大いに狼狽え、まだ正式には報告しないと約束してくれた。

 でも、学園内では完全に聖女として扱ってくれる。

 それなのにまだ、サーラは動かない。

 困ったエリーは、いじめられていると嘘を言った。

 カーティスとその側近たちはすぐに信じてくれた。何度もエリーを庇って、サーラを責め立てる。それが心地良くて、エリーは何度も嘘を言った。

(ああ、みんなが私を愛してくれている。私はヒロインなの。もうすぐ聖女として、王太子の婚約者になるのね)

 カーティスが大勢の前でサーラに婚約破棄を言い渡し、彼女はそれを承知した。

(何でもっと悔しがらないの? せっかくのイベントが、盛り上がらないじゃない)

 悪役令嬢ならば、婚約破棄に絶望して乱心し、衛兵に取り押さえられるところを見せてほしかった。あまりにもあっさりとしたサーラの態度に、カーティスも戸惑っている。

 それでもサーラが婚約を破棄され、表舞台から去ったのは間違いない。

 こうなったら聖女だということを公表して、たくさんの人々に賞賛してもらうしかない。

 ――そう思っていたのに。

「どうして? 私は聖女なのよ? どうして私が!」

 衛兵に取り押さえられ、エリーは叫んだ。

 目の前にいるヒーロー、カーティスは、そんなエリーを助けてくれる素振りはない。むしろ、忌々しそうに睨んでいるではないか。

「わたしのこと、聖女だって……。王妃にしてくれるって言っていたじゃない!」

 強引に連れ出され、そのまま牢獄に押し込められた。

「私はヒロインよ? どうしてこんな目に合うの?」

 どんなに叫んでも、喚いても、誰も助けてくれない。

 知らないうちにバッドエンドルートに入ってしまったのだろうか。

「何か選択肢を間違ったの? どうやったらやり直せるの?」

 エリーは最後まで、ここはゲームの世界などではないこと。

 自分が男爵の野望のために利用されたことを、知らないままだった。

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