第17話

 ルースは、人で賑わう大通りに宿を取ってくれた。

 それほど高級でもなく、治安が悪いほどの安宿でもない。ほぼ満室だったため、部屋はふたり一緒になった。ルースは別の宿を探そうとしていたが、サーラが止めた。

 これ以上彼に、手間を掛けさせるわけにはいかない。それに、見知らぬ町でたったひとりになるほうが不安だった。

 今日泊まることになった宿屋は、木造の二階建ての建物だ。

 古びてはいるが、明るくて優しい雰囲気の宿のようだ。女性客も多く、受付や階段の踊り場には小さな花が飾られていて、旅の疲れを癒してくれた。

 ふたりに宛がわれたのは、二階の角部屋だった。客に女性が多いせいか、各部屋にしっかりと鍵がついている。ルースがこの宿を選んだのも、それが理由のようだ。

 鍵を開けて、扉を開く。

 ルースが先に入り、サーラはそのあとに続いた。

 寝台がふたつ。テーブルがひとつに、椅子がふたつ。あとは荷物を置くスペースがあるくらいの狭い部屋だ。窓には手縫いのカーテンが下げられている。ルースはすぐに、その窓にも鍵がついていることを確認すると、カーテンを閉めた。

「疲れただろうから、休んだほうがいい」

 そう言われて、素直に寝台に横たわる。

 たった一日野営をしただけ。でも、こうして横になって眠れるのは、とてもしあわせなことだと思う。

 むしろ今までの自分が、何も知らなかったのかもしれない。

 父に支配され、ただその命令に従うだけの日々だったが、衣食住に困ったことは一度もなかった。それだけで、とても恵まれていたのだ。

 疲れ果てていたこともあり、昨日の夜とは違ってゆっくりと眠ることができた。それどころか、そのまま昼過ぎまで眠ってしまったらしい。

 自分が思っていたよりも疲れていたらしく、目が覚めたとき、すぐにここがどこなのか思い出せなかったくらいだ。

(そう。わたしは、ルースさんと一緒に逃亡中だったわ)

 ふと視線を横に向けると、隣のベッドには誰もいない。

 休んだ形跡もなかった。

 彼も昨日は一睡もしていなかったはずだ。

 大丈夫なのか心配になるが、少なくともサーラよりは体力があるのは間違いない。

 まだ少し、頭がぼんやりとしていた。

 サーラは寝台に腰を掛けたまま、わずかに開いたカーテンの隙間から港町の様子を見つめた。

 ここから見える港には、大きな船が何艘も連なっている。

 そして、その先には大海原が広がっていた。

 太陽の光が海面に反射して、キラキラと輝いていた。その壮大な景色を眺めていると、なぜか涙が溢れてきた。

 理由はわからない。

 何もかも受け入れてくれるような自然の雄大さに、心を打たれていたのだろうか。

 扉の鍵を開く音がして、我に返る。

 振り返ると、たくさんの荷物を持ったルースの姿があった。

 身ひとつで出てきた彼には、いろいろと準備が必要だったのだろう。それを買いそろえて、部屋に戻ってきたようだ。

「目が覚めたか」

「ええ。ごめんなさい。すっかり眠ってしまって」

「いや、あれくらいではまだ疲れは取れないだろう。軽く食事をして、もう少し休んだ方がいい」

 ルースはそう言って、買ってきた食料をサーラに渡してくれた。

 港町らしく、海鮮のスープに柔らかいパン。そして果汁水だった。スープはまだ温かく、疲れた身体に染みわたるようだ。

「ルースさんは?」

「俺は大丈夫だ。情報収集のために、食堂に行ってきた」

 そしてその店で売っていたものを、持ち帰ってくれたようだ。

「ありがとう」

 そう礼を言うと、彼は少しだけ頷いた。

「もう少し休んだほうがいい。出発は、明後日だ」

「明後日……」

 てっきりすぐに旅立つと思っていたサーラは、その言葉に驚く。

そして港町に辿り着いてからどう動くのか、まだ彼に聞いていないことに気が付いた。

「ここから、どうするのでしょうか?」

「ああ、まだ説明していなかったな。この国を出るつもりだ」

 ルースはそう言うと、視線を窓の外に向けた。

「この国を、ですか?」

 生まれ育った国から離れることを、サーラはあまり寂しく思っていなかった。

 自分は薄情なのかもしれない。

 でもこの国に留まっても、父に見つかってカーティスと娶せられるだけ。

 自由を求めるなら、他国に渡ったほうが安全で、確実だ。

「北にあるティダ共和国のことは知っているか?」

「はい。とても厳しい天候の国ですが、人々はとても自由に暮らしていると聞きました」

「そこを目指す」

 旅の目的地は、そのティダ共和国のようだ。

 それは夢のような、身分のない世界。

 だがその分、非情なまでに実力主義だという。努力した者が成功して、そうしなかった者が没落する。

 この国ではありえなかったことだ。

 サーラはどんなに努力しても、それが認められたことは一度もなかった。むしろ、要求だけがどんどん大きくなっていった。それがもうなくなると思っただけで、生きる気力も沸いてくる。

 ルースは、これからの予定を説明してくれた。

「港から船に乗って、まずルメロ王国の港町に向かう。そこからは辻馬車や徒歩で、共和国を目指す。船に乗ったことはあるか?」

「いいえ、一度も」

「そうか。ならば酔い止めの薬を買っておいたほうがよさそうだ。目的地に向かう船が出るのは、明後日だ。それまでゆっくりと身体を休めた方がいい」

「……はい、わかりました。いろいろとありがとうございます」

 それから食事をして、ベッドに横になった。

 この旅の目的地は、身分制度のない自由な国であるティダ共和国だとわかった。

 きっとそこでなら、サーラは自分が望むままに、自由に生きられるだろう。

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