第7話

 パン作りは、思っていたよりも大変だった。

 材料を捏ねるのに力は必要になるし、綺麗に形成するのもなかなか難しい。

 どうやら自分で思っていた以上に不器用だったようで、サーラは歪な形のパンを見て溜息をついた。

「ごめんなさい……」

「初めてなんだから、気にすることはないよ」

 キリネはそう言って笑った。

 大らかで優しい人だ。

 昔から完璧を求められてきたサーラにとって、ありのままの自分を受け止めてくれる彼女の優しさは救いだった。

 両親がいないにも関わらず、この孤児院にいる子どもたちが素直で明るいのも、きっと環境が良いからだ。

 その夜。

 サーラは空を見上げながら、自分の両親のことを思う。

 父はとても厳格な人で、娘のサーラにはとくに厳しかった。

 公爵令嬢として、他の令嬢よりも優れていることを求められ、それに必死に答えてきた。でもカーティスとの婚約破棄で、今までの努力はすべて無駄になり、父にも見放されてしまった。

 あの頃は父の期待に答えなければならないと思いこんでいて、それだけがサーラの世界のすべてだった。

 でも、こうして遠く離れてみると、自分に求められた要求がいかに理不尽だったのかよくわかる。

 あきらかに非はカーティスにあったのに、問題を解決することを求められたのはサーラだった。

 今思えばエリーに夢中になり、彼女の言うことばかり鵜呑みにしていた時点で、もうカーティスには誰も期待していなかったのかもしれない。

 彼がまだ王太子でいるのは、彼の生母である王妃がソリーア帝国の出身だからだ。

 この国とソリーア帝国は同盟を結んでいるが、国力は向こうの方が上である。その帝国の血を引くカーティスを、国王陛下も簡単に廃嫡することはできないのだろう。

 そのカーティスは偽物の聖女に溺れ、だからこそサーラに対する要求はどんどん厳しくなっていった。

(でも、わたしにはもう無理だった。これ以上、お父様や国王陛下の期待に答えることはできなかった……)

 ただ自分の弱さの代償を、従姉のユーミナスに負わせてしまったことだけは、本当に申し訳ないと思っていた。

 ユーミナスが王妃になることを、重圧に思うとは限らない。

 自分と違って彼女なら、周囲からのプレッシャーに負けることはないだろうし、エリーのような人間にも毅然と接することができるだろう。

 それでも自分が放り出した責任を、彼女が背負ってくれたのは事実である。

 しかもカーティスは今、婚約者となったユーミナスを放っておいて、サーラのもとに連日通い詰めているような状態だ。

 せめてカーティスが今までの行為を反省して、王太子としての責任と重圧を自覚してくれるように祈るしかない。

(でも自分は責任を放棄したのに、上手くいくように祈るなんて、自分勝手よね……)

 サーラは見上げていた夜空から視線を落とすと、固く目を閉じる。

 この町は夜になると真っ暗になるせいか、星がたくさん見えてとても綺麗だった。だからここに来てからは、寝る前にこうして空を見上げることが習慣になっている。

 でもこうして静かに生活をしていると、今度はひとりだけ平穏を手にしてしまったことに対する罪悪感が、いつまでも胸にから離れない。

 そのせいで、少し考えすぎてしまったのかもしれない。

 つい寝そびれてしまい、サーラは寝不足でぼうっとしたまま、朝から仕事をしていた。

 いつのまにか吹く風も冷たく、洗濯をしていると手が凍えるようだ。

 カーティスに婚約破棄を突き付けられたのは、まだ暑い時期のことだった。この地方が王都よりも寒いせいもあるが、それだけの時間が流れている。

(季節が変わろうとしているのね)

 ふと、生まれ育った屋敷を思い出す。

 母の好みで秋に咲く花が多かったから、今頃は色とりどりの美しい花が咲き乱れているかもしれない。

 懐かしいとは思うが、帰りたいとは思わない。

 ふと洗濯の手を止めて、サーラは微笑む。

 花は、ここにも咲いている。

 踏み固められた固い土から茎を伸ばして咲いている花は、屋敷に咲いているものと見劣りしないくらい綺麗だった。

「できた」

 洗濯物を干しおわったサーラは、空を見上げて満足そうに呟く。

「今日も良い天気になりそう……」

 近頃はだいぶ、家事にも慣れてきたような気がする。

 だが、失敗も数えきれないくらいやってしまった。

 洗ったばかりの洗濯物を落としてしまったことも、パンを焼き過ぎて固くしてしまったこともある。

 でもキリネは、これも経験だと言って優しく許してくれた。

 彼女の優しさと豊富な知識に、サーラはどれだけ救われていることだろう。

 それに子どもたちは皆、本当に可愛らしい。

 素直にまっすぐに育っている彼らを見ていると、自分も過去のことばかり振り返ってはいられないと思う。

 まだ、サーラの人生はこれから長いのだ。

 一度の失敗で、すべてが終わってしまったわけではないと思えるようになっていた。

 雑用係のルースとも、少しずつ話ができるようになっていた。

 彼は人と関わることはあまり好きではなさそうだが、カーティスやその取り巻きたちのように敵意を向けられるわけではないから、気が楽だ。

 だがその人嫌いは徹底しているようで、キリネともほとんど会話することもない。

 彼は、どんな事情を抱えているのだろう。

 キリネなら何か知っているだろうが、それを聞くことはできなかった。

 サーラだって、過去のことを誰かに探られたら嫌だと思う。自分が嫌なことを、他の人にすることはできない。

 だからルースとの関係は、このまま当たり障りのない状態が続けばいいと思っていた。

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