第5話

 沈黙が続いた。

 カーティスは信じられないような顔をして、サーラを見つめている。彼のことだから、誠心誠意謝れば許してもらえると思っていたのだろう。

 今までのサーラなら、謝罪を受け入れたに違いない。

 だが、それはカーティスを許したからではなく、父にそうしろと言われたからだ。今までサーラの行動は、すべて父に決められていた。

 だがここは修道院であり、サーラはもう家を出た身だ。だから、こうして自分の気持ちをカーティスに伝えるのは、初めてだ。

(それにもう、何もかも手遅れなのよ)

 たとえ彼の謝罪に心を動かされてその所業を許したとしても、すでにサーラは、未来の王妃として失格の烙印を押されている。ここから再びカーティスの婚約者となるのは、ほとんど不可能だ。

 彼には、そんな困難に打ち勝つ力はない。きっとまた挫折してサーラを放り出すに違いないと思っている。

 だからどんなに謝罪されても許すつもりはなかったし、最初から彼には何の期待もしていなかった。

「サーラ。君はもう、俺を許してはくれないのか。顔も見たくないほど、嫌われてしまったのだろうか」

 なおもそう言い縋る彼に、本音を話さなくては帰ってくれないのだと悟る。 

「……わたしはここに来て、ようやく静かに過ごせるようになりました。この平穏が、何よりも大切なものです。ですからどうか、もうわたしのことは放っておいてください」

 そう告げると、カーティスは青ざめる。

「……それは、本心からか?」

「ええ、もちろんです」

カーティスのために身を引いたと思われても、のちのち面倒だ。サーラは笑顔でそう言い切った。

「わたしはもう、疲れてしまったのです。すべてを手放した今の状態が、とてもしあわせですから」

 ここですべての縁を断ち切ってしまいたい。

 そう思った。

 カーティスにも、サーラが本気だということが伝わったのだろう。

 だが、納得はしていないようだ。

 探り合いのような時間が続く。

 沈黙に耐えきれなくなったのは、サーラのほうが先だった。

 もう時間だからと断りを入れて、カーティスを追い出す。

 ただの口実ではない。公爵令嬢だった頃と違って、やらなくてはならないことは多いのだ。

 労わるような視線を向けてくれたウォルトに、立ち会ってくれた礼を言い、サーラは部屋に戻った。部屋の窓を大きく開き、ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

(もう充分よね。これ以上は無意味だわ)

 わずらわしいものをすべて捨ててこの修道院に来たとき、サーラは生まれ変わったと思っている。

 もうこれ以上、過去に悩まされたくない。

 三度も対面して、王太子への義務は果たした。もしまた彼が来たとしても、会わずに帰ってもらおう。

 もともとここは、男子禁制。

 しかも彼は、国王陛下の命に背いている。

 これ以上の面会は、お互いのためによくない。

 そう決めて、院長にもそれを伝えた。

 すると院長はしばらくの間、隣町にある孤児院の手伝いをすることを勧めてくれた。

 たしかに、今はここを離れたほうがいいのかもしれない。

 サーラはそれをすぐに承諾した。

 明日の昼頃には、孤児院から迎えの人が来てくれる。でも朝になれば、またカーティスが訪ねてくるかもしれない。

 女性のひとり歩きは危険だと諭されたが、それを思うと、とても明日まで待つ気にはなれなかった。

 ローブを深く被り、高い靴を履いて背を誤魔化す。女性だとわからないような恰好をして、今日のうちに孤児院に向かうことにした。

 これでもし明日もカーティスが来たとしても、そこにサーラはいない。

 あとから考えれば無謀なことだし、人にも危険だと叱られた。

 自分でも無謀だったと反省している。王都とは違い、この辺は夜になると物騒らしい。でもこのときは、カーティスから逃げることしか考えられなかった。せっかくこの修道院に来て少しは自由になれたと思っていたのに、まだ過去の悪夢に付きまとわれていることに耐えられなかった。

運が良かったのか、このときは用心したお陰もあって、何事もなく隣町に辿り着くことができた。

(よかった……)

 サーラは街の片隅にある孤児院を見つけ、ほっと息を吐く。カーティスから離れたことで、少し気持ちが楽になっていた。

(今日からしばらく、ここで暮らすのね)

 そう思いながら見上げた孤児院は、修道院の半分くらいの大きさの古びた建物だった。

白かったはずの壁は薄汚れてひびが入り、屋根が破損しているところもある。きっと雨漏りをしているに違いない。

 周囲を見渡しても同じような建物ばかりだから、やはり今までサーラがいた綺麗な修道院は、特別なものだったのだろう。

 簡単に身なりを整えてから、孤児院の扉を叩く。

 すると、痩せた小柄な修道女が対応してくれた。修道院から手伝いに来たと言うと、ひとりで来たことに驚かれる。

「まぁ、ひとりで? 女性のひとり歩きはとても危険なのですよ」

 咎めるように言われたが、心配してくれたことがわかったので、素直に謝罪する。すると彼女は、快く迎え入れてくれた。

「疲れたでしょう。まずは、中でゆっくり休んで」

 そうして、サーラにこの孤児院について教えてくれた。

 ここには十人ほどの子ども達と、孤児院の院長に、先ほど迎え入れてくれた修道女がひとり。そして、炊事や洗濯をしてくれる女性と、向こうの修道院と同じように、雑用をしてくれる男性がひとりいるらしい。

 家事をしてくれる女性と雑用係の男性は通いらしいから、この小さい孤児院には、全部で十二人ほどの人が住んでいることになる。

 孤児たちは、一番年上の子どもでもまだ十歳くらい。男の子がふたり、女の子が八人だった。

 女の子が多いのは、孤児院で保護しないと違法な人買いに攫われてしまうことが多いからだ。

 それを聞いて、サーラは衝撃を受けた。

 今までつらいことばかりだと思っていたが、公爵令嬢だった自分は随分と恵まれていたと思い知る。

 最初に、孤児院の院長をしている女性に挨拶をした。

 彼女は、穏やかで優しい老婦人だった。

 その慈悲深い視線は、サーラでさえ、大切な子どもたちのひとりとして扱っているかのようだ。実の母親にだって、ここまで優しい視線を向けられたことはない。

「今まで苦労していたようね」

 労わるようにそう言われて、サーラは首を振る。

「いいえ、わたしなど。今までどれだけ恵まれた生活をしていたのか、思い知りました」

「そう思えたことは、きっとこれからの財産になってくれるわ。これからよろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 深々と頭を下げると、彼女は少し驚いたようだ。

 いくら修道院に入ったとはいえ、訳ありの場所であることは知っているのだろう。貴族の子女だったサーラが、平民である自分に頭を下げるとは思わなかったのかもしれない。

 ここで家事をしている女性は、サーラの母親くらいの年代の女性だった。サーラは主に、彼女の手伝いをすることになる。

 最近まで、孤児でも一番年長の女の子が手伝ってくれていたらしいが、その子は気立ての良さを買われて、ある商人の養女になったらしい。孤児になってしまった子どもたちの中でも、そんな幸運は稀なことだと、その女性はしみじみとそう言った。それくらい、良い子だったようだ。

 彼女はキリネと名乗った。

 この町に住んでいて、家には子どもがふたりいるらしい。

 彼女もまた親切で、手伝いにきたのに掃除も料理もまともにできないサーラを叱りながらも、丁寧に仕事を教えてくれた。

「今まで、自分で洗濯をしたことがなかったのかい?」

「修道院では、少し。でも、まだまだです。これからしっかりと覚えます」

「ああ、あんたは隣町の修道院から来たんだったね。なら、仕方がないさ。でもお嬢様にこんなことをさせてもいいのかね」

 隣町の修道院にいるのは、訳ありの貴族の女性ばかりだということを、キリネも知っているようだ。

「もちろんです。わたしはお手伝いをするために来たのです」

 きっぱりとそう言うが、教わることばかりで、むしろ邪魔になっているかもしれないと少し落ち込む。

 でもキリネは最初からできる人なんていないんだから、できるようになってから役に立ってくれたら充分だと笑ってくれた。

 本当に、優しいひとだった。

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