第16話

「え~~~~~~~っっっ!!! ティア学校に行けるの!!?」


『春の微風亭』の中に、マスケット銃をぶっ放したような、ティアの歓喜の声が轟いた。


「ハイ、丘ノ上ノ『聖ギルモア学園』ニ、編入シテ頂ケルコトニナリマシタ」


 ぷかぷか浮かぶ巨大な目玉マジックアイが、胸の前で手を合わせて感動に打ち震える愛娘に言った。


「ありがと~、パパ! ティア、ずっと学校に行ってみたかったの!」


 ティアが浮遊する父親にバフッと抱き付いた。


「ナンノ、ナンノ」


 娘の胸に抱え込まれながら、ポーケントッターが得意げに謙遜した。


「よかったわね、ティア」


「うん!」


 傍らのメロディに、これ以上ない最高の笑顔で頷くティア。

 メロディとティアが外出から戻って、一階の酒場でバターと蜂蜜を溶かした温かいミルクを飲んでいると、そこに今度はポーケントッターが自警団の寄り合いを終えて帰ってきた。

 ポーケントッターはカウンターに娘とメロディの姿を認めると、ふわりふわりと近寄ってきて、ティアに丘の上の学校への転入を伝えた。

 ティアにとっては、まさに快晴の空にいきなり響いた雷鳴だった。


「でも――随分と急な話ですね。どういう経緯なんです?」


 喜ばしい出来事には違いないが、唐突な感は否めない。

 学校に行きたいというティアの望みを、つい先程メロディは出先で知ったばかりなのだ。

 それが帰ってくるなり――である。

 タイミングが良すぎてビックリだ。


「ハイ、今日急ニ決マッタノデス」


 ポーケントッターの話によると、今日の寄り合いで一緒になった自警団の幹部に、『聖ギルモア学園』の関係者がいたのだそうだ。

 その関係者はポーケントッターに6歳になる娘がいることを知っており、熱心に学園への入学を勧めてくれたらしい。

 英雄『白銀の稲妻』の娘が通っているとなれば、学園としても宣伝になると考えたのだろう。


「ワタシハ考エマシタ。自警団ノ顧問ニナッタコトデ、ヨウヤク多少ノ顧問料ヲ受ケ取レルヨウニナリマシタガ、新大陸ヘノ渡航費用ガ貯マルマデ、マダマダ掛カリソウデス。ソノ間、ティアノ教育ヲ疎カニスルワケニハイキマセン」


 ポーケントッターの巨体を運搬するには、大型の帆船を使っても、他の乗船客や積み荷をある程度諦める必要がある。そのため、船を雇うにしても料金はかなりの額に昇る。

 加えて船の雇い賃だけでなく、新大陸ヘ渡った後の生活費もある程度蓄えておかなければならない。安心して海を渡れる蓄えが出来るまで、まだまだ時間が掛かるのだ。


「レディニナルタメニハ、幼イ頃ヨリノ教育ガ必要デス! ワタシハティアヲ、立派ナレディニ育テタイノデス!」


 ポーケントッターは胸を張った(……ように聞こえた)。


「そういうことなら、まあ、よかったじゃないか」


 カウンターの奥で話を聞いていたサンディスが言った。


「学校には行けるに越したことはないんだしさ」


 要領の悪いポーケントッターにしては、珍しく良い話を掴んだものだとサンディスは思った。

 どうやらこの不運続きなソウルアーマーにも、ここ最近ようやくツキが回ってきたらしい。


「――それにしてもポーケントッター。あんた空を飛べるんだから、何も船なんか雇わないで向こう新大陸までひとっ飛びすればいいじゃないか。その方がずっと早いし、安上がりだろう」


「ソレハ無理デス。航続距離ガ足リマセン」


「分かる言葉でいいな」


「オ腹ガ空イテ、途中デ落ッコチマス」


 ボケとツッコミのポーケントッターとサンディスの横で、メロディが再びティアに微笑んだ。


「ティア、よかったわね」


「うん!」


◆◇◆


 数日後、全ての手続きが整い、ティアが初めて『聖ギルモア学園』に行く日が来た。

 朝の七時、ティアは酒場のカウンターに座って、朝食目当ての客達の片隅で、自分の食事を摂っていた。


「ほらほら、そんなに慌てて食べると喉に詰まらすよ。時間はあるんだから、もっとゆっくり食べな」


「分かってる~」


 給仕をするサンディスに、パンとチーズをはむはむと噛みながら、ティアが答えた。

 これまでよりも遅い朝食だった。

 授業中に眠くなってはいけないからと、起床も一時間以上遅かった。

 今日からは眠くなっても昼寝は出来ないので、メロディの気遣いだった。

 いつもと同じ時間に目覚めたティアは宿の仕事も許され、メロディに言われてそのままベッドの中で時間が過ぎるのを待った。興奮で二度寝は出来なかった。


「授業開始は八時半だっけ?」


「そうよ。それまでに学校に行ってればいいの」


 丘の上の学園まで、ここから子供の足でも一時間弱で行ける。少々遠いが、この時代、子供でもこれぐらいの距離は平気で歩く。


「ティア、食事をしてるときは足をパタパタさせるんじゃないの」


「分かってる~」


 それでもティアの足は丸椅子の上でパタパタ、パタパタ。

 その様子にサンディスは苦笑を漏らした。初めて学校に行く期待と興奮を前に、自分の言葉などは届く気配もない。


「……ティア、イヨイヨデスネ。心ノ準備ハ出来テイマスカ?」


 ポーケントッターの『魔法の目』がぷかぷかと酒場に入ってきて、ティアに訊ねた。

 朝食を食べに来ている客達も慣れてきており、さして驚きはしない。

 ポーケントッターの声は、どこか緊張気味だった。


「うん! ティア、もうずっと前から準備は出来てるわ! だってティア、ずっと前から学校に行きたかったんですもの! ティア、お友達沢山欲しかったの!」


 心配げな父親に比して、娘の快活で頼もしい言葉。


「……ソ、ソウデスカ」


「なんだい、ポーケントッター。随分と不安そうじゃないか。今になって心配になってきたのかい?」


「イ、イエ、決シテソノヨウナコトハ……」


「は、はい、お弁当できたわよ、ティア」


 サンディスの問いにポーケントッターが言葉を濁らせたとき、厨房からメロディが出て来た。


 手にナプキンで包んだティアの昼食を持っている。


「ありがとう! 中身はなあに?」


「パ、パンに豚の燻製との羊のチーズを挟んだものよ。あなた好きでしょ」


「素敵!」


「そ、それじゃ鞄にちゃんとしまってね」


 メロディは緊張した様子で、経った今自分が作ったばかりの弁当をティアに手渡した。


「おやおや、ポーケントッターだけじゃなくて、この娘まで緊張してるよ。まったく、学校に通うのはあんたたちじゃないんだよ」


 二人の様子に呆れるサンディス。


「――ほら、ティア。あんたはそろそろ行きな。最初は早めに行った方がいいよ」


「うん!」


 サンディスの言葉に、ティアはピョンとカウンターの丸椅子から飛び降りた。


「それじゃ、パパ、メロディ、サンディス! 行ってきます!」


「イ、イッテラッシャイ。幸運ヲ。アナタニ戦女神ノ御加護ガアリマスヨウニ……」


「き、気をつけて行くのよ。何かあったらすぐに先生に相談してね」


「意地悪する奴がいたら、鼻の頭に噛みついてやりな」


「アイアイサ!」


 ティアは先日買ってもらったばかりの麦わら帽子を被ると、ペンやらインクやら弁当だのが入った鞄を斜めに提げて、酒場から出ていった。


「転ぶんじゃないよ!」


「分かってる~」


 メロディとポーケントッターが宿の外に出て、通りを駈けていくティアを見送る。その背中はすでに遠かった。


「……ああ、心配だわ」


 メロディは、心底不安げに呟いた。

 当初は、念願叶って学校に通えるようになったティアの幸運を喜んでいたが、時間が経つにつれて、その喜びは徐々に不安と心配に変わっていった。


「苛められたり、仲間外れにされたりしないかしら……?」


「ワ、ワタシモ、ソレガ心配デス……」


 初めて子供が学校に通う際に、親が心配するのはまずそれだろう。


「アノ子ハ、可愛クテ、性格ガヨクテ、オマケニ賢イ子デス。ソウイッタ子ハ、往々ニシテ意地悪ナ子供ニ苛メラレマス」


「え、ええ、そうですよね、そうですよね。やっぱりそうですよね。あんな可愛くて賢い子、やっぱり悪童から目を付けられちゃったりしますよね」


「アア、メロディサン、コレ以上ワタシヲ不安ニシナイデ下サイ……」


 ソワソワ、オロオロ……ソワソワ、オロオロ……。


 ポーケントッターとメロディの取り乱し用は、端から見たら喜劇以外の何ものでもないのだが、当人たちは至って真面目なのである。


「ワ、ワタシ、コレカラチョット、ティアヲ見守リニ行ッテキマス。窓ノ外カラコッソリト、アノ子ヲ見テイマス。ソシテモシアノ子ガ苛メラレルヨウナコトガアレバ、即座ニ突入シテ、苛メッ子ニ怒リノ鉄槌ヲ下シテヤリマス!」


「グッドアイデアです! ポーケントッターさん!」


 丸い身体からマジックハンドを伸ばして、シュッシュッ! と拳闘のジャブを放つポーケントッターに、『あなたのその「目玉」は、まさにそういう使い方をするためにあるのですから!』


 とメロディが勢い込んで賛同した。


「ソ、ソレデハ早速」


「え、ええ、早速」


「まったく、いい加減におしよ、この二人は」


 ポーケントッターが愛娘の後を追って空に飛び立とうとしたとき、宿の中からサンディスが出て来て止めた。


「子供の世界に大人が首を突っ込むんじゃないよ。大人ばっかりの中で育ったあの子は、これからようやく自分だけの世界を作り始めるところなんだ。そこにわたしたち大人がまた入り込んでどうするんだい」


「……サ、サンディスさん」


「あの子は自分の尻ぐらい拭けるよ。あの子がこれまでどれだけ厳しい生活をしてきたと思ってるんだい。少しはティアを信じてやりな」


 過保護も良いけど、何事も『過ぎたるはおよばざるが如し』――だよ、とサンディス。

 あまりの正論にグゥの音も出ない、ポーケントッターとメロディ。

 結局、サンディスのその一言で、メロディの言うポーケントッターのグッドアイデアはお流れになり、二人はソワソワヤキモキしながら、ティアの帰りを待つことになった。

 ティアに過度の愛情を抱く二人にとって、それは精神的な拷問に等しかった。


◆◇◆


 一方その頃、当のティアリンクは保護者たちの心配をよそに、テクテク、トコトコ、快調に学校に向かっていた


 赤いリボンの着いたオシャレな麦わら帽子に、黄色いチュニック。お気に入りの鹿革の靴の柔らかな履き心地が、今日も心地良かった。

 ティアの胸には、これから身を投じる新しい世界への怯えや恐怖はなかった。

 そこは以前からティアの憧れていた世界だったからだ。

 何より、自分には『春の微風亭』という完全に安心で安全な場所がある。

 新しい世界で何かあっても、そこに逃げ帰れば、父とメロディが必ず守ってくれる。

 だから、ティアは怖くなかった。


 だから――。


「ティアリンク・ポーケントッターです! 港の『春の微風亭』に、パパとメロディと住んでいます! 好きな食べ物は兎の煮込みとチーズです! 好きな飲み物はチョコレートです! これからよろしくお願いします!」


 ハキハキのハキ!


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