第12話

 その日の夜――。


 仕事を終えると、メロディは熱い湯を沸かして身体を拭き、寝間着に着替え、髪をとかし、燭台の灯りを消して、ベッドに入った。

 ティアは一足先にメロディの隣の寝台に入り、スゥ……スゥ……と小さな寝息を立てている。

 ベッドに入ったメロディは、目を閉じる代わりにしばらく暗い天井を見上げていたが、やがて再び身体を起こして、閉ざされた窓に近づいた。

 カーテンを開けて、窓を引き上げ、鎧戸を押し開く。

 ポーケントッターの巨大な顔が、窓のすぐ側にあった。


「こんばんは、ポーケントッターさん」


 メロディは、どこか悄然として見える巨人に、優しげな眼差しを向けて話し掛けた。


「コンバンハ、メロディサン」


 巨人が直立したまま、声だけで答える。


「ドウシタノデスカ、眠レナイノデスカ?」


「ええ」


 なぜか今夜は眠気が訪れず、この人の良いソウルアーマーと話をしたかった。


「外カラ怪シイ者ガ侵入シナイヨウニ、ワタシガ見張ッテイマス。メロディサンハ、安心シテオ休ミ下サイ」


「英雄『白銀の稲妻』に眠りを守ってもらえるなんて、まるでお姫様ですね」


 クスッと笑うメロディ。

 それからわずかに間を置いて、


「今日は……ありがとうございました」


 と礼を言った。


「あなたのお陰で、常連さんを失わずにすみました」


 メロディは、昼間のポーケントッターの態度に感銘を受けていた。

 ポーケントッターの人の良さは、単なるお人好しなわけではなく、他者への慎重な配慮・気配りの現れであることを、メロディは知った。

 そういった心配りの出来る人間がメロディは好きだったし、そういった人間になりたいとも思っていた。

 メロディは初めてポーケントッターを紳士だと思った。


「宿代のことは気にしないで下さい。ティアはわたしの部屋で寝起きしていて、掛かっているのは食費だけで、それも大した額ではないですし」


 ポーケントッターに至っては、いつも屋外で夜を明かし、食事すらしない。


「ティアはちゃんと働いてくれてますし、これで宿代まで頂いたら逆に申し訳ないです」


 宿の修理もいずれ終わる。そうすれば、また売り上げも戻るだろう。

 無理にポーケントッターに働いてもらう必要はないのだ。


「デモ、ワタシハ新大陸ヘ渡ル船賃ヲ稼ガナケレバ、ナラナイノデス」


 ポーケントッターは声には、深い決意が込められているように聞こえた。


「ワタシ達親子ハ、新大陸ニ渡ラナケレバイケナイノデス」


 メロディは、珍しくポーケントッターの強い意思を感じて、押し黙った。

 彼らさえ良ければ、ずっとここで暮らしてくれても構わない――と思い始めていたのだ。

 そんなメロディの様子に気づいて、ポーケントッターは初めて身体を動かし、窓際の若き女将に向き直った。小さく軽快な駆動音が、港の夜気に微かに響いた。


「メロディサン、アナタハ心優シイ、親切ナ、トテモ良イ娘サンデスネ」


 そして真摯な声で言った。


「将来ティアニハ、アナタノヨウナ女性ニナッテモライタイデス」


「な、なんです、藪から棒に。お世辞なんて言っても、チョコレートは出て来ませんよ」


「オ世辞デハ、アリマセン。ワタシノ正直ナ気持チデス。ワタシ達親子ハ、アナタニ言葉デハ言イ現セナイホド感謝シテイマス」


「……ポーケントッターさん」


「メロディサン、ワタシハ、アナタニオ礼ガシタクナリマシタ」


「お礼ですか?」


「ハイ、今ココデ」


 そう言うと、ポーケントッターは自らの顔の高さにあるメロディに、両掌を差し出した。


「……え?」


「アナタヲ、星ノ世界ニオ連レシタイ」


「星の世界……」


 ポーケントッターの突然の申し出に戸惑う、メロディ。


「ソウデス、アノ夜空ノハルカ彼方デス」


 不思議とメロディに恐怖はなかった。

 まるで魔法を掛けられたように、メロディは窓から身を乗り出し、差し出されたポーケントッターの巨大な掌に乗った。

 それが自分とポーケントッターとの間に醸し出されたロマンチックな雰囲気に呑まれた故の行動だということに、メロディは気づかなかった。

 夜風がティアの身体に悪いと思って、外から鎧戸だけは閉めた。


 掌が下ろされ、ポーケントッターの腹が開いた。

 灯りが点り、窮屈そうな背もたれのついた椅子が見えた。

 入ったことこそなかったが、中に積まれていた荷物を取り出すために、これまでにも何度か覗いたことがある。


「心配ハイリマセン。食ベタリハシマセンヨ。食ベルノハ口カラデ、オ腹カラデハアリマセン」


 初めて聞くポーケントッターの冗談に、メロディは微笑んだ。


「お邪魔します」


 自分のそのどこかズレた挨拶も、メロディは可笑しかった。

 そして中の椅子に、オズオズと身を任せる。


「狭イデショウ。アーマー・ドライバー搭乗者達ハ、クックピット鶏の巣――ト呼ンデイマス」


「鶏の巣。確かに」


 メロディは言い得て妙だと思った。洒脱な諧謔ユーモアに満ちた例えだ。

 胸がドキドキする。

 恐怖はなかったが興奮はあった。

 自分の知識と想像を遙かに超えた未知の存在に触れる興奮。

 こんな興奮は初めてだ。


 メロディが身体を収めた椅子の前には、胸の高さくらいに大小のガラスのパネルが数枚あり、図形や記号や、それに文字らしきものが浮かんでいた。

 透明なガラスに、どうすればこんな文字や図形を浮かび上がらせることが出来るのだろう?

 それに、この文字はもしかして……。


「この文字はもしかして――」


「ハイ、『古代文明文字レムリア文字』デス」


「やっぱり……」


 ポーケントッターの説明に、メロディが熱い視線を文字に注いだまま頷く。


 遙か昔、神によって最初に作られたという種族の文字。

 気の遠くなるような長い年月の間に失われ、その子孫である自分たちには伝わらなかった文字。

 世界各地でのレムリア古代文明遺跡の発見と、それに伴う発掘・探求がなければ、失われたままになっていた文字。

 都の大学にでも行かなければ学べない文字だ。


「わたし……見るのは初めてです」


 活版印刷は発明されてはいたものの、教会が自らの権力を維持するために『文字の読み書き』を既得権益として守り続けていたため、ゴドワナを含めた旧大陸国の識字率は今なお低い。

 学校が設けられ、基本的な読み書きと計算を覚えられるのは、教会の力よりも経済の力が強い、王都やポートホープのような大邑だけだ。

 そのポートホープでさえ、10人いればその半分は読み書きが出来ない。

 手紙を書くにも代書屋がいる。

 幸いにしてメロディは、小さいながらも裕福な宿屋の生まれであり、ゆくゆくは婿を取ってその宿屋を継がねばならなかったため、学校に通わせてもらい読み書きを覚えることが出来た。


 そんなメロディにしても、レムリア文字を目にするのは初めてだった。

 レムリア文字で書かれた書物や文献があるわけでなく、今の世界でこの古代文明文字を理解する必要があるのは、学者か、あるいは古代レムリアの戦闘甲冑であるソウルアーマーを所有する国王や貴族、それに仕える騎士たちぐらいなものだ。庶民には全く関係がない。


「ソレデハ、クックピットヲ閉ジマス」


 ポーケントッターの声が『鶏の巣』に響き、ソウルアーマーの腹が密閉された。

 そしてメロディが閉じ込められたという恐怖を感じるよりも早く、それまでただの狭苦しい壁だと思っていた『鶏の巣』の壁が透明になり、『春の微風亭』の外観が映し出された。


「きゃあっ!」


 一瞬メロディは、自分が高さ五メートルの空中に放り出されたような錯覚を覚え、訳が分からずに悲鳴を上げた。


「な、なに!? なんです!?」


「心配ハイリマセン。光学透過装甲デス。内側カラ外ガ透ケテ見エルダケデス」


「コ、コウガクトウカ……?」


「光ガ透キ通ルトイウ意味デス。光ガ外カラ届キマスカラ、外ノ景色ガ見エマス。逆ニ外カラハ中ノ様子ハ見エマセン」


「凄い……」


 メロディは、ただただ驚くしかなかった。

 仕組みはまったく理解できなかったが、目の前の技術が今の世界の技術水準を遙かに超えていることだけは分かった。


(これが……古代の人々の……はじまりの人々(レムリア人)の技術……これがソウルアーマー……)


 メロディはそこで初めて恐怖を――純粋な怖れを覚えた。

 奇跡的な技術の数々に、まるで神の御業を前にした子羊の如き畏怖の念を抱いた。

 興奮によってではなく、メロディは震えた。


「大丈夫デス、メロディサン。ワタシヲ信ジテ下サイ」


 メロディの怯えを感じ取ったのか、ポーケントッターが言った。


「ワタシハ神様ガ現シタ奇跡デハアリマセン。勿論、悪魔ノ詐術トモ違イマス。ワタシハ、アナタト同ジ人間ガ創リ出シタ、技術ノ集合体ニ過ギマセン」


 ポーケントッターの言わんとすることは分かる。

 でもメロディは、だからこそ怖いと思うのだ。畏れを抱くのだ。

 この技術を……ソウルアーマーを、自分と同じ人間が創り出したということに、メロディは底知れぬ恐怖を覚えるのだ。


 だが……。


「大丈夫です、ポーケントッターさん。ちょっと興奮しただけです」


 蓬莱ほうらいでいうところの武者振いです――と、メロディは強がった。

 怖いことは確かだった。畏れを抱いたことも間違いなかった。


 でもそれ以上に、メロディはこのソウルアーマーのことをもっと知りたかった。

 この人間以上の気遣いを見せる心優しい巨人を、ナカト・ポーケントッターという紳士を、もっと理解したくなっていた。


 ポーケントッターは安全のために、肩と腹のベルトを締めるようにメロディに言った。

 少し手間取ったものの、メロディは何とかその作業をこなしてみせた。


「ソレデハ、メロディサン。心ノ準備ハヨロシイデスカ?」


「い、いつでもどうぞ」


 ――これからこの巨人は、自分を星の世界に連れて行くのだ。


 畏れと興奮と緊張に、メロディの身体は震え続けた。


「ティアヲ起コシタクハアリマセン。アル程度ノ高度ヲ取ルマデハ、スラスターハ使ワズニ、電磁気力ノ反発ヲ利用シテ上昇シマス」


 ポーケントッターがそう言うと、メロディの右前にあるパネルに変化が起こった。曲線が浮かび上がり、図形の円を描き始めた。

 そしてその曲線が正円となったとき、ポーケントッターの巨体は、彼の分身である『魔法の目』と同じように、音もなくフワリと宙に浮き上がった。

 物音一つ、振動一つ立てず、それでもかなりの速度で、ポーケントッターは夜空に向かって舞い上がっていった。


 メロディは興奮のあまり、思わず椅子から飛び出ていた左右のスティック操縦桿を強く握りしめた。

 目の前の夜空がグングンと近づき、その中に自分が飛び込んでいく感覚を、メロディは確かに感じた。


「と、飛んでいる! 飛んでいるわ!」


 メロディは叫んだ。


「ポーケントッターさん、わたし、わたし――飛んでいます! わたし、今飛んでいます!」


 それはもちろん、メロディにとって初めての経験だった。

 いや、アーマードライバーでないただの宿屋の女将が空を飛ぶなど、ゴドワナ王国が誕生してから、初めての出来事だったかもしれない。


「クックピットビューヲ、後方視界ニ切リ替エマス」


 ポーケントッターがそう言うと、目の前の風景が、遠ざかっていく夜の町に変わった。


「ポートホープだわ! あの町はポートホープだわ!」


 窓からいくつかの灯りが漏れる夜の港町! あれは、あれはわたしの育った町だわ!

 それにあの海岸線の形は、以前に地図で見たのと同じだ! あの地図は正しかったんだ! 

 あの地図を作った職人にこの光景を見せたら、なんと言うだろうか!?

 自分の測量が正しかったことを知ったら、どんな顔で喜びを表すだろうか!?


「凄い……これが……これが空を飛ぶと言うこと……これが人が空を飛ぶと言うこと……」


 夜のポートホープが、ぐんぐんと小さくなっていく。


「ポーケントッターさん……わたし、今泣いてしまってるかも……」


 それは恐怖でもなく、興奮でもなく、初めて空を飛んだ者が覚える感動の涙だった。

 夜の港町が小さくなると、再びクックピット前面の風景が星空に切り替わった。


「巡航高度ニ達シタノデ、コレヨリ『メインスラスター』ニ点火シマス」


 ポーケントッターが言うなり、座り心地の悪い椅子を通じて、低く重い振動がメロディに響いてきた。

 大気中から吸収された水素が機体内で推進剤に変えられ、さらにプラズマに電離分解後、背中のメインスラスターから後方に向かって強制排気された。

 最低出力の噴射だが、電磁気力の反発だけを利用して飛行していたときよりも、明らかに速度は上がっていた。

 ポーケントッターは、巡航飛行に入った。


 夢の時間が始まった。


 メロディは、まさに星の世界にいた。

 毎夜見上げる星空ではない。

 彼女は今、星の中にいた。

 星は頭上にではなく、彼女の周りにあった。

 足元を見ると、いつの間にかどこまでも続く雲海が広がっていた。

 雲海は、話に聞く砂漠のようだった。

 それは幻想的な光景だった。


 メロディは幼い頃に母に聞かせてもらった、はるか東の熱砂の国の物語を思い出した。

 魔法の絨毯に乗って、美しい姫とその恋人の若者が夜空を飛ぶ物語だ。

 メロディは、うっとりと星の世界を堪能した。

 もう、驚きも、興奮も――恐怖も感じなかった。

 何も話し掛けて来ないのは、ポーケントッターの心遣いだろう。

 星の世界と雲の砂漠はどこまでも続いている。


 そしていつしか、ポーケントッターから伝わってくるスラスターの規則的な振動が、昼間の仕事に疲れたメロディを、心地良い眠りの中へと誘っていった。


◆◇◆


 メロディは、いつの間にか地上にいた。

 辺りは明るく、気がつかないうちに昼間になっていた。

 ポートホープではない、見知らぬ小さな村にいた。

 目の前に粗末な家がある。

 扉が開いて、メロディは家の中に入っていく。

 居間を抜けて、寝室へ。


 黒髪の青年が、生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら、ベッドに寝ている妻を見つめていた。

 人の良さそうな青年の顔が、病弱な妻とこれからの生活を思って曇っていた。

 青年の妻は、生まれたばかりの娘と同じ明るいブロンドの髪を持つ、美しい娘だった。

 青年は貧しかった。

 病弱な妻と、生まれたばかりの娘のために、金が必要だった。


 青年は兵隊になることを決めた。

 妻と娘とは離れなければならないが、毎月決まった給金をもらえる。

 幸い、村の人間は皆親切で信頼でき、妻と娘を託すことが出来た。

 妻は心細がり反対した。

 もし戦争が始まって青年が死ねば、残された自分と娘はどうなるのか――と。

 しかし、このままでは早晩蓄えは底を突き、彼らは飢え死にしてしまう。

 病気がちな妻には、高価な薬が必要だった。


 青年は、自分の健康を悲観して求婚を拒む幼馴染みの娘に、何度も何度も想いを伝え、やっと結婚にいたったのだ。

 これぐらいの覚悟は最初から出来ていた。

 生まれたばかりの娘には、母親と、何よりも金が必要だったのだ。

 青年は妻を説き伏せ、病弱な妻と生まれたばかりの娘の世話を近所の住人に頼み、兵隊になるために村を出た。


 そして苦渋な決断の末に、その肉体を捨て、己が魂を鋼鉄の巨大な鎧へと封入した……。


◆◇◆


 クックピットの中に、スラスターの作動音が優しく響いている。


 眠りに落ちたメロディの目尻から、涙が一筋流れた。


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