第10話

「……これは、癖になるねぇ」


 と、サンディスが呆けた。


「……なんて、なんて、官能的な味なのかしら」


 と、メロディが恍惚とした。


「……美味ちい」


 と、ティアが蕩けた。


 そして、三者三様うっとりと吐息を漏らす。


 午前九時。

 泊まり客は発ち、朝食目当ての客も途切れ、取りあえず早朝からの仕事が一段落つく時間だ。

 メロディたちは一階にある酒場の奥の厨房で、それぞれのマグカップを前に一息入れていた。

 メロディと、ティアと、サンディス。

 他には、老調理人のマートと、二人の女給もいた。マートも二人の女給もマグカップを手に、メロディたちと同様の『夢見心地』の表情を浮かべている。


 ホット・チョコレート。


 遙か南方の植民地からもたらされた原料の実カカオを粉末状にし、砂糖を加え、温めたミルクを注いだ飲み物。


「……こんな美味しい飲み物が、この世界にあったなんて」


 メロディが頬に掌を当て、ぽわわんとした表情で呟く。

 ポーケントッターの旧主人であるクロスフォード侯爵夫人の厚意で、彼の腹の中に収められていた小型の樽キャスクには、貴重で高価な茶褐色の粉ココア・パウダーがぎっしりと詰められていた。

 娘を喜ばせるために、ポーケントッターが所望したものらしい。

 クロスフォード侯爵夫人は快くその申し出を受け入れ、常日頃彼女が愛飲してるものと同じ品を、ポーケントッターに持たせた。

 主人が召し放つ家臣に対して示す態度としては、破格の好意だった。

 異国からもたらされた甘く濃厚なチョコレートの味と香りが、朝早くからの仕事の疲れを溶かし去っていく。


「この粉を持ってきただけで、あのソウルアーマーはここにいる価値があるね……」


 サンディが、ほえほえ~とした顔で言う。


「本当に……」


 ああ、このまま溶けてしまいたい……と、メロディ。

 ティアは、両手で空になったマグカップを目の高さまで持ち上げて、その丸底を名残惜しげに覗いている。

 その様子に気づいたメロディは、ティアに向かって茶目っ気タップリに、


「――ねえ、もう一杯飲んじゃいましょうか?」


 と、言った。


「うん!」


 ティアの顔に最大級の喜悦が浮かぶ。


「マートさん、みんなにチョコレートをもう一杯」


 休憩時にチョコレートを飲み始めてから一週間。まだまだ小樽の中の粉は潤沢である。


「おいおい、粉はともかく、ミルクと砂糖は持ち出しなんじゃからな。そんなに飲むと、客に出す分がなくなっちまうぞ」


「『こんな時』です。これぐらいの贅沢はいいでしょう」


「『こんな時』だから倹約の必要があるんじゃろうが。まったく、お前さんは経営者としての自覚がないから困る」


 マートはやれやれと肩をすくめたが、それでも新たなホット・チョコレートを作り始めた。


「イヒヒヒ! やったね!」と手を叩き合う、メロディとティア。


 そんな二人を見て、ティアは本当に明るくなった――と、サンディスは思った。

 早朝からの掃除や水汲みと言った仕事も、ティアはきゃっきゃっ、きゃっきゃっと笑顔一杯で楽しげこなしていた。

 元々が修道院の育ちであり、『全ての労働は祈りに通じる』――との考えから、朝早くから他の大人と同じような作業を与えられて暮らしてきたティアである。

 修道院と違って笑うことが許されるというだけでも、ティアにとっては喜ばしいことなのだ。

 加えて、側には過保護なほどに面倒を焼くメロディがいる。

 そして――。


 そして何より、父親の足元にいられるという安心感が、ティアに本来の明るく快活な性格を取り戻させたのだろう。

 守られているという安心感が子供には何よりも必要だと言うことを、そういうものを持たずに育ったサンディスは知っていた。


 そんなメロディとティアに、サンディスが優しい眼差しを向けていたとき、が、ぷかりぷかり、ふわりふわりと厨房に入ってきた。


 女給の一人が「きゃっ!」と小さな悲鳴を上げる。


「ドーモ、驚カセテスミマセン」


 宙に浮かんだ子供の頭大の巨大な目玉が、固まる女給に謝った。ポーケントッターの声だ。


「い、いえ……」


 女給が目の前に浮かぶ巨大な目玉――『魔法の目マジックアイ』に怖々と謝る。


 索敵・捜索用に使われる、ソウルアーマー・ポーケントッターのもう一つの目だ。

 自由に飛び回れる上に、集音マイクスピーカーがあるので会話まで可能。さらには自在に動く二本の『魔法の手マジックハンド』が収納されており、必要に応じて物を掴むことが出来た。目玉の上からは翼のような二本のアンテナブレードが生えている。


 話には聞いており知識としては頭にあったが、巨大な目玉がぷかぷか宙に浮いている光景は、実物を見てから一週間経った今も、なかなか慣れることが出来なかった。


「パパ、どうしたの?」「どうしたんですか、ポーケントッターさん?」


 すでに慣れきっているティアと、生来の順応性の高さ故に慣れつつあるメロディが、同時に訊ねた。


「ハイ、ソロソロ仕事ノ時間ナノデ行ッテキマス」


 ポーケントッターは宿の修繕費用で飛んでしまった新大陸への船賃を稼ぐために、仕事を探していたのだ。宿屋の仕事を手伝うと申し出てはみたものの、娘と違って彼の図体で出来ることは少ない。

 掃除も、洗濯も、料理も繕いも出来ない。

 せいぜいが客寄せの呼び込みぐらいである。


 それでも当初メロディたち――特にサンディス――は、英雄的ソウルーアーマーであるポーケントッターの宣伝効果に大いに期待した。

 有史以来の数々の戦争で消耗を繰り返し、またこの100年余りの発掘数の急激な減少に伴って、戦場以外では滅多に目にすることのなくなったソウルアーマーが、それも話に聞く英雄『白銀の稲妻』が宿屋の前に立っている――というだけで、その集客効果は抜群だろう。


 しかし、メロディたちの目論みはあえなく外れた。


 確かに、見物人は増えた。

 だが、それも遠巻きに恐る恐る、怖々と眺めにくる人間ばかりで、その足元で一杯やろうとか、腕の横の部屋で眠ろうとかいう人間は少なかった(宿の三階がなぜ修繕中なのか、その理由を知った者は、もちろん誰も宿には近づかない)。


 結局、宿からは常連以外の客足が遠のき、売り上げは却って減少した。

 宿の三階は依然として修理中で使えない上、常連客以外の客足も遠のき、『春の微風亭』は今、メロディのいう『こんな時』……な状況にあった。


 そこで責任感の強いポーケントッターは、新大陸への渡航費を稼ぐと同時に、世話になっている宿屋に少しでも金を入れるべく、外に働きに出ることを決めたのだ。

 彼の巨体は宿屋の細々とした仕事には向かなかったが、それ以外の場所では長所にもなる。

 特にその万人力の腕力は、港湾都市であるこのポートホープでは、大きな武器になるだろう。

 ポーケントッターが仕事を求めたところ、すぐに荷揚人足として彼を雇いたいという船主が現れ、仕事が決まった。船主には冒険心が強く、珍品好きな人間が多いのだ。

 これでようやく(多少なりとも)恩が返せると、ポーケントッターの意気は上がった。


「ああ、もうそんな時間ですか」


 メロディが腰掛けていた椅子から立ち上がる。


「ティア、パパのお見送りよ」


「うん!」


 ティアも、座っていた椅子からピョンと飛び降りた。

 メロディ、ティア、そしてサンディスは、ポーケントッターの浮遊する『魔法の目』と共に、厨房をから酒場を抜けて宿の外に出た。もちろんサンディスは厨房を離れる際に、「わたしのチョコレート」飲むんじゃないよ――と残るマートらに釘を刺すのも忘れない。


 宿を出ると、ポーケントッターの『魔法の目』は直立する全高8メートルの本体に向かって上昇し、開閉されていた頭部に収まった。

『魔法の目』を頭に収めると、本体の目が光り、ソウルアーマーとしてのポーケントッターが起動。足元のメロディたちを見下ろした。


「ソレデハ、行ッテ参リマス」


「気をつけて。あまり無理はしないで下さいね。その、何事も『過ぎた留はおよばざるが如し』といいますから」


「ソノ『セリカ』ノ言葉ハ、知ッテイマス! アイアイサー、デス!」


「パパ、頑張ってね!」


「メロディサン達ニ、ゴ迷惑ヲ掛ケルノデハアリマセンヨ」


「分かってる~」


「人を踏むんじゃないよ」


「ゴ心配ニハ及ビマセン! ワタシノセンサーハ、優秀デ鋭敏ナノデス!」


 ポーケントッターは鋼鉄の胸を張ると、


「ソレデハ、行ッテ参リマス。娘ヲオ願イシマス」


 と頼んで、意気揚々初めての仕事に向かった。


 ドスン! ドスン! ドスン!


「ソウルアーマーガ通リマス! ソウルアーマーガ通リマス! ワタシノ周囲ニイル人ハ、ワタシニ踏マレナイヨウニ注意シテ下サイ!」


 埠頭を兼ねた大路を、地響きを立てながら勇躍突き進むポーケントッター。


「古代錬金術って、なんでもありなのね……」


 嘆息するメロディ(徐々に慣れつつある自分って凄い……とも思った)。


「本当に大丈夫かしら、ポーケントッターさん」


「まあ、人を踏みはしないだろ」


「大丈夫よ、パパはとっても繊細だから!」


 無邪気に父親を信頼するティアに、『巨人の繊細、人には粗雑』……というゴドワナの諺があることを、メロディは敢えて教えなかった……。


「さあ、チョコレートだ! 厨房まで競争!」


「あ、待ってサンディス、ずる~い!」


 サンディスがティアと、再び厨房に駆け込んでいく。


 二人が宿の中に消えた後も、メロディはどことなく気遣わしげに、ポーケントッターのなかなか小さくならない背中を見送った。


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