第27話 呪いを仕掛けたのは
牛車はそのまま晴明が言う政敵殿の屋敷へと向った。そして晴明は不気味な壺をひょいっと掴むと
「うりゃっ」
ここだと目星を付けた場所に向けて、塀の外から放り投げてしまう。
「ええっ」
雑でしょと驚くが、ぱりんっという音がする。どうやら無事に壺は屋敷の中に入り、しかも何かに当たって砕けたようだ。
「何の音だ」
「こっちからしました」
「うわっ、何だこれ」
「気持ち悪っ」
さらに近くに人がいたようで、すぐに大騒ぎになっている。
「ここは屋敷の侍所にあたる場所だ。この屋敷は普段から警備として武士が詰めているからな。ここに投げれば大丈夫なんだよ」
晴明はささっと牛車に戻って、泰久にそう教えてくれた。なるほど、これも事前調査の結果か。
場所は三条、しかもかなり大きな屋敷だ。それだけで身分が高い人の住まいだと解る。となれば、屋敷に勤める人も多く、警備として武士がいても不思議ではなかった。
「ってことは、すっごく上の人たちの争いですか」
泰久は今更ながら依頼人とこの屋敷の人が気になった。
「まあね。藤同士の争いは面倒だよ」
しかし晴明は依頼があれば何でもするだけだと、適当に流してくれるのだった。
「動きがありました」
さて、屋敷に呪いの壺を投げ入れて数刻後。陰陽寮に戻って仕事をしていた晴明の元に、そう駆け寄る人がいた。陰陽寮の雑用もこなしている安倍家の人だ。
「解った。泰久、行くぞ」
「えっ」
俺も行くんですかと、課題を渡されて取り組んでいた泰久は驚いてしまう。てっきり晴明がさくっと仕上げてくるのだと思っていた。
「そのまま計算していたいのならば残ってもいいけど」
それに対し、どうせ全く進んでいないだろうと晴明はにやりと笑ってくれる。その顔は師匠の保憲そっくりだった。
ここにいても前進しないのならば、荒事の手伝いくらいしろと言いたいのだ。そして断った場合、とんでもない仕事を押しつける気満々だ。
「そ、それなら」
行きますと、荒事は嫌だが計算も嫌な泰久は立ち上がった。
ちなみに出されていた課題は金星の軌道を読み解き、次の明けの明星の時期を割り出すというものだった。正直、解ける気がしないほどの複雑さだ。
それを途中で投げ出していいと言うのならば、喜んで荒事の手伝いだってする。
「全く。自力で何かが出来るまでまだまだだな」
晴明はそんな泰久に呆れていたが、ともかく、先ほどの屋敷に向わなければならない。近くにいた同僚に保憲への言伝を頼み、急いで大内裏を飛び出した。少し離れたところに馬が用意されている。
「泰久、お前、馬は乗れるな」
「な、なんとか」
それほど乗る機会はないが、遠出する機会が皆無というわけでもないので、一応は乗ることは出来る。しかし、早駆け出来るかは不安だった。
「行くぞ」
「は、はい」
しかし、今は泣き言を言っている場合ではなかった。いつしか周囲は薄闇に包まれている。誰そ彼れ時なのだ。日没を迎えてしまうと早駆けはますます危険になる。
馬に跨がると、先を走る晴明を必死に追い掛けた。大内裏から三条のあの屋敷まではすぐだ。
「あっ」
屋敷が見えた時、大路の真ん中に人影を見つけた。真っ黒な服を着ているせいか、そこだけ闇が一段と濃かった。
「道満」
泰久の呟きに反応するかのように、道の真ん中にいた道満がこちらに向けて動き出した。ざっときらめいたのは刀だ。それが晴明の乗る馬を狙っている。晴明はすぐに飛び降りたが、泰久は反応が遅れた。
「うわっ」
「くっ」
馬が刀に驚いて棹立ちになる。泰久は思わず手を離してしまったが、晴明が間一髪、地面に叩きつけられる前に身体を受け止めてくれた。だが、それが道満に攻撃の隙を与えることになる。
「くっ」
ざっと肩口を斬られ、血が吹き上がる。泰久は驚いたが、晴明はそれでも泰久の身体を離さないまま地面を転がり、道満から距離を取った。
「ちょこまかと動く帝の犬だな」
道満は一撃で仕留められなかったのが不満なようで、ふんと鼻を鳴らす。
「煩い。鬼め」
晴明は泰久を離すと、すぐに立ち上がって道満を睨み返す。そして斬られた左側の袖を引きちぎると、手早く止血してみせる。その様子を泰久は呆然と見ていることしか出来なかった。
さすがにここまでの荒事は想像していなかった。完全に腰が抜けてしまっているのだ。しかし、道満の眼中には晴明しかないようで、こちらを気にする様子はない。
「鬼は貴様もだろう。信太の狐の血を引く男よ」
それどころか、そんな挑発をしている。狐というが、この場合は動物の狐ではない。晴明が引き継いだ裏稼業を指し示す隠語だ。というのは、この間の酒の席で保憲から教えられていた。
「ふん。今は宮仕えをする身だ。貴様とは違う。どう足掻こうと、貴様は討たれる運命にある」
しかし、そんな挑発には乗らない晴明だ。どこから取り出したのか、右手にはいつの間にか短刀が握られている。それだけではない。周囲にはいつしか道満を取り囲むように、晴明の部下たちが揃っていた。
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