第14話 雪の音を奏でる


今日はいわゆる、華金という日だ。

新学期が始まって、初めての週末に入ろうとしている。

校庭の桜も、ほとんどが葉桜になりつつあり、その姿は、何処と無く物寂しかった。

季節はいつも、どこか物寂しげな表情をしながら、通り過ぎる。

それは、風景を眺める人間とて例外ではなかった。

「〜であるからして、鎖国と言っても、四つの口があったため、全然閉じていないんだよ。……」

絶賛、日本史の授業があっている最中だ。

次の時間は、昼休み。

いつもどおりの昼休みのようで、実は決定的に違う箇所があった。

次の昼休み、俺は、六月さんに話しかけることになっている。

というか、昨日の夜、LIMEにて、こんなやりとりがあった。


「六月さん、今大丈夫?」

「大丈夫」

「明日の昼休み、二人で昼ごはん食べない?」

「いいよ」


六月さんの返信は、かなり質素というか、生気がないというか、空気を掴んでいるような感触になったが、そういう人だという情報を、事前に唯たちに聞いていたため、特に何かを思うことはなかった。

キーンコンカンコンー。

授業終了の合図が鳴る。

「……というわけで、本日の日本史講義は終了だ。日直」

「起立、気をつけ、礼」

「ありがとうございました」

一連の授業終了工程を踏んで、今日の4限は終了。

4限が終了するやいなや、多くの生徒は食堂や、学習室へと向かう。

うちの高校の食堂は、かなり味がいいことが有名で、その中でも、「ヒレカツ丼」というメニューが人気だ。

値段は、なんと300円。

財布が寂しい高校生にとっては、コストパフォーマンス最高のメニューだ。

しかし、欠点は、毎日、数量限定であるということ。

100食分用意されているものの、当然、全校生徒1000人以上も、そのことを知っているわけで。

そういう理由で、いつもこの時間は、食堂がかなり混雑している。

俺は人混みがあまり好きではなかったため、食堂はほとんど利用しないようにしている。

昼ごはんは、翠姉さんが作ってくれたり、登校時にコンビニで買ったり、と、日によって代わるが、今日は翠姉さんが弁当を作ってくれた。

そうこうしている間に、教室の中は、すっからかんになった。

一応40人程度いたこの教室の人間は、いつの間にか六月さんと俺だけになっている。

唯と奏さんと七花さんの三人は、いつもの学習室で昼食を摂るそうで。

享は、今日は別の男友達と食べるようだ。

俺は弁当を持ったまま席を立ち、六月さんの隣の席に座った。

六月さんの大きくて、少しだけ青みがかった瞳がこちらを向くのがわかった。

「……こういうのって、席、くっつけるのか?」

「わからないわ。私、友達と食べたことないから」

「そうか。同じだな」

俺はそう言って笑った。

六月さんの表情が、少しだけ緩くなった気がした。

「せっかくだし、くっつけようか」

机を、正面向いに動かす。

六月さんも、自分の席を、俺が動かした席にくっつけてくれた。

なんだか少し、気恥ずかしかったが、その気持ちは振り払って、俺は再び席についた。

「いきなり誘って、悪かったね」

「……いや、いいよ」

六月さんはそう返し、自身の弁当の蓋を開く。

中身は、日の丸弁当。

人の弁当の中身をあまり見たことがないからわからないが、俺の目には異質に映った。

なぜなら、具が無いのだ。

弁当全面が米粒でしきつめられており、中心に梅干しが置かれているだけだった。

まだ親しくないのに、そこに突っ込むのは少し億劫に感じられたので、俺は何も言わずに、翠姉さんが作ってくれた弁当を開いた。

……。

「す、すごいわね。それ」

俺の弁当の中身は、普通のハンバーグ弁当。

しかし、ハンバーグの上には、大きく「♡」の絵文字が。

普段は一般的な弁当なのに、なぜか今日の弁当だけ、翠姉さんは手を加えたみたいだ。

……昨日のやり取りが関係しているのか?

「今日は姉さんが作ってくれたんだ。……ふざけられるとは思わなかったが」

「……そう。お姉さんがいるのね」

六月さんは納得したように、頭を上下に動かした。

至近距離で見て思ったが、六月さんは、顔が本当に白かった。

髪の白色、まつげも白。

純粋に、綺麗だと思った。

「……どうして、私に話しかけてくれたの?」

「……それは。……純粋に六月さんと友達になりたいと思ってな」

「友達に……?」

六月さんが不思議そうな顔で俺を見てくる。

友達になりたいという気持ちは、全く嘘じゃない。

俺は本心から、六月さんと友達になりたいと思っていた。

唯達と同じように、例の状態に陥らずに普通に会話できる、稀有な存在なのだ。

最近は多く喋れる存在と相対しているが、今までの人生で、この違和感がなく会話できた、同年代の人間は、全くいないのだ。

もちろん、唯を除いて、だが。

そんな相手と友達になりたいと思うのは、至極当然のことわりだろう。

「ああ。俺は、友達がかなり少ないからな」

「それは……私も。というか、友達なんて……一人もいないわ」

「……一人もか?」

「うん……そう。みんな私に近づきたがらない。近づこうとしてくる人はいたけれど、そんな同情のような感情を抱かれて接されるのは、私としても申し訳なかったから、全部断ってきた。というか、私に近づいてくれる人間なんて、殆ど全く居なかったと言っても過言じゃない」

「……」

同情のような感情……か。

恐らく、唯のように、六月さんが孤立しているのを知っていて、話しかけようとした人のことだろう。

しかし、その相手のことを嫌がるのではなく、自分が申し訳ない、と思うのか。

六月さんは、思ったより……いや、噂で聞くような冷たい人ではないのかもしれない。

だが……少しだけひっかかる。

「じゃあ……なんで俺とは話してくれたんだ?」

その疑問を口に出す。

六月さんは、口を閉じた。

思考しているようで、じっと俺の目を見つめてくる。

しばしの間、見つめ合う形になった。

「……一ノ瀬くん。覚えてない?」

「覚えるって、何を?」

「……そ、そう、そうだよね」

六月さんの表情が、瞬く間に暗くなった。

俺は思案したが、全く身に覚えが無い。

俺は、六月さんと話したことは、以前までにはないはず……。

高校の間の記憶から、六月さんの記憶を探り出すが、見当たらなかった。

「……中学2年生の時の出来事」

「中学二年生……?」

「……川で溺れていた私を、一ノ瀬くんが助けてくれた」

「……!?」

すぐさま、記憶の中で検索をかける。

そうだ、対象を高校時代に限定していた。

中学二年生、川……。

……思い出した。


あれは、俺がまだ、中学2年生の頃の話だ。

俺が下校していた途中。

大きな河川敷をちょうど通りかかったとき、近くの川から、悲鳴が聞こえた。

そこには、白髪の女生徒が流されているのが見えた。

周りには、俺以外の人間はいない。

かなり運が悪かった。

そこに俺以外がいたら、恐らくその人物が助けにはいっているだろう、と思えるほどには、緊急を要する事態だった。

俺は、気がついたら、川に飛び込んでいた。

俺もすこぶる泳ぎが上手いわけではないが、川で泳ぐくらいなら、大したことではない。

そして、すぐさま、彼女を救い出す。

彼女を抱えた俺は、浅いところまで彼女を連れていき、助けたのだった。

そして……その後、河川敷で色々なことを話した。

六月さんは、当時、中学校で集団からハブられるようになっていた。

白変種だということは、当時は六月さんが言ってくれなかったからわからなかったが、何らかの原因で、集団から孤立してしまったとは言っていた。

しかも、六月さんには誰も友達がいなかった。

そうして、この世界が嫌になって、川の縁にたって、生とは何か考えながら、物思いにふけっていた……そうだ。

しかし、そこで、思わぬ事故が起こった。

六月さんは足を踏み外し、本当に川に転落してしまう。

六月さんは全く泳げなかったから、溺れかけていたところを、俺が助けた。

聞くところによると、彼女が溺れているのを、同級生が見かけたらしいのだが、その男子生徒は、彼女を助けず、逃げてしまったのだそうだ。

同じ男性として有り得ない、そうつよく思ったのも、同時に思い出した。

そういう……数年前の記憶だった。

俺のサヴァン症候群「記憶旅行」は、いわば垂直構造の記憶体型を作り出している。

つまり、最近の記憶でない限り、あとは、覚えておこうと、自ら強い暗示をかけたものでない限り、忘れてしまうのだ。

検索をかければ記憶はいつでも取り出せるが、逆に、触れなければ、その記憶は埋葬されることになるのだ。

六月さんとの出来事は、それから暫くは覚えていた。

しかし、俺は、他の人に比べて、この特有の能力のせいで、物忘れが激しい。

俺は、この現象を、悪い出来事をすぐに忘れられるから、便利だと思っていたが、こういうことも起こるのだと、認識を改めた。

「本当にすまん!忘れてしまっていた」

「……いいよ。思い出してくれたなら。私にとっては、あの出来事はかなり大きかった。あのとき助けられた恩を忘れずにいようと、思ったまま高校生になったら、一ノ瀬くんが、偶然同じ学校の同じクラスになった。……話しかけてくれるかと思ったけど、そんなこと思うなら、私が話しかけるべき、っていう一人議論を何回も繰り返すうちに、いつのまにか高校二年生になってた。誰かに話しかけようなんて思ったことのない私には、かなりハードルが高かった。……これも、ただの言い訳だけどね」

「やっぱり、私なんて忘れられたんだな……って悲しくなっていたら、一ノ瀬くんが、話しかけてくれたの。……とても、嬉しかった」

「……!そうなのか……本当に、すまなかった!」

「……いいって。私は一ノ瀬くんと、もう一回話して見たかっただけだから。自分から話しかけなかった私も悪いから」

そう言って、六月さんは、笑った。

初めて見る彼女の笑顔は、冷たくなんか無い……むしろ、雪を溶かす暖かい陽光のような、眩しさだった。

俺たちは、久しぶりにあった幼馴染のように、その後の時間、色々なことを話した。

六月さんは表情の変化に乏しいタイプの人だと思っていたが、そんなことはなく、沢山の表情を見ることができたから、良かった。

そして、今度は、唯たちとも話してみる約束をした。





いつの間にか時間は過ぎ、6限。

6限は例の、ディスカッションの時間、という名のおしゃべり時間のような科目。

俺は唯、七花さん、奏さんと班になり、まずは昼休みの出来事を喋った。

「翔……。そんな大切なこと忘れていたの?」

「確かに、酷いね、翔くん」

「これは私も同感だよ」

唯、七花さん、奏さんの順で責められる。

そりゃそうだ。

俺自身、みっともなくて、情けないことだと思う。

いや……実際酷すぎる。

自分で助けたくせに、河川敷であれだけ話したクセに……。

相手が六月さんじゃなかったら、俺は最低なクズ野郎のレッテルを貼られてしまってもおかしくはなかった。

「……ほんと、そうだな。でも、これで六月さんとも友達になることができた」

「そうだね。そこは、凄いと思う」

七花さんはそう言って褒めてくれた。

唯と奏さんも、同調するように頷いている。

ふと、六月さんの方を見てみる。

六月さんの班員は、俺たちと同じく四人。

男子一人、女子三人だ。

しかし、その班員のうち、誰も会話に参加していない。

みんなそれぞれ自分の勉強をしていた。

ふと全体を見回してみると、俺達のように関係の無い話をしているように見えるグループから、ちゃんとディスカッションしているグループ、また、六月さん達のグループのように全員勉強に勤しんでいるグループまで、十人十色だった。

「……のせくん。一ノ瀬くーん!」

呼ばれた気がして、その声の主の方を見た。

「お……やっとこっち向いた。あのね、お願いがあるんだけど……」

声の主、奏さんは、そのまま言葉を続ける。

「私、理数系の科目が本当に苦手なの。特に数学Ⅲ。受験で必要ないのに、この文理で分けない学校の弊害でやらないといけないのは知ってると思うんだけど」

「そうか、奏さんは文系だったっけ」

「うん、そうなの。でも、今度の定期考査で、数学Ⅲでちゃんと点数とれるか怪しくて。そこでなんだけど!」

「ああ」

「……放課後、時間が有るなら、私に勉強を教えてください」

「……まぁ、それくらいならいいけど。他にもっと適任がいるんじゃないのか?」

純粋な疑問を口にする。

奏さんは、女子の友達もいるはずだ。

唯は数学が苦手で、七花さんは不明だが、それ以外にもアテはある気がする。

別に頼られて嫌な気はしないし、むしろ嬉しいのだが。

「……わたしも、友達少ないんだよね。それに!一ノ瀬くんは、毎回満点取ってるから」

奏さんはそう言いながら、明後日の方を向いて気まずそうな表情を見せた。

……そうか、友達少ないのか。

少し、失礼だがシンパシーを感じた。

「わかった。そういうことなら、俺が手伝うよ。唯と七花さんはどうする?」

「私は、文藝部の活動があるから、パスだね」

と、唯。

「私も、今日は用事があるの」

と、七花さん。

「そうか。わかった」

「ありがとう、一ノ瀬くん」

放課後に二人きりで勉強会。

これは、何も知らない人から見れば、良いイベントなのかもしれない。

けれど、現実は、そんな単純じゃないことを、俺は知っていた。

勉強会は、ただの勉強会だ。




そして、放課後。

日がまだ登っている。

あと数時間で落ちるのだろう。

「これは、どうやって解けばいいの?」

目の前から、茶髪ハーフアップの髪型をした、少女がそう聞いてくる。

示された問題は、数学Ⅲの積分の問題。

「ここは、置換積分を使うんだ。Sinθをパラメーターで表示して、相互関係の公式を使って二次関数にすれば、解ける」

「……なるほど!」

奏さんは、俺が端的に言ったことを、恐らく脳内で反芻しながら、問題を解いていく。

唯に勉強を教えることはあって、唯が成績優秀なのは勿論知っているが、唯よりも飲み込みが速い。

これが、容姿端麗、頭脳明晰か、とかいうどうでもいいことを、俺は考えていた。

そのまま、教室で二人きりのまま、勉強会は順調に進んだ。

この学校は、進度が早い。

まだ高校二年生の始めも始めだと言うのに、数学Ⅲは、最終にある、バウムクーヘン積分……簡単に言えば、X軸、Y軸……あるいはZ軸に回転させた、三次関数などの面積を求める授業を行っていた。

そして、この学校の大きな特徴として、文理の隔たりがない。

文理関係なく、全員が、数学Ⅲ、化学、物理……日本史、世界史、地理を学習する。

其れ以外の政治経済などの分野は、自分で独学することになっている。

自主性を重んじるのがこの学校の校風だった。

それが良くて、俺もこの高校を選んだわけだが。

流石は日本一の高校だ。


ふと窓を見ると、もう日がほぼ落ちていた。

教室に掛けられている時計に目を移すと、時刻は6時30分。

「そろそろお開きにするか」

「……そうだね!いや〜ほんとわかりやすかったよ。ありがとう!」

「いやいや、奏さんの飲み込みが早かったからだよ」

そう俺がいうと、否定も肯定もせずに、えへへ、と奏さんは笑った。

この人は笑顔が似合う人だと……純粋にそう思った。

「……じゃあ帰るか」

「そうだね。帰りましょうか」

そして、二人して席を立った瞬間だった。

「あ……。そうだ、一ノ瀬くん」

「ん、どうした?」

何かを思い出したかのように、奏さんは俺の名前を呼んだ。

「このあと……ね。私実は……妹のいる病院に行くんだけど、さ……。良かったら……一緒に行ってくれない?」

奏さんは物憂げな表情でそう言ってくる。

「妹さんの、か?」

「……うん」

表情が暗くなる。

そう。おそらく奏さんの妹か姉は、事故で怪我を負っている。

そして、それが現在妹さんだと確定した。

中学生の時の事故で、今も入院しているということは、相当重い怪我なのだろう。

「ああ。行くよ」

特に断る理由もない。俺は携帯を取り出し、姉さんに「夜ご飯遅れるから、先に食べといてくれ」、とだけメッセージを送った。

「……ありがとう」

奏さんは、沈んだ表情のまま、そう言った。

そのまま校舎を出て、駅へと向かった。

病院のある駅は、ここの最寄り駅から2つほど離れた場所にある、大きな川沿いに位置する。

「さっき教えた積分だけど……例えば、こんな重積分は、どう処理する?」

俺が数式を、奏さんに伝える。

これは、さっき奏さんがマスターした、重積分の問題だ。

「えっと……これはね……」

奏さんは、そのまま解法を辿々しくではあるものの、答える。

こんな風に、道中は、さっき教えた数学の復習をして、なるべく間を作らないようにした。

それが、俺の……友達としての、最大限の配慮だった。

間を作ると暗い表情になってしまう気がする。

短い期間ではあるが、奏さんは自分を責めすぎるような雰囲気を感じた。

自分を責めすぎるのはよくない……過去の自分を見ているようだった。

最寄り駅のプラットホームで電車に乗り、2つ先の駅で降りる。

駅のすぐ近くに、その病院はあった。

奏さんと俺は受付へ行く。

「あら、奏ちゃん」

「はい……諏訪部さん」

受付の看護師さんが奏さんを見るやいなや、そう声をかけた。

この病院には、通い慣れているようだ。

ちらっと看護師さんの視線が俺の方に向いた。

「か、彼氏さん?」

「……違います。同じ高校の友達です」

「そ、そうですよ。彼に失礼ですから……」

奏さんも、俺に追随するようにそう言った。

「……あらあら!青春、いいなぁ……」

看護師さんは、余計に嬉しそうな表情で、奏さんを見つめた。

「ですから、諏訪部さん……!」

「楓ちゃんのお見舞いよね。名簿は私が書いておくから、行っていいわよ〜」

奏さんの言葉をまるで聴いていないかのように、看護師さんは、そう言い、手をひらひらと仰いだ。

奏さんも、観念したように少しため息をついて、そのまま「三栖楓」さんの病室へと向かった。

「もう、諏訪部さんったら。ごめんね、一ノ瀬くん」

「……いや、いいよ」

そんな会話をしながら、足を進める。

病室の前に、名札が掛かっていた。

  三栖楓

ここが、奏さんの妹の部屋だ。

俺は、気を引き締めた。

奏さんによって病室のドアが開かれる。

……そこに居たのは、目算で中学生後半であろう、少女だった。

「お姉ちゃん!」

その人物は、元気良さげにそう言う。

しかし、俺の姿が見えるや否や、その表情は、驚愕に変わった。

「お姉ちゃん、その方は……?」

「この人はね、私の友達の、一ノ瀬翔くん。楓、ちゃんと挨拶しなさい」

「……あ、えっと、私はお姉ちゃんの妹の、っておかしいか。三栖楓と申します。お姉ちゃんが、いつもお世話になっております」

「そんな畏まらなくていいんだ。改めて、俺は一ノ瀬翔。桜ヶ丘高校2年A組の生徒で、楓ちゃんのお姉さんの友達だ。よろしく」

「……はい!よろしくお願いします」

奏さんは、何処か誇らしい表情をしていた。

すると。

「奏ちゃん。楓ちゃんの件で、先生からお話あるの」

病室に現れた看護師さん、諏訪部さんとは別の方が、そう言った。

「……あ、わかりました!一ノ瀬くん、妹を、お願いしてもいい?」

「ああ、わかった」

「ありがとう!」

そう言って、奏さんは看護師さんに連れられて病室を出ていった。

妹さんを託された、ということは、ある程度は信頼されているのか……?

友達という存在がよくわからなかった俺には、その事実がどれほどの意味を持つのかを測る物差しを持ち得なかった。

「……一ノ瀬さん、お姉ちゃんと友達になってくれて、本当にありがとうございます」

楓ちゃんの口調がいきなり変わる。

そこまで感謝されるようなことである気はしないが、取り敢えず返事をする。

「……ああ。というか、お姉さんには、俺の方がお世話になっている」

「ふふ。……そうですか」

楓ちゃんが、そう言って笑った。

笑い方は、奏さんに似ている。

やはり、姉妹なんだな、と実感した。

楓ちゃんは、コホン、と咳をして、俺の視線を彼女に向かわせた。

「……実は、ですね。お姉ちゃんは、今まで友達を、ここに連れてきたことがないんです」

「……。そうなのか?」

「はい。多分、連れてくるような友達がいなかったのだと思います。さっき、お姉ちゃん、誇らしい表情してたでしょう?……そういうことなんですよ」

奏さん自身の口から、友達が少ないとは聞いていたから、あまり驚かなかったが、それは妹さんにすら心配されていたようだ。

「私にも友達がちゃんといるから、楓は心配しなくていいんだよっていう、お姉ちゃんの考えだと思います。……すみません、私のために、こんなところまで来てもらっちゃって」

「……いや、全然いいんだ。実は、俺にも、友達と呼べる存在はほとんどいなくてな。奏さんは、俺の大事な友だちのうちの一人なんだ」

そう言って、自分自身で驚いた。

俺の場合、咄嗟に出た言葉は、間違いなく本心からくるものだ。

つまり、奏さんを大事に思っているというのも本心なわけで。

こんな短期間しか関わっていないのに、そう俺は思っているのだ。

関係の深さは、時間じゃなく、その有り様で変わる。

という、物語のキャラクターの名言を聞いたことがある。

この状況は、その言葉で説明するのに合致していた。

「……そうですか。私は、お姉ちゃんに迷惑かけてばかりで……。お姉ちゃんが私のためにした行動で、危害を被っていることとか、この病院にいるための治療費のこととか……友達のこととか。私は、お姉ちゃんの重りにしかなっていないんです……。でも、私、初めて会った、お姉ちゃんのお友達……一ノ瀬さんがそう言ってくれて……本当に嬉しいです。……ぐすんっ」

楓ちゃんは、そう言いながら、涙を流す。

こんな年端も行かないような子に、これほどの思いをさせる運命は、残酷すぎる。

俺は、彼女たち姉妹に何があったのか、詳細を、まだ聞かされていない。

それに、人が何を感じるかなんて人それぞれ、千差万別だから、想像するよりも遥かに、心労を抱えてきたのだと思う。

楓ちゃんの存在が、奏さんにとって重荷である、とはとても思えない。

しかし、その言葉を否定できる資格を、俺は有していない。

今日はじめて会った俺がそんな身勝手を通したところで、楓ちゃんには何も響くはずがない。

関係は時間の多さでは決まらないと言ったが、流石に初対面では話が別だ。

今度あったときは……きちんと否定しようと、心に誓って、記憶の表層に仕舞い込んだ。

何をしようか迷った俺は……享がしていたように、目の前で泣いている子の頭の上に、軽く、手のひらを載せる。

「……大丈夫。これからは、奏さんを、俺たちが支えていくから。心配しなくていい」

今の俺は、自分の本心をさらけ出すことでのみ、楓ちゃんの悩みを、少しは緩和できるかもしれないと思った。

両親が居ない悲しみ、寂しさは、俺もよく知っている。

この三栖姉妹の境遇は、俺たち一ノ瀬兄弟のそれと、似通っている。

……俺も、一時期、病院にいた経験があるからな。

「一ノ瀬さん……、本当に、ありがとうございます……。お姉ちゃんを、頼みます」

楓ちゃんは、涙を拭きながら、そう答える。

「私……誰かに、お姉ちゃんとのことをこんなに話したのは初めてで……一ノ瀬さんになら、話してもいい気がしたんです」

「……ああ。大丈夫。君が思っている以上に、奏さんは君を大事に思っているはずだ。お姉ちゃんとはそういうものだって……昔、俺の姉も言っていた」

そのときの翠姉さんの顔がフラッシュバックする。

「一ノ瀬さんにもお姉さんが……、一緒ですね」

「ああ。素敵な姉であるところも、一緒だ」

俺は、楓ちゃんに、そう笑いかける。

楓ちゃんは、少し驚いた表情を見せたが、目を滲ませながら、また笑った。

この年の子が、こんな表情をするとは思えないほど、大人びた顔だった。

きっと、俺では想像もつかないような、心労を抱えて生きてきたのだろう。

「……ふふ。そうですね」

楓ちゃんはそう言った。

そのまま、しばらくは、世間話をした。

奏さんとの思い出も、断片的ではあるが、教えてもらった。

そのときの彼女は、とても嬉しそうだった。

「……私、あることを思ってしまいました」

涙を完全に拭き終わり、笑顔で、そう言う。

「あること?」

「私、お姉ちゃんが結婚するなら、相手は一ノ瀬さんのような方がいいです」

「……な、はぁ!?」

俺は思わず狼狽する。

そういう対象として奏さんを見ていないのは、勿論のこととしてあるが、その妹さんに、関係することを言われると、純粋に驚くものだ。

「いやいや。俺なんかより、よっぽど素敵な人が、奏さんには似合う」

「……いや、それはないって断言できますね。……これでも私、人を見る目には自信があるんですよ……?」

「その歳で何言ってるんだ……」

「ふふ」

楓ちゃんは、小悪魔のように笑う。

と、その時、ガラガラ、と音をたてて病室のドアが開いた。

奏さんが、駆け足で病室に入ってくる。

「楓!!」

表情は、かなり明るい。何かあったのだろうか?

「お、お姉ちゃん?どうしたの?」

「7月には、退院できるって!」

「し、7月!?お姉ちゃん、それ、本当??」

「うん!さっき、先生から聞いた。夏休み前に少し中学校に行って、ちゃんと受験して、高校生になれるんだよ!!」

「……こ、高校生に、私が……!」

二人は、そのまま抱き合う。

二人の表情は、本当にどちらとも嬉しそうで、見ているこちらまで、幸せが伝わってくる。

似通った、最高の笑顔だった。

二人が落ち着くまで、俺は椅子に座って、ぼんやりと外を眺めていた。

実は、今日は、この地域で春祭りが開催されている。

花火もあがるそうだ。

大きな河川敷を挟んで向こう側は、かなりの数の人がみえた。

窓に反射して、未だによろこんでいる奏さん、楓ちゃん姉妹の姿が見える。

「……のせくん。一ノ瀬くんー!」

突然呼ばれ、俺は声の主の方へと、体を動かす。

「……こんな時間になっちゃって、ごめんね!そろそろ、帰ろうか」

「ああ。そうだな」

俺と奏さんは、荷物をまとめる。

「じゃあ、楓、また来週」

奏さんは、妹に、そう告げる。

「うん、お姉ちゃん」

「楓ちゃん、お元気で、な」

俺も習うように、楓ちゃんに、別れを告げた。

「はい、一ノ瀬さん」 

俺たちは、そのまま病室を後にしようとする。

「……一ノ瀬さん、私が言ったこと、忘れないでくださいね!」

去り際に、楓ちゃんから言われた。

「一ノ瀬くん、なにか言われたの?」

「あ、いや……。何か言われたかな、忘れた」

「わ、忘れた!?この短時間で……」

「忘れっぽい性格なんだ」

そう言って、はぐらかして耐えた。

妹さんに、結婚を勧められた、なんて、言えるわけがない。

外にでると、病院の前には、多くのひとがいた。

ほとんどの人が浴衣を着ている。

「今から、花火があるらしいよ」

そう、声が聞こえる。

「……花火、か。奏さん、少し見ていかないか?」

俺はそう提案する。

花火大会の友達と行ったことなど当然ないので、純粋な好奇心だった。

「いいよ!今日は、私のワガママに付き合わせてばかりだからね」

「いや、それはいいんだ」

そんなことを喋りながら、人の並に乗って、河川敷へと向かう。

人々は、病室から見えた、川の向こう側に向かっているようだ。

おそらくだが、河川敷からでも花火は見える。

俺は、自分自身で人混みが苦手なことを忘れていたから、正直、この波から抜け出したかった。

「奏さん、あっちの河川敷に行こう」

「う、うん。わかった」

はぐれないようにしながら、俺達は人混みを抜け出し、河川敷へと到着した。

人の気配はまったくない。

向こう側に人がいるのに、こっち側にはだれも人がいないのが、少し不気味でもあったが、二人で、河川敷の斜面に、腰をおろした。

ふと腕時計を見る。

現在時刻は、7時55分。

キリの良さ的に、8時から始まるのだと思う。

「……一ノ瀬くん。今日は、本当にありがとう。勉強のことも、楓のことも」

「ああ、構わない」

「私はね……。……」

奏さんは、一度言葉を切る。

葛藤があるのだろう、俺は、それを静かに待った。

「……享の時のことで、わかってるかもしれないけど……。中学生の頃に、交通事故で、両親を亡くして、妹も一時的な下半身不全の怪我を負ってしまったの。……でも、私だけは、無傷だった。」

「……」

「何回も考えた。なんで、私だけ無傷なんだろうって。私だけのうのうと、生きていられるのだろうって。自分が生きていってもいいって思うために、いろんなことをした。……勉強を頑張って、日本で一番の高校に、授業料全額免除の特待生で入った。楓の治療費のために、うちの高校の、賞金100万円のミス・コンテストにも出場して、運のおかげで、優勝できた。表面上は、頑張った」

ミスコンテストに出場したのは、治療費のためだったのか。

全ては楓ちゃんのためだったのか。

奏さんの頑張りが胸に染みて、熱くなる。

「でも、頑張っても、頑張っても、自分を好きになれなかった。ミスコンテストに優勝したら、女子の風当たりが悪くなっちゃって、裏では、三栖とミスで、よく馬鹿にされてる。勿論学内に、仲の良い友だちなんか、居るわけない。……そう。結局自己満足で、何も得ることができなかった。私、いきなり一ノ瀬くん達の計画に入ったでしょ?あれ、もしかしたら、一ノ瀬くんや四谷さんなら、私と仲良くしてくれるかもしれないって、前々から思っていたからなんだよ。私には、今まで、親しい友だちは、一人もいなかったから……。そんな、身勝手なやつなんだよ、私は。心の拠り所がないと何もできない、無力な人間なんだよ」

奏さんは、物悲しげにそう言う。

ぷちん、と俺の中で何かが弾けた。

感情が溢れ出しそうになる。

「それは……絶対に違う!」

俺は、気がついたら、叫んでいた

「奏さんは、身勝手なやつでも、無力な人間でも、何でもない‼ただの、他人のためにいくらでも行動できて、優しすぎる、内も外も綺麗な女の子だ‼」

そうだ。絶対に間違っている。

「そこまで誰かのために頑張っている人間が……自己中心的で身勝手なわけがない。

 ……無力なわけがない‼」

頑張った人間は、報われないといけないはずだ。

そう言う俺の顔を、奏さんは、見つめていた。

呆然とした表情で、突然叫んだ俺を見ている。

「……」

無言に耐えきれなくなり、彼女の方を見ると……奏さんは、泣いていた。

彼女の瞳から、瞬く間に大粒の涙が滴り落ちた。

「……な!?」

俺は驚いた。

奏さんを擁護することを言ったつもりだったが、彼女にとっては、悪い意味に捉えられたのかもしれない。

すると、奏さんは、漸く口を開いた。

「……。いち、のせくん……ほんと、ありがとう。」

奏さんは、大粒の涙を流しながら、俺にそう言う。

途端に彼女が、か弱い女子に見えた。

抱きしめてあげたい衝動に駆られたが、間違いなく、これは俺の自己満足にしかならないだろう。

首を振って、自制した。

奏さんは、一拍置いて、言葉を続けた。

「……あなたがいてくれて……よかった。……一ノ瀬くんにとっては何気ない言葉でも、私は今……心から救われた。なんでだろう……少しだけ、自分を好きになれたかもしれない……。こんなに……言葉に力があるなんて思わなかった……。これほど泣いたのはいつぶりだろう……ぐすんっ」

奏さんは、さらに泣きじゃくった。

悪い意味で捉えられた訳ではないらしい。

「わたしはずっと……誰かに、いや、一ノ瀬くんのような、いつも頑張っている素敵な人にこそ、「頑張っている」って認めて欲しかったのかもしれない……」

「……ああ。奏さんは頑張っている。俺なんかよりも……ずっと」

俺はそう、極力優しく言葉を紡ぐ。

奏さんは、静かに顔を伏せた。

彼女の体が、震えているのがわかったが、俺はそれを、ただ見守った。

奏さんは落ち着いた後、静かに顔を挙げて、俺の方を向いた。

その目には、未だに涙が溜まっていた。

……三栖姉妹は、ずっと、堪えてきたのだろう。

思いがけずに、今日、姉妹を二人共泣かしてしまった。

悪い意味ではないが。

「……これからも、こんな私ですが……仲の良い友だちで居てください」

奏さんは、涙を流しながら、また、笑顔になる。

「奏さんには、その素敵な笑顔が似合う」

「……ふふ、翔くん、何だか、口説いてるみたいだね……それ」

「た、確かに。他意はないから、安心してくれ」

言われて気づいたが、今まで、かなりキザなセリフを喋った気がする。

後で、「記憶旅行」で確認するか……と、少しだけ気が重くなった。

そして、奏さんの、俺への呼称が、いつの間にか「翔くん」になっていた。

距離が近くなった証だろう。

その瞬間、花火が打ち上がる。

河川敷からも良く見え、暗かった辺りを、瞬く間に照らす。

それは、言いようもないほど、雰囲気があって。

花火、という文化を遺してくれた過去の偉人たちに、俺は心から敬意を表した。

ふと、奏さんを見る。

花火に夢中だ。

まだ瞳には涙が溜まっており、花火の輝きと反射を起こしていた。

そんな俺の視線に、奏さんが気づく。

また、彼女はいつもの笑顔で笑った。

流石に、俺が女性の笑顔フェチなるものであることを、認めざるを得なかった。

夢のような花火の時間は直ぐに過ぎ、混雑を予想して、開始して20分ほどで、俺達は帰路についた。

時間が時間だったため、俺は奏さんを自宅まで送った。

今は、親戚と共に、暮らしているらしい。

関係は、良好なようで、俺は安心した。


ガチャッ。

俺は、自宅の玄関を開ける。

結構遅くなってしまった。

ドアを開けると、すぐに、翠姉さんが、リビングから出てきた。

「おかえり、翔」

「ただいま、姉さん。ごめん、遅くなった」

「いいんだよ〜、夜ご飯、温めるから、ちょっと待っててね」

「ありがとう」

そう俺が言うと、翠姉さんは、いきなり立ち止まった。

「な……!」

そして、いきなり、俺に抱きついてくる。

くんくん、と、匂いを嗅いでいる。

俺がタバコを吸ってきたとでも、勘違いしているのか?

生憎タバコの匂いは大嫌いだし、周りにそんな非行をする奴も居ないぞ?

「あ……女の子の匂いがする」

「な、女の子の匂い!?……確かに勉強を教えて、ついでに花火を見てきたが、別に全く、一ミリも接触してないぞ!?あ、いや……頭には触れたかも……」

楓ちゃんの頭には触れた、がそれも一瞬。

匂いがつくほどではないはず……。

「……。嘘だよ〜」

「な……!?」

翠姉さんは、俺の返事を聞くと、そそくさとリビングに入って、夜ごはんを温めはじめた。

かなりの期間姉さんと一緒に暮らしているが、未だによくわからない部分がある。

言いしれない不気味さを感じ得なかった。

俺の鼻孔には、姉さん特製で、俺の大好物の、肉じゃがの匂いがしてくる。

今日の夜ご飯は肉じゃがか。

お腹の空き具合と相まって、テンションが上った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る