第一章、その3

 翌日、今日から新学期で夏帆は緊張しながらも軽やかな足取りで家を出る。

「行ってきます!」

 マスクをしないで外に出るのがこんなにも素晴らしいなんて!

 晴れやかな気持ちで外へと一歩踏み出して、軽やかに駅へと向かうと昨日の農家のお婆さんとすれ違う。

「おはよう夏帆ちゃん、いってらっしゃい」

「おはようございます、いってきます!」

 夏帆は爽やかな笑みで挨拶した。

 同じ学校の制服の子は数える程度で山海駅に入ってホームで待つ、電車が来るまで一〇分ある。いつもの癖で待ってる間にスマホのSNSをチェックしようとすると、夏帆は視線を感じた。

 ん? 誰かしら?

 その方向に向くと、二人の女の子がドキドキした表情で歩み寄って来て、そのうちの一人が興味津々の眼差しで歩み寄ってきた。

「ねぇ、君ってもしかしてこの前内地から引っ越してきた診療所の子?」

 南国の太陽を浴びて育ったことを示す小麦色の肌に真っ白な八重歯。小柄だが無駄なく鍛えられた四肢とショートカットの髪も相まってボーイッシュな顔立ち、まるで女子高生の制服を着た悪戯好きの男の子みたいだった。

 夏帆はなんとなく井坂妙子と重ねて見てしまい、思わず懐かしげな眼差しで頷く。

「う、うん……今日から汐ノ坂高校に通うの」

「一緒だ! あたしは磯貝凪沙いそがいなぎさ! この子は潮海美海しおみみなみよ!」

 凪沙は嬉しさでいっぱいの笑って瞳を輝かせると後ろの女の子に一瞥し、潮海美海という女の子は一礼する。

「は、初めまして……潮海美海です」

 おどおどした口調だが、同時に芯の強さを秘めた眼差しは真島美由を思い出させる。

 セミロングでお嬢様結びの黒髪に上品で大人びた凛々しい顔立ちに透き通るような白い肌、背丈も夏帆より高く、スレンダーなシルエットとピンとした真っ直ぐな姿勢は育ちの良さを伺わせる。

 凪沙は興味津々の眼差しでぐいぐい踏み込んで訊いてきた。

「ねぇねぇ君も同じ二年生でしょ?」

「ええっ!? どうして?」

 夏帆は思わずソーシャルディスタンス! 口に出しそうな言葉を飲み込んで困惑すると、凪沙は胸元のリボンに触れる。

「二年生は赤で一年生は青、三年生は紺色なんだ!」

「そうなんだね……あたしは草薙夏帆、よろしくね磯貝さん、潮海さん」

「凪沙でいいよ夏帆! ようこそ汐ノ坂へ!」

 人懐っこい凪沙はニッコリ笑いながら顔を近づけてくると、夏帆は柔らかな笑みで頷いた。

「じゃあ……よろしくね、な……凪沙ちゃん!」

 勇気を出して名前で呼ぶと、凪沙は白い八重歯を光らせると美海も歩み寄ってくる。

「私も、みんなは私のことをミミナって呼んでるわ、よろしくね夏帆ちゃん!」

「うん、よ……よろしく……ミミナちゃん!」  

 早速友達ができると心強い。

 一緒のクラスになれるといいなと期待しながらお喋りして待ってると、クラシックな四両編成の電車が周辺の高校の生徒たちをぎっしりと乗せて停車する。

 夏帆は電車に乗ると中はエアコンが効いててひんやりして涼しい、窓も開けて換気してる様子もなく、みんな楽しそうに顔を合わせて近い距離でお喋りしてる。

 自分もその中にいると思うと夏帆は思わず嬉しくなり、そんな当たり前の光景がかけがえのないものに見えた。

 話しを聞いてみると、凪沙の家は漁師で時折漁船に乗って仕事を手伝ったり、潜り漁をしてるという。

 ミミナの方は村の奥にあるお屋敷に住んでいて、凪沙曰く敷島電鉄グループ会長の孫娘でまさに深窓の令嬢そのものだ。

 電車の中で連絡先を交換して海沿いの汐ノ坂高校前駅で降りる。

 登校する生徒たちに混じって坂道を登り、校門に入るとそこで一度凪沙たちと別れて、前世と変わらない校舎の正面玄関に入って事務員の人に出迎えられ、応接室に案内されてソファーに座ると担任となる先生が入ってきた。

「初めまして草薙夏帆さん、内地の方からよく来てくれたね」

「は……はい。よ、よろしくお願いします」

 夏帆は立ち上がって緊張気味に一礼する。

 担任となる米島隼人よねしまはやと先生は三〇歳で物理担当だという。

「早速だけどもうすぐホームルームが始まるから教室に行こう、みんなが待ってるよ」

「はい」

 夏帆は緊張気味にソファーから立つと、米島先生と一緒に廊下に出る。夏帆の緊張を解そうとしてるのか気さくに話しかけてくれる。

「――前は皇京に住んでたって聞いてるよ、汐ノ坂の暮らしは少し不便かもしれないけど……すぐ慣れるし、一年中砂浜で遊べるから退屈しないよ」

「そ、そうなんですね」

 一年中夏だから日焼け止めとかが必需品になるだろうなと考えてると、二年四組の教室前で立ち止まり、いよいよだと緊張感が最高潮になる。

「ここで少し待ってて……おはようみんな、席に着いて! ホームルームを始めるよ」

 米島先生は教室の扉を開けてみんなに着席を促すと、騒がしい教室内が静まり返って扉越しに米島先生や生徒の声が聞こえる。

「もう噂で聞いてる人もいると思うが、今日から転校生がこのクラスに加わる」

 たちまち教室内で「おお~っ!」と歓声が上がって生徒たちが質問攻めにする。


「先生! やっぱり女子?」「どこから来たの!? 可愛い子!?」「ちょっと男子! なんで女子前提なのよ、男子かもしれないわよ!」「どんな奴? イケメン? それともアイドル系?」「とにかくどんな奴か、わくわくするぜ!」


 なんか凄い期待されてる、ガッカリさせたらどうしようと心臓の鼓動が最高速にまで上がって破裂しそうだった。

「みんな落ち着いて、もう来てるから詳しくはその子に聞いて。それじゃあ入っていいよ」

 先生の合図で夏帆は深呼吸して覚悟を決めると四組の教室の扉が開けて入り、たちまちみんな静まり返り、緊張で滲み出た汗のおかげで教室の冷房でひんやりと利いてるように感じる。

 夏帆の一歩一歩踏みしめる足音が教室に響かせ、教壇の横に立って教室内に視線を行き渡らせる。

 教室内には生徒が三〇人で男女半々と言ったところだろう、みんな一斉にあたしを見ていていろんな三〇通りの顔立ちの子がいる。夏帆は不思議な安堵感と高揚感に満たされてた。

 よかった……みんなマスクしてないし、分散登校することなくみんないる、机には飛沫防止のアクリルボートもない。

 夏帆が教室に入って教壇の横に立つ間、米島先生は黒板に綺麗な字で「草薙夏帆」と名前を書く。

「えっと……皆さん初めまして、皇京から来ました草薙夏帆です。よろしくお願いします」

 挨拶を無難に済ませるとみんな興味津々の表情で拍手。

 あとで何を訊かれるんだろう? そう思うと不思議と悪い気がしなかった。

「草薙さんは家の事情で敷島に引っ越してきたんだ、みんな仲良くしてやってくれ。草薙さん、あそこの空いてる席に座って」

「はい」

 夏帆は米島先生に促されて空いてる向かう間――特に男子生徒からの熱い視線を浴びながら席に座ると、隣にいる角刈りの大柄ないかにも体育会系の男子生徒に小声で声をかけられる。

「よろしくな草薙、俺は吉澤よしざわって言うんだ。カッター部なんだけどさ……よかったらマネージャーになって欲しいんだ」

 早速部活のマネージャーとして勧誘されるがカッター部ってなんだろう? 内心気になってると、米島先生は聞き逃さなかった。

「吉澤君、口説くのはホームルームが終わってからね」

 たちまち教室内が笑い声で溢れると男子生徒の一部が文句の声を上げる。

「抜け駆けなんてずりぃぞ吉澤!」

「そうだそうだ、マネージャーになって欲しいのはあくまで口実だろう!」

 ああ、そうかもしれない。

 夏帆はふと気付いたが、みんな声を上げて笑ったりしてる。

 改めてこの世界にはマスクも、ソーシャルディスタンスも、そして三密も気にしなくていいんだと実感する。

 それだけで夏帆は安心感に包まれた。

 朝のホームルームが終わると、早速クラスメイトたちに囲まれる。


「ねぇねぇ草薙さんって家はどこ?」「入る部活とかもう決めてる? よかったらバレー部に来ない?」「LINEの連絡先交換しよっ!」「皇京ってどんな所だった? やっぱり、遊ぶ所とか人多かった?」


 始業式の全校集会のため教室から体育館に移動する数分の間にも、新しいクラスメイトたちに色々質問されたうえ、他のクラスの生徒たちも自分のことをチラチラと見ていた。

 凪沙ちゃんとミミナちゃん、一緒のクラスじゃなかったな……と思ってると他のクラスにいる凪沙と目が合い、彼女はニコリと笑って手を振ってくれた。

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