16 後輩は俺が女装するならコーディネートを考えてくれるらしい

 ……テスト開始前日。


 ピロティに来たが美沙緒さんの姿はない。九条寺くんはいつも通り、ちっちゃい体には不釣り合いなボリュームの弁当をかかえてピロティにいる。


「美沙緒さんは?」


「なんか体育の授業でバレーボールが頭を直撃して、保健室いった。さすがに昼飯は食べるかと思ったんだけど」


「そうか」俺はそう答えて、とりあえず教室に戻るべきか考える。しかしその前に美沙緒さんに謝らねば。ぎくしゃくしたまま部活が再開されたら困る。


 保健室にいくと、白河先生が相変わらず酒のつまみに近い弁当をモグモグしていた。


「あの、美沙緒さんは」


「ボールが頭直撃で目を回しちゃったみたい。休むしかできることないなー」


「先輩……?」カーテンのかかったベッドからそんな声がした。


「あーあーあー起きてこなくていいから。大丈夫。あ、お弁当食べる?」と、白河先生。


「はい、お弁当食べないと怒られます」美沙緒さんはベッドから這い出してきた。顔色が悪い。


「じゃあちょっと待ってて、お弁当取りにいってくるから。無理しちゃだめだよ」


「はい」美沙緒さんの明瞭な返事。美沙緒さんは椅子にかけると、

「先輩、心配して来てくれたんですか?」と、よわよわしい笑顔をみせた。


「うん、あ、きのうは逃げたりしてごめん……九条寺くんと勉強してるっていうから、どんなふうに勉強するか気になってて、それで様子を見に行ったんだ」


「そうですか。……先輩、わたし……約束破っちゃいましたね。毎日一緒にお弁当食べるはずだったのに」


「いやこれから一緒に食べるよ?」


「あのピロティでリア充に見せつけることこそ第一義ですよ」

 違うと思う。そう思ったが言わないでおいた。


「弱ったわたし、いいですか?」

 この間の逆パターンである。


「いいとか悪いとかじゃなくて……なんていうか、心配だよ」


「心配」美沙緒さんはよく分からない顔をしている。俺は素直に、

「頭一発叩くと脳細胞がごっそり死ぬ、みたいな噂を小学校のころ聞いたことがある。まあ小学生の噂話だからウソか話が大きくなったかだと思うけど」

 と、そういう話をした。美沙緒さんは、

「まあわたしの脳細胞が死んだところで損する人なんていないかと思うんですけど」

 とため息をついた。


「いやいや。美沙緒さんは優秀で賢いから、もっと自分を大事にしないと」

 美沙緒さんはよく分からない顔。


 白河先生が戻ってきた。手にはいつもの美沙緒さんの弁当の包み。


「痛いのどう? まだ頭ぼんやりする?」


「いえ、だいぶ収まりました。お弁当なにかな」

 とってつけたようにそう言うと、美沙緒さんは弁当の包みをほどいた。シンプルに茶色い。


「お家に連絡しよっか? 頭を打つってなかなかダメージ大きいよ、病院いったら?」


「いえ。家族に迷惑かけたくないので」

 美沙緒さんは頑なにそういう。白河先生は少し悩んだ顔をして、

「家族に迷惑がかかる、って言うけど、仮に春野さんがこれがきっかけで死んじゃったら、戒名だけで150万円とかぶっ飛ぶんだからね。それなら病院で見てもらうほうが安上がり」

 と、現ナマを説得のネタに持ちだした。


「あ、そっか……確かにそれは……」

 美沙緒さんはしばらく考えて、

「家に連絡して、お医者にかかろうと思います。もう歩けるけどまだふらふらしますし」


 と、そう答えた。白河先生は嬉しそうな顔をしている。

「よーしその意気だあ。職員室に相談しに行ってくるね」


 白河先生は板わさをモグモグしながら職員室に向かった。やっぱり弁当というより酒の肴だ。


 しばらくして美沙緒さんは教室から荷物を届けてもらい、迎えに来た国産の高級車で帰っていった。その様子は保健室の窓からも見えた。


「やったじゃん」白河先生はにやっと笑った。


「……なにがです?」


「春野さん、ようやく自分を虐待するのやめたよ。具合が悪いって素直に言えたよ。まあ戒名150万円とか持ちだしたのもあるんだろうけど」


「……そうですね。よかった」俺はため息をついた。


「春野さん、まだ木暮くんのことを卑猥な妄想のネタにしてるの?」


「ええまあ時々……俺もやめろって言ってないですし。実際に行動に移すほど、美沙緒さんはバカじゃないので」


「そっかあ。それで木暮くんが不愉快に思うことはないの?」


「言われるとびっくりしますけど特に不愉快とかは思わないです」


「……そっか。なんだかんだ信頼関係みたいなもんができてるわけか。それから九条寺くんはどうしてる?」


「まあ、美沙緒さんと楽しく勉強してるみたいです。美沙緒さんは友達ってどうやって作ればいいか分からなかったから、どう接していいかも分からないみたいなんですけど……」


「ううーん闇が深いぞ」白河先生はだし巻き卵をもぐもぐしている。


 そういう話をしていると、保健室のドアが開いて九条寺くんが入ってきた。


「春野、帰っちゃったのか」残念そうな顔をしている。


「おー九条寺くん。君の話をしていたところだ。春野さんとはどう? 進展あった?」


「しんてん……。いや、ただ一緒に勉強してるだけです」


「そっか。九条寺くんは、どうすれば春野さんが幸せになれると思う?」


「小説を書けばいいと思う」九条寺くんは、ハッキリとそう言った。小説。よく分からない。


「なんでまた」俺がそう訊ねると、九条寺くんは恥ずかしい顔をして、


「俺、友達とかいなかったときに小説書いてた。人に見せるようなものじゃないけど、自分の頭の中のゴチャゴチャを、文章にして吐き出せば、心がすっきりしたから」


 ――九条寺くんは、いつも通りすごい勢いで弁当をやっつけると、予鈴のタイミングで教室に戻った。俺もそうした。


 帰りの会は、明日からのテストの予定を確認して、さらっと終わった。二年生最初のテストだ。真面目にやらねば、と決意を固くする。


 家に帰って勉強をした。そしていよいよ、明日はテストだ、と思って布団に入った。


 ――美沙緒さん、頭ぶつけたの大丈夫かな。バレーボールで頭を打つってどれくらいのダメージだったんだろう。俺が心配しても仕方がないけれど、優秀な後輩だと思うとやっぱり気になる。


 翌朝、起きるともう父さんも母さんも出社していた。弁当が用意してある。冷凍食品を詰めるくらい自分でやるのに。それをカバンに詰め込み、俺は学校に向かった。


 テストだ。頑張るぞ。5点もらえる英文法の課題を提出し、各科目テストを受けた。問題用紙に回答をメモして、家に帰って自己採点してみる。思ったよりずいぶんといい。


 次の日のテストも無事に終わった。やっぱり自己採点してみると思ったよりずっといい。頑張ってよかった。単純にうれしい。三日目も無事に終わった。


 そう思うと、心の中がぐらぐらしてくる。進学して、モラトリアムしてみたいという想いだ。家族はそれを許してくれている。しかしながらモラトリアムのために家族を働かせるというのも、なんとなく心がつらい。


 ――美沙緒さんも、こんなふうに、家族に迷惑かけたくないって思ってたのかな。


 すべてのテストが終わった。明日は土曜日。すっごい開放感。下足入れからスニーカーを取り出していると、後ろから呼び留められた。


「先輩っ! 待ってください!」美沙緒さんだ。振り返ると、美沙緒さんはすごく真面目な顔で、俺を見ていた。俺に近寄り、俺にだけ聞き取れる音量で、美沙緒さんは言う。


「テストも終わったので、先輩とどこかに遊びにいきたいです! たとえば先輩が女装するならコーディネート考えますから一緒に洋服買いに行きましょう!」


 お誘いのしかたを、そもそも間違えていると思った。

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