11 後輩は俺がオリで飼われてたら素敵だと思っているらしい

 さて、動物園に向かう列車のなか、俺は美沙緒さんとの会話のネタに困っていた。

 将棋の話も違うし、学校の話もなにか違う。ましてや家の中の話なんてますますできない。なにを話題にすればいいのだろう。とりあえず美沙緒さんの着ている、かわいい服を褒める。


「その服どこで買ったの? おしゃれだね」


「これ……は、家にデパートの外商さんが来て、そこから選んだんですけど」


 住んでいる世界が違いすぎるんだよなぁ~! デパートの外商さんって実在するんか~い!


「実在するんだ、デパートの外商さんって……」おもわず口に出してしまう。


「え、先輩はどこでお洋服買ってるんですか?」


「しまむらかユニクロだなあ……」正直に言う。美沙緒さんはよく分からない顔をしている。


「……動物園、楽しみですね」美沙緒さんは自分から話題を切り替えた。よくできた後輩である。俺は一発ため息をついて、

「なんの動物が好き?」と訊ねてみた。美沙緒さんは少し考えて、小声で、

「豚の陰茎はネジ式なんですよ、知ってました?」とどこで知ったか知らない謎のわいせつ情報を流してきた。陰茎て。


「いやそういうことじゃなくて、好きな動物……」


「うーん。動物を『わーすごくかわいい』って見たことがあんまりなくて。従兄の飼ってた犬に触ったくらいで……」


「そっかー。なにか好きな動物見つかるといいね。俺はねー、牛が好きだな。すっげーでっかくて。親戚が山奥で農場やっててね、そこに遊びに行って牛を初めて見たのが小学生のころで、その牛がハチャメチャにでっかくてびっくりしたなあ。親戚が言うには牛って懐くらしいよ」


「え、う、牛が懐くんですか? 本当に?」


「簡単な言葉だったら覚えるって言ってた。足上げて、とかそういう程度なら」


「ええっ……しゅごい……牛かしこい……」


 とかなんとか言っているうちにどうにかこうにか動物園の最寄り駅についた。列車を降りてバスで移動する。動物園はさすがに大型連休なので親子連れで混雑していた。まだ動物を見てもなにも思わなそうな赤ん坊をベビーカーで移動させている人もいる。


 それを見た美沙緒さんの表情が、少し歪んだ。なにか嫌なことでも思い出させてしまったろうか。ドキドキして、美沙緒さんの表情を伺う。美沙緒さんはかわいい顔を、ギリギリと歪ませて、拳を握り固めていた。美沙緒さんが固まってしまったので声を掛ける。


「み、美沙緒さん? どうしたの?」


「あ、ご、ごめんなさい……なんていうか、人生ガチ勢をみるとこうなっちゃうんです」


「そんな、いちいち親子連れにムカついてたら生きていけないでしょ。買い物とかはどうしてるの。スーパー行けばだいたい親子連れいるでしょ」


「買い物はお手伝いさんが行ってるので」ううーん住んでる世界が違いすぎるんだよなぁ~!


「……もしかして、動物園、いやだった?」


「いえとんでもない! 先輩が誘ってくれたんだから嬉しいですよ、デートなんて生まれて初めてですし。えっと、どこから回れば効率いいですかね?」


「こういうところに効率を求めちゃだめだよ。見たいところから回らなきゃ。まず屋外の展示、ぐるっと見てみようか」


 というわけで動物園ぶらり旅を始める。ライオンやらゾウやらチンパンジーやら、いろいろな動物が野生を忘れてぐうたらしている。


「どの動物も元気がないですね。人に見られるのが嫌なのかしら」


「いや……単純に暑いんじゃない? 動物園の動物って人間に見られることをそんなに嫌がらないらしいよ。毎日エサ貰えるわけだし」


「へえ……先輩がオリで飼われてたら素敵ですね」


 美沙緒さんは俺のコメントそっちのけで俺を動物園で飼うつもりらしい。


「案外動物の種類少ないんだな、この動物園。まあ田舎だししょうがないか」


 俺は次は何を見ようかな、と、きょろきょろする。美沙緒さんは面白いのか面白くないのか、微妙な顔をしている。


「面白くないなら帰ろっか?」と提案した。美沙緒さんは慌てて、

「いえ、その、すごく面白いんです。いろんな動物がいるし、見てて可愛いし……でもわたし、先輩を見てるのが一番楽しくて。先輩がいろんな動物を楽しそうに見てるのが嬉しくて。あ、ハメ撮りありますよ」


 俺は美沙緒さんの予想外のセリフに舌を噛みそうになった。ハメ撮りて。美沙緒さんが指さした先には顔出しパネルがあった。節子、それハメ撮りやない。顔出しパネルや。


「あれは、その、ハメ撮りじゃなくて顔出しパネルって言うんだ」


「え、あ、そ、そっか……!」

 美沙緒さんはかあーっと赤面した。どうやら意識して言ったわけではないらしい。というわけで、顔出しパネルのライオンの顔のところに顔を出して美沙緒さんに撮ってもらう。


「美沙緒さんも撮るかい?」


「いえいいです! こんなの撮ったところでどこかに出したら炎上するだけです」


「炎上って……なんで?」俺は正直よく分からず、美沙緒さんにそう訊ねた。


「あの、先輩はわたしのこと、よくかわいいって言ってくださいますけど、わたしの顔なんか見たい人いないと思うんです」美沙緒さんはそう言い、しょんぼり顔をした。なんでだ? 美沙緒さんくらい可愛かったら、鏡を見るたびににんまりしそうなのに。


「なんで? 美沙緒さん、可愛いじゃないか。見た目のこと話題にしたくないけど」


「――可愛いって言ってくれたの、先輩だけなので……いえ、先輩の判断がおかしいとは思いませんよ、でも……褒めてくれる人、先輩だけなので」


「クラスメイトにはいわれないの? 可愛いとかそういうこと」


「言われないですよ! 顔、前髪で隠してるので」


 美沙緒さんは前髪を留めるぱっちんどめを指さした。どうやら教室ではぱっちんどめをしていないらしい。こんなに可愛いのに。


「炎上なんかしないよ。美沙緒さんはすごく可愛いんだよ。どうして隠しちゃうの? ……ああ、クラスメイト嫌いなんだっけ」


「まあそんなところですね……あいつら、見た目で人間の価値を決めるので。人間の価値を、そんなところで決められたくないので。わたしにはそもそも価値がないので」


 価値がない。


 美沙緒さんがそんなふうに言うのが、なんだかすごく悲しくて、俺は美沙緒さんの手をつかんだ。美沙緒さんは一瞬息をのんだ。


「美沙緒さんに価値がないわけがない。将棋はすごい速さで上達してるし、こんなに素敵な人なのに」


「先輩、本当にわたしには価値なんてないんです――」


「違うよ! 美沙緒さんは人間だ、価値のない人間なんていない」


 美沙緒さんは、大きく目を見開いた。唇をすこし震わせて、美沙緒さんはつぶやいた。


「先輩は、わたしに価値があるって、言ってくれるんですか」


「そうだよ。美沙緒さん、自分をいじめるのやめようよ。もっと自分を好きになろう、ね?」


「自分を、好きになる……」美沙緒さんはそう繰り返した。


 動物園の外の展示を一周した。ふれあい広場的なところにいくと、モルモットのエサやり体験ができるようだった。係員さんはモルモットたちに触ってもよいという。


「モルモット、触ってみたい」美沙緒さんは恐る恐る手を伸ばして、モルモットにちょっと触って、まるで箱の中身はなんだろなのリアクションのように手を引っ込めた。


「わあ、動いた」そりゃ動きますよ動物なんだから。


 モルモットに人参を食べさせたり、ちょっとずつ触ってみたりする美沙緒さんは、とても楽しそうだった。こんな笑顔の美沙緒さん、そうそう見ないぞ。


 帰りの列車のなか、美沙緒さんは、

「弟が動物アレルギーじゃなかったら、モルモットさん飼いたかったなあ。実験動物にされてたくらいだから飼いやすいですよね、きっと」

 と、嬉しそうに語った。


「大人になって自由になったら、飼えばいいじゃないか。いつまでも弟さんのいる家にいる必要ないんだよ?」


 俺がそう言うと、美沙緒さんはふむ、という顔をして、

「それは確かに……」と呟いた。俺は美沙緒さんが自由を見つけて、嬉しくなった。

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