9 後輩は俺が女物の下着を穿かされてスケスケのメイド服を着せられていたら希望を持てるらしい

「まだクラスメイトと友達になろう、って行動起こしたわけじゃないでしょ? わかんないよ? 行動を起こしてみないことには。開業医なんてメじゃない大企業のCEOの子供だっているかもわかんないよ?」


「……でも」

 美沙緒さんは唇を噛んだ。いままでの人生の悲しみがすべて押し寄せているような表情。見ていていたたまれない。美沙緒さんは長い長い、ふわふわのまつ毛を伏せて、

「いままでずっと駄目だったんです。きっと高校でも無理です」

 と、小さな声で言った。


 それは、十六年間傷つき続けた表情だった。物心ついたときから、ずっと傷ついていた表情だった。もしかしたら、本人は小学校、と言っているけれど、幼稚園くらいのころから、ずっと家が立派な開業医であるせいでいじめられたりしていたのかもしれない。


「――具体的に、どんなことがあってダメだったの? 答えたくないなら、答えなくていいけど」


「聞いてくれるんですか?」と、美沙緒さん。予想外のリアクションだった。


「聞いてあげるよ。いままで辛かったこと、全部話しちゃいなよ」


「……幼稚園の小さい組のとき、生まれて初めてできた友達をお家に連れてきたんです。そしたら、うち――ジュースとかスナック菓子とか、体に悪いからって置いてない家で、――部屋もほとんど畳敷きで『なんかおばあちゃんの家みたい』って言われて、それを幼稚園で言いふらされて、すごく恥ずかしくて。それが恥ずかしいって親に言いたかったんですけど、小さい弟でいっぱいいっぱいのようだったので、言えなくて。それで幼稚園でおばあちゃんの家みたいって言いふらされたって噂を聞いた親に、なんでそんなおかしな子を連れてくるんだって叱られて」


 そこから堰を切ったように、美沙緒さんは幼いころに受けた傷を話し始めた。まるで、教会で神父に懺悔するみたいに(言うて教会も神父も実物はどんなのかわからんのだが)、幼稚園から高校に至るまでの、悲しかった出来事を語った。


 小学校の遠足で、ほかの友達が駄菓子三百円分を楽しく食べる中、もともと家にあったからタダという扱いでよかろうと箱入りのチョコレートを持たされてクラスメイトに変な目で見られたとか。


 中学校のプール授業で、水着に着替えようと制服を脱いだら、下着が中学生がつけるにはいささか高級すぎるブランドの、ちょっとおばさんくさいデザインのもので、ほかのクラスメイトのティーンエイジャーらしいのと比べられて静かに物笑いの種になっていたとか。


 そのほかにも、美沙緒さんの人生を闇に向かわせるイベントが盛りだくさんで、美沙緒さんの生きてきた十六年は、道のりそのものがどん底方面にまっしぐらだった。楽しい思い出が、その従兄に話しかけてもらったことと、俺を性的な目で見ながら将棋を指したことのほぼ二択で、それよりなら社畜共働き家庭の俺のほうがまだマシという状況。


 美沙緒さんの悲しいことしかない人生を聞いてしまうと、何を言っても気休めだ。


 そして美沙緒さんの人生に大きく立ちはだかる「弟」の存在が気になる。美沙緒さんは、弟や弟の面倒を見る家族に遠慮してなにもできないようだ。なんでそんなに弟のことばかり気にするのか訊ねると、

「弟は、春野家本家の跡取りなので」と小さく言った。跡取りって、そんな家父長制モロダシのお家いまだにあるのか。ビックリする。


「父は、弟を医者にするつもりで。弟もそれができるくらい賢くて。弟はわたしが怖くてまともに見られなかった人体展を楽しく見られる子供で」


「……美沙緒さんは、お医者を目指そうと思ったことはないの?」


「ないです。なれませんよわたしバカなので」


 バカだろうか。美沙緒さんは俺が教えたことをどんどん吸収する才能ある人で、将棋も強いし、たぶん成績だっていいんだろう。しかし美沙緒さんが生きてきた人生は、美沙緒さんの夢や希望を、徹底的に打ち壊すものだ。そうやって悲観しても仕方ないだろう。


 しかしだ、後輩が人生を悲観しているのを、仕方ないで片付けてはいけないと思うのだ。


 俺は美沙緒さんに希望を持たせてやりたい。でも俺にできることはほぼほぼやりつくしてしまった。


「美沙緒さんは、俺がどうだったら希望が持てる?」


「先輩が女物の下着を穿かされてスケスケのメイド服着せられてたら希望持てますね」


 美沙緒さんの食い気味のセリフに、俺は熱湯玉露を噴きそうになった。論点の迫り方を間違えたのだ。いまだに合わせの歩がよく理解できないのと同じである。スケスケのメイド服て……女物の下着て……。


「ゴメン質問のしかたを間違えた。美沙緒さんが希望を持つために、俺にできることってないかな。なんでも遠慮なく言っていいよ」


「……わたしは、とりあえず先輩をえっちな目で見られたら幸せなんですよね」

 だろうね。でもそんな刹那的な幸せでなくてさ。そう言う前に、美沙緒さんは続けた。


「でも、先輩は二年後には学校にいないわけで。そもそも二年後にはわたしより年上のお兄さんは学校にはいないわけで。先輩は、高校を終わったら進学されるんですか?」


「いや。近くの医療機器工場で働くつもりでいる。あそこに勤められたらとりあえず人生序盤は安定って話聞いてるし」


「そうなんですか。わたしは、東京のいわゆるお嬢様の入るような女子大に行って花嫁修業してこいって言われてて。でも正直、結婚とか興味ないんです。あ、や、先輩と結婚できるならそれでいいんですけど。先輩独り占めして、YES・NO枕で遊べたらそれでいいんですけど」


 ううーん美沙緒さんと結婚したら大変なことになりそうだなぁ~!


「なんで結婚に興味ないの?」


「だって嫌じゃないですか。ただの子供を産める労働力として扱われるなんて」

 まるで美沙緒さんのお母さんがそういう扱いだったとでもいうような調子だった。


「というか父や母を見ていても幸せそうには見えないんですよね。だから結婚する気がわかないというか。ちょうどいい歳になったら父なり祖母なりが見合いの話いっぱい持ってくるんでしょうけど」


「……まあ、相手を探してくれる力があるだけマシなんじゃないかな。俺、まともにだれかと付き合ったことないし、医療機器工場で彼女探すったって制服にマスクに帽子だしね」


 美沙緒さんは、「ふふっ」と笑った。ようやく笑ってくれて安堵する。


「日下部シーラカンスが言ってたみたいに、マジで付き合っちゃう?」

 冗談してそんなことを言うと、美沙緒さんはすごく真面目な顔で、

「それは駄目です。わたしなんか先輩と付き合う価値はありません」

 という返事が返ってきた。難しいな。俺は、

「美沙緒さんはトロフィー彼女って言えるレベルだと思うけどな。S●Oのア●ナみたいな。まあ俺自分をキ●トに似てるって言えるほどイキッてないけど」


「S●O……? ア●ナ……? キ●ト……?」いや知らんのかい。ライトノベル大好きの子だと思っていたんだけどな、と言うと、

「ライトノベルは守備範囲がほぼ美●女文庫だけなので……」というお返事。電●文庫とかス●ーカー文庫も読もうね、と思ったが黙っておいた。


「とにかく、美沙緒さんは自分で思ってるよりずっとずっと魅力的なんだ。それを自分で把握しないで人生棒に振るのはもったいない。少なくとも、俺は美沙緒さんに『付き合ってください』って言われたら大喜びで水族館だの遊園地だの連れていくよ?」


「秘宝館には行かないんですか?」いやそれ高校生のカップルが行くところじゃない。


「とにかく、俺は美沙緒さんに、普通の楽しさ、みたいなものを味わってほしいんだよ。えっちなこと考えるだけじゃなくて、誰かと手をつないでショッピングにいくとか、誰かと絶叫マシンに乗ってきゃあきゃあ騒ぐとか、」


「そしてそのあとはご休憩コースなんですねわかります」

 なんでそうなる。そんなインスタントに自分を虐待しなさんな。そう言うと美沙緒さんはびっくり顔で、

「わたし、わたしを虐待してたんですか?」

 と言ってきた。俺は、「美沙緒さんは、もっと自分を可愛がらなきゃだめだ。そのままじゃセルフネグレクトっていうやつになっちゃうぞ」と言ってやった。


 美沙緒さんは、すっくと立ち上がると、俺の横にとすりと座った。そしてそのまま、俺のほうに倒れてきた。俺のあぐらをかいた膝の上に、ぽてりと頭をおろして、

「先輩。自分の可愛がり方のお手本を見せてください。将棋みたいに」

 と、笑顔で言うのだった。俺は、かあーっと赤面した。

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