部活の後輩女子が性的な目で俺を見ている

金澤流都

第一部 部活の後輩女子が性的な目で俺を見ている

1 後輩は俺をクンカクンカしてちゅっちゅしたいらしい

 後輩の春野さんがため息をついた。俺はちらりと春野さんの顔を見る。いまの世の中、人の顔について可愛いとかブサイクとか言うのが失礼で非常識、という価値観が浸透しているので、あまりこういうことは言いたくないのだが、春野さんはベラボーに可愛い。


 白い肌、整えられた眉、意志を感じる大きな目と物憂げな長い睫毛、すっと通った鼻すじ。柔らかそうでぽっと色づいた唇。この学校――東高はとても校則がゆるいので、化粧をしてくる女子なんてザラだが、しかし春野さんはせいぜい日焼け止めくらいしか塗っていないのではないだろうか。それくらい化粧っけが薄いのに、とてつもなく可愛い。このままアイドルオーディションに出て優勝ぶっちぎれるのではなかろうかというレベル。


「なにため息ついてんの?」

 そう訊ねると春野さんはちょっとびっくりした顔をして、

「あ、いえ、その。なんでもないです」と答えた。そして、また将棋の駒をカッコよく掴む練習を始めた。


 東高の将棋部は廃部寸前の弱小部活である。というのも先輩三人が他の部活との掛け持ちで、まともにこの将棋部に顔を出さないので、誰かから教わるというのが木っ端微塵なのだ。俺は将棋部にしか入っていないし、後輩の春野さんも然り、である。顧問の先生も生徒指導部をやりながらで忙しいので、せいぜい将棋世界だのNHK将棋講座のテキストだの、それから詰将棋の本やリクエストのあった棋書だのを買ってくるくらいだ。


 そりゃあガチ勢ばかりだった大昔は大会で勝ったりもしていたらしいが、いまはなんの実績もない、「放課後にのんびり将棋を指す部活」みたいな状態になっている。


 そういうわけで、俺も将棋ガチ勢というわけでなく、後輩もできたわけだしアマ初段を目指そうと奮起しているのが現状だ。なので春野さんに教えられるのは、駒の掴み方とか、符号の読み方くらい。頼りない先輩なのである。


「えいっ」

 春野さんは盤にばちりと駒を置いた。おお、なかなかさまになってきた。そう褒めると春野さんは嬉しそうな顔をした。嬉しそうな顔のまま、春野さんは訊ねてきた。


「木暮先輩って、カノジョとかいたりするんですか?」

 俺はリプトンのレモンティーを噴きそうになった。そんなもんいない、いるわけがない。


「あのさ春野さん、高校生になれば付き合ってる人が必ずいるとか思ってる?」

 そう訊ねると春野さんは「違うんですか?」と尋ね返してきた。

「そういうのは一部のキラキラキャラとか不良とかだけだよ。普通に高校生やってたってカノジョなんかできないさ。少女漫画の読みすぎだよ」


 そう言うと春野さんは残念そうな表情になった。でもなんで俺にカノジョがいるか訊いてきたんだろう。もしかして俺に気がある? まさかぁ。


 春野さんは可愛いのできっとキラキラキャラになれるんだろうなあ。


 そう思って春野さんの表情を伺う。春野さんは細く白く、先端の色づいた指先で駒をひょいと掴み、しばらくそれを見つめてから、なにやら口を小さく動かした。


 なんと言ったのかは聞き取れなかった。というか、声を発していないかもしれない。春野さんはぼーっと、俺の顔を見ている。


「春野さんはクラスだとどんな感じ? やっぱり人気者だったりする?」


「違いますよぅ。わたしなんか誰にも興味持ってもらえないし、木暮先輩に興味を持ってもらえたらそれでいいんです」


 ……いまなんか聞き捨てならないことを言った気がするぞ。それはともかく、なぜ春野さんはこんなに可愛いのに誰からも興味を持ってもらえない子をやっているのだろうか。よく分からないので訊ねてみる。


「教室だと、ずっと本読んでるか、スマホいじってるかなので……」

 意外である。春野さんはあまり積極的に人と関わろうとしないタイプらしい。俺は春野さんとどういう距離感で接すればいいのかちょっと考えた。


「じゃああんまりしつこく教えたりしないほうがいいかい?」と訊ねると、

「あっ! い、いえ、先輩にはいろんなこと教わりたいです!」と、慌てた感じで返ってきた。


 ますますどう距離をとっていいか分からなくなってしまった。それに「いろんなこと教わりたい」と言われたって、俺に教えられることなんて大してない。基本的なルールくらいだ。


「じゃあ、一番指してみようか?」そう言うと春野さんはこくこくと頷いた。盤の上に駒を並べていく。並べ終わる、そのときに俺のひじがレモンティーの紙パックに激突した。


 机の上はレモンティーでべちゃべちゃになった。幸い、盤も駒もプラスチックの安いやつだ。春野さんは慌ててハンカチを取り出したが、これをハンカチできれいにするのは無理がある。


「大丈夫。いまちょっと雑巾とってくる。待ってて」

 そう言って部室を出る。春野さんのため息が聞こえた。やっぱり俺はカッコ悪い先輩だ。雑巾雑巾……と、部室棟の隅の雑巾かけから二枚ほど、わりかしきれいな雑巾をとって、部室に戻る。


 部室のドアを開けようとしたとき、春野さんが小さな声で、


「ドジっ子の先輩かわいい……クンカクンカしてちゅっちゅしたい……」


 とつぶやいているのが耳に入ってしまった。


 クンカクンカしてちゅっちゅしたいって、変態さんじゃないか。


 春野さんの意外な変態みに驚きながら、様子を見てドアを開ける。


「あっ、せ、先輩……えへへ」春野さんは完全にごまかしにかかっている。俺は「ナニモキイテマセンヨー」の顔をして、机および盤と駒を丁寧に拭いた。雑巾は水道でよく洗って干した。


「ごめんな、俺もうちょっと気を付けなきゃだめだな」


「大丈夫です。きれいになったんですから」


 春野さんは上目遣いで俺をチラチラチラチラ見てくる。なんだか変な感じだ。


 きっと聞こえてきた変態さんのセリフは俺の耳の勘違いだ。俺と春野さんの間には、部活の先輩後輩以外の関係はないし、春野さんが俺なんかをクンカクンカしてちゅっちゅしたいわけがない。俺は顔も体形もスポーツのセンスも歌も絵心も勉強の成績も、なにもかも超☆普通の人間だぞ。春野さんがなんで俺なんかに惚れるんだ。それに惚れたとか好きだとか付き合うだとか、そういうのって不良かキラキラキャラだけのやつだし。


 そんなことはともかく、きれいになった盤でぱちぱちと将棋を指した。春野さんは地頭がいいらしく、初心者にしては鋭い指し方をする。腹銀の手筋を教えてもいないのにかましてきて、俺はこのまま三手詰めなので「負けました」と言った。春野さんはなんで勝ったかよく分からないらしいので、俺でも分かる程度の詰みの手順を説明した。春野さんは目をキラキラさせて、


「しゅんごぉいぃ……」とうっとり口調で言った。なぜそこでうっとりするのか。


 そういうわけで日が暮れる少し前まで、二番ほど将棋を指した。一勝一敗で俺も勝ったので腕前はほぼ互角。……先輩として情けない。アマ初段は遠そうだ。


「――あ。そろそろピアノのお稽古の時間だ」と、春野さんは立ち上がった。


「春野さんはピアノ習ってるんだ」俺の言葉に、春野さんは頷いた。それから、


「春野、じゃなくて、美沙緒って呼んでくださいよぅ」と言って、それから帰っていった。


 美沙緒かあ。素敵な名前だなあ。あれ? 春野さん……美沙緒さん、なんか忘れ物してるぞ。本だ。文庫本だ。カバーがかかっているな。なになに、「女戦士をオークが拷問するお話」。


 ……これ、ジュブナイルポルノというやつでは? いわゆる「えっちなラノベ」だ。口絵なんか完全なるエロスなやつ。ビキニアーマーの女戦士が、オークに捕らえられて顔を紅潮させ、なにやら拷問をうけている。そっ閉じして机の上に置く。


 これを、美沙緒さんが、読んでいるのか。


 こぐれせんいちは あたまのなかが まっしろに なった!


 そのとき、建付けのよくない部室のドアがガラガラーっと開いて、

「あのっ! 本忘れてませんか!」絶叫調でそう言って美沙緒さんが飛び込んできた。


「あー、これかい? なんの本?」と、読んでいないことを強調して言った。


「た、ただの文庫本ですよ」美沙緒さんは完全なる挙動不審で、エロスなラノベをかわいいリュックサックにぐいぐいと押し込んだ。


 慌てて帰っていく美沙緒さんの後ろ姿を見送り、俺は美沙緒さんについて、二つばかり仮説を立てた。


 ・美沙緒さんは、すっごい美少女なのに、すっごいむっつりスケベである。

 ・美沙緒さんは、俺なんかをクンカクンカしてちゅっちゅしたいと思っている。


 どちらもあまり信じたくない仮説だ。仮説で終わってほしい。


 しかし残念なことに、それは仮説では終わらないのだ。

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