第2話 Bが婚約者を殺した理由

Bは36歳で登山が趣味だった。

婚約者がいて、二年後に結婚する予定だった。

結婚まで間を置いた理由は、婚約者が働き盛りだったためだ。

婚約者は27歳で、あと2年ほど今の会社で頑張れば昇進が約束されていた。

Bと婚約者はお互いによく話し合い、相手を尊重した関係を持っていた。

年の差が多少あるため、周囲にはあることないこと勘ぐるものもいたが、Bと婚約者の性格を知り、二人と親交を深めるうち、そんな考えが如何に愚かだったかを悟った。

「本当に良い人たちなんですよ」

婚約者の同僚の一人は言った。

「今時珍しいくらいにね。ただ頭が良いだけじゃなく、二人ともすごく合理的に物事を考えて行動するの。それでいて冷たいとかじゃなく、親切で人情味もある。お似合いの二人でしたよ。むしろ、だからお互いに惹かれ合ったんですよね、きっと」

Bと婚約者はすでに同棲を始めていて、週末にはお互いの趣味を一緒に、交互に楽しんだ。

婚約者の趣味はお菓子作りだった。

だから、ある週末は二人でお菓子を作り、次の週末には登山に行くというのが日常になっていた。

ある日の朝、婚約者の会社に電話があった。

電話をしてきたのはBの弟だった。

「●●さん(※Bの婚約者)が登山中の事故で亡くなりました」

婚約者の同僚が詳しく話を聞くと、Bも重体だということだった。

Bと婚約者は、山の中、テントで寝ているところを熊に襲われたのだという。

熊は婚約者を執拗に攻撃した。

腹に爪を立てて抑え込み、顔に噛みついて皮を剥ぎ、暴れるのが鬱陶しかったのか、手足を引きちぎると、内臓を引きずり出して殺した。

Bは最初、婚約者を助けようとしたが、猛った熊の一撃で重傷を負い、自分の力では何もできないと悟ると、助けを求めて山を駆けおりた。

「もう婚約者は助からないと、分かっていたはずなのにね」

Bの登山仲間は言う。

「腹をすかした熊っていうのは、銃を持った人間だって敵わない。そんなのは常識だ。熊に襲われたら逃げるしかない。あいつはいつも冷静だったけど、さすがに婚約者が目の前で喰われるのは、黙って見てられなかったんだろうな」






Bは私にだけ、本当のことを話してくれた。


「婚約者はお菓子をポケットに入れたままま、テントで眠ったんです。僕はそれを知っていましたが、その時は注意をせずに、そのままにさせました」


なぜ注意をしなかったのかと私は尋ねた。


「二度目だったからです。前回の登山の時、僕は彼女に言ったんです。山で眠る時、甘い匂いのするものを身に着けて眠ってはいけないと。お菓子だけでなく、甘い匂いのするシャンプーやハンドクリームもだめだと。だけど、彼女は笑って、細かすぎる、気にしすぎだと言って、聞いてくれませんでした。前回は熊に襲われなかったので、彼女はさらに調子を良くしたようですが、それはただの幸運です。だから、それを分かってもらうために、今回は注意しませんでした」


婚約者が熊に襲われても良かったということか、と私は続けて尋ねた。


「はい。そこまでいけば、彼女も分かってくれるだろうと思いましたから。僕の言うことが正しくて、僕の言うことを聞いていればよかったと思ってくれるだろうと」


あなた自身にも危険があったが、それは良かったのか、と私は尋ねた。


「僕は襲撃に備えて、テントを切り裂いて逃げられるよう、ナイフを持って眠りました。そして彼女を一番危険な入り口側に寝せました。自分にはできるだけ危険のないよう、気をつけたんです」


でもあなたも怪我をした、と私は言った。


「完全に無傷だと怪しまれるじゃないですか。だからちょっとだけ、のつもりでしたが、さすがに熊ですね。思った以上に怪我をしてしまいました。危なかったです」


あなたは婚約者が言うことを聞いてくれなかった為に殺意が湧いて、殺したのかと私は聞いた。


「いいえ。ただ、知ってほしかっただけです。僕の言うことは正しいんだってことを。僕の言うことを聞かないと、大変なことになるってことを」


しかし婚約者は死んでしまった、と私は言った。

Bは肩をすくめた。


「仕方ないですよね、それはもう。死んでしまったものは、どうにもならないので。彼女は、僕の言うことを聞いておけばよかったんですよ。でもそうしなかったんだから、自業自得ってやつでしょう」


Bは怪我の完治とともに退院した。三日後に婚約者の墓参りに行く予定だという。

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