第38話 エミリ救出作戦―⑤

 突然聞こえてきた大声に、俺たちはびくりと廊下の方を振り返った。部屋の外を睨みつけて、グエンさんが舌打ちする。


「もうバレたか……」


 遠くから近づいてくる足音に、思わず顔が引き攣るのを自覚する。俺は「どうすればいいんだよ!?」とグエンさんに向かって叫んだ。


「今すぐこの窓から外に出ればいいのか!?」

「……いや、今俺達全員が出たところで、窓から逃げたことはすぐにバレるだろう。そうなれば、このルートを選ぶ意味がない。逆に、余計なリスクを背負うことになる」


 グエンさんは苦虫を噛み潰したような顔で、しかしハッキリと答えた。その落ち着いた口調に、カッとなって叫んでしまったことを後悔する。そうだ、ここでグエンさんに当たったって、状況は何も改善しない。


 足音は容赦なく近づいてくる。焦る頭で、ペンダントを握りしめた。ロジクルさんに連絡するか? いや、でも、転移魔法はかなり大掛かりなものだと聞いた。ロジクルさんには後でメアと合流してもらわないといけないから、俺がその邪魔をするわけには……。


 ぐるぐると目が回るような錯覚を覚える。俺が歯を食いしばった時、隣でトンと一つの足音が聞こえた。一歩を踏み出した、強くて揺るぎのない音だ。


「それなら、外に出る前にアイツらを引き付ければいいってことよね?」


 前に進み出たメアは、俺とは対照的なすっきりとした表情でグエンさんを見ていた。グエンさんは少し戸惑った様子で頷く。


「あ、ああ。俺もそのことを考えていたんだが、俺一人でどうにかなる人数とは……」

「勘違いしないでよね。アタシだって十分に戦えるんだから。アンタ一人に任せるほど他力本願じゃないわよ。アタシとアンタで兵士たちを引き付けて、その隙に陽翔にはエミリを助けに行ってもらう。これでいいんじゃない?」


 メアはいつもの強気な口調でバッサリと言い切る。


「アイツらが何人かかってきたって、アタシたちの敵じゃないわ。ぶっ飛ばしてやりましょ」


 メアの顔は、とても晴れやかだ。悩むことなんて何もないのだと証明するように、俺とグエンさんを交互に見る。


「……メア、本当にいいのか?」


 それでも俺は気が引けてしまって、気が付くと口に出していた。メアが俺に視線を留める。


「相手は何人かわからないんだぞ? そんな危ないことを二人に任せて、俺だけ先に進むなんて……」


 俺がそう言うと、メアはこれ見よがしにため息を吐いた。はーっ、と大きく息を吐きだす。


「今更何よ。危ないのはこの城に乗り込んだときから変わらないでしょ。それとも、アタシに何かあったら陽翔が責任とか取ってくれるつもりだったの? 自分の目が届かないところに行くから不安になったって? バカ。立場が逆。アンタの世話を焼くのはアタシの役目なんだけど」


 あまりにもメアの話が正論すぎて、俺は言葉に詰まる。


 確かに、城の中で何かあっても、俺がどうにかしてメアを守るつもりだった。いつも守られてばっかりで守る力なんてないくせに、もしメアに何かあったらエレンやおばあちゃんに顔向けできないから。でも、それなら初めからメアをこの計画に組み込むなよって話で。


 覚悟を決めていたはずなのに、いざとなると勇気が出ない。ダメなところだな、と自分でも思う。


 俺とメアのやり取りを聞いていたグエンさんが、横から「一番危ないのはお前だぞ」と言ってきた。


「足場も不安定な場所だからな。足を滑らせたら転落死間違いない上に、兵士たちも攻撃してくるだろう。一番死の可能性が高い。この子なら俺が守ると約束しよう」

「だーかーら、アタシだって戦えるんだってば」


 メアはグエンさんに抗議したのち、もう一度俺を見た。痛いほどの真剣な瞳が、俺をまっすぐに見つめる。


「陽翔は、アタシのこと信じられない?」

「違う」


 俺はすぐに首を横に振った。そんなわけがない。メアのことを信じられないなんて。今の俺を悩ませているのは、ただ一つだ。


「メアのことを信じられないわけがない。メアがどうして俺のことを信じてくれるのかが、わからないだけなんだ」


 俺にとって、メアやエレンは右も左もわからないうちから支えてくれた恩人だ。感謝してもしきれない。でも、メアにとって、俺は突然転がり込んできた人間に過ぎないんじゃないのか。俺は信頼されるに値することをしただろうか。


 今言うことじゃないのはわかっていたけど、どうしても言わずにはいられなかった。


 メアは俺の顔をじっと見つめていたけど、やがてそっと微笑んだ。その切なげな微笑は、初めて見るメアの表情だった。何故か胸が締め付けられる。


「ねえ、覚えてる? 初めて陽翔と会った日のこと。エミリのことを聞いて、アタシが何て言ったか」

「覚えてるよ。イカレてる、だろ」

「正解。なーんだ、覚えてたの」


 メアはくすくすと笑った。とても嬉しそうに、くすぐったそうに。


「あの時ね、アタシ、バッカじゃないのって思ったの。アンタが幼馴染――エミリのことが好きなのは何となく気づいたけど、だからってそこまで出来る? って。好きな人のために命まで賭けるなんて、バカだし頭おかしいって思った」


 ボロクソじゃん、と口の中で呟く。でも、言ってる内容は辛辣なのに、話すメアの表情は今までに見てきたどれよりも穏やかだ。


「今ならわかるわよ。誰かを好きになるってどんなことか。好きな人のためならなんだってしたいって、そう思っちゃうのよね。たとえ命がけのことだって、相手が笑ってくれるなら」


 間近に迫る足音と声が、不意に遠のいた。まるで目も耳も、メアだけに吸い寄せられたみたいだ。何も言えない。答えられない。

 

 メアから向けられる眼差しは、今まで受けたどれよりも、優しくて、強くて、痛い。


「め、メア、」

「なーんちゃって!」


 俺が呼びかけようとしたとき、被せるようにメアが底抜けに明るい声を出した。


「陽翔が変なこと聞いてくるから、アタシまで変なこと言っちゃったじゃない。ノンキに話してる余裕なんて全然ないのに」


 いつもの調子で話してから、ドアの方へ駆け寄って行く。その後ろ姿を立ち尽くしたまま目線で追いかける。


 ドアの前で足を止めたメアが、そっとドアに手を当てる。


「アイツらのことならアタシに任せて。陽翔は早くエミリのところへ行ってあげて。エミリもきっと、陽翔のことを待ってるから」


 それから、また俺を振り返って、痛みを我慢するような笑顔で、


「一ノ瀬陽翔のカッコいい姿、アタシとエミリに見せてよね」


 メアがドアを開けた。前だけを見て、部屋を飛び出していく。もう振り向かなかった。


 メアが部屋を出て行った直後、遠のいていた周りの雑音が戻ってきて、兵士たちがすぐ近くまで来ていたことを知った。


「陽翔」


 名前を呼ばれ、グエンさんを見ると、彼は俺と目を合わせて力強く頷いた。言葉は交わさずに、メアを追いかけて部屋の外へ駆け出していく。


 一人きりの資料室は、埃の匂いが強まったように感じた。窓を開けると、冷たい夜風が吹き込んでくる。


「……っ、メア」


 薄暗い部屋の中で一人呟く。いろいろ思うことはあるけど、今はきっとその時間じゃない。俺がやるべきことをやらないと。


 自分に発破をかけるように無理やり窓枠に足をかけ、窓の外を見た。エミリのいる尖塔まできっとあと少しだ。


 俺をここまで連れてきてくれたメアの想いを、無駄にしたりしない。


「ありがとう、メア」


 俺は窓枠を蹴って、屋根に飛び降りた。

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